ブログ【本づくりのこと】

ブログ【本づくりのこと】

皆さん、こんにちは。

台風一過。列島から離れましたね。皆さん、息災にお過ごしでしょうか。

この週末は、製本合宿で丸背上製本を習いました。下の写真のように背中が丸くなる本の製本です。

夏の間に「活版印刷」の講座があって、自分の名前を活版で組んで、印刷をしました。生まれて初めての組版(欧文)、手動の印刷機での印刷体験です。

自分の名前をアルファベット表記したものを、ひたすら文字と文字のスペースを見詰めて、調節します。ワードソフトなど使って英文を打つと、自然に文字間隔は調整されますが、活版は手作業で一文字一文字を均等に調整します。実際、薄い銅板の板を挟んだり、外したりしながら調整が必要で、非常に細かな作業でした。

出来上がった「中扉」。今回は名前入りのノートを緑のクロスで丸背製本に仕上げました。(上の写真)

手動印刷機。丸い所に上の印刷用インクをヘラで塗ります。道具の一つ一つが手作りの温かみがあってステキでした。

授業ではこのほかに、活版印刷の成り立ち(活版はルネサンス期の三大発明の一つです)や現在の世界や日本での活版印刷の仕事についても学びました。500年の歴史の重みと廃れていく産業、真の匠の仕事についてなど、深く考えるきっかけになるものでした。

特に仕事について。私も自分の仕事は既に優秀なAIが導入されて、自分の「技術」として経験を積んできた部分が根本から揺らぎそうになっています。いずれは私の仕事は、AIに代替されて廃れていく(無くなって行く)のかなと思います。業種は異なりますが、活版印刷は、たとえ、コンピューターで全て出来てしまうとしても、熟練した匠の手で作られるべきものだと思いました。世の中の印刷物がすべてパソコンやアプリケーションで済まされてしまうのでなく、手を使った本物の仕事、技術や伝統は継承されて残っていって欲しい。そう思いました。

わたしも、自分の仕事では、自分で仕上げる部分はしっかりと「熟練」「巧」の腕を見せられるように頑張りたいです。いずれ無くなるなら、それこそいい仕事をしないと。日々精進しないといけませんね。さいとうさん(と呼んでいるAI)とも仲良くなりたい(・∀・)

本づくりは、自分の小説の製本に使う日本語フォントを吟味中。活版印刷の講座で習った、文字間、行数、読みやすさの工夫、美しい組版についてのコツを小説本づくりに活かしたいです。

この週末は、長野に行っていました。伊那市の文化が会津と非常に似通っていて、「会津を感じる」不思議な既視感。高遠に行くと、城下町が江戸っぽくてさらに会津っぽい。とにかく素敵な土地柄なんです。今回の合宿で、伊那市高遠の歴史についても教えて貰って。似ていて当然。会津藩の藩祖の保科正之が高遠で育ち、のちに幕府で重用されるようになり会津藩を開いて、その時に側用人は高遠藩から移ったので、高遠の文化が、会津の元となったそうです。

上の写真は城下通り(会津の七日町にそっくりな町並みです)

高遠藩は、幕末に早くに新政府に恭順しました。戊辰の戦の被害は少なくて、城下が美しいまま残っています。生真面目で実直、ホスピタリティー溢れるのんびりとした土地柄は、信濃国の特徴で会津に通じるものがあります。

偶然ですが、高遠の人物を小説(縁あれば千里)に登場させていました。斎藤さんが懇意にしている神田の刀商「飯田刀店」のご主人は信濃国高遠出身の元士分。小説のお店は、現在の飯田高遠堂をモデルにしています。このエピソードを書いた時は、あとに本づくりで伊那市高遠に実際に足を運ぶことなど想像していませんでした。訪れる機会があったのは嬉しかったです。

伊那市のレトロモダンな昭和初期の建物(創造館)

上は創造館の中にある、昭和初期の書庫。享保年の和綴じ本や明治期の本などが沢山。全て手に取って閲覧が可能です。レトロモダンな調度品が沢山で、映画の撮影にも使われた場所だそうです。ここで、みんなで気に入った本を持ち寄って、本の紹介プレゼンテーションしました。面白かったです。

本づくりの仲間は、さまざまな職業やバックグラウンドの方がいて。みんな本が好き、紙が好き、文具が好き。クラスでお会いするとマニアックなモノ作りの話になって、小説を書く楽しみとは異なる世界が広がって毎回楽しいです。

明治期のシリーズ。製本できるよう組版頑張ります。

拍手とコメント、どうもありがとうございます。全て、嬉しく読んでいます。楽しんでいただけて、わたしも嬉しいです。

既に完結しているシリーズの番外編も含め、続きを書き進めますね。

ちよろず

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