ブログ【二次小説 進捗状況】すずらんのかをり
こんにちは。秋も一段と深まってきました。
明治期の斎千夫妻シリーズの最新話を書き進めています。
明治九年九月ごろの出来事。
少し前になりますが、公文書館主催で、瓦解から明治一桁(元年から九年)の東京(主に銀座地区)についての講演会があって、当時の混沌とした街の様子や人々の暮らしについて、作家の松井今朝子先生から興味深い話を沢山聞けました。
明治七年に銀座一丁目に出来た煉瓦通りは、ヨーロッパの大通りを真似て造られて当時は大変モダンだったようです。でも実際は日本の気候や風土には合っておらず、建屋の中は湿気やカビが酷く商店は困っていたとか。街路樹も土埃(馬車の馬糞)が舞い上がって、すぐに枯れてしまったそうです。現存している優雅な錦絵と実際の人々の暮らしと実際は違っていたようです。
銀座地区は、海風で湿度が高い地域で、現在の番地の二丁目から、丁番が上がると、どんどん下町風の街並みで目貫き通りと裏通りの生活の違いが激しかったそうです。
二次小説の設定では、明治七年は斎藤さん一家が斗南から上京し新生活を始めた年。生存していた土方さんに再開して、銀座のガス灯や品川硝子で作ったランプで新時代の明るさを実感した年でした。
土方さんは、銀座鎗矢町に靴工場を構えていますが、もともとモデルとなった西村勝三さんは築地にあった工場を広げて、銀座には店舗として出していました。今のリーガルシューズです。
今執筆中の「すずらんのかをり」で、もともとプロットの中心においてあったものをテーマにして書き進めています。今回のエピソードでは土方さんの姿が少し垣間見えるようになっています。土方さんは戦後東京で入牢、その後大鳥さんと政府使節としてヨーロッパを洋行し、殖産工業、文化、ファッションいろんなものを目にしてきて、特に風俗やファッションなどは貪欲に学んで取り入れていきました(完全ねつ造設定)
ゲームをやっていると、キャラクターデザインの意図だと思われますが、土方さんは非常に着物や履物のデザインがお洒落です。近藤さん、土方さん、山南さんは、反物も江戸小紋などが使われて、他の隊士よりグレードが高いものをまとっています。中でも、土方さんはご自分でデザイン担当に注文を付けて選んだものをまとっている風な印象も感じます。奇抜なものをそことなく、見えないところでそっと着ているような。例えば、金巾などさりげなく紫かかった生地をあてたり。(ただのキャラクターカラーだからかもしれませんが)
男女問わず新しいもの、美しいものを纏う事が好きな土方さん。明治の世でも変わらずに着道楽です。
さっきの明治期についての講演会の話に戻りますが、当時の初任給の紹介で警視庁巡査が挙げられていました。月給4円。これは今の15万円から17万円ぐらいでしょうか。斎藤さんは、一応当時の政府職員としては最低賃金を支給されていたようです。政府役人、例えば太政官内務卿(首相みたいな立場)の大久保利通さんは、月給200円なので大きな差に驚きます。まさに藩閥政治ですね。
この頃の司法制度もまだ江戸時代とさほど変わらず、現代とは大きく違っています。
親の子殺し(禁固3か月)子の親殺し(死刑)
現代人の私たちから見たら、えーっと思いますね。千鶴ちゃんがもし、自らの手で綱道さんを殺めて、お縄になったら即死刑です。まだ拷問刑なども普通に執り行われて、命の重みや人々の意識はまだ前時代的でした。
こんな混沌とした世の中で、町を警備して走り回っている当時の警視庁の人たちは大変だっただろうなと思います。急激な近代化とまだ江戸時代の生活や立ち振る舞いを残す町並みや人々。そんな帝都東京を斎藤さん夫婦が生きている様子を描きたいです。
明治期の斎千物語も終盤にかかってきました。自分で描きたいところまで書ききれるかしら。そんなことを考えながら、毎日格闘しています。
今書いているお話、一気に書き上げてアップしますね。
すみません、進捗報告をまた長々と書いてしまいました。読んで下さってありがとうございます。
朝晩冷え込むので、どうか皆さんお風邪などひかないように気を付けてください。
ちよろず
写真は、公文書館の企画展で見た「秩禄公債証書の見本」です。前回「すずらんのかをり」で少し触れましたが、当時士族への家禄が国庫から支給されるようになって、それも「米俵」「現金」などの現物支給から半分は「公債」で交付になりました。真ん中の絵柄を見ると、騎馬武将が鎧をまとっている図が描かれています。武功への恩賞、御恩と奉公といった武家社会の象徴のように見えます。家禄制度の廃止。武士の時代の終わりを示す貴重な資料です。