傾城と綿入りの半纏

傾城と綿入りの半纏

濁りなき心に その28

慶応二年 師走

 幕府の権威が急速に落ちるのに合わせるかのように、洛中に薩摩藩や土佐藩の浪人が多く押し寄せ、新選組は市中の巡察に忙しい毎日を過ごしていた。

 土方は白昼の華池に風間千景が現れて以来、屯所の警備を強化した。以来、八瀬の里の葵が辛うじて境内に出入り出来ていた。天霧でさえ、西本願寺には近づけず、千鶴が非番で屯所から外出する姿を遠目に確認する事しか出来なかった。千鶴の側には常に新選組の斎藤一が付いていた。人間の中には五感に優れた者が稀に居るが、斎藤は天霧が出会った人間の中でも、感覚が鋭く鬼相当と思われる第六感も兼ねそろえて居るようだった。風間は、新選組幹部如き片手で足りると鼻で笑うが、天霧は数度の対峙で斎藤の力量を充分心得ていた。数間を置いた背後から、島原に向かって歩く千鶴と斎藤を見つめながら、天霧は自分の気配を既に斎藤に気取られている気がして、それ以上は歩を進めず元来た道を引き返した。

 天霧は八瀬の里を訪れた事を風間には伏せていた。雪村千鶴を西国に迎え入れるには、本人の同意が必要。雪村綱道と南雲薫の存在も天霧にとっては嫁取りに有利に働くものか、不利なものになるのか全く判断がつきかねた。市中にずっと滞在する千姫が目を光らせているのを警戒してか、南雲薫は長く表に姿を現していない。南雲の動向が気になった天霧は伏見方面へ下って土佐藩邸の偵察に向かった。

 一方、風間は単独で家老に召喚され、京の薩摩藩邸で雪村綱道が変若水を持ち込むのに立ち会った。仰々しい様子で、鋼道は革箱から件の代物を取り出した。ギヤマンの小瓶に入った紅い液体は、西洋酒のように見えた。此れ一本で人間の男を羅刹に出来る。女には三分の二の量で足り、齢の行かぬ子供には劇薬、一瞬で命が奪われると注意した。薩摩藩の参事は恭しく薬を受け取ると、報酬を鋼道に渡した。其れから、密約の最終確認を行った。

 綱道は薬の調合に必要な道具一式と、最新型の羅刹として生み出された、土佐出身の元脱藩浪人三名の随行を盟約書に書き込む事を要求をした。同時に、長崎の武器商人より新しく変若水の材料となる【エリクサー】を買い入れるという約束も取り付けた。抜かりの無い鋼道の事の運び様は、風間の心中に不信と怒り、嫌悪を催させた。この酔狂者は己の目的の為に女子供に毒を振る舞ったか。たとえ相手が人間とはいえ、其れは外道の極まり。

 風間は終始沈黙したまま取引が終わるのを眺めていた。雪村鋼道は年明けの船で大坂を出航し、薩摩入りするという。風間と西国で再会するのを楽しみにしていると言い残すと藩邸を辞した。風間は、家老から島原での藩士の集まりに出向き、護衛をするように指示を受けた。血気盛んな藩士が、数日中に京都守護職を制圧する計画を立てている。京都見廻り組と新選組。洛中を管轄する幕府機関を潰せば、更に一桑会を無力化出来るだろう。そう聞いた風間は、新選組屯所から早目に雪村千鶴を連れ出す必要があると思った。

 風間はその夜、薩摩藩邸から直接島原の角屋に向かった。昼間に会った雪村鋼道への嫌悪と、まるで天下を取ったかの様に騒ぐ三下の志士気取りの薩摩藩士に呆れ、天霧を呼んで直ぐに 西本願寺の千鶴を保護しに行こうと思った。その矢先に、座敷を出た廊下で太夫に変装したくだんの女鬼と出くわした。攫いに行こうと思った者が、目の前に立っている。千鶴の黒い瞳は一瞬風間を認めると一段と大きくなり動揺の様子を見せたが、背筋を伸ばすと気取られないように風間の出方を待った。風間は千鶴のこの様な【聡い】一面を好ましく思った。澄まし顔で太夫の様に振舞う姿が面白く、風間は空いている座敷に千鶴を引き込み相手をさせた。女の姿で化粧(けわい)を施し、大方新選組の密偵でもしているのであろう、物怖じする事なく薩摩藩の情報を聞き出そうとする。【酌をしろ】と言われて初めて、自分に近づいた千鶴を眺めて、そのたどたどしい様子に思わず笑みが溢れた。やはり思った通りだ。これが本物の太夫なら、傾城の佳人。風間は千鶴の美しさを認めた。

(このまま、連れ去っても悪くは無い)

 風間は引き込まれる様に身を乗り出すと、千鶴の腕を引いて、自分に引き寄せた。

「その姿、我が妻に相応しい。益々、お前を手に入れたくなった」

 風間は、千鶴の顎に手をやってその愛らしい口元に口付けようとした。腕の中の千鶴は抗って逃げようとする。長い睫毛を伏せて出来た影は女の色香を感じさせ風間の気分は高揚した。風間は微笑むと、千鶴をゆっくりと手の内から放した。

「魚心あれば水心だ」

 無理強いは辞めて、風間は千鶴の目的を果たさせてやろうと思った。ここで捨て置いたままで、薩摩藩士が屯所を潰す機に連れ去る事も可能だ。だが、あの様な三一侍どもが新選組に手をかけるのも気に食わぬ。風間は、酌をした代わりに、千鶴に薩摩藩士が新選組屯所を襲う計画を止めると確約した。

「鬼は一度約束したら決して違えぬ」

 そう言うと千鶴を座敷から安全な方向へ逃した。廊下で千鶴が急ぎ立ち去る姿を眺めていた風間の前へ、突然八瀬の女鬼が現れた。千鶴を隠す様に目の前を遮ると、大声で捲し立てて来た。

「風間、いくら千鶴ちゃんが可愛いからって、貴方の処に無理矢理連れて行くのは、許さないから!」

 小鼻を膨らませて、扇の先を風間の胸に突きつけながら物凄い剣幕で風間を追いやる。

「貴様、誰にものを言っている」

 風間は深紅の眼孔で千姫を睨みつけると、座敷に戻った。膳を用意させた君菊が酌をしながら、涼しい顔をして京都守護職を襲う計画を止めるように釘を刺してきた。風間は千姫と君菊を鼻であしらい、薩摩藩士の洛中での狼藉を止める代わりに、朝廷の情報を差し出すよう提案した。千姫は怒髪天で無言のまま立ち上がると勢いよく座敷を出て行った。

 風間は、千姫の動揺の激しさに、朝廷内の孝明天皇の力が弱まっている事を悟った。君菊に、いつでも取引に応ずるとだけ言い残すと座敷を出た。その後、角屋の別の座敷で新選組と薩摩藩士の乱闘が始まった。階下で千鶴が新選組幹部に守られながら表玄関を出て逃げ帰る姿が見えた。 まだ暫くは洛中で。風間は年明けまで京に留まろうと決心した。

 島原の騒動の後間もなく、徳川慶喜が将軍職に就いた。風間は幕府がこれで力を巻き返し、薩摩は一旦西国へ戻り大人しくなるだろうと思い、久しぶりに偵察から更けて市中を当ても無く歩いた。

 自然と西本願寺に足が向いた。門衛が居たが、構わずそのまま中へ。鬼の気配がない。風間は騒ぐ新選組隊士達を適当に蹴散らした、それから本願寺を後にして島原へ向かい、茶屋で独り酒を飲んだ。太鼓持ちの様な良く喋る男が座敷に出入りしていた。隣の座敷に筒抜けの大きな声で話す。「蝿の様だ」、風間は呆れた。

「なんでも、あの新選組の副長土方歳三みたいでっせ。連れ去ったのは」
「何処の茶屋の太夫かもわからしまへん。それがまあ、玉の様な別嬪で」
「へえ、あないな上玉は、島原にも祇園にもいておへん」
「其れにしても、新選組の土方はん、役者みたいな男前で」
「ウチの芸妓はそれはもう、大騒ぎで」

 下男と客が、数日前に現れて新選組の土方と共に足抜けした太夫の話で持ち切りだった。風間は、あの夜の千鶴を思い出し微笑んだ。

 寧(いずく)んぞ傾城と傾国とを知らざらんや。佳人再び得難しか。

 気分が良くなった風間は、茶屋をでて天霧に合流しようと大門に向かった。其処で、男の格好をした雪村千鶴に出会った。大きく見開いた瞳で一歩下がると、小太刀に手を掛けて警戒する。珍しく独りか。新選組の犬は側に居ないようだ。余程、この女鬼は身が堅いのか。それをゆっくり解いて行くのも楽しみだと思った。

 警戒しながらも、千鶴は風間に、薩摩藩士の屯所襲撃を阻止して貰った事に丁寧な礼を言って頭を下げた。鬼らしく、律儀で良い。借りを作りたくないので、要求があれば聞くとも言いだした。決死の覚悟の様子が微笑ましい。

「礼には及ばん。今日の貸しは、夫婦となった後にでも返してもらうことにする」

 そう言い終わると背後に殺気を感じた。護衛が現れたか。いつもこの様に邪魔が入る。天霧が大門で目線を送る姿が見えた。風間は小さく頷くと呟いた。

「雪村の女鬼よ。近々其方を攫いに行く」

 千鶴は風間の真紅の瞳に見据えられ、怯えた表情をした。

 風間は、口角を上げると、一瞬で建屋の軒下から風の様に姿を消した。



****

綿入りの半纏

 島原の夜の千姫の動揺がそのまま現実のものとなった。天子様がある日の午後、卒倒した。千姫が駆けつけた時には、既に昏睡状態であらゆる術式を行なっても、原因は判らず、対応が出来ないまま時が過ぎて行った。
 極秘にして居た孝明天皇容態悪化は薬師の召喚や御所内の凡ゆる場所で祈祷が行われ出した事で雄藩に露見した。この情報を反幕府勢力が掴むと、京都守護職より先に新選組屯所に身を置く、伊東甲子太郎の元に伝わった。伊東は年の瀬に、斎藤と新八を島原に呼び出した。豪勢な座敷で二人をもてなし、年が明けて元旦を過ぎても居座った。土方は三が日を過ぎた朝、漸く千鶴に軽鴨達を護衛につけて、角屋に斎藤達を迎えに行かせた。

 千鶴が玄関で斎藤達を出迎えた時、斎藤から遊女のお白粉しろいの香りがした。千鶴はみぞおちの辺りが冷たくなって暗い穴が空いたように感じた。斎藤は千鶴を護る様に側を歩いて屯所に戻った。土方の部屋に伊東、永倉、斎藤が呼ばれたが、屯所を三日間無断で留守をした事へのお咎めは無しとした。直後、伊東は九州への遊説に旅立った。

 永倉は、屯所の表階段のところで日向ぼっこをしながら、左之助達に島原での【居座り】の話をした。伊東の話は、【糞詰まらん】話で、黙ってる斎藤と酒だけ飲み続けていたと。唯一、太夫が呼ばれた時だけ楽しかった。千鶴は、斎藤も楽しかったのだろうかと、また鳩尾の辺りに大きな穴が空いた様に感じて、喉が苦しくなった。

「おお、それがよ。太夫が酌をしても、斎藤は手酌で黙って飲み続けて」

 左之助がそれを聞いて、笑った。

「無愛想もあそこ迄だと厄介だ。相当気まずかったぜ」

 二日目も同じ調子で、斎藤は先に別の部屋で独り寝間に入って眠ってしまう為、新八は太夫と伊東の相手に散々苦労したと、もう絶対に伊東に誘われても出掛けないと宣言していた。千鶴は急に喉の苦しさが取れて、みんなに温かいお茶を淹れたいと行って台所に走って行った。お茶を斎藤の部屋にも運んだが、斎藤の姿はなかった。屯所内を歩き回って、ようやく道場で相馬と野村の剣術の稽古をしている斎藤の姿を見つけた。いつもの平隊士への稽古とは違って、厳しく迫力のあるものだった。

 相馬と野村は、床に崩れながらも立ち上がっては、斎藤に向かった。

「残心を忘れるな。其処で引き下がっては護れるものも守れん」斎藤の恫喝する声が道場に響く。

 一刻以上稽古は続き、夕餉まで斎藤の姿は見えなかった。夕餉の席で、斎藤は総司の容態を千鶴に訊ねた。千鶴は、微熱が続いて咳が酷いので横になって貰っている。大根のお粥を後で持って行くという。斎藤はさっさと自分の食事を済ませて、千鶴の代わりに総司に食事を運んだ。

 千鶴が台所の片付けを終えて、お茶を総司の部屋に運ぶと、斎藤は刀の手入れ道具一式を持ち込んで、総司と黙々と一緒に刀の手入れをしていた。そのまま黙って御膳を下げた。珍しく、総司は用意した食事を全て平らげていた。山崎が台所に現れたので、総司の食事が進んだ事を伝えた。直ぐに飲ませた方が良いと山崎から咳止めの薬を手渡された。千鶴は白湯を持って、再び総司の部屋に向かった。

 壁にもたれた総司は、続く咳で手入れを断念したらしく、斎藤が作業を引き継ぎ、和紙を口に咥えて手入れを続けていた。総司は微笑みながら、その姿を見て肩で息をしていた。千鶴はそっと総司を助けながら布団に戻すと薬を飲ませた。暫くすると息が苦しそうな様子は少し治ったようで、千鶴と斎藤にうっすらと笑いかけた。

「総司、微少だが、欠けがある。近く伏見に行くから研ぎにだしてやろう」

 漸く作業を終えてた斎藤が刀を仕舞いながら言うと、総司は、うん、お願い、と答えた。

「千鶴ちゃんも連れて行ってあげて。久し振りに逢引に」

 そう言って笑うと、蒲団の横から左手をそっと出した。千鶴はその手を取ると両手で優しく温めるように握った。斎藤は微笑しながら、ゆっくりと千鶴の隣に腰掛けた。総司はゆっくり瞼を閉じて、暫くすると静かな寝息をたてた。千鶴は斎藤と暫く総司の寝顔を黙って見詰めた。

「お粥。あんなに沢山召し上がったのは本当に久し振りで。斎藤さん、ありがとうございます」

 千鶴は、小さな声で囁くように斎藤に笑いかけた。数時間ずつだが、ぐっすりと眠る事が出来ているので大丈夫だと、斎藤に話す。心配は有りません。きっと大丈夫です。頷きながら、自分に言い聞かせる様に話す千鶴を、斎藤は、ああ、と返事しながら見詰めていた。斯様に、ずっと心を砕いて。総司が良くなる様に。斎藤は、自分も心からそうなる様願った。

「雪村、今夜は俺が総司に付いている。朝まで休むと良い」

「それでしたら、斎藤さん。斎藤さんのお布団を持ってきます。此方で休んでください」

 そう言って千鶴は斎藤の部屋から蒲団を運ぼうとした。斎藤は自分が行くからと言って、刀の手入れ道具を持って部屋に戻ると再び蒲団を持って現れた。千鶴は、一旦自分の部屋に戻ると、此れをと言って畳んだ綿入りの半纏を斎藤に渡した。蒲団の打ち直しの時に残った綿で作ったという。お正月に渡しそびれてしまったからと言って、斎藤に羽織らせた。とても軽くて暖かかった。

「それでは、お言葉に甘えて。今夜は先に失礼します。 何かあれば呼んでください」

 そう言って、おやすみなさいと挨拶すると障子を開けて部屋を出て行った。

 斎藤は、半纏を着直した。裏地の襟元に、藍の糸で丸い模様が縫い付けてあった。良く見ると、斎藤の打刀の鍔(つば)と同じ模様だった。まるで斎藤の家紋の様に、格好良く三箇所に付けられた模様を見て、この半纏が特別な纏物の様な気がした。そして襟元を持って嗅いでみると、千鶴の香りがした。斎藤は、蒲団を総司の隣に敷いて半纏を着たまま横になった。暖かい甘い香りに癒されぐっすり眠った。

 其れから、三日三晩斎藤は総司の部屋に泊まり込んだ。四日目の朝に、総司は笑いながら、言った。

「僕、 寝起きにはじめくんの顔見るより、千鶴ちゃんがいい」

「あとさ、その半纏の袖に顔埋めて匂い嗅いでるの」寝返りを打ちながら、クスクス笑う。

「一度千鶴ちゃんのお布団で寝て見なよ。もっと嗅げるからさ」

 馬鹿を言うな、そう言って病人の総司に馬乗りになって突っかかってしまった。蒲団の上で笑い自分をからかう総司をやり込めながら、

 早く元気になれと

 斎藤は心から願わずに居られなかった。




 つづく

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→次話 濁りなき心に その29

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