ブログ【プロッターか、パンツアーか】
皆さん、こんにちは。
毎日寒い日が続いていますね。今年は雪が少ないというニュースを聞きますが、関東圏も雨が少ない気がします。空気の乾燥が気になりますね。
小説の方ですが、ずっと組み立てみたいな部分を書いていて、何パターンか分岐ストーリーが出来ていて、書き進められていないです。またちよろず年表の別バージョンも作り始めて、メモをとって考え中です。毎日書いているのですが、もうちょっと形になるまではかかりそうです。
こんな風に書くと、さもいろいろ考えている風味ですが、実際はそうではなくて、ただパソコンに好き放題書いています(・∀・)このブログもその書く行為の内の一つ。思うがままです。
考えもなく書いてしまっているこのスタイル。名前があることが判りました。「パンツァー」といいます。Pantserと英語では書きますが、単語の意味は「装甲」、ドイツ語 pantzerから由来する言葉です。ガルパンのパンツアーがそうですね。
これがどうなって、小説を書くスタイルを指すようになったのがわかりませんが、別の使われ方もしています。Urban Dictionaryによると、米国のNational Novel Writing Month(という小説コンテスト)が作った用語で、「計器に頼らずに飛行するように小説を書くスタイル。小説の最低限の設定だけで小説を書いてしまうこと」だそう。プロットやアウトライン無しで書く小説の書き方です。これと対義語が「プロッター」です。Plotter(プロット、アウトラインを構築して、計画的に物語を書くスタイル)は、物語がすでに組み立てられていて、それに沿って書き進めるので、結末も決まっていて、書けなくなるという事が比較的少ないそうです。
この二つのライティングスタイルは、どちらかのスタイルで書いている人々の間で確執があると書かれています。私は、完全に「パンツアー」です。サイトにある小説の殆どが、プロットやアウトラインを構築せずに書かれたもので、二次小説を書き始めた時に、「プロッター」の方法があることも明確に理解していなかったです。
もう本当に遥か昔の学生のころ。Writing(101)というクラスがあって。これは必須科目でした。レポートの書き方を教わるのですが、「書く」という事を徹底的に身に付けなければならず、私は苦労しました。教科書は、ライティングのスタイル、構造などが説明されていて、「起承転結とは」「オチのある物語」「報告文」「論文の書き方」などがありました。今思うと、「起承転結」とか「物語のオチ(clinch)」などは、小説を書くのに役立つものでしたが、もう忘れてしまって、担当教官が厳しかったとかレポートにEを付けられた辛い記憶しかありません。そんな私が、何を思ったか薄桜鬼をプレイして、キャラや設定をお借りしてこうして小説を書いているのですから、人生なにが起きるのか判らないものです。
さてPantserが行き当たりばったりで物語を語るのは、私の小説を読まれた方は、よくご存じかもしれませんが、本当に行き当たりばったりなんですね(・∀・)本当にごめんなさい。でも、薄桜鬼のキャラクターの皆さんや世界観が素晴らしいので、その恩恵に最大限にあやかって、書いている私は楽しいのです。二次創作は原作が素晴らしいと、そこから次々に物語が生まれていく楽しい世界です。本当に読んでくださる皆さんのお陰で私は楽しんでいられています。感謝しています。ありがとうございます。
数年前に大好きなシナリオライターさんが講評をされる小説講座を受けました。この時は舞い上がりながら、全三回の課題提出をしました。講座の第一回はプロットシートの作成でした。綿密にターゲット読者の設定、物語のサマリー、登場人物の設定、起承転結(要約と書き出しと書き終わりの文章)、読後に読者に何を感じて貰いたいか。ここまでを細かくエクセルのシートに記入していきます。この作業を終えれば、作品の90%は出来たもの。あとは、プロットで書いた起承転結の通りに、描写をしていく。結末まで綺麗にまとめることが出来るということでした。
わたしは、初めての体験で。非常に目から鱗が落ちる状態でしたが。このアウトラインの文章を先に書いても、書きながらどんどん新しい文章が出てきてしまう。結局、先に結末まで一気に書いて、改めてプロットシートの起承転結を描いた部分を書き直してから提出しました。講座の趣旨やルールを思い切り破ってしまっていて、当時うしろめたさMaxでした。それでも講評はしっかり細かく頂けて、プロット通りに書けているが、キャラクター設定が甘いと指摘されました。講師からキャラクター描写について、創作の一番楽しい部分だから大いにやった方がいいとアドバイスを受けました。これは、私の大きな転機にもなりました。
さて、このプロットシート。講座では必ずしっかり構築して創作するというのが必須でした。あの頃は、課題を提出するのに必死でした。卒業制作課題は、架空のBLゲームを構想して、ED後にファン向けの小説を書きなさいというゲームの要約とキャラの説明もしなくてはならないものでした。文字制限を大幅にオーバーした作品を書いて提出した事で、講師から「コンテストに出すとしたらアウトだから」と注意をされただけで、「ゲームとして成立しないけれど小説として成立しているという講評を貰いました?!」あとにも先にも私の、プロッタースタイル第一作オリジナルストーリーです。
この講座を受けている頃は、薄桜鬼の二次小説もちゃんと「プロットシート」を作ろうと努力していました。奇譚拾遺集は一話読み切りなので、「起承転結」というスタイルで構築することが比較的容易だったのです。実際自分の中で、二次創作に小説講座で習った事を生かせるかどうか実験をしている部分もありました。ない頭であれやこれやとやっていたのは、今も変わらずですが、ある種の熱のようなものに魘されているような、あの時期は明けても暮れても小説を書く事ばかり考えていた記憶があります。「予言」「夢の女」は私の数少ない「プロッター小説」です。
確かに、物語の場面展開はあらかじめ決められているので、一気に書き上げることが出来ました。オリジナルキャラクタも生い立ちまで決めてから書いたので、物語の前後の展開まで構想にあるので、広がりを感じながら語ることがただただ楽しかった。骨組みがしっかりしていて、安心して読み返すことが出来る。プロッターは書く時に余裕を持ちながら書く事ができるのが最大のメリットだと今も強く感じています。
そして、預言や夢の女で味をしめたにもかかわらず、その後プロットシートを書いても、結局小説を書いてから、アウトラインを後から書き直すという、パンツアースタイルに戻って居ます。でも、パンツアーは楽しいです。もう筆の赴くまま、薄桜鬼のキャラは素晴らしくて、斎藤さんも千鶴ちゃんも土方さん、沖田さん、左之助さん、平助君、みんな活き活きと動きます。薄桜鬼の世界観は限りなく深く広くて、私はここに読みに来られる皆さんと同じようにその世界が大好きで浸っていられるのです。なので、その中でただ物語が動くにまかせています。それが一番楽しい。
迷走する、いきあたりばったりの部分は、私の最大の反省部分で、そこはしっかり働いて物語を邪魔しないようにしています。でも「予言」以来、プロッターに戻れない自分を少し成長がないなとも感じていたのも確かです。
最近、タンブラーに流れてきた画像に目を止めました。「指輪物語」のトールキンが友人のW.H.オーデンに書いた手紙です。詩人のオーデンはトールキンのホビット物語を大絶賛し、彼が書評を書いたことで、指輪物語も徐々に世の中に知られていくのですが、この画像の手紙は、まさに「指輪物語」の出だしの部分を一気に物語の語り始めとして、トールキンがオーデン氏に書いています。トールキンがこれから起きる物語のことを報告するかのように、登場人物(場面をみている視線)として手紙を綴っています。この手紙の内容から、さまざまな構想は頭の中だけにあって、「ガンダルフが現れなかった」という物語の「起」を一気に書き始めているのが判ります。
W.H.オーデン氏への手紙(1955年)←クリックでオリジナル文が開きます
私は、この手紙を読んで非常に興奮しました。これをリブログした人のコメントも読みました。既にホビットはプロット無しで書かれたことは知られていたけれど、「指輪」もか、と驚きのコメントもありました。私は、非常に勇気づけられました。このような古典が、それもファンタジーの金字塔のような作品が、プロットなしに思うままに描かれたこと。勿論、綿密な設定はされながら書かれて行ったと思います。エルフ語を言語体系として作り上げる程です。でもこの手紙の勢いや、既に物語に自分が入り込んで、中つ国を見回しているかのような壮大な目線に感動したのです。
薄桜鬼の二次小説も、私自身が物語の世界に入り込んで見回し、想像力を最大限にしてみたら、もっともっと広がるのではないかと、そんな希望を持っています。そして、読まれた方が、その方の目線で薄桜鬼の世界に入り込み、楽しんでもらえたらなと思います。薄桜鬼、原作が面白いですよね。数限りなく広がるキャラも世界観も全て。
長々と書いてしまいました。読んで下さってありがとうございます。
小説、書き進めたらまたアップしますね。
ちよろず