ブログ【小説更新】凱旋式
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皆さん、こんばんは。
明暁シリーズ37「凱旋式」をアップしました。
斎藤さん帰還後に東京で開催された天覧整列式。
藤田五郎さんは、従軍履歴に以下のように記しています。
十一月七日 日本隊整列式 天覧左ノ勅語アリ酒肴ヲ賜フ
最二賊勢猛狂ノ時に当リ汝等臨機ノ命ヲ奉シ従軍尽力ノ段朕之ヲ嘉尚ス
目録
一、 酒
二、 肴
右各県徴募ノ者整列式天覧二付思食ヲ以テ下賜候事
明治十年十一月七日
天皇陛下より酒と肴(あたりめや昆布のような気がします)を振る舞われたようです。とても厳かで御目出度い式典だったのではと想像してしまいます。写真では残っていませんが、整列行進の絵(錦絵ではない)が、京橋の警察博物館五階の資料になっています。巡査のネイビーブルーの制服で吹上御庭から出てくる様子が描かれていました。当時はまだ吹上御庭に今ほど植樹はされていなかったようです。かつて江戸城の西の丸があった場所。広大な土地です。
藤田五郎さんの在官履歴書によると、この式典から二年後に西南戦争での戦功により勲等を下賜されています。
明治十二年十月八日 叙勲七等金百圓下賜
勲七等は、明治期では陸軍の少佐の階級です。警視官としては警視正(第四位)で国家公務員(官吏)の最下位です。古い律令制度ですと、正六位でぎりぎり高官に昇級が許されない地位です。斎藤さんに限らず、西南戦争後の論功行賞は、会津、東北出身者はあまり戦功を認められていません。まだ藩閥政治が色濃く残ってる頃で、薩長出身者と明らかに扱いが違っています。
当時藤田五郎さんは、こういった事をどう感じていたのかなとよく考えます。不満に感じていたのか、それとも大きな誉れであると感じていたのか。決して表には出ずに、黙々と任務をこなしていた新選組の斎藤さんというイメージが強くて、藤田五郎さんの後半生もそういった生き方をされたのではと勝手に思ってしまいます。そういったイメージをひっくるめた斎藤さんが大好きです。
今回アップした本文。部下の話がメインです。
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ちよろず