ブログ【小説更新】豊後口警視徴募隊
皆さん、こんにちは。
明暁に向かいてシリーズ33「豊後口警視徴募隊」をアップしました。
出征した斎藤さんは、豊後口にて戦闘に参加します。
以下ネタバレになるので記事を畳みます。
西南戦役の様子は主に河内貞芳氏の「藤田五郎警部補の西南戦争」という論考に基づいています。元の資料は小説内に出てくる徴募隊指揮官萩原貞固警部の「東京警視萩原隊豊後路出張行旅日誌」です。
細かい行軍の様子が描かれていて、およそ140年前の山林での戦いが克明に想像できるようになっています。論考を執筆された河内氏は実際に現地に足を運ばれて、記録にある山を精力的に調査もされています。
今回の斎藤さんの闘った法師山は今もあって397メートルの山。竹田周辺は古い山城(竹田岡城)が残っていて大分県の史跡になっています。戦国時代どころではなく、平安、鎌倉の頃に建った古い山城です。
参考<城郭放浪記さんのサイト>現在の岡城の様子が写真でわかります。
http://www.hb.pei.jp/shiro/bungo/oka-jyo/
豊後口の闘いは、沢山の山や峠を本道間道を通って攻める闘いだったことがわかります。140年前の地名が現在は残っていない場所もあって、現在のGoogle地図などでは特定が難しいかもしれません。
地名の表記は藤田五郎さんが自筆で書いた履歴書や、上記の資料の記録のままに書いています。【嵯峨関】は大分佐賀関港、【法師山】は斎藤さんは「星師山」と書いていますが、完全に音での当て字です。なんだか藤田五郎さん可愛いです。萩原警部の日誌では【法師山】とあるので小説ではその表記です。
この音での当て字で思い出したのが、【藤田家文書】の中にある白河戦線の記録。斎藤さんは、晩年に口述で白河の闘いの話を長男の嫁に記録を取らせていたらしいのですが、白河の地元民に当時街道で城下の様子などを聞き込みしたという記録があって。地元の人の訛りや方言をそのままそっくり覚えた通りに話したらしく、非常に臨場感のある記録になっています。会津言葉に馴染みがあったのかもしれませんが、白河戦線の頃はまだ江戸を出て間もなくの頃。斎藤さんが聴覚が鋭かったのが伺いしれます。言語センスもあったのかなと思います。非常に無口で寡黙な人物だったそうですが、よく聴きとる力があり理解力、記憶力が優れていたのでしょう。薄桜鬼の斎藤さんも、無口で寡黙ですが周りの状況、人の心の推し量り具合が大きい。そんなキャラクターと史実の藤田五郎さんが重なります。
部下の殆どが旧仙台藩士。東北出身の実直で朴訥としながらも志の高い若者を率いて闘います。二番小隊の様子も描いていければと思います。
斎藤さん、初戦から思い切り本気で戦っています。有名な【抜刀隊】を彷彿とさせる活躍で本当に恰好いいです。この部分は私のねつ造ではなく、史実の記録にのっとっています。
戦役部分。豊後口警視隊のあまり知られていない渋い闘いの日々をしっかり斎藤さんの物語に。
頑張るーー(・∀・)
斎千の甘い部分も欠かせません。
また長々と書いてしまいました。ごめんなさい。
ログを読んでくださって有難うございます。
ちよろず