ブログ【模写は模写でも】

ブログ【模写は模写でも】

こんばんは。天高く馬肥ゆる秋。外を歩くのが気持ちいいです。

先月末に行って来た大塚国際美術館のことを書きます。少し、二次創作についてのわたしの考えもブログにします。

大塚国際美術館は徳島県にある世界中の名画を陶板で原寸再現したものを展示しているユニークな美術館です。写真を陶板に写す技術をつかって世界中の絵画を再現しています。ホームページをご覧になるとおわかりになると思いますが、所蔵展示作品の数と美術館の大きさは世界に比類ないです。わたしは半日滞在して、ピンポイント見学を心掛けましたが、全部を周り切ることはできなかったです。総面積がルーブル美術館の展示面積より大きい上に、展示されているのは絵画ばかり(額装されているものが主)なのです。

ジョットの描いたスクロヴェーニ礼拝堂の壁画

西洋絵画が大好きな親友に誘われて、わたしにとって四国初上陸の旅行でした。連れていってくれた人(親友の義兄)がデザインのお仕事をしていて、大塚美術館は「模写を置いているだけだから(あまり期待はしないほうがいい)」と美術館コンセプトについて事前に説明してくれました。「本物ではないこと」と「模写」はまた意味合いが違うなと感じます。陶板への印刷技術はすばらしく、ほぼ写真を写したように再現されています。キャンバスに油絵具で描かれた絵画と陶板印刷されたものは、明らかに近くでみるとマチエールが違います。でもフレスコ画やテンペラ画のような、壁画で再現されているものは、あまり違いを感じることはなかったです。陶板の上に金絵の具を使い手描きでリタッチされたものは、本物に限りなく近く感じました。

ゴヤの魔女の夜宴

所蔵作品は、美術の教科書に載っている名画がほぼ全て網羅されていました。私はスペイン絵画が好きなので、ゴヤやベラスケス、エルグレコの三位一体像などを見られたのがとても嬉しかったです。現地で本物を鑑賞した時の気持ちが蘇るように感じました。観た事がない絵画も沢山。死ぬまでに一度は見てみたい絵も沢山観る事ができました。通常、美術館では写真撮影を禁止していますが、大塚美術館はスマホで写真が撮り放題です。大好きな絵画と一緒に記念写真をとることができます。(トップの写真は、ルイ・ダビッドの「ナポレオン一世の戴冠式と皇妃ジョゼフィーヌの戴冠」、重厚でした)

陶板に写しとることで、絵画の発色の保存も叶います。消失した幻の絵画も写真から再現されています。名画の保存ということでは、印刷模写もひとつの選択なのかなと思いました。

レプリカはレプリカであって、本物ではない。肉筆に勝るものはないでしょう。では精巧に肉筆で描かれた贋作はどうでしょう。顕微鏡でプロの鑑定家が確かめて判定されるような精巧なものでない限り、わたしのような素人には見分けがつかないと思いました。

では、なにが観る人の心を動かすのか。そんな事を考えながら絵画を観ていました。中世ルネサンス期は宗教画が圧倒的に多いです。聖書にでてくる物語(キリストの誕生、受難や奇跡など)、聖母子像など。十二使徒の特徴や物語を特定して楽しめます。美しさの中に物語が見える。絵画の技法や構図も素晴らしいですが、描かれているテーマを読み解くのが面白いです。そして、画家の個性や特徴もみることができて興味がつきません。いろいろな画家の描いた聖母子像が一つの展示室に集められていて、画家の個性の違いやこだわりを味わうことが本当におもしろかった。

精巧な模写も、贋作もあまり違いはないのかなと思いました。もちろん絵画的価値は、原作にまさるものはないでしょう。唯一無二のものだから。でも何が人の心を動かすのかと考えると、それぞれの画家の個性、描かれた人物の表情や美しさ、絵の表すテーマや物語性であり、心に迫るものは変わらないのかなと思いました。ただ描かれたプロセスは原作にしか存在しないのかなと思います。陶板にはリタッチ部分しかそれがない。

連れて行ってくれた友人のお兄さんは、キュレーターさんと権利関係の話もしていました。陶板で再現するにあたり、近代の作家のほうが使用許可をとるのが難しいという話でした。それも納得がいくような気がします。模写は模写の価値しかないという感想、見る事が叶うなら、現地で本物を見た方が絶対にいいという意見もわかります。でも心が動かされるものがありました。美しさや作品のもつメッセージを十分に感じることができて、心が洗われたような気持ちになりました。美は世界の共通言語です。美しいものに沢山触れる体験は、物の見方や感じ方を変容させるのです。

さて、ここまで大塚美術館で沢山の美しい西洋絵画に触れた話をしました。わたしは、自分の書いた二次小説を本にしようと数年前に決心して今に至ります。サイトで公開しているものを全て本の形で保存していきます。最近はAI(人工知能)で文章生成するサービスを利用して、二次創作をすることが一般化してきました。イラストも画風を学習して生成するAIが国内外で開発されて利用する人が増えています。日本の著作権的にはAIが学習データを元に絵や文章を生成することが認められていて、AI開発のためにオンライン上にあるデータを収集することも認められています。わたしの書いた小説もサイトにあげていたもの、一時的にpixivで発表していたものも全て、全てビッグデータに取り込まれていると思います。

AIで文章生成をして小説を書くことはこれからどんどん一般化していくと思います。わたしは仕事で翻訳をしていますが、翻訳マシーン(AI)に過去4年間学習データを蓄積して、翻訳文を作る作業をやってきました。以前ブログにも書いた開発業者と共同で造った会社独自のAIです。業界特化型なので汎用性は低いです。仕事で携わったのでAIがどのようにデータを学習して文章生成するのかは仕組みとして解っています。

時短効率や同じ単語の抽出や文体の統一性はAIが得意とする部分です。従来の翻訳マシーンもそういった部分が便利でした。いまは自然な文章や物語をAIが造り出す時代になりました。コロケーションがほぼ人が書いたものと変わらない。これは革新的な進歩です。実際、分野の違う、小説を書くという作業もAIがするようになってきて、日本語だと「AIのべりすと」と少し前にでた「AI BunCho」がユーザーを増やしているようです。

AIのべりすとは、コーパスをビッグデータから提供を受けて作っているらしいので、オンライン上にあるテキストはどんどん学習されているような感じです。たぶん当サイトのデータもコモンクロールに持っていかれてしまっているのかなと思います。サイトはbot避けを施していたつもりですが、十分でなかったのは本当に残念です。

AIで小説生成は凄いですね。自然な日本語の文章でストーリー展開していく小説をAIが書く。サンプルにあったものをちょっと読んでみたけれど、機械が生成したものとは感じなかったです。わたしは仕事で原文をAIに学習させていく作業をしていて、翻訳生成されたものをチェックするのが主な仕事です。AI翻訳はおかしな文体や齟齬が起きる場合もあります。うちの会社のAIでは、正しい日本語や英語の文章が生成される精度は95%ぐらいでしょうか。それを重箱の隅を突くようにチェックしていく。正直面倒な作業です。

AIで小説を翻訳するという選択があるとしても、趣味の時間まで同じような作業をするのは正直気がひけます。仕事でAIに蓄積させろという指示のものはAIを使って翻訳しますが、それ以外のものはAIなしでやっています。翻訳は自分でやるのが一番楽しくてやりがいがあります。

二次小説を書く際、わたしはAIを使いません。これから先使う事もないでしょう。物語や文章を考えるという二次創作の一番楽しい部分を人工知能に代行してもらうのは、もったいなくて。二次小説を自分で書いて自分で読んで萌える事が一番の楽しみなのです。二次小説をどう創作するのかは、ひとそれぞれです。ツールを使う場合も、自力で書く場合も出来上がったものを読んで萌える。そこは変わらないと思います。何が人の心を動かすのかは、本当に不思議で解からない。上に書いた大塚美術館の陶板再現された名画を観ることと、原作を観ることの違いも同じです。

美術鑑賞と二次創作を一緒に考えること自体がおかしいかもしれないけれど、なにを感じるのか、小説なら物語がどうなって、登場人物が変化していくのかを描いて、それを読んだ人が読後にどう感じるのかという事と、作品がどのように書かれたのか、描かれたのかというプロセスも含めて鑑賞の対象になるのかなと個人的に思いました。

わたしは小説を書く作業が好きです。物語をあーでもないこうでもないと考えることや、登場人物がどんな風に動くのか所作や表情を思い描くのが楽しい。心情や情景を文章で描写することも好きです。小説が出来上がるまでのプロセスが楽しい。

翻訳も同じです。自力でするのとAIで翻訳するのとではプロセスが異なります。AIは素晴らしい文明の利器ですが、機械の手を借りずに自分で作っていく文章や物語のほうがわたしは好きです。たとえ下手でワンパターンで拙くても、自分の文章が自分の力であり個性であり、もっとうまくなりたい、面白い話を書きたいと願う原動力なのです。その部分をわたしは絶対に手放したくないです。

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