ブログ【小説更新】天守

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【二次小説 更新情報】

こんばんは。連日暑い日が続いてますね。
皆さん、如何お過ごしでしょうか。

戊辰シリーズその10「天守」をアップしました。
会津入りした斎藤さん率いる新選組。城下名子屋町(現日新町)の長命寺に宿陣します。
この辺りは、町名の通り下級武士が住まう地域で寺町でした。会津は城下に上級武士が住まう武家屋敷、その周りを寺社や下級武士の住まいが取り囲み、外敵からの防御策が取られた典型的な城下町を形成しています。今も城下を取り囲むように無数の寺社仏閣があって、江戸時代の面影を残す美しい街です。

新選組隊士たちの宿陣先はどこだったのか。想像で書いています。土方さんが逗留した清水屋旅館は七日町にあったので、地の利を考えると旧名子屋町あたりかなと思いました。この後に新政府軍が会津に進軍して駐屯したのが大町の豪商鈴木屋利兵衛宅。現存する土蔵二階建ての素晴らしい蔵店舗です。土方さんの居た旅館と目と鼻の先です。西軍の侵攻時はとっくに土方さんは城下の外に出ていたので、かち合うことはなかったのですが、今の残る城下のお寺の多くは新政府軍の駐屯場所と記録されていて、会津戦争中、城下が占領下にあったことが伺えます。

土方さんは、宇都宮で負傷してから、日光経由で会津に向かわれたようです。斎藤さんたちの移動ルート(白河経由)とは違い、大内峠を通る南会津ルートです。大怪我をして歩行が出来ず、山越えの多い道程を思うと、人馬を使って移動されたと思いますが、ほぼ6日程で到着しているので本当に過酷な道行きだったと思います。ずっと京から動き続け、敗戦と逃走、幕府上層の裏切り、負傷して戦線離脱。近藤さんの死。ほんの4か月間にこれだけの事が起きて、心身ともに傷つき悔しさと怒りで疲れ切っていた事でしょう。土方さんは会津の地で傷を癒し、身体と心を休めて、戊辰戦争の決戦に復帰します。

土方さんの療養中の四か月間。斎藤さんが新選組局長として隊を率いて闘います。

いよいよ白河戦線の幕開けです。

読んで下さってありがとうございます。
皆さん、夏バテしないように気を付けてくださいね。

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