ブログ【斎藤さんウォーク】斎藤さん@出稽古への道 試衛館→新宿 その1

ブログ【斎藤さんウォーク】斎藤さん@出稽古への道 試衛館→新宿 その1

【斎藤さん@出稽古への道 試衛館→新宿 その1】

こんばんは。すっかり秋も深まってきました。

皆さん、お元気にお過ごしでしょうか?

やっと出稽古ログをまとめました。

斎藤さんが幕末当時に日野の佐藤道場まで出稽古に行ったであろう想定で、出稽古ウォーキングをやっています。試衛館時代の斎藤さん想像活動の一環。

今回スタートは市ヶ谷柳町の【試衛館道場跡】です。ここから【新宿】まで目指すルート。

都営大江戸線牛込柳町駅まで地下鉄で出て。そこから試衛館跡まで行ってスタートです(駅から試衛館道場跡まで徒歩で5分もかかりません)。

<スタート> メトロ牛込柳町駅から、市ヶ谷柳町の試衛館跡に移動してそこから出発。

試衛場から大久保通り(斎藤さんの家の本郷方面に繋がる道)とは反対方向に廻って「外苑東通り」にでます。切り絵写真の赤丸辺りが試衛館道場跡です。

(試衛館あとから外苑東通りに出た角にある【しろくま生花店】。ナチュラルなデコレーションリースなどで素敵です)

江戸時代、この辺りは【御徒組同心大縄地】でした。(切り絵写真では、緑線で囲ってあります)

下級武士(ここでは同心です)に拝領屋敷が与えられる時、屋敷地所が一括して与えられ、これを【大繩地】と呼びます。牛込界隈には大繩地が多く、この御徒組同心大縄地は牛込御徒町と呼ばれ、北御徒町・中御徒町・南御徒町に分かれていましたが、これが今ではそれぞれ北町・中町・南町になっています。この区域は、道路が町の境界線になるのではなく、一本の道路を挟んで向かい合った土地が同じ町になっています。こうした町のことを両側町といいますが、大江戸まちあるき地図で見ると、この辺りは江戸時代の町割そのままであることがわかります。

実際、牛込柳町の交差点に立つと、町境であることはわかるのですが、風景は全く都会の風景です。江戸時代っぽさは皆無かも。切絵図では大繩地がそのまま、今の道路なので、当時はこの車道の両側の歩道が通りだったのでしょう。そう思うと、コンクリートの道ですが、当時は地面は土や石ころで武家屋敷沿いを山口一が歩いて四谷方面に南下したのがわかります。道はなだらかな下りになっています。

外苑東通り市ヶ谷薬王寺町、町名から江戸時代は薬王寺の門前町。明治期にすでに薬王寺は護国寺に移されて今は、町名しか残っていません。通りの反対側に寺社仏閣はありますが比較的建て替えで新しい寺院(少し歩きましたが、江戸っぽさがなかったのでここは割愛します)そのまま中之町へ。

ここは、片側二車線の大きな通りで、現在は特徴のない風景です。左側は警視庁第五機動隊。奥には防衛省の広大な土地。幕末の頃ここには【尾張中納言徳川慶勝】の御殿がありました。六十一万九千五百石。とてつもなく広大な土地です。現在の外苑東通り中之町付近の車道は、この尾張御殿の馬場でした。徳川慶勝さんは幕末尾張徳川十四代当主です。薄桜鬼の中には登場していませんが、新選組の運命に大きく関わっているお殿様です。

外苑東通り合羽坂の交差点で、左の坂を下ります。ここまでで、速足で20分ぐらいかなあ。けっこう早いペースで歩いてます。

坂の下が靖国通りで、左手に中央大学の市ヶ谷キャンパスと防衛相があります。緑が鬱蒼と茂っていて、旧尾張藩屋敷の風景を思わせます。

靖国通りを渡って向こう側へ。

今回そのまま靖国通りを西方面に下ろうと曙橋まで歩きましたが。曙橋は昭和に架けられた比較的新しい橋で、なんとなくこの道は新宿に出るのに通らない気がして引き返しました。

代わりに南方向の津の守坂を上って、四谷大通りにでるルートを選びました。(ただなんとなく)

津の守坂は結構な距離の登坂です。通りの右側は江戸時代は広大な美濃高須藩主・松平義行(摂津守)の上屋敷があったところ。

坂の途中で、【新宿歴史博物館】が近くにあることが判って、立ち寄りました。

ここは前から来たかった場所で、古代、江戸近世、幕末、から昭和までの新宿の移り変わりがよくわかる常設展示。中でも、【内藤新宿】の宿場町の模型図が見事でした。

結局、資料を見てたら、一時間以上の寄り道になりました。

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