ブログ【斎藤さんウォーク】宝丹のこと

ブログ【斎藤さんウォーク】宝丹のこと

【宝丹のこと】

こんばんは。以前に斎藤さんウォークも兼ねて上野界隈を歩いた時に立ち寄った【宝丹本舗】について書きますね。

小説「凱旋式」に書いた、天野が腹下しを治す為に飲んだ【宝丹】ですが。これは、実際に西南戦争時に警視庁が従軍医薬として、部隊兵ひとりひとりに携帯させた胃腸薬です。150年前と同じ薬が現在も製造販売されています。

販売元は、【守田治兵衛商店】当時と同じ場所で店舗(現在宝丹ビル)が構えられています。

守田治兵衛商店
http://moritahoutan.jp/index.html

場所は上野鈴本演芸場の近くです。盛り場なので、夜は女性だけでは近寄りにくい場所かもしれません。実物を手に取ってみたくて、取材?!もかねて守田治兵衛商店に行ってきました。宝丹はコンパクトな丸いアルミ容器(デザインがアンティーク調で可愛い)に入った粉薬です。一緒についているちいさな匙がまた可愛い。香りは太田胃散のような、生薬の匂いがします。



用法用量の説明書に宝丹の歴史が古めかしい文字で印刷されています。ちゃんと「西南戦争時に警視庁が軍旅必携薬とした」と書かれていました。当時はヨクイニンなどが成分に含まれる茶色の半練り薬で煎じる必要もなく、どこでも服用できました。日清、日露戦争時にも使われた優秀な従軍医薬です。

明治初期はコロリ(コレラ)が流行していて、コロリ対策としてこの薬はよく売れたようです。斎藤さんもこの薬を携帯して戦役に向かったと思うと感慨深いです。今でも常備薬として使えます。第三医薬品なので、副作用の心配も少ないでしょう。

これを買った際、「宝丹をください」とお店の人に云っても、一瞬通じなかったので焦りました。わたしの発した「宝丹」のイントネーションが違っていたようです笑笑
解りやすく、薄桜鬼の「斎藤さん」と「左之さん」の呼び方で書いてみますね。

斎藤さん ⤴ ✕
左之さん ⤵ 〇

こんな感じです。語尾を斎藤さんと呼ぶように上げると通じません。左之さんと呼ぶように「ほう」で上げて、「たん」で語尾を下げると通じました。これって、関西弁と関東弁の【先生】と呼ぶイントネーションに似ています。関東圏の「せんせー」と呼ぶように語尾を上げると、【宝丹】は買えません笑笑
守田治兵衛商店の店員さんも「昔から、ほうたんって呼びますねえ」と語尾を下げると仰ってました。

守田治兵衛商店は、江戸期から今も続く東京最古の薬舗です。

漱石の「吾輩は猫である」にも宝丹本舗が出てきます。「猫」は明治期の界隈の風俗をよく描写していて、斎藤さんの生きた明治の空気を知る上でとても参考になります。ちょっと抜粋を貼ります。

寒月と、根津、上野、池之端、神田へんを散歩。池之端の待合の前で芸者が裾模様の春着を着て羽根をついていた。衣装は美しいが顔はすこぶるまずい。なんとなくうちの猫に似ていた。
なにも顔のまずい例に特に吾輩を出さなくっても、よさそうなものだ。吾輩だって喜多
床行って顔さえ剃ってもらやあ、そんなに人間と違ったところはありゃしない。人間はこううぬぼれているから困る。
宝丹の角を曲がるとまた一人芸者が来た。これは背のすらりとしたなで肩の恰好よくできあがった女で、着ている薄 紫の着物も素直に着こなされて上品に見えた。(夏目漱石「吾輩は猫である」第二章より)

斎藤さん(藤田五郎さん)は、お酒を好んでよく飲み、晩年は胃病が悪化したそうなので、もしかしたら日常的に宝丹を服用していたかもしれません。明治から大正期に、(ご本人、ご家族が)薬を買いに宝丹本舗に来ていたかも。

そんな風に考えながら、本郷から湯島、上野方面を歩くのも楽しいです。


ちよろず

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