三日山如来寺にて
薄桜鬼掌編集
春に江戸から輿入れした折、千鶴は風間に連れられて三日山を訪れた。苔むした石段を上った先に見えた古刹、如来寺。風間家の菩提寺である。風間は数えで五歳のときに萬壽和尚に預けられたという。当時、十歳を過ぎた頃の天霧九寿がお傍付として共に入山。師の教えは厳しく、年少の風間は天霧と平等に扱われ、仏法はもとより四書五経に至るまで智の修練を行い、同時に身体の鍛錬も怠ることなく続けた。
「今はなき花の郷にも近い。俺は江戸に出るまでここで育った」
桃花と紅梅、早咲きの山桜が花開く美しい庭を風間は千鶴に見せたいと微笑んだ。本堂の玄関で二人を出迎えるように萬壽和尚が立って居た。
「よう参られた」
和尚は遥か東国から西国に嫁入りした千鶴を精進で歓迎した。江戸で育った千鶴に、和尚は久しく東には出向いていないと云って、今は東京と呼ばれる市中の様子を尋ねた。千鶴は、自分の暮らす小石川に変わりはないが、上野の焼け野原は神田から墨田川の向こうまで見渡せるほど何もなくなってしまったと答えた。
本堂の御廟で風間家の祖先一同に挨拶を済ませた二人は、美しい供花で彩られる千景の両親の墓を訪れた。墓石の回りにも菫や百合が咲いている。焚かれる香に交じる甘い花の香り。その時千鶴は、「花の郷の御方」と国中の者から慕われた千景の母親が、まだ若い内に亡くなったと知った。
「先代の棟梁も後を追うようにみまかられた」
「暗闇の内にも先代が現れると辺りは光輝き、その慈愛に満ちた振る舞いで民を守り育てられた。真に立派な棟梁であられた」
風間千景の外見、姿、立ち居振る舞いは、先代に生き写しのようだと和尚は千鶴にそっと教えて微笑んだ。千鶴は先を歩く風間の背中を目で追った。堂々とした佇まい。幼いときに別れたご両親はさぞや誇りに思われていることだろう。微笑む千鶴に振り返った西国の頭領は門の傍に咲く山桜を指差した。
「まあ、これが」
「見事であろう」
「はい、このように花弁がたわわなものは初めて見ました」
「新芽が美しく紫になる」
「俺が子供の頃はまだ屋根より低かった」
桜を見上げる二人の背後で、和尚が呟いた。
「今日のためと思ひて標しあしひきの」
「峰の上の桜、かく咲きにけり」
もう何年もの間、ここにずっと。小さな千景さんが見上げた桜。千鶴は大層感慨深い心持で幾重にも重なる白い花弁を眺めた。
咲ける桜をただ一目、君に見せてば何をか思はむ
よく通る低い声が耳に届く。いつの間にか萬壽和尚の姿はなく、千鶴は夫である風間に抱き寄せられた。二人で目を見合わせ微笑みあった後ずっと一緒に山桜を眺め続けた。