ブログ【タイムスリップと視点のこと】
歴史ものゲームコンテンツで、現代からプレイヤー(主人公)が過去にタイムスリップする設定のものをよく目にします。現代人が何かしらのきっかけで、過去の時代に行って物語が繰り広げられるパターン。とてもロマンがあります。
だいぶん以前になるのですが、「躍動する明治」がテーマの講演会で、私の尊敬する「股間若衆」研究家であられる、美術史研究家の木下直之先生が皇居周辺の銅像のスライドを見せながら、明治期から現代までの社会の動きについて興味深い話をしてくれました。
木下先生、著作物を探したら、こんな画像が結構でてきました。
↑タモリ倶楽部出演時の画像。可笑しい
先生の著書、これ以外も素晴らしい本を沢山書かれています。美術史、歴史学、その中でも見世物小屋など、どこかアングラ的なものを面白可笑しくとりあげて。本当に「時間」とい概念に真摯に向き合っている稀有な文化人です。
講演の冒頭、銅像や皇居周りの写真をスライドで投影する時に「自分の視点」をちゃんと捉える所から始めましょうと言って、講演会会場の場所をGoogleマップで映し出して、それに明治初期の古地図を重ねて、一気にズームアップしました。
「歴史を語る時。自分がどこに立っているのか。そこをしっかり見ることが大切です」
自分が物理的にどの視点から、歴史のどの時点をみるのか。それがハッキリしていないと、ただ史実の出来事を本でなぞるだけしか見ることができず、理解したことにならない。立ち位置を定めるといろいろと見えてくる。そんな事を仰っていました。
幕末について書かれた歴史書を紐解いている場所が自宅なら、自宅のある場所が幕末当時はどんな場所だったのか、江戸の郊外で田畑の広がる村落だったのか、市中のどの藩屋敷の傍だったのか、他国のどの藩領のどの場所あたりだったのか、特定して意識の中でズームインする。江戸市中加賀藩上屋敷近くの町屋であれば、そこが市中のどの位置にあったのか、明治期にはどう開発されていったのか。自分がどの時間軸で、そこに立っているのかまで想像する。見える風景はどんな様子なのか。そこから、同じ時期に起きている出来事(新選組ならば、江戸から遥か離れた京の町で躍動している)を見て(想像して)みる。京の新選組の動きが知りたければ、そこから歩いて(もしくは千石舟で)上洛しなければならない。そうしていると、史実の出来事を、自分の立ち位置(場所、風景)から想像を巡らせることができる。自分の物理的視点を明確にする。それが歴史を見るコツだと言っていました。意識の中でタイムスリップをしていく作業ですね。
実際、スライドで明治初期の切絵図にズームインしていった時、まるで時間旅行をしているような、そんな錯覚を起こすぐらいでした。講演会の会場は、明治中期に帝国大学があった場所で、年代的に夏目漱石が帝大の学生として在籍していた頃と重なります。過去の帝大の地図は詳細で、会場の建屋のあった場所は運動場だったことがよく判りました。帝大の学生だった夏目漱石。漱石については、本人の日記などから判明している事実として、帝大在学中、非常に「體育」に熱心で、中でもブランコを使う鍛錬を大層気に入っていたそうです。帝大の地図を見ながら、若き日の漱石が夢中になってブランブランとやっていたというエピソードが紹介されて。会場は笑いに湧きました。自分が座っている場所で、130年前に若き日の漱石先生が体操着姿でブランコに乗りまくっていたと思うと、小説を読むのとはまた違った感覚で、「夏目漱石」を身近に感じることが出来ました。実在の感覚でしょうか。不思議です。
切絵図から、会場の周りをどんどん巡ってスライドで皇居の外を一周しました。現代の風景のスライドと切絵図を重ね合わせて眺める作業はユニークで時間を行ったり来たりするような。あくまでも視点の基点は、最初に出発した講演会会場。それをずっと意識しながら眺めることは、自分の立ち位置と視点がしっかりとしていて、確かに物事と時間の流れをとらえやすかったです。
いつだったか、四谷から甲州街道を初台まで歩いた時、途中新宿駅の前を通りながら、その人混みと街の大きさに圧倒されました。斎藤さんウォークで、江戸時代の斎藤さんが試衛館を出発し、日野の佐藤道場に出稽古に出る道行です。その時、頭で想像する幕末当時の街道の風景と現代の新宿周辺の風景を重ね合わせてみました。当たり前ですが、全く異なる風景です。別世界のようです。
幕末から斎藤さんがタイムスリップして現れて、現在の街道の風景を見たら大層驚かれることだろう。そんな事をいつも考えます。江戸時代の斎藤さんが今ここに、タイムスリップして来たら。逆に現代人の私が幕末に行ったら。思い描くときは、物理的基点を「本郷真砂町」と決めて想像するようにしています。江戸時代の斎藤さんが現代の本郷を見ると、地面がアスファルトでコンクリートの建屋が並ぶ風景や、車が走る道路を見て驚愕することでしょう。私がタイムスリップしたら、幕末の本郷界隈の武家屋敷が並ぶ風景、道は土や石ころ、草が生えていて、木造の建屋が並び、行き交う人々は着物に草履や草鞋履きの風景を目にするだろうと想像します。
そして幕末の京に想いを巡らす時も、基点はその時間軸の真砂町。そこから京の町へ出向いた斎藤さんを思い浮かべます。幕末の二次創作の物語を綴る時、京市中では、屯所(壬生村や西本願寺)を基点に。キャラクターの視点を描写しながら描く自分の目線の基点は屯所(もしくは江戸本郷真砂町)。ちゃんと意識してみると、あのズームインする感覚で、より時間的な焦点が合う気がします。不思議です。
物理学的に現代から過去への時間旅行は不可能と言われています。時間は過去から未来へ一方向にしか進まない。これが現代物理の一般的見通しです。タイムマシンの可能性として現代から未来へのタイムスリップは実現可能として、未来を垣間見てみたい気もしますが、どうせ行くなら過去に行ってみたい。いろんな歴史的瞬間を目にしたい。もちろん、幕末の京市中に行って、遭遇できるなら新選組幹部の姿を見てみたいです。
時間旅行。想像では自由自在ですね。過去へタイムスリップして、また現在に戻る物語。古典SFでも様々な描き方をされています。物理科学的な根拠がありそうな設定のものや、細かい理屈は抜きに、タイムパラドックスも包括して納得させてしまうような面白い物語が沢山。私もいつか薄桜鬼のキャラクターがタイムスリップをするお話を描いてみたいです。FRAGMENTSでは過去の記憶を扱っていますが、もし幕末期の斎藤さんが物理的に時空を超えて現代の東京に突然現れたら。さぞやいろいろな事柄に驚愕しながらも、冷静に状況を把握されて納得していくのだろなと思います。逆にSSLの斎藤さんが幕末に突然現れたら。きっと違和感なく侍生活に馴染むことでしょう。そんな想像をするのが、とても楽しいです。
ちよろず