ブログ【二次小説 更新情報】初戦 白坂口

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戊辰一八六八 その13 初戦 白坂口をアップしました。白河での開戦です。

白河は那須山系に繋がる高地。避暑地でもある那須塩原にも近く、朝晩は真夏でも(幾分か)涼しいです。

前回の「鬼のもくろみ」で書いた芦野宿は、那須にあって、会津藩領ではありません。

斎藤さんが詰める「白坂口(稲荷山近辺)」は、奥州街道(現在の国道294号)沿いにあって、小説に出て来る「白坂宿」はそこから徒歩で1時間強、南下した国境に近い場所にあります。芦野宿は更に南に1時間の距離です。

白坂口は、街道からの路が「食い違い土居」になっています。真っ直ぐに突進して侵入ができないように、交差点が食い違うようにずらしてあります。会津若松の交差点にも、「食い違い」が点在していて、実際道路を渡るのは通常の交差点より注意が必要です。敵の侵入を防ぐ為の工夫です。

現在の稲荷山の航空写真

緑の部分が、斎藤さんが陣を築いた稲荷山です。この地図には写っていませんが、稲荷山の北方面に白河城が位置しています。赤い矢印が、新政府軍が攻め込んで来たルート、この地図の下方面が那須芦野宿に繋がる旧奥州街道です。曲がり角の部分が「食い違い土居」で、街道は真っ直ぐに進めず、一旦ここで敵軍は失速します。「会津藩兵の墓」がある場所。ここで砲撃を交わしました。稲荷山の上には、比較的新しい白河口戊辰の碑が立っていて、そこには戦死者の名簿がはっきりと刻まれています。新選組隊士の名前も見られます。

新しい碑は銅板で出来ていて、戦死者の名簿が彫られています。新選組隊士の菊地央五郎と記名されています。隣の薩摩藩兵に武川直枝の名前が見えます。もと新選組、高台寺派の清川清です。写真に名前があるのに、今気付きました(・∀・)

稲荷山山頂から南側小山丘陵を見た写真。田圃の向こうの建物が旧奥州街道に並んでいます。小山丘陵の向こうが那須山系、白坂宿、芦名宿に繋がります。紅葉の季節に撮影。白河戦争中はもっと緑の葉がいっぱい茂っていたと思われます。

稲荷山までは、白河の駅前から20分もあれば自転車で辿りつけます。ここから城下に入るまでの旧奥州街道は、初戦で敗れた大垣藩、薩摩藩兵が梟首された九番町も通ります。城下へ入ると、東軍、西軍の兵士が弔われた墓や石碑のある寺社仏閣が点在していて、激しい戦場だったことがわかります。

少し、小説のネタバレになるので記事を畳みます。

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