【幕間狂言】ころころの話

【幕間狂言】ころころの話

戊辰一八六八 その3

 二月の中旬を過ぎた頃、漸く近藤が横浜での加療が終わって江戸に戻って来た。

 昼間から広間に幹部が久しぶりに集まって、軍議が開かれた。
上野寛永寺に謹慎蟄居中の慶喜公をお守りするため、護衛の任に就く。門衛に五名ずつ。総勢五十名。交代で朝晩秋月邸から出向く事が決まった。
京を発った薩摩軍が東海道を江戸に向かっている情報が入っていた。駿府から甲府方面で敵を迎え討つ準備を始めている。新選組も参戦する意思を会津藩にも伝えていると近藤が皆に報告した。

 会津藩はもとより幕府からも軍資金が下りる。負傷している隊士にも手当が新たに下りる事が報告された。新しく入隊した隊士たちに剣術の稽古をつけている永倉と原田は、戦に向けて調練をもっとやっておく必要があると訴えた。

 軍議の後、土方と近藤は再び和田倉の会津屋敷へ向かうと云って出かけて行った。千鶴は、廊下で久しぶりに近藤と土方に会って、変わりはないと手短に挨拶を交わしただけだった。軍議に出た斎藤は、休む様子もなく再び自室で書類を書き始めた。少しずつ陽も伸びてきている。まだ明るい中、軍議に出ただけでも疲れているだろうに。千鶴は、お茶を斎藤の部屋に運んだ時に、そっと斎藤の横顔を見上げてそう思った。

「さっき、久しぶりに京橋の沼田屋のお豆腐を買ってきました。相馬君と野村くんが荷車を出してくれて。今夜は揚げ出しにします」

 千鶴が話し掛けても、「そうか」と書きものをしながら小さく返事が聞こえてきただけだった。

「斎藤さん、夕餉の支度までまだ間があります。何かお手伝いできることが」
「手伝いはよい」
「急ぎでこの書状を書き上げておる」

 ずっとそれから黙ったままの斎藤に、千鶴はなにも話しかけることが出来なかった。もう何時間も起きたまま。平助くんの話では、昼間は部屋の中にいても障子越しの光でも眩しくて、どんどん身体の力が抜けて座っていられないぐらい疲れると言っていた。

「無理はするなって、はじめくんには云ってんだけどな」

 夜遅くに台所に現れた平助から、昼間に起きている斎藤は無茶をし過ぎだと聞いて、千鶴は更に斎藤の体調が気になった。休んで欲しい。そう伝えても、ただ「心配には及ばぬ」としか返事をしない斎藤は、毎日事務方の仕事に昼夜取り掛かっているままだった。



****

左之助に呼び止められて

 どうした、千鶴。
 随分浮かねえ顔だ
 なにかあったか?

 台所を出た廊下で庭先を眺めていると、突然柱の陰から左之助が声を掛けて来た。稽古をつけた後だという原田は、そのまま手に持っていた鎗をおいて廊下から台所に繋がる段差に腰かけた。

「江戸も空っ風が吹くんだな。今日はお日さんがでて少しは温かいと思ったが、今夜は冷えるだろうよ」
「これから、ご巡察ですか」
「ああ、今晩は上野だ」
「夕餉を食べたら向かう」

 千鶴が四つには夕餉を並べると伝えると、左之助は礼を言った。そして鎗を持って立ち上がろうとした。

「なにか、あったか?千鶴」

 再び顔を覗き込むようにして大きな手で頭を撫でられた。左之助はいつもそうだ。

「皆さんは、いつも忙しくしてらして。どうして休息をとらないのかと」
「休んでもらいたい時に、どうすれば……」
「俺らは休みたい時に休んでる。心配はいらねえ」

 見上げると左之助は優しく微笑んでいた。そうして、槍を持っていない方の手を千鶴の目の前にもってきて、掌を上にむけて廻すように揺らせた。

「ころころ」
「俺らが、千鶴のことをこう呼んでるの知ってるか」

 左之助は微笑みながら、掌を千鶴の目の前で揺らしている。

「ころころ、ってな」

 きょとんとする千鶴を見ながら、独りで小さく笑うと。左之助は、「っても、俺と新八と平助だけだ。そう呼んでるのは」と言った。

「千鶴は上手に掌の上で、俺らを転がす。いつも俺らの世話をしながら、一番俺らがいいように動かされるってな」
「人心掌握の術だ」

 そう言って、左之助は愉快そうに声をたてて笑った。千鶴は驚いた表情のまま茫然と原田の笑う様子を見ていた。

「悪く言ってるんじゃねえ。千鶴は、俺らを動かそうなんて一つも思っちゃあいねえ。いつも俺らの事を一生懸命世話してる千鶴に、いつの間にか俺らは乗せられちまう」
「千鶴が俺らを休ませたいって思えば、俺らは十分に休んでられる」
「そうなるようになってんだ」
「だから心配はいらねえよ」

「でも、斎藤さんは……、休んでくれません」
「斎藤か。斎藤が休まないって、気に病んでるのか」

 千鶴はこっくりと頷いた。原田は首を傾げるようにしてじっと千鶴の顔を見ながら優しく微笑んでいた。

「なあ、千鶴。千鶴はよーく知ってると思うが、俺らは負ける事が大嫌いだ」
「新選組には人一倍負けず嫌いな人間が寄り集まっている」
「斎藤に身体を休めない人間は負け、休むと勝ちだって云ってやりゃあ、奴さんは一目散に布団にもぐり込んで休むだろうよ」
「ころころだ。千鶴。お前のころころの技を使えば、頑固者の斎藤だって自然に動く」

 そう言いながら、左之助は掌をまた千鶴の目の前で廻すように揺らした。

「ころころ……」
「そうだ。ころころころだ」

 左之助は笑っている。千鶴の表情がだんだんと明るくなってきた。頭を下げて礼を云うと、廊下を走って行った。左之助は、微笑みながらその後ろ姿をずっと眺めていた。




****

「斎藤さん、雪村です」

 障子の向こうから千鶴の声が聞こえた。「入れ」という返事と共に、千鶴が障子を開けて入って来た。

「斎藤さん、今から十数えます」

 いきなり千鶴が大きな声でそう言い放った。

「十数える内に、奥の間へ行ってお布団に入った人が勝ちです」
「いーち、にー、さーん」

 斎藤は筆を持って振り返ったまま動かない。目を見開いている。何が起きているのかも理解していない様子だが、千鶴は「しー、ごー」と数えながら、奥の間に続く襖を開けて駆けて行く。なにごとだ。斎藤が立ちあがって後に付いてきた。

「斎藤さん、間に合いませんよ。私が先ですから」
「ろーく、しーち、はーち」

 次の間に続く襖を開けたら、奥の間に布団が敷いてあった。二組の布団。千鶴は斎藤の目の前で走り始めた。斎藤は呆然と立ったまま。布団に手を掛けて、千鶴は勢いよく布団にもぐり込んだ。

「きゅう、じゅう」

 布団の中から、千鶴の数える声が聞こえた。いったい、何をしておるのだ。ただ部屋の入口で立ち尽くす斎藤の前で、布団の中の千鶴が少し蠢いた。

 布団の中からそっと目だけを見せた千鶴は、立ったままの斎藤をじっと見つめた。

 気まずい静寂

「わたしの勝ちです」

 小さな声でそういう千鶴の声は、布団に口元が塞がれてくぐもっていた。いったい、何をしておるのだ。斎藤には目の前に起きていることが全く理解できない。黙っている斎藤の前で、千鶴は布団から出て来た。暫く、畳の上で正座して俯いていた千鶴は、急に顔を上げて斎藤に向かって大声で叫んだ。

「今から先に布団に入った人が、勝ちです」
「勝った人には、揚げ出し豆腐三つ」

 そういって立ち上がると、再び上掛け布団を整え始めた。斎藤は、仕方ないという表情で、もう一つの布団の上掛けをはぐって布団の上に正座した。千鶴は、先に布団に潜っていたが、また物音がしない中、そっと顔を出してきた。

「わたしの勝ちです」

 斎藤は小さく頷いた。

「揚げ出し豆腐三つです」

 斎藤はふっと鼻から抜けるような声をたてて小さく笑いながら頷いた。

「横になればいいのか」

 はい。そう千鶴が返事をすると、斎藤は布団に横になった。

「布団に入れば良いのだな」

 そう言って、斎藤は仰向けのまま上掛けを深く被った。

「次はなんだ」

 布団の中から声が聞こえた。

「目を瞑って、眠ったら、先に眠った人が勝ちです」
「揚げ出し豆腐、私の分も差し上げます」

 斎藤の布団が少しだけ揺れたような気がした。くすくすと笑っているような。でもそれも一瞬だった。直ぐに布団は静かになった。千鶴はそっと布団から出た。斎藤の上掛けを静かに持ち上げてみると、既に斎藤は眠り始めていた。静かな寝息。ほんのりと微笑むような表情で。

「おやすみなさい」

 千鶴は囁くようにそう言いながら、上掛けを優しく整えて掛け直した。



つづく

→次話 戊辰一八六八 その4

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