シンクロニシティ I

シンクロニシティ I

FRAGMENTS 7

プロローグ

 眩しい光が窓から射してきた。

 もう横になろうと思っていた千鶴は、玄関から差し込む光の元を確かめようと窓辺に立った。門の所にバイクが停まっている。大きなエンジン音が止んでライトが消えた。青い月明かりの下で、誰かがバイクの傍に立っている。誰?

 玄関のチャイムの音。インターフォンに出ると、「僕だよ」という声。千鶴は部屋着のまま玄関を開けた。

「沖田先輩。どうしたんですか、こんな夜遅くに」

 ドアの向こうには総司が立っていた。「やあ」と云って笑いかける総司は、「ちょっと、出て来ない?」と千鶴を外に誘った。千鶴は、もう今夜は遅いからと首を横に振ったが、総司は

「まだ10時前だよ」と自分の腕時計を見せて笑っている。

「こんな格好だし」

 千鶴はキャミソールのセットアップ姿だった。総司は、「じゃあ、着替えておいで。待ってるから」と笑って答える。千鶴は、頷いて二階に上がろうとした。総司は、「スカートよりジーンズがいいよ、あと上着もね」と声を掛けて来た。

 千鶴が仕度をして玄関の外に出ると、総司はヘルメットを二つ持ってバイクの準備をしていた。大きな真っ赤なバイク。総司は千鶴を促して、ゆっくりと沿道に歩いて行った。

「ドライブに連れて行ってあげる」

 バイクを押しながら後ろを歩く千鶴にそう言う総司は、「今夜は満月だからね」と空を見上げた。青白く輝く月が、空や街を明るく照らしている。振り返る総司の横顔は、逆光で笑っているのか、白い歯が光っているように見えた。千鶴は、総司に会うのは春以来だった。斎藤と同じ大学二年生の総司は、都内の大学に通いながら試衛館で剣術指南をしている。大学のサークル活動も忙しい総司とは、近頃は道場で顔を合わす機会がなくなっていた。髪が少し伸びて、また背が伸びたような。大きな背中を見ながら、千鶴は総司に訊ねた。

「先輩、ずっと忙しくされているって。きいてました」

「ああ」

「バイトもしてたからね」

 総司が話しているのは、駅前の会員制トレーニングジムでのアルバイトのことだった。大きなビルの中にあるジムで、そのビルのオーナーの娘が大学のサークル仲間だと聞いていた。

「総司は、英会話サークルでもてはやされてやんの」

 確か、道場稽古の帰りに平助が言っていた。

「五月のスピーチ大会で優勝したんだってよ」

「なんか、うぜえんだよ。総司のやつ。英語と日本語ちゃんぽんで話してさ」

「駅前のジムのバイト。月に50万貰ってんだって」

「なんか、怪しくね? いっくら高級会員制クラブったって、バイト代で学生に50万も払うかよ」

「あそこのビルのオーナーの娘」

「みよちゃんってさ。英会話サークル・ロズウェルで一緒の子だよ。総司に入れあげてるって」

「美人で可愛いっていうけどさ」

 平助は、こっそりと総司のバイト先を覗きに行ったらしい。総司は、ジムのマシーントレーニングを担当して、普通に一生懸命働いている様子だったという。客は有閑な年配層、富裕層。総司のみよちゃんは、ちょっと気がきつそうなタイプの美人だったと平助は言っていた。

「このマシーン、バイト代貯めてやっと手に入れたんだ」

 総司はバイクを顎の先で指さすように千鶴に話した。

 ——ONDA CN-4 LAWRENCE

 総司は急に英語で話し始めた。発音が外国人みたいで、千鶴には何のことだかわからない。

「アキラって漫画、知ってる? あれに出て来たバイクと同じモデル」

「色もね、レッドバージョンは台数が限られてるんだ」

 千鶴は月明かりに輝くような真っ赤な車体を眺めた。見た事もないような近未来のデザイン。それにしても、沖田先輩はバイクに興味があるなんて、初めて知った。

「誰にもタンデムはさせない。でも君は特別だよ」

「満月だから、今夜はドライブに連れて行ってあげる」

 満月だから。千鶴はさっきからそう繰り返す総司の横顔をじっと見ていた。不思議だ。もう何か月も会っていなかった沖田先輩が、真っ赤なバイクで現れて。そうだ。はじめさんに、連絡をしようと思っていたんだ。千鶴は、鞄からスマホを取り出した。

 八月の終わりに会津に行くことになった。

 四日間の交換稽古。

 その間バイトは休む。

 明日は2時にいつもの場所で

 斎藤からのLineが入っていた。アルバイトと道場通いと稽古で忙しい斎藤。4月から数えるぐらいしか逢えていない。春休みに二人で会津若松に旅行に行って。その後は互いに忙しく、ゴールデンウィークに一度、小田原まで遠出した。その後は、時間の合間を縫って、デートをしている。午後2時にいつものカフェで。窓側に面したカウンター席で、二人で語らう。ほんの数時間の間だが、一緒に居られるだけで幸せだった。来月の終わりに、再び会津へ。私も行きたい。バイトを休めるかしら。父さまの引っ越しと重ならなければいいな。そんなことを考えながら、翌日に会う約束の確認とおやすみなさいのLineを送った。

 総司は大きな道路に出ると、千鶴にヘルメットを被らせて、小さな子供を抱き上げるようにバイクのタンデムシートに座らせた。上着のジッパーを閉めて、と言いながら、自分のブルゾンのジッパーも閉めた。

「ちゃんと掴まっててね」

 前のシートに跨った総司は、千鶴の腕を自分の腰の廻りにしっかりと廻させて、アクセルを吹かせ始めた。物凄い音を立ててバイクは発進した。凄い。エンジンの響き、風になったみたい。

「……、づる、ちゃん……」

 機械音のプツプツとはじける音がして、総司の自分を呼ぶ声が聞こえて来た。

「ちづるちゃん、き……てる?」

「はい、」

「これ。これで聞こえる?」

「はい、ハッキリ聞こえてます」

「メットの内臓フォンだよ」

「これから暫く止まらないよ。トイレはいい?」

「はい」

 総司はそれから何も話さず、ずっとバイクを走行させた。環状線を羽田に向かっているのは判った。【湾岸線】という標識。

「左側は、工場地帯、その向こうは真っ暗だけど海だよ」

 時折、総司の声が聞こえる。風の音、自分たちを待ち受けるように大きな月が目の前に見えて居た。千鶴は不思議な気分だった。生まれて初めてバイクに乗った。こんなに早く風の中を進む乗り物があるなんて。それに、前に乗っているのが総司なのも不思議だった。

 総司がバイクを止めたのは、港の中のようだった。横浜港。大きな月の光が、湾内の波間に反射している。家を出てから一時間ぐらいだろうか。まるで別世界に来たような。海風に吹かれて。千鶴はぼーっと目の前の海を眺めていた。

「こんど東京を出て合宿に行く」

「長野でね。スピーチ大会に向けての缶詰め合宿」

「しばらく、東京を離れるよ」

 総司は、隣に立ったまま呟くように言った。

「向こうは、星が綺麗で。天の川も見えるって」

「君も来ない?」

 いつの間にか、総司は千鶴の目の前に立ってじっと千鶴の眼を見詰めていた。大きな満月の前にその顔は逆光でよく見えない。胡桃色の髪の毛の輪郭と、翡翠色の瞳が瞬くように自分の目を覗き込んでいるのが、だんだんと浮かび上がった。不思議な。どこかで見たような。

沖田先輩? どうして、急にそんなことを。

 千鶴はふと既視感に襲われた。

「八月に会津に行くかもしれなくて」

「はじめくんと?」

 千鶴は頷いた。「へえ、そうなの」と総司は、そう云ったきり黙ってしまった。二人で、湾岸を眺めながらゆっくり歩いて、バイクの停めてある場所に戻った。

「おいで、帰るよ」

 またタンデムシートに乗せられて、風を切るように家に戻った。もう既に夜中を過ぎていたが、総司はドライブに付き合ってくれて、ありがとうと礼を云うと、また轟くような音をさせて、バイクで消えて行った。



*****

DAY 1

メランコリア

 総司とのドライブの翌日、千鶴は斎藤と駅前のカフェでデートした。久しぶりに会う斎藤は、日焼けして、襟元を短めに切った髪はさっぱりとして見えた。飲み物をオーダーして、早速八月の終わりに会津に行く話になった。

「8月24日から4日間。稽古をつけて帰ってくる」

「稽古は日中だけだ。午後がまるまる開いている日もある」

「わたしも行きたい」

「ああ、一緒に行こう」

 テーブルの下で、二人で指を絡め合いながら、二人の気持ちは会津行きで舞い上がっていた。スマホを取り出して、宿を決めて新幹線の予約もした。千鶴の父親が戻ってくるのは、その一週間後。十分に引っ越しの準備は出来る。斎藤は、夕方から道場での稽古があるため、

駅前で分かれた。改札口でこめかみにキスをされた。恥ずかしかったが、嬉しい。人前で、駅みたいな場所では、めったに身体も寄せ合わないのに。

 千鶴は、それから家庭教師をしている中学生の家に向かって、九時近くに家に戻った。駅前で偶然あった平助と一緒に歩いて帰った。

「なんかさ、明日から思い切り気温が下がるって」

「台風が来てるから?」

「違うよ、隕石が降ってくるからだってさ」

「いんせき?」

「ああ、巨大隕石だって。千鶴、ニュース見てねえのかよ」

 見てない。なに、それ。どうして、隕石が降って、気温が下がるの。矢継ぎ早な千鶴の質問に平助は呆れたように答えた。

「だから、隕石が地球にぶつかるだろ。そうすると、海面が上昇するんだ」

「それで、思い切り寒くなるんだよ」

 千鶴は平助の云っていることがよく判らなかった。「異常気象になるってえの」「インスタント氷河期だぜ」「でも、毎日暑いから、涼しくなっていいかもな」と独りで平助は喋っている。

「隕石って、宇宙人が地球に飛ばしてるって」

 千鶴が呟くと、平助が「そうなのかよ」と大声で尋ねた。千鶴は、鞄から何かを取り出した。

「これ、科学研ヌーの最新刊。ここに書いてあった」

「なんだよ、ちょと見せて」

 平助は、千鶴の手に持ってる雑誌を電信柱の下の灯りでパラパラとめくって読むと。

「なんだよ、これ、写真ねーじゃん。やっぱヌーだよな」

「つか、なんで千鶴、ヌーなんか読んでんだ」

「これ、野村君が貸してくれたの」

「家に帰ったら、過去一年分のバックナンバーあるよ」

「ヌーの? 野村って、野村利三郎かよ」

「うん。野村君、ヌーのUFO観測会の会員なんだって」

 あいつ。前からヤバイ奴だと思ってたけど、やっぱモノ本にヤバい奴だな。と平助は千鶴に同意を求めた。野村利三郎は薄桜学園の一年後輩で、剣道部員。試衛館道場にも通っている。

「野村君、物知りだよ。私がきっと興味あるだろうからって【オーパーツの謎】って本を貸してくれたの」

「なんだよ。オーパーツって」

「オーパーツだよ。ハローケティちゃんの金の根付がアメリカ人のお墓から出て来たの」

「第二次世界大戦前に亡くなった人のだよ」

「ケティちゃんは、日本で1970年代に造られたから、その30年前にアメリカに黄金で出来たケティちゃんのオーパーツがあったって話」

「オーパーツは宇宙人が、タイムマシーンで違う時代に置いていったものかもしれないんだって」

「すげえな。ヌーに書いてあるのかよ」

「うん、家にある【オーパーツの謎】にね」

「科学研ヌーだよな」

「ヌー特別刊だよ」

 結局、平助は千鶴の家まで一緒に来て、ヌーのバックナンバーを千鶴から借りて持ち帰った。

 その夜は熱帯夜だったが、翌朝は、気温が10度まで下がった。数時間での気温の急降下に、ニュースでは異常気象を報じていた。千鶴は、巨大隕石のニュースを調べたが、どのニュースも映像は一切映さない。ただ、隕石が接近する可能性についてだけ、CG画像でシミュレートしたものが映し出されて専門家が説明をしていた。

 冬物のセーターやコートを取り出して、千鶴は寒さに備えた。庭の花が凍えたようになっていた。空は晴れているが、薄青い空に太陽は見えない。代わりに白い丸い月が見えた。そして、その隣に赤い月が見えた。二つの月。千鶴はこの空の風景をどこかで見た気がした。

 奇妙な既視感。デジャブ、デジャブ。どうして、月が二つも。

 はじめさん、
 今朝は冷えます。
 温かくしてください。
 わたしは、三時までバイトです。
 夜は家に居ます。
 Lineしてね。

 千鶴は、駅から斎藤に連絡した。

 今朝は、道場の中庭に霜柱が立っていた。
 気温が低い方が真剣はよく刃がたつ
 暑さより寒さのほうがいい
 夜に電話する

 斎藤から返信が来たのは昼過ぎ。早朝から居合の稽古に出ていたみたいだ。千鶴は、どんどんと気温が下がる中を、白い息を吐きながら家に着いた。夕方になっても月はずっと空に残ったまま、赤い月もその隣に同じぐらいの大きさで浮かび上がっていた。

「惑星メランコリア、NASAによって発表されました。隕石ではなく、惑星です」

 平助のLineで、テレビをつけるように言われた千鶴は、ニュース速報の画面に釘付けになった。急激な気温低下の原因。地球に近づく惑星の影響という説明をしているが、今空に見えて居るあの赤い月が惑星。惑星って……。

 千鶴は不思議な既視感に襲われた。メランコリア。NASAが発表した星の名前。150年ぶりにその軌道が地球に近づく。その大きさは、月の四倍。赤い月。どこかで見た事がある。この悲しい気分も。どうして……。千鶴はテレビの画面に浮かぶ、赤い惑星の映像とその星の名前を聞いて、漠然とした不安と陰鬱なものを感じた。

 NASAの発表ってさ。
 なんか陰謀じゃねえの。
 ヌーにもノストラダムスの予言で世界が滅びるって書いてある

 平助からラインが入った。パンダが青い顔をして震えているスタンプが押してあった。

 平助くんが教えてくれた通りかも 
 惑星の接近で、海抜が急上昇するって
 こんなに急激に気温が下がるなんて
 地球がおかしくなってしまう
 平助君、くれぐれも風邪をひかないでね

 千鶴はずっとテレビをつけたままにしていた。専門家の話では、惑星メランコリアは地球に最接近するのは4日後。軌道は地球から40万キロ。月より離れている。だが、惑星の体積が大きい為、その影響は月の満ち欠けの五十倍。地球の大気。地表を覆っている海面に引力の力がかかって海抜が急上昇する可能性がある。

 惑星は奇妙な周回軌道をとっている。

 これがこの惑星がメランコリアと名付けられた理由だと、もう一人の専門家が話しているのが聞こえた。

「まるで、軌道の上をぐるぐると周りながら進む。恐らく太陽の影響だと思われます。一定のリズムを持っていて。まるでダンスを踊るように動いてるんですね」

 Death Dance 死のダンス

 そんな風に表現している天文学者もいます。真顔で話すテレビの中の専門家を見ながら、更に不安な気分を煽られて。千鶴はだんだんとテレビのボリュームを小さくして、椅子のクッションを抱きしめた。その時、スマホの着信音がした。電話だ。はじめさんだ。

「千鶴。俺だ。今新宿だ」

「電車が止まっている。送電線が断絶して動かん」

「バイト先も臨時休業だ」

「バスを乗り継いで帰る」

 斎藤は、移動しながら話をしているみたいだった。千鶴は、斎藤の声を聞いて、さっきまでの不安が消えて行った。気を付けてね、家についたら連絡してと云って電話を切った。もうテレビを観るのは止めよう。リビングの灯りを消して、夕食を食べるのも止した。ゆっくりと風呂に浸かって、部屋で本を読んでそのままベッドで休んだ。

 夜遅くに斎藤からLineが入った。

 家についた。2時間かかった。
 連絡が遅くなった。すまない。
 総司が稽古に来ていなくて。
 近藤先生が、行方が判らないと心配されている。
 道場の皆で手分けをして探している。
 まさかとは思うが、総司の居場所を知らないか。
 総司は2日前から家に戻って居ないそうだ

 千鶴は眠気まなこのまま、Lineの画面を見ていたが、だんだんと眼が覚めて来た。

 お帰りなさい。
 沖田先輩、金曜の夜に家に来て。
 赤いバイクでドライブに連れて行ってくれました。
 長野に英会話サークルの合宿に行くと。
 もしかしたら、もう長野にいらっしゃるかも。
 英会話サークル・ロズウェルです。

 千鶴のLineを見て、斎藤は驚いた。ドライブ? 金曜の夜に。千鶴をあのバイクに乗せて連れ出したというのか。斎藤は総司が赤いバイクを自慢しに現れた日の事を思い出していた。

「見て、夢のONDA CN4だよ」

「恰好いいでしょ。Lawrence金田バージョン」

「タンデム仕様にしたけど。誰も乗せないよ」

「みよちゃんでもね」

「はじめくん、乗りたい? 250免許持ってるんだっけ?」

 真っ赤な車体は確かに恰好良かった。アキラは斎藤も大好きだ。金田のバイクには憧れていた。だが、斎藤は大型免許を持っていない。それにしても、高価に違いないバイクをよく買えたものだ。斎藤は、総司が高額バイトで稼いでいることは、平助から聞いて知っていた。道場主の近藤は、違法なバイトを門人には禁じている。会員制スポーツジムのバイトは違法ではないが、総司が道場を休みがちなのを近藤は心配していた。

「近藤先生。僕、英語スピーチ大会で優勝狙ってます」

「将来、試衛館道場が外国でも道場展開するときに、オープニングセレモニーでスピーチを立派にやってみせますよ」

「そうか、総司。それは素晴らしい。大いに期待しているぞ。剣術と同じぐらい頑張るとよい」

 近藤は、総司が英会話サークル・ロズウェルで活動することを承知していた。それなのに、長野での合宿の事を、何故総司は近藤先生に知らせておらぬ。斎藤は、そこが気になった。

 長野のどこだ。場所を云ってなかったか?
 ドライブに行ったことをどうして言わなかった?

 斎藤は勢いで、詰問するような語調でラインを送ってしまった。

 ごめんなさい。
 はじめさんに会った時に話そうと思っていたのに 
 会津の事ですっかり忘れてしまって
 横浜港まで紅いバイクで連れて行ってもらいました。
 場所は長野のどこかは何も
 星空が綺麗で、天の川が見える場所だと。
 テレビで赤い惑星のことを見て
 怖い。
 はじめさん、起きていたら電話ください。

 直ぐに電話が鳴った。

「惑星の事は、NASA公式サイトをチェックしている。軌道は4日後に地球から離れると計算されている」

「急激に気温が上昇する可能性が高い。しばらくは異常気象が続く」

「海抜が上がっても東京は沈まない」

「もしそうなったら、内陸に逃げる」

「会津に千鶴を連れていく。あそこなら山に囲まれて安全だ」

「だから心配するな」

 千鶴は心の底から安心した。早く、はじめさんと会津に行きたい。そのまま会津に暮らしてもいい。はじめさんとなら。そんなことを話している内に、二人はすっかり総司の事を忘れてしまっていた。最後に、総司が長野に合宿に行くと云っていたなら、英会話サークルの誰かに連絡をとればわかる。心配はいらぬ。そう言って、斎藤は電話を切った。



*******

DAY 2

雪原のドーム

 千鶴は眩しい光で目が覚めた。

 斎藤と電話で話をしたまま、そのままベッドで眠っていた。まだ朝になっていない。夜中? でも外の光はなんだろう。千鶴はベッドから起き出した。寒い。震えながら窓に近づくと、玄関の門のところに赤いバイクが見えた。白っぽい服を着た総司が立っている。千鶴は、行方不明の総司が戻って来たと思って、壁に掛けてあったコートを羽織ると、一階に下りて行った。

 玄関を開けると、凍るような空気が家の中に入って来た。玄関のポーチを歩いてくる総司は、ジャンプスーツ姿で足早に近づいてくる。数日前に会った時とは違って、少し髪が短い。それになんでしょう、この服。銀色に輝いている。近づく総司は、その翡翠色の眼を、いつもの悪戯をしかけるような輝きでこっちに向けている。「沖田先輩、おかえりなさい」そう云おうと口を開けた途端、総司は千鶴を強く抱き寄せるようにして、胸に抱いた。総司の洋服は、光を放ったような、触ったことのないような感触。強く抱きしめられて、千鶴は驚きながら、首を上げて総司の顔を見た。微笑みながら自分を見ている総司は、「やっと見つけた」

と一言いって更に強く千鶴を抱きしめている。沖田先輩? 一体何のことなんだろう。それに、どうしてこんなに強く抱きしめられているのだろう。

 総司の抱擁は暫く続いた。身を離した千鶴は、「先輩。皆さんが心配しています」「どこにいらしてたんですか?」「はじめさんが、近藤先生も探されているって」と総司を見上げながら尋ねた。

「おいで、千鶴ちゃん。時間がない」

「君を迎えに来た」

「僕と一緒に行こう」

 千鶴は、差し出された総司の手を見て、不思議な気分になった。この手。どこかで。それに、「僕と一緒に行こう」と前にも言われたような。千鶴は既視感を感じていた。

「先輩。もう遅い時間です」

「こんなに寒い中を。バイクは寒いです」

「どうか、家の中でもう少し、温まってから」

「先輩、朝になるまで、休んで行ってください」

 千鶴は、総司を家の中に招き入れようとした。総司は、首を横に振った。そして、そのまま千鶴の手を引いて、ひょいと持ち上げた。微笑んだままの総司は踵を返して、門の外に向かって歩いて行く。

「待って、待ってください」

「わたし、こんな格好で。外には行けません」

 千鶴は総司の肩に掴まって、首を振った。着替えないと。寒くて風邪を引いてしまいます。

千鶴は、総司に地面に下ろされると、総司の手を引いて玄関に引き入れようとした。総司は微笑んだまま、じっと立っている。千鶴の顔をじっとみて、千鶴が慌てているのを楽しんでいるようにも見えた。

 千鶴は二階に上がって着替えた。とにかく温かい恰好を。コートを羽織って、手袋を持って、ベッドの上にあったスマホを掴むと、父親の部屋のクローゼットから冬物のコートをとりだした。

 はじめさん、夜中遅くにごめんなさい。

 沖田先輩が戻ってきました。

 先輩は、なにか事情があるみたい。

 わたし、一緒に付いていきます。

 あとで、連絡します。

 Lineを斎藤に送った。きっと朝になって読んでくれるだろう。その頃に電話をしよう。千鶴は、総司が待つ玄関に走って行った。総司は、千鶴をまた抱えるようにひょいと抱き上げると、微笑みながら門に歩いて行く。

「先輩、わたし歩けます」

 総司はずっと微笑んだままだった。赤いマシーン。数日前に見たバイクが停まっている。総司はそこに千鶴を座らせると。自分にしっかり掴まるようにといった。千鶴は総司の腰に手を伸ばした。温かい。そう思った。総司の纏っている銀色のジャンプスーツは、熱を放っているようで凍るような空気の冷たさを全く感じることがなかった。

「行くよ」

 総司の声が聞こえた。ヘルメットも被らず。それでも風も何も感じない。ただ、目の前が一瞬で明るくなった。眩しい。自分が目を開けているのかもわからないぐらいに、全てが明るすぎて何も目の中に入ってこなかった。千鶴は総司の背中にしがみついたまま。目を閉じていたのか開けていたのか。それは一瞬だったのか、永遠だったのかもわからない。なにか、衝撃を感じて、気が付いた時には、一面の雪景色の中にいた。

 ゆっくりと進むバイクの向こうには、真っ白な建物が見えた。それは巨大なドームのような。雪原の中にある不思議な建造物。空には無数の星が散らばり、天の川が明るく夜空を照らしている。綺麗。なんて美しい風景なんだろう。山の稜線が影になって。四方八方を囲んでいる。

 千鶴は小さな頃の記憶の断片が目の前に拡がるのを感じた。遠い、雪村の郷。父さまと母さまと眺めた。お空に一面の星。

「天の川ですよ」

 母さまの優しい声が聞こえる。千鶴が記憶の母親に微笑みかけていると、総司が千鶴の手を引いて歩き始めた。ドームの入り口は、千鶴たちが近づくと自然にドアが開いた。中は全てが銀色で、寒さを感じない。丸い廊下をずっと通ると、大きな広間に出た。真ん中には、何か丸いケースの様なものが宙に浮いていた。この建物の中には一切の人気を感じない。千鶴は総司に促されるまま、丸いケースに近づいていった。

「シミュレーションデバイスだよ」
「中を覗いてごらん」

 宙に浮かんだ球体には、ところどころ丸い窓が開いている。中を覗くと、暗い中に無数の小さな光が見えた。綺麗。千鶴は思った。光る砂が詰まったもの。宝石箱のような。

「倍率を上げるよ」

 総司の声が聞こえて、目の前の風景が拡大された。光る石に見えたものは、よく見ると球体で宙に浮かんでいる。白い靄、赤い霞、暗い球体の中に無数に浮かんでいる。更に拡大されたものを見て千鶴は驚いた。これは、宇宙。星なの? あのひときわ明るいのは。太陽? するとこれは銀河の中の太陽系。ソーラーシステム。そんな理科の時間に習った呼び方を思い出す。ここは、プラネタリウムかしら。建物はそんな感じだった。星が広がる場所で。そうだ、沖田さんが連れてきてくださったんだ。この場所。長野かしら。合宿が開かれている、星の綺麗な場所。

 そんな事を考えていると、目の前の星空がどんどん拡大されていった。真っ青な美しい星。あれは、地球。そう、私たちの。そして、あれが火星かしら。綺麗。本物のような。こんなに美しくて精工な模型があるのかしら、地球がもっと大きくなる。あれは、アメリカ大陸。太平洋があって、そう、日本。日本列島。どんどん拡大する。関東地方が拡大されて、東京が見えた、もっと大きくなって。町が見えて来た。人が見えて来た。行き交う車。みんな動いている。生きている。千鶴は見た事のある風景に息もできないで見ている。これは、模型ではない、じゃあなに? 映像なの? そう疑問に思い始めた時に、急に景色がズームアウトしていった。気が遠くなる。そんなに急激に視点が広がるとめまいがする。怖い。先輩。怖いです。

 ひとたび、地球が目の前に映し出され、ゆっくり公転する先に段々と見えて来た。赤い星。一段と紅く輝く星。惑星メランコリア。その向こうに月が見える。真っ白に浮かぶ、月の表面には明るい場所、静かの海。あれはクレーターの名前だった。二つの月。白い月と赤い月。赤い月は軌道を逸れて、くるくると周回する。死のダンス。あと4日後に地球に近づく。

 くるくると回る赤い星は、だんだんと地球に近づいて、どんどんと近づいて。地球の大気が揺れ出し、それでも赤い星は、どんどんと近づいていった。地球の表面。壮大な海面が振動しはじめ、波が沸き起こった。巨大な津波が広がる。ゆっくりと、ゆっくりと、それは赤い星の表面と同じように広がって、地球の陸地を覆う。町が呑み込まれ、人々が逃げ惑い、地球の表面が壊れる。赤い星がのめり込むように。大きな光になって、全てが溶けていく。爆発? これは一体。地球が大きな光の塊になっている、真っ青だった、あの美しい地球が。光だけになって、ゆっくりと蒸発するように細かな塊を放ちながら、崩れていく。

 千鶴は足が震えて立っていられなくなった。息が出来ない。手を伸ばして、丸いケースの外側になんとか掴まり続けたが、恐怖で気が遠くなった。地球が無くなってしまう。メランコリアがぶつかって。こんなことが。

「これはね、もうそう選択されたんだ」

 総司の声が聞こえた。ケースの向こう側から、無表情のままこっちを見ている総司の声が聞こえた。沖田先輩? 何の話をしているの? 

「おいで、この世界は、こうやってなくなる運命なんだよ」
「そういうシナリオだから」

 シナリオ……。どういうこと。いつの間にか総司は千鶴の手を引いて自分に引き寄せていた。足が震えたまま、千鶴は総司に支えられた状態でなんとか立っていた。

「だから助けにきた。君だけは、終わらせることのないように」

 じっと見つめる総司の瞳は、ずっと深くどこか遠くを見ているような気がした。沖田先輩? 違う。先輩じゃない。わたしの知っている先輩は、こんなに冷たくはない。おかしい。千鶴は身体を固くして、総司から離れようとした。

「あなたは……」

「誰……」

「僕は僕さ。この世界の僕と同じ。沖田総司だよ」

 この世界の僕。なんのこと。同じ声だけど、先輩の声だけど。千鶴は混乱した。強い違和感。怖い。何かが違う。逃げなきゃ。ここから逃げなきゃ。千鶴は、後ずさった。



*******

DAY 2

死のダンス

「わたし、帰ります」

 総司は離れる千鶴に手を伸ばして、「おいで」と無表情のまま立っている。

「ここにいれば安全だ。君の帰る場所は無くなる。あと4日でね」
「さっき見た通りさ。惑星が軌道を変えてぶつかる」
「この星は消滅するよ」

 千鶴は首を小刻みに横に振った。嘘。そんなこと。絶対にない。心臓がショックで止まりそうになる。

 ——心配するな。4日後には惑星の軌道が逸れる。

 斎藤の声を思い出す。はじめさん。

 東京が水に沈むなら、内陸に逃げる。千鶴を会津に連れて行く。

 はじめさん、助けて。はじめさん。

 千鶴は、震える手をポケットに入れて、スマホを握った。手にスマホが起動する感触があった。

「誰に連絡するの? 君を待っている人?」
「呼びたければ、呼べばいい。あと数人なら大丈夫だよ」

 スマホの画面を見た。斎藤からLineが入っている。

 どこにいる?
総司と一緒か。総司のスマホは電源が切れている。

 すぐに連絡してくれ

 千鶴は電話を掛けた。なかなか繋がらない。総司がじっと千鶴を見詰めていた。千鶴は、Lineを送った。

 はじめさん、電話にでて。
 助けて。
 帰りたい。今すぐに
 はじめさんに会いたい

「ジャミングされてるよ。でも切ってあげる」

 総司は微笑みながら、傍らにある装置のような物を撫でるように指を動かした。ピンク色の柔らかい光が、ステンレスのような何もない表面から信号のように光を放った。同時に、千鶴のスマホの着信音が鳴った。

「千鶴か。どこにいる」

 斎藤の声を聞いた途端、涙が溢れてきた。はじめさん、助けて。わたし、おうちに帰りたい。

「どこだ、今すぐ迎えにいく」と斎藤が走りながら話しているのがわかる。

「どこかはわからない……」

 震えながら答えた、その時。

「場所を教えるよ。はじめくん。北緯35度26分37.7秒東経137度44分51.1秒」

 総司の声が電話に響いた。斎藤は、「総司か。位置より、住所を言え」と叫んだ。車のエンジンを掛ける音が聞こえる。

「繰り返すよ。北緯35度26分37.7秒東経137度44分51.1秒。これが座標さ。一番正確だよ」

 総司は口角を少し上げながら話している。斎藤は、「今すぐ向かう」「電話は切らずにいてくれ」と云ったきり話さなくなった。

「さ、はじめくんが来る。他に呼びたい人は?」

 他に? ここに人を呼んでも。どうすることもできない。それより家に帰らなきゃ。

「さっき見せた通り、地球はあと4日で消滅する。君の帰る家もね」
「この世界は、干渉しちゃったんだ」

「歪みが起きた結果さ」

 なんのことを言っているのか解らない。先輩。沖田先輩。

「僕の世界では、ゲームって呼んでる。沢山のシナリオが入り組んでいて。それは生活や社会や全てが含まれているものでね。一部の極限られた人達だけでプレイしていたものが、次第に広がって行った」
「ゲームは肥大する一方でね。僕の世界の現実を通り越すようになった」
「エッジの向こう。トランセンデンスが起きた時、僕は15才だった」

 エッジ。トランセンデンス。千鶴は総司の話していることが、何の事なのか理解ができない。

「別の時空にゲームが干渉する。ゲームと同じ展開でね。僕らの世界は警告を受けた」
「時空に歪みが生れて。別の世界に影響するのを止めなければならないってね」

 たとえば。別の現実が春だったのに。急に氷河の季節になったり。
 巨大な隕石がぶつかって、地球の半分が洪水になったり。
 パンデミックが起きて、生物が絶滅したり。
 砂漠が一気にジャングルになったり、巨大な湖が干上がったり。

 平和な人々が急に狂暴になって互いに殺し合うようになって戦争が起きたり。

 全て、僕らのゲームが影響してる。別の世界が変わるんだ。それでも、僕らの現実は肥大し続けた。シナリオは書き換えられ、選択される。僕はゲームの中でタイムチェイサーになった。

 チェイサーは、仮想現実の外に行くことが出来るんだ。
 だから僕はこうして、君に会えた。
 この世界の君に。

 ちづるちゃん、僕はこの世界で。君だけは救うことが出来る。

 総司は微笑みながら千鶴の前に立った。千鶴は、総司の翡翠色の瞳を見た。この人は、沖田先輩ではない誰か。それはわかった。

「どうして、わたしだけを……」

 総司は微笑んだまま。「どうしてもね」と呟くように云うと、目の前の装置のようなものをタッチした。「この世界の君を救えば、時間を遡ってシナリオを書き換えられる」

 それがタイムチェイサーの役目。歪みからセーブポイントを上げなければならない。

 千鶴は、総司の話すことが理解できなかった。総司はまるで別世界の人間のような。僕の世界の君と言われても。私が別の世界にも居るってことなの。

「先輩、さっきの。地球が消滅する。あれを止めることは出来ないんですか」
「どうして、メランコリアの軌道は離れる筈なのに、ぶつかってしまうなんて」
「それで、地球が無くなるなんて。私は嫌です」
「それを止めるには、どうしたら」

 どうしようもないよ。もう、ゲームで選択されてるからね。

 総司は無表情なまま答える。ゲームって。そんな。ゲームでそんなことが決まるなんて。おかしい。

「僕が選んだシナリオさ」

 ——Death dance、死のダンスを踊りながらね。

 千鶴は総司の顔を見た。口角を上げて、皮肉な表情で笑うその顔は。沖田先輩のそれとは違う。冷酷な。千鶴は心臓が凍りつきそうな感覚が全身に走るのを感じた。

「僕は歪みを利用した。この世界の。ここが消滅すれば、全てが上手く行くんだ」
「君は終わることはないよ。君が呼ぼうとしてる、【はじめ君】も」
「でも、世界がなくなったら、わたしもはじめさんも、どうなるの」
「さあね。それはそうなってみなきゃ」

 そう答える総司は、さも面白いという風に千鶴の事をじっと眺めている。恐ろしい。沖田先輩に似た全くの別人が、ゲームのように現実を変えてしまうなんて。本当の事だとしたら。今は何を考えても、頭の中が混乱してしまっている。はじめさん。はじめさん、早く迎えに来て。わたし、頭がおかしくなりそう。

 それでも千鶴はその不思議な装置の前で、総司と一緒に斎藤を待たなければならなかった。総司は時折、部屋の真ん中にある丸い装置の中を覗いて、「あと、25万9200秒」と呟いている。まさか、地球滅亡までを数えているの。千鶴は、背筋が凍った。

 ここにいる沖田先輩は
 沖田先輩じゃない
 わたし、今いる場所から逃げる
 スマホの電源を入れたままに
 GPSで探しにきて

 素早くLineを送った。

「はじめ君は、今ね。こっちに向かってるよ。距離と高度で云うと、ちょうど半分くらい。そうだね。これまでの走行スピードだと、あと2時間かな」
「君、ここを出ても、君のデバイスじゃ、信号は送れないよ」
「この地域一体は強力ジャミングしているからね」

 総司は余裕の表情で微笑んでいる。通信は全て総司に把握されている。千鶴はもう何もすべがないと思った。




つづく

 

→次話 FRAGMENTS  8

 




(2019.08.11)

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