シンクロニシティ II

シンクロニシティ II

FRAGMENTS 8

DAY 3

北緯35度26分37.7秒


  斎藤は中央道を長野に向かって車を走らせていた。
 
 昨晩、千鶴から総司が英語サークルの合宿で東京を離れると聞いた斎藤は、直ぐに近藤にその事を知らせた。近藤は、翌朝、総司の大学へ合宿先を問い合わせるといって電話を切った。千鶴からラインのメッセージが入っていたのに気付いたのは、今朝早く。直ぐに連絡をしたが、千鶴には繋がらない。外は一段と冷え込んでいる。気温5度。八月だというのに、真冬のようだ。曇った窓の向こうには、白い月とその隣に一段と大きく輝く赤い月。惑星メランコリア。千鶴はゆうべ酷く脅えていた。この寒い中、一体どこにいる。
 
 斎藤は千鶴と総司を探しに行こうと直ぐに着替えた。近藤の自宅に電話をして、総司が東京に戻った可能性があること。千鶴が総司と一緒にいるかもしれないと伝えた。近藤は、自宅に戻らない総司が心配だと云って、電話の向こうで溜息をついていた。近藤の電話を切った直後に、千鶴のラインが入った。助けて。どういうことだ。直ぐに千鶴に電話をした。何度も掛け直して、やっと繋がった。
 
「はじめさん、助けて。わたし、おうちに帰りたい」
 
 千鶴の声は震えていた。どうした、どこにいる。今すぐ行く。咄嗟に真剣のケースを掴んで家の階段を駆け下りていった。助かった。今日は家に車がある。車のキーを壁からとって、玄関を出た。千鶴は、総司と一緒のようだ。総司の云っている場所はどこだ。
 
 ——北緯35度26分37.7秒東経137度44分51.1秒
 
 座標。なにゆえ座標で。斎藤はスマホで検索をかけた。長野県。下伊那郡阿智村大字。南長野か。向こうは雪道だろう。斎藤は車を確認した。斎藤の兄が仕事に使っている車。長距離走行には向いていて、スタッドレスタイヤのままだった。ありがたい。斎藤は、千鶴と話をしながらエンジンをかけた。「今すぐ向かう」と伝えて電話をスピーカーフォンに切り替えた。
 
 一体、何用で総司は千鶴を長野に連れ出した。千鶴は、脅えていた。何があった。総司。夜中に車で連れ出したのか。何の為だ。斎藤は、嫌な予感を感じながら、ひたすら首都高速を走り続けた。
 
 
*****

 
 空は晴れ渡っていて、ここ二日間で大雪が降った中央道は、ところどころに雪が解けずに残っている。積雪のサインが見えた。あと二時間はかかる。さっき電話を確認したら、すでに通信が途絶えていた。これから山間を走行する。暫くスマホでは連絡がとれない。
 
 斎藤は、千鶴の脅えた様子が気になって仕方がなかった。総司が傍にいるのに、何があった。千鶴の様子とは逆に、総司は奇妙なぐらいに落ち着いていた。おかしい。総司、何をしている。悪戯にしては、手が込み過ぎている。
 
 春休み以降、殆ど総司と顔を合わせていない。総司は大学の活動とジムのアルバイトで猛烈に忙しく、道場の稽古は週に一回だけ。そう聞いていた。一度だけ、赤いバイクを買ったと、夜遅くに斎藤の家まで来てCN4を自慢して帰って行った。もうひと月以上も前のことだ。総司の変わったところというのはそれぐらいだ。それ以外は……。春休みに仙台で、いっしょに交流稽古をした時、総司は恐ろしく強かった。身体の動き、キレが異常によくて、手合わせをしたら続けて十本取られた。道着を脱いだ時に、ジムのトレーニングで身体を造ったといって、鍛え抜かれた全身を自慢げにみせていた。
 
「ねえ、これ、ジムのマシーンで三か月鍛えた結果」
「スポーツ行動科学の権威が作った究極のマシーン。運動神経を最大限に使えるようになるんだよ」
「僕の全身の筋肉系と神経系がMaxで動くと、木刀でも人を斬れちゃう」
「日本に、まだ2台しかない。一台一億近くするんだって」
「会員の85才の男の人、ゴルフのスウィング飛距離、五十ヤード伸びたんだ」
 
 総司は、剣道の為にジムのアルバイトに励んでいた。みよちゃんとのコネを最大限に利用して。英会話サークルに熱心なのも、剣道で国際大会に出る野望があるからだと笑っていた。総司はふざけているように見せているが、目は本気だった。本当に。剣術にかけては。総司の情熱に敵う者はいないだろう。斎藤はそれをよく知っていた。そんな総司が、なにゆえ千鶴を連れまわすような事をしているのかが解らない。
 
 斎藤は、ずっと不可解な総司の行動と脅えた様子の千鶴の事を考えながら、嫌な予感がして仕方がなかった。トンネルを抜けるたびに、山の稜線の上に浮かぶ二つの月が見える。不吉な輝き。
 
 斎藤は、スピードをずっと上げて走りつづけた。


 
 
*****

DAY 3

シミュレーションデバイス

 千鶴は、総司に案内されてドームの別の部屋に入って行った。壁はすべてカーブしていて、自分が大きな半円形の建物の中にいるのが判った。部屋の奥に大きな半円形の椅子があって、総司に腰かけるように言われた。
 
「ゆっくりしているといいよ」
 
 総司は、空中に手をやると、突然床から柱のようなデバイスが持ち上がってきた。四角い銀色の箱のようなもの。総司が表面に触れると、白い光が点滅している。ドームの中には、様々な装置があって、総司はそれを自由自在に操っているようだった。
 
「ここは、この建物は。なんなんですか」
 
 千鶴が静かに尋ねた。総司は、ここはドームだよ。シミュレーションデバイスの一部分。そう答えながら、ずっと手を動かしている。千鶴は、手持ち無沙汰な様子で、辺りを見回した。
 
「惑星が地球にぶつかったら、ここも。無くなって」
 
「ここは、大丈夫。インターフェースしているから、君のリアリティの中にあっても、影響は受けない」
 
 千鶴は総司の云っている意味が理解できない。私のリアリティ。現実のこと? 先輩が云っている事が本当なら、別の世界のゲームの中に私の現実があるってこと? わからない。目の前のこの人は、このドームを操作して何をしているのだろう。ここはシミュレーションデバイスの一部分。さっきの星が詰まった丸いケースもシミュレーション装置だと云っていた。この装置で惑星がぶつかるように、仕向けられているのかしら。もし、そうなら、デバイスを止めれば。惑星がぶつかるのも止められるの? 死のダンスが止められれば、メランコリアは軌道に戻って、地球から離れる。それが可能なら。洪水も地球が消滅することもなくなる。
 
「もし、デバイスが止まったら。メランコリアがぶつかることは、なくなるの」
 
 千鶴の質問に。総司は微笑んだ。「デバイスは止まらないよ」と答えながら、ずっと指を四角い装置の上で動かしている。
 
「さっき、先輩は時間を遡ってシナリオを書き換えられるって」
 
 総司は、一瞬手を止めて顔を上げて、椅子に座る千鶴をじっと見詰めた。
 
「それは、次の段階の話」
「この現実から君を救ってからでないとね」
 
 僕にもどうしようもない。チェイサーはVR外に出て時間を追うことが役目だから。そう言って、総司は、無表情のままデバイスの操作に戻った。光を反射するその顔は、どこかもどかしそうにも見えた。私を救う。この世界が滅亡することから、わたしは救われるの? はじめさんが来たら。はじめさんもメランコリアの衝突から逃れることが出来るの? 地球がなくなって、世界がなくなった後。私とはじめさんは、どうなるのだろう。先輩がいう、現実から自分が救われる状態がどうなるのかが想像がつかない。
 
「僕は、時間軸の中を行き来する。それが僕の特性」
「トランセンデンスの後に、僕の現実で起きた出来事は、僕から全てを奪っていった」
「この肥大したゲームの中で……」
 
 総司が呟いている。その表情はどこか悲しそうだった。先輩の現実と私の現実はきっと別のもの。なにか大きなゲームの中で、先輩は時間を行き来して、ここに現れた? それなら、この世界の先輩は、どこ? 目の前の先輩が別の現実から来た人なら。現実の沖田先輩は。一体どこに。
 
「先輩が別の世界の人なら、この世界の沖田先輩はどこいるんでしょう。沖田先輩、ずっと行方がわからなくて」
 
 こう尋ねながら、千鶴はだんだんと現実に起きている事を自覚していった。沖田先輩だと思って付いて行った人が、別世界の人。すると行方不明の先輩は、どこかにいるはず。メランコリアがぶつかって、地球が消滅したら。沖田先輩も居なくなってしまう。先輩はどこ? はじめさんは、沖田先輩を探している。
 
「この世界の僕は、いるよ」
「このドームの中に」
 
 総司は、当たり前のように話す。冷淡なその表情に、千鶴は背中に冷たい氷が走ったような気がした。どこに。先輩はどこにいるんですか。千鶴はまた、身体が震えだした。本能的になにか危険を感じた。
 
「この世界の僕は、僕がここにインターフェースするのに必要だからね。記憶、癖、彼の姿かたち、ミミックするのに型どりしないと。うまく入り込めない」
 
 型取り。先輩の姿を。先輩に何をしたの。先輩をドームに連れてきていたの。千鶴は立ち上がった。
 
「先輩はどこ」
「ここにいるなら、会わせてください」
 
「それは無理」
「彼には眠ってもらっているから」
「このリアリティで、あとそうだね。100年は眠ってもらおうかな」
 
 千鶴は耳を疑った。100年。どうして。沖田先輩が眠らなきゃならないの。千鶴は総司に駆け寄って、忙しく動かす腕に掴まった。
 
「先輩はどこ。先輩に会わせて」
 
 総司は面倒そうに、千鶴の手を振り払った。千鶴は、さっきから見えていた部屋の出口に向かって走っていった。壁にボタンがみえた。叩く様にボタンを押すと、扉が開いた。総司が自分を追いかけてくる。銀色の廊下。先輩、どこ?
 
「沖田先輩」
 
 千鶴は大きな声で総司を呼んだ。背後の総司は、足早に後ろを追いかけて来る。
 
「彼は安全だ。はじめくんが来たら、一緒に眠ってもらう」
 
 千鶴は振り返った。はじめさんも。どういうこと。背後に迫る総司の翡翠色の瞳が冷たく射貫くように千鶴を見詰めていた。総司は千鶴の腕を掴むと、自分に引き寄せた。
 
「君たちはこの世界の終わりから救われる。君たちは終わらない」
 
 千鶴は首を横に振った。離して。この冷酷な沖田先輩とは別人の総司を、恐ろしいと思った。振り切ろうとして身をよじったその時、ポケットのスマホが大きく振動した。千鶴は、総司の腕を振りほどいて、ポケットのスマホを取り出した。はじめさん。
 
「千鶴か。大きなドームの前にいる」
「はじめさん、」
 
 千鶴のスマホの音声は全てスピーカーを通してドーム内に響き渡った。スマホのスピーカーが切り替わっている。千鶴は後づずさりながら、総司から離れた。その間も、斎藤の「どこだ、何処にいる?」と呼ぶ声がドーム内に響き渡った。総司は、ゆっくりと壁に触れると、壁から緑色の光が点滅した。
 
「はじめくん、ゲートを開いた。そのまま真っすぐ進んで。今行くよ」
 
 ドームの外にいる斎藤に、総司の声が建物の中から聞こえて来た。「総司か、千鶴はどこだ」という斎藤の声がドームの中に響く。千鶴は傍にある扉に向かって走っていったが、扉はびくともしない。なんとか開けようと手を掛けたが、どうやって開ければいいのかがわからない。
 
「ここを開けて」
「ここから出して」
「君は、ここにいて」
 
 総司は、扉を叩く千鶴の背後に立ったまま、静かに云うと、千鶴の反対側にある壁の扉を開いた。総司は、扉の向こうに歩いて行く。千鶴は総司を追いかけた。だが、総司は扉の向こうに行った瞬間、扉が消えて、そこはただの壁になった。千鶴は、スマホをとって斎藤に呼びかけた。
 
「はじめさん、中に入ってはだめ」
「はじめさん、逃げて」
 
 千鶴の声はスマホの中にだけ響く。斎藤の返事がない。通じていない。どうしよう。千鶴は、銀色の壁をくまなく触って、出口を探した。壁を何度も拳を作って叩いた。さっきまで居た部屋に戻って、総司が触っていた装置のあった場所をタッチしてもなにも変化がない。もう一度、装置が持ち上がった床のあたりを両手で触ってみた。その時、銀色の床が、一瞬ぐにゃりと歪んだようにみえた。その瞬間、大きな振動が起きた。
 
 
 
******

 
 
 千鶴は、四つん這いのまま身を伏せた。何が起きたの。地震? メランコリアが衝突した? 千鶴は地面から大きく揺れる衝動に動揺した。どうしよう。その時、震える両手をついた床が透明になっている事に気づいた。何かが動いている。目の前に見えているのはなに? 床の下になにか深い空間が広がっていて、そこになにか明るい光が動いている。輝く光は、眩しくて少し、緑色のかかった不思議な色をしていた。だんだんと光は大きくなった、こっちに近づいてくる。誰? 誰かが走ってくる。眩しい……。
 
 輝く光に包まれて、いつのまにか千鶴は立ち上がっていた。温かい光。身体が軽い。だんだんと明るい光が消えて行く。自分を包み込む光。その光から現れたのは、総司だった。翡翠色の瞳がじっと千鶴を見詰めている。沖田先輩……。
 
 目の前の総司は、千鶴を腕に抱きかかえるようにして。ゆっくりと瞬きをした。伏せた睫毛が長く、その先に光がみえたように感じた。総司の顔の輪郭も髪も、どこか光を放っているように見える。ゆっくりと総司は千鶴を抱きしめた。
 
「やっと君に会えた」
 
 千鶴はどこかで聞いた言葉だと思った。デジャブ。沖田先輩。千鶴はじっと総司の顔を見上げた。さっきまでここにいた先輩とは違う。先輩。髪が長い。それにその白い服は、さっきまでの先輩と全く違う。身体にぴったりとしたプラスチックのようで、それでいて柔らかくて、鎧の様にもみえる。この人は。一体。
 
そう思った時に、頬を優しく総司の手で覆われた。
 
 ——愛しい君、僕の可愛いひと。
 
 心の中に、そう呼び掛けられる声が聞こえた。千鶴は驚いた。沖田先輩? 総司の翡翠色の瞳はじっと千鶴の瞳を覗き込んでいる。怪我はない? はい。間に合った。おいで。まるで、いつものように千鶴の手を引いて、総司は歩いて行く。先輩? いつもの先輩のようだけど違う。千鶴は混乱した。白い服の総司が壁に触れると、そこにパネルが現れた。素早く指でタッチすると、壁に扉が現れて開いた。
 
 廊下の向こうで、なにかぶつかるような音がしている。総司は走り出した。千鶴もその後に続いて走った。
 
 
*****

 

斬り合い

 廊下の向こう。シミュレーション装置のある広間が見えた。薄暗い中に、明るい閃光が走った。銀色の壁から天井までが明るく反射する。その直後に大きな金属音がした。装置の向こうで、銀のジャンプスーツ姿の総司が両足を踏ん張るように背中を向けている。その肩から、何か長い光る剣のようなものが見えていた。息切れのする声。はじめさん? 総司の向こうで、斎藤が真剣で総司の剣を止めている姿が見えた。斎藤が呻くような声をあげて、総司を振り払った。総司はそのまま後ろに跳ね飛ぶ。斎藤は青眼のまま、相手を睨んでいる。
 
 千鶴の斎藤を呼ぶ叫び声が響いた。同時に、千鶴の前に総司が立ちはだかった。後ろに手を廻した総司の真っ白な背中がひときわ明るくて、その向こうの光景が見えなくなるぐらいだった。
 
 ——君は下がっておいで。
 
 心に総司の声が聞こえる。デジャブ。前にもあった。こんな風に先輩が前に立って……。
 
 銀色の総司が斎藤に突進していく姿が見えた。斎藤は、じっと総司の剣を引き付けるように青眼で構えている。総司の鋭い突き。狂っている。斎藤は総司を睨んだ。
 
 さっきゲートが開いた途端、いきなり総司が斬りかかって来た。
 
 斎藤は、咄嗟に真剣を取り出して構えた。助手席にあった刀を持ってきたのは正解だった。総司は気が狂った。そうとしか思えぬ。それに、なんだ。この場所は。千鶴はどこだ。
 
「千鶴を出せ」
 
 剣と刀をぶつけあった。じりじりと斎藤の剣を押し込みながら、総司は皮肉な表情で笑っている。「出してあげるよ。君が眠ったらね」と云って、軽々と払った。
 
 冗談が過ぎるぞ。斎藤は、怒りに任せて思い切り跳ね返した。それにしても、この違和感は。総司、何があった。光る剣。おかしい。なにゆえ、脇を逸らす。構えがいつもと逆だ。
 
 総司の癖。総司が一番隠そうとする脇の逸らし。わざとなのか。斎藤は、そう思った。自分を油断させるために。斎藤は異様な総司の様子に戸惑った。脇が甘い動きの一方で、総司の振るう剣には仕掛けがあるようだった。刀から伝わる振動と熱。力が奪われる。負けてなるものか、息が切れる。無駄な動きをしていないのに。なぜだ。
 
「千鶴を出せ」、渾身の力を込めて、居合で斬った。でも躱された。南無三。すれ違いながら、態勢を次の一手に。残心。そう思って振り返った瞬間、現れたのがもう一人の総司だった。
 
 二人の総司。銀色の総司と白い鎧の総司。光る総司の持っている剣は、両刃のもの。十字のような形で、総司はそれを八双の構えから振り下ろす。総司。道場でやり合う時と同じ。それにしても、なにゆえ総司が二人いる。二人ともおかしな恰好で。これは悪戯か。それにしても、手が込み過ぎている。銀色の総司が、向こう十メートル先に、滑り込むように下がって行く。眩しい光とともに、もう一人の総司が上段の構えで身体の向きを変えた。背後の自分に合図を送るように、総司は顎を動かした。斎藤は、一歩前に出た。両刃の剣を持つ総司と背中を合せる。強い既視感。そうだ。昔から。こうやって二人で構えた。俺は右を、総司は左を。たとえ敵に囲まれても。
 
 はじめくん、いくよ。
 
 総司の声が心に聞こえる。遠い昔と変わらぬ。総司。背後の総司が意図することは、すっと自分の意識に入って来た。
 
 千鶴ちゃんは無事だよ
 ここをやり過ごして、抜け出す
 
 銀色の総司が振るう剣。閃光。刀を合わす度に、力を奪われる。全身に振動が起きて、足元が崩れそうになる。そのたびに、総司が左側から剣で電流を跳ね返す。銀色の総司は、最初は余裕の笑みを浮かべていたが、段々と真顔になって来た。狂気の色。総司の瞳には、いつもと違った光がみえた。一体何が起きている。あんたは、何者だ。
 
 狂った総司は、剣を下ろして後ろに下がった。斎藤と白く輝く総司を警戒しながら、壁に触って何かの装置を取り出した。光る表面を、刀を持っていない方の手で撫でるように触ると、急に大きな機械音がし始めた。同時にドームの床が揺れ始め。空気が振動し始めた。
 
 
 
*****

 

オーダーのナイト

 斎藤は刀を構えたまま、ドームの中を見回した。白い総司が丸い装置の向こう側に駆け込んで、装置の中を覗き込んだ。
 
「おいで、はやく」
 
 総司が叫んで手を伸ばした先から、千鶴が現れた。暗がりの中から。脅えたような表情で、斎藤に向かって走って来た。斎藤は、刀を持っていない方の手で千鶴を抱きしめた。
 
「はじめさん」
「はじめさん」
 
 しがみついたまま、千鶴は涙を流している。良かった。千鶴。斎藤は、揺れる床の上でしっかりと千鶴を抱きしめながら、ドームの出口を探した。白い総司は、丸いケースの中を覗きながら、大きな剣を腰に差し直した。
 
「時空操作が起きている」
「これは君たちの世界の時間軸」
 
 総司に促されて、揺れる床を伝って斎藤と千鶴は丸いケースに近づいた。ケースの中の小宇宙。その空間に縦に赤い線が広がっている。いったい、これはなんだ。斎藤は、目の前に繰り広げられている天体の動きに目を見張ったまま動けなかった。部屋の向こう側に居た銀色の総司の姿が見えない。
 
 きみたちに、お願いがある。
 このシミュレーション装置を止める。
 インターフェースを抜き取る。
 
 斎藤から、「理解不可」という信号が総司のもとに伝わった。千鶴はその腕の中で頷いている。総司は微笑んだ。
 
「説明をしている時間がない。少し手荒だけど、はじめくん、ちょっとだけメモリーに触るよ」
 
 総司は斎藤に手を伸ばして、斎藤の首の後ろに触れた。針で刺されたような刺激が走った。あっという間の出来事で、何が起きたのかがわからない。だが、直後に頭蓋骨の中に目まぐるしい信号が走ったのがわかった。それは凄まじい映像の洪水。自分の目に飛び込んでくるヴィジョン。
 
 さっきまで刀を合せていた銀色の総司の正体。
 赤いバイクに乗る総司が捕らえられた。
 白い鎧を着せられてドームのハイパースリープ装置に眠る総司。
 ドームのシミュレーションデバイス
 メランコリアの死のダンスは時空の歪み。
 別世界の影響で、世界が滅びる。
 銀色の総司は、千鶴をドームに取り込む。
 ドームは銀色の総司の世界と繋がっているため。地球の滅亡の影響は受けない。
 
 斎藤が驚いたのは、このデバイスがゲームの一部であるという事実だった。そんなことが。自分たちの命も世界も他の世界のゲームの結果。なんということだ。そして、こういった世界が無限にあるということ。目の前の白い鎧の総司も、別世界から来た存在。銀の総司が、タイムチェイサーなら、自分はオーダーのナイトだという。
 
「正しくは、ペンタリア。僕の世界」
「このドームは、テトラ世界からインターフェースしている」
「君たちの世界は、トリ」
「世界を番号で識別しているのか」
 
 斎藤の意識が質問する。そうだよ。便宜上につけられているだけ。トリのはじめ君。この世界でも君は優秀な剣士なんだね。白い総司は微笑んだ。
 
「あんたは、ペンタリアからどうやって現れた」
「僕はインターフェースしてる、直接。この世界の僕に」
「君たちが見ている僕は、トリの僕。でも僕自身はフォログラムとして存在している」
 
 総司は斎藤の正面に立った。これからが本題だ。そう言って、千鶴と斎藤、二人の瞳をしっかりと見据えた。
 
「君たちにやってもらいたいのは、デバイスを止めること」
「テトラの僕が、時空操作で時間を進めた。もう猶予がない」
「地球が惑星とぶつかるのを止めなきゃ」
「どうすれば止められる?」
「このドームの中枢装置を停止させる」
「さっきデトネーターをセットした」
「デトネーター?」
「停止装置。この振動は停止装置が作動していることで起きている」
「テトラの僕は、ドームの中枢でデトネーターを取り外そうとしているだろう」
「僕がそれを止める。君たちにここで、シミュレーターの接続を切断してほしい」
「出来る?」
 
 総司は斎藤の眼を覗き込むように確認した。
 
 ——僕らは息を合せなきゃならない。シンクロさせて停止させないと、少しでもズレると駄目。
 
 どういうことだ。と斎藤が意識で尋ねた。「量子爆発が起きる」と直ぐに答えが返って来た。斎藤は総司の言う「Quantum Explosion」という言葉に耳を疑った。物理が得意な斎藤でも、まだ理論としてだけの話としか理解していない。総司の意識が、爆発が起きると全てが終わると斎藤に説明した。斎藤は息を呑んだ。
 
「わかった。俺が切断する」
「あんたは中枢装置を停止してくれ」
 
 総司と斎藤が頷き合った。意識の信号でタイミングを計る。走り去った総司から斎藤の意識に指示が飛んできた。腕の中の千鶴の身体の震えが止まった。大丈夫だ。千鶴と眼を合せて頷きあう。斎藤達のいる部屋の床がだんだんと透明になって、空中に浮かんでいるように見えた。ドームの中枢は、地下に拡がる空間にある。総司の放つ光が中心に向かっているのがわかった。きっと総司はテトラの総司を制圧して。中枢装置を止める。
 
 
 どれぐらいの時間が経ったのか。床の振動が停まってずっと無音が続いた。千鶴の心臓の鼓動が聞こえる。斎藤は丸いシミュレーションデバイスの一番大きな突起の中を開いた。ガラスで覆われたケースが奥に見える。手を伸ばしてやっと触れることができる。その向こうにボタンがあった。
 
 ——はじめ君。いくよ。
 
 総司の意識が飛んでくる。斎藤は目を閉じた。自分の意識を最大限に保つ為。居合斬りと同じだ。心で。斎藤はボタンを押すタイミングを総司の意識との共鳴に任せた。
 
 今だ。
 
 完全な静寂の中で。腕の中の千鶴と自分だけが存在した。ボタンを押した瞬間。全てが停止したような感覚が走った。デバイスの中の宇宙の光が消えて。部屋は完全な暗闇になった。成功したか。これで。メランコリアの衝突が止められたなら。斎藤は、千鶴を強く抱きしめた。足元の透明な床の向こうから。ゆっくりと光が昇ってくる。総司。白い鎧の。
 
 ペンタリアの総司。
 
 斎藤はそう話かけた。総司は肩にもう一人の総司を載せて浮上してきた。テトラの総司。ぐったりとして、気を失っているようだった。
 
 ——テトラの僕は、ドームと一緒にこの世界からログオフする。
 
 目の前に立った総司の意識が斎藤と千鶴に話しかける。
 
「そうしたら。このドームはどうなるの」
 
 千鶴が突然声を出して尋ねた。
 
「トリの世界からは消える。接点がなくなるからね」
 
 総司は、そう言って微笑んだ。
 
「私たちはどうなるの」
「君たちはそのままさ。トリの世界で。歪みがなくなったんだ。メランコリアはゆっくり軌道に戻って、また太陽系の外に出て行く」
「次に赤い月が現れるのは、君たちの時空でいう150年後さ」
 
 ——あなたは。あなたはどうなるの?
 
 斎藤の腕の中の千鶴がその大きな瞳をキラキラとさせて尋ねる。総司は優しい瞳で千鶴に応えた。
 
 ——僕もログオフする。
 
 千鶴の瞳が一段と大きく開いた。大丈夫だよ、この世界の沖田総司は君たちと共に存在し続ける。目の前の僕、つまり僕のフォログラムが無くなるだけだ。微笑む総司の瞳はゆっくりと瞬きをして、千鶴を優しく見つめた。
 
 さあ、ドームが消える。君たちの世界から。準備はいい?
 
 総司の声は千鶴と斎藤の心の中に響く。斎藤は身構えた。もう一度強く千鶴を守るように抱きしめた。床がぐにゃりと歪んだようにみえた。直後の衝撃と振動。透明な床に様々な空間の映像が走る。物凄い勢いで、まるで世界が渦巻くように。斎藤は千鶴を強く抱きしめ続けた。
 
 きーんと冷たい空気に包まれた。斎藤は目を開けた。自分たちが何もない広い雪原の真ん中にいた。目の前には斎藤の車が停めてある。空には一面の星。遠く山の稜線が雪原を囲むように、そして真っ白な大きな月が見えた。そして、メランコリア。赤い惑星は、月に寄り添う小さな球体に見える。斎藤と千鶴は思った。この光景は以前に見たことがある。
 
 紅い輝きを物悲しいと。二人で思いながらずっと眺めた夜。遠い記憶の断片。
 
 斎藤は振り返って、総司に話しかけた。
 
「千鶴を助けてくれた礼をいう。これが夢でないのなら。世界が救われた」
 
 ——多少混乱している、だが腑に落ちた。
 
 総司は肩を揺らして笑っている。斎藤の意識がそのまま、白い鎧の総司に伝わっているようだった。
 
「お安い御用さ。君たちに逢えてよかった」
 
 優しく微笑む総司に、千鶴が一歩近づいた。
 
「有難うございます。ログオフされるって、今直ぐでしょうか」
 
 千鶴は一瞬悲しそうな表情をみせた。目の前の総司は、真顔のまま千鶴をじっと見つめた。そして、手の中から何か小さな光るかけらを持ち出すと、「少しだけ、いい?」と斎藤と千鶴に確認した。掌の光る物は、何かのスイッチのようだった。それを押した途端、それまで吹いていた風が止んだ。星の瞬きも空気も音もなにもかもが消えて静寂になった。辺りは色を失ったように見えた。千鶴は辺りを見回した、自分の背後の斎藤がじっと固まったまま動かない。まるで映像を停止ボタンで止めたように。
 
「はじめさん、」
 
 千鶴が斎藤の腕に掴まったが、斎藤は真っすぐ前を見たまま動かない。
 
「時間を止めた。この世界で5分間だけ」
 
 総司の声が聞こえた。千鶴は背後を振り返った。その瞬間、総司に強く抱きしめられた。
 
 
 
******

 

ペンタリア

 千鶴が驚いて見上げると、総司の手で頬を覆われて口づけをされた。突然のことで千鶴は声を立てる事もできない。目の前に長い総司の睫毛がみえた。睫毛の先に見える光。これは、前も見たことがある。
 
 その瞬間だった。胸の中に頭の中に、全身に全てが流れ込んで来た。意識の洪水。
 
 ——あなた、愛しいあなた。
 やっと逢えた。
 
 これは、私の声? 悦びと、愛しさと切なさと、全ての感情が押し寄せる。やっと逢えた。
 
 私の最愛の人。
 
 目の前には、美しい湖畔、その周りを取り囲む美しい木々。白樺や杉。ここは私たちの秘密の場所。真っ青な湖の水面は、空の蒼さをそのまま映して。自分が佇んでいるのは、畔にあるガゼボ。真っ白な大理石の手すりに、そっと寄りかかっている。
 
 背後から抱きしめられた。あなた。やっと逢えた。どんなに逢いたかったか。
 振り返って見えたのは、翡翠色の瞳。
 
 ——愛しい君。僕の可愛いひと。
 
 心に響く呼び掛け。強く抱きしめられた。口づけを、どうかあなた。一生分の愛情をこめて。

 ゆっくりと唇をあわせて、実感する。無事に戻られた。もう離れたくない。互いの想いが強く、接吻は永遠に続くように思った。
 
 やさしい指先が、私の瞼をなぞる。泣かないで。やっと逢えたんだ。もう離さない。言葉にしなくても、その眼差しから伝わる想い。私は何度も頷く。手を引かれて、ガゼボの外に出て行った。湖のほとりで、二人で手を繋いでその美しい透明な水に手をつけた。
 
「僕は、君を妻に迎える」
「私は、あなたを夫に迎えます」
「この光と水に、この完璧な世界に共に生きよう」
 
 こうして二人は永遠の愛を誓った。二人だけの秘密の誓い。私はこの人の妻になった。じっと見上げて見つめる翡翠色の瞳。
 
  
 突然、大きな音がした。爆発音。今まで広がっていた美しい湖畔が消えて、暗い空に沢山の赤い光が飛んでくる。私の国が。大地が。壊れていく。私の大切な民。皆が恐れて逃げ惑う。なんて恐ろしい光景。世界の崩壊。
 
「世界の均衡が奪われました。マルチバース条約が破られる危機です。女王陛下。どうかご決断を」
 
 どうすればいいの。無限に広がる無数の世界。それぞれの世界がバランスを保つ為、我がペンタリアは、世界と世界の干渉を避ける道を選んだ。マルチバースの均衡を守る為。古から存在する騎士団。優秀なナイトたちが命を懸けて闘い続けて来た。私の愛する人も。
 
 世界の歪みを防ぐ。
 ロゼッタ星雲。NGC 2237。
 ここで和平合議が開かれます。
 取引を。陛下、どうかペンタリアを救うため。
 
 ——それならば、私が出向きましょう。
 
 少しの勇気と、あの方の志を胸に。私は、きっと救って見せる。そして、再び戦いから戻られたあの人と。きっと。
 
 胸に響くこの想い。強い感情で千鶴の全身は震えていた。心に現れた光景は、私の記憶。
 そして、目の前のこの人は私の愛しい夫。最愛の人。
 
 自分を見詰める瞳は、限りなく優しくて。慈しむように覗き込む。
 
 ——愛おしい君、無事なんだね。
 
 ええ、あなた。わたしは、遠い銀河の果てに。ここは寒い。色のない世界。
 
 千鶴の全身は冷たい空気に凍り付いたようになった。身体の自由が奪われている。なにか椅子のようなものに、手足が拘束されている。でもこの場所には小さな窓が。遠く、宇宙が見える。
 
 私の心臓の鼓動。53,169,127回。53,169,128回。53,169,129回。鼓動が一億回を超えると、現れるのです。窓の向こうに。輝く星が。
 
 エメラルド色の二つ星。
 
 あなたの瞳のようで。あなたに逢えた気がして。わたしはここ。輝く緑の星に貴方へのメッセージを届けて貰うように祈っています。
 
「どこ? 二つの緑の星。座標は?」
 
 目の前の総司が千鶴の瞳を覗き込んで訊ねた。強く両肩を掴まれて。千鶴は心に響く声の通りに応えた。
 
「わかりません。ロゼッタ星雲から数万光年離れたことしか……」
 
 僕は絶対に救いにいく。君を探し出す。君の心臓の鼓動の数と緑に輝く星。絶対に見つけるよ。話ながら総司の瞼からはらりはらりと涙が零れていくのがみえた。
 
 ——泣かないであなた。愛しいあなた。私は大丈夫。
 
 千鶴は手を伸ばして総司の涙を拭った。総司はその手をとって掌に思い切り口づけた。可愛い君、僕の妻。僕は絶対に君を見つける。
 
 千鶴は強く抱きしめられた。耳に総司の声が聞こえる。
 
「ありがとう、千鶴ちゃん。シンクロが起きたね」
「僕の世界だと、誰も信じない仮説だったんだ」
「マルチバースのどこかに、とても似通った世界があるって」
「行方不明の妻を見つけるために、僕はシンクロニシティを信じた」
 
 君はあの人にそっくりだ。生き写しのようで。その振る舞いも、なにもかも。
 
 ありがとう。彼女が無事なことは判った。これだけでも、トリの世界に来た甲斐があった。この世界を救うことが出来て良かった。
 
 千鶴は、総司の頬に指を伸ばして、流れる涙を優しく拭い続けた。溢れる想いで苦しいくらい。どうか、ご無事に。どうか、ペンタリアの私が見つかりますように。
 
 
「さあ、この五分間は存在しないことになる」
 
 総司は、千鶴の頬の涙を拭った。君は、この世界に大切な人がいる。どうかこの平和な世界で永遠に幸せに。
 
 ——さようなら。トリの君。僕の最愛の人にそっくりな。可愛い君。
 
 総司の声が心に響く。冷たい風が吹き始めた。雪原と、空の星が瞬き始めた。目の前の総司が微笑みながら、下がって行く。千鶴は、走って総司に抱きついた。
 
「きっと、愛おしいあなた」
 
 心からの叫びを伝えた。微笑んだ総司は頷いて、手を首の後ろに伸ばして光る装置を押した。その瞬間、全身から放たれた光が消えて、総司は雪の上に倒れた。駆けよったのは斎藤だった。全てが再び動いている。良かった。
 
 横たわる総司の身体は温かい。斎藤が抱き起すように総司の上半身を持ち上げて、地面の雪を掴んで、そっと総司の頬に当てた。
 
「おい、総司。起きろ」
 
 斎藤が大きな声を掛けた。ゆっくりと総司が目を覚ました。じっと斎藤の眼を覗き込んで、無表情のまま、千鶴の方に顔を向けた。
 
「ここはどこ?」
「冷たい」
 
 総司は、前髪から落ちる溶けた雪の雫を頬に受けて呟いた。千鶴が、そっとハンカチを出して、総司の濡れた髪や頬を拭った。
 
「気づいたか。ここは長野だ」
「あんたを迎えに来た」
 
 総司は、茫然としている。斎藤と千鶴に助け起こされて、総司は立ち上がった。総司の身にまとっている白い鎧は、雪や水分を弾く素材のようだった。薄いのに身体も体温保持もされているのが不思議で、総司の背中に触れると斎藤の手より総司の身体は温かかった。総司の歩行を補助しながら、斎藤は車のリアシートに総司を押し込むようにして、横になるようにと云った。総司は云われるままになっている。斎藤は、運転席に座って車のエンジンをかけた。真剣をケースに仕舞って、トランクにしまってからコートを脱いで、総司の上に掛けた。
 
 千鶴は、総司の頬に手をやって、寒くはないか。喉が渇いてないかと尋ねている。ちょうど、ミネラルウォーターのボトルが運転席に置いたままになっていたものを、総司に飲ませた。
 
「それで、これは何の悪戯?」
 
 総司が上半身を起こしながら、前の席の二人に訊ねた。斎藤は、黙ったまま鼻で笑うように息を吐くと、シフトをドライブに切り替えて車を発進させた。千鶴はフロントシートから前方に拡がる夜空を眺めた。遠くに見える黒い山の稜線。その上に明るい無数の星。天の川が走る向こうに三つ星が並んでいるのが見えた。
 
「夜明けが近い。オリオン座がみえるな」
 
 斎藤が呟いた。その向こうは一角獣座。斎藤は天体に詳しい。
 
「オリオン座のベテルギウスから、天の川の中にある星雲。赤いロゼッタ星雲だ」
 
 千鶴は強い既視感を覚える。デジャブ。遠い銀河の果て。逢いたい人を想いつづけて……。
 
 
 温かい斎藤の指が千鶴の膝の上の手をとった。温かい。はじめさん。斎藤は、まっすぐに前を見たまま、満足そうな表情で車の運転をしている。私を助けに来てくれた。愛おしい人。
そっと手を引かれて、運転席の斎藤に凭れ掛かった。肩に腕をまわされる。温かい。
 
「このまま眠るといい。あと4時間はかかる」
 
 優しい斎藤の声がする。髪にそっと口づけられた。温かい、幸せな感覚。はじめさん、ありがとう。
 
 暫く行くと、車は見晴らしのいい峠に出た。斎藤は一旦、車を停止させた。目の前には大きな月と、その月に寄り添うような小さな赤い惑星が見えた。どんどんと離れていく。惑星メランコリア。この世界が永遠に続きますように。
 
 時間の停止していた5分間の出来事は、総司がログオフした瞬間に千鶴の記憶から消滅していた。目まぐるしいほどの出来事。星が降りそうなこの雪原で。

 ——別の世界の沖田先輩がこの世界を、私たちを救ってくださった。
 
「ねえ、さっきから、聞いてる?」
「もういいよ、キスでもなんでも、したければどうぞ」
「僕は目を瞑ってるよ。どうせ居ないもんだと思ってんでしょ」
 
 リアシートの総司は不機嫌な上に、臍を曲げていた。千鶴は振り返った。総司は、不貞腐れたように、肘枕をして斎藤と千鶴を睨んでいる。
 
「この恰好。ちょっと酷くない。寝てる間に、全身タイツ姿にされて」
「よくお似合いです」
 
 千鶴がクスクスと笑っている。
 
「なに、何かの仮装? スタートルーパーだよ、これ」
「いい衣装だ。総司」
 
 斎藤も珍しくからかうような事を云って、笑っている。総司は、少しずつ記憶が戻って来ているようだった。長野の合宿所にバイクで向かった途中、事故った。それから記憶がない。僕、病院に運ばれたんでしょ?
 
「ああ、経過が良かったから、迎えに来た。車で帰っていいと言われてな」
「僕のマシーンは、どうなったの」
「それは、わからん。でも心配するな。東京に戻ってから調べればわかる」
 
 総司は、少しは納得したのか。それきり黙ってしまった。総司はまさか、別世界の自分に乗っ取られていた事は想像もできないだろう。それでも、いつかゆっくりこの数日間に起きた出来事を総司に話したい。斎藤はそう思った。
 
「総司、道場での手合わせを近く頼む。あんたとは長く稽古していない」
「いいよ、僕のハイパーパワー剣術で、はじめくんをこてんぱんにしてあげる」
「望むところだ」
 
 斎藤は、再びエンジンを掛けた。目の前に広がる、天の川がだんだんと薄くなる。明けの明星が見えた。助手席の千鶴は、同じように空の美しさに見とれているようだった。斎藤は千鶴の手を引いた。その愛らしい唇に口づけよう。
 
 ——愛おしいひと。愛おしいあなた。
 
 溢れかえる想いが、全身を駆け巡る。この世界で。あなたと逢えたことに感謝します。
 
 ——そう、君のその想いがきっとシンクロしたんだ。
 
 心に響く声。ペンタリアの沖田さん。これは共に起きること。なにも不思議はありません。
 
 千鶴の意識はずっと拡張し続けていた。
 
 ——そうだね、トリの世界の君。
 そんなところまで、君はそっくりだ。僕の愛おしいひとに。
 
 そんな声が聞こえてくる。千鶴は幸福だった。愛おしい人の腕の中で。千鶴は斎藤に身を預けて、溢れる想いの中にずっと浸り続けた。
 
 
 
 
******

エピローグ

 総司が無事に東京に戻って、数週間が過ぎた。
 
 七月から八月の始めに起きた異常気象と、150年ぶりに地球に再接近した惑星。メランコリアは周回軌道をもとに戻り、地球から徐々に離れていった。今は、その姿は夜にしか確認できない。全国に雪を降らせた寒気団も霧散し、代わりに夏らしい猛暑がやって来た。
 
 総司は、長野でのサークル合宿への参加を中止した。代わりに試衛館での稽古に入って、門人たちと毎日汗を流した。駅前のジムでのアルバイトも八月いっぱいで辞めることに決めたと、近藤に報告した。
 
「近藤先生、これから僕、国際大会に出るために、精進しますので、よろしく」
 
 総司は近藤に直々に稽古をつけて欲しいと頼み込み、近藤はそれに応えた。総司が道場にいるだけで、試衛館は活気立つ。斎藤は、みっちりと総司と手合わせをして会津での出稽古に備えた。
 
 そして、斎藤と千鶴が会津での出稽古に出発する日。二人は早朝に東京駅へ向かって、新幹線に乗り込んだ。再び会津の地で、二人きりの時間を過ごす。待ちに待った夏休み。
 
「はじめさん、わたし、いつか会津で暮らしてみたい」
「ああ」
「城下もいいが、郊外もいい」
 
 会津は二人にとって特別な場所。斎藤は、再び記憶の断片と出会う予感がしていた。そして、隣に座る千鶴はやはり特別な存在だと実感していた。
 
 千鶴は、雪原のドームでの出来事以来、ひとつ変わったことを感じていた。斎藤を想う時、心に溢れかえる想いが大きな力になって拡がっていく。それは共に起きる感覚。斎藤にも通じていると思う。もう言葉にしなくても。
 
 ——愛おしいあなた、やっと逢えた。
 
 
 もう離れない。永遠に。
 
 
 ずっと、この世界で。
 
 
 つづく

 

→次話 FRAGMENTS 9




(2019.08.12)

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