芝袖ヶ浦

芝袖ヶ浦

文久二年七月

 今年は春先から長雨が続いたと思うと、急に日照りが続く事が多かった。多摩への出稽古から戻ってからも、時折総司は近藤先生の命を受けて多摩に出向いた。日野の佐藤道場での稽古と、さらにそこから横山道を小野路村まで出掛けて、地元の寄合名主のかまえる道場で稽古をつけていた。総司の留守中、斎藤はもっぱら、練兵館での稽古に新八と出ることが多かった。

 長雨が上がった翌日、試衛場へ早朝の稽古にでると、午後の練兵館への出稽古が中止になったと知らされた。特に用もなかったので、そのまま試衛場で稽古を続けようと思っていたら、非番だという左之助が、せっかくだから一緒に町にでてみないかと誘って来た。久しぶりに晴れて、外に出るのも良いと思った。道具を片付けると、陽が上がり始めた通りに出て、左之助と南に向かって歩き始めた。いつもは道場を出た大通りを本郷に向かって帰るが、左之助は甲良屋敷の裏通りをよく知っているようで、建屋の影の多い路地を抜けてすいすいと歩いていく。気づくと、江戸川を越えてあっという間に麹町に出ていた。

「今日は暑いな。今までで一番暑くなるぜ」
「こんな日は、一日日陰で寝てるか、思い切って海にでも浸かってよしず茶屋で昼寝が一番だ」
「海。海なら、袖ヶ浦がよい」
「ああ、あそこは品川にも近けえな」

 そんな話をしていると、自然に海に足が向いた。道は下りが多く楽だったこともある。だが、いつも独りでふらりと向かう袖ヶ浦に左之助と向かうのは嬉しかった。もう雑魚場と呼ばれる漁師たちの作業場は、網が並べてあるだけだろう。舟が寄せてある砂浜になら少し影もあって、そこで座ってただ波と広がる海を眺めているだけでも気分がいいものだ。そんな風に思いながらどんどん足を進めた。浜に着くと、左之助は行きつけのよしず茶屋があるからと、そこに立ち寄って冷たい水を飲んで一息ついた。そこで、道具や大小を預かってもらった。気づくと、左之助は着物を脱いで褌一枚になっていた。自分も急いで着物を脱いで畳んで置いた。

 左之助は、いつの間にか【やす】を持って陽の光の中を浜辺に向かってずかずかと歩いている。自分はあとから追いかけた。「あそこの岩場を狙う」と振り返って叫ぶと、左之助はバシャバシャと海の中に走って入っていった。左之助が波の向こうに泳いでいった姿を後ろから歩いてついていった。袖ヶ浦の脇には、浅瀬に岩場が続いていた。ちょうど潮が引いていて岩場までは歩いて行けた。水底は深くなっていたが引き波に乗って岩に近づいて岩場に掴まった。左之助は、岩場の底に潜っては魚を突きまくっているようだった。
波が過ぎた後に、左之助が水面から顔を出した。やすの先に大きな「かさご」が突き刺されていた。左之助は嬉しそうに笑いながら、水面をすいすいと泳いで浜に上がると、用意していた魚籠の中に魚を放り込んだ。左之助は自分にも「やす」を一本借りて来てくれた。二人で岩場の底で、魚を突いた。左之助ほどではないが、小さなかさごを仕留めた。魚突きは面白い。素早い獲物の動きをやすの刃先で留めるのが、なんとも言えぬ快感だった。水面に上げると、鮮やかな紅色で大きな口を開けている魚は活きがよく、やすから取り外しても強い力で逃げようとする。自分は夢中になった。次々に岩場に戻っては、見える獲物を突きまくった。何度目か浜に上がった時、背後の左之助は小さな真蛸を突いて上がって来た。

「大漁だ。女将に頼んで塩焼きにしてもらおう」
「この蛸は、刺身にしようぜ」

 左之助が差し出した蛸は、左之助の腕まで触手を伸ばして絡みついている。自分はこんな近くで生きた蛸を見るのは初めてだった。恨めしそうな目で自分を見て来る蛸の吸盤を左之助の腕や腹から剥がしながら、その力の強さに驚いた。左之助は、獲物を全て茶屋に預けて、塩焼きにしてもらい、その間に真水を溜めた盥のある店裏で身体についた塩を流した。冷たい水がすこぶる気持ちがよい。それから女将に借りた御座の上で左之助と横になって甲羅干しをした。

「伊予では、五月の頭から俺は海に入って、九月の終わりまで上がらねえ」
「俺の育った場所には【とんかはん】っていう祭りがあるんだが、とんかはんの頃に海に入ると死人に足をすくわれるってな。誰も海には近づかなくなる」
「でも、俺はずっと入っていた。確かに波が強くなる。それでも魚を捕まえたり泳いだり、日がな遊んだもんだ」

 左之助は遠い目をしながら、伊予で育った頃の話をしていた。江戸より温暖な土地柄なのだろう。海の水は九月が一番暖かくて水の中は竜宮城みたいになると言って笑っている。左之助は海が大好きなようだった。身体が大かた乾くと、二人で茶屋の中に戻った。女将が炊きたての白米とかさごの塩焼きと蛸の刺身を並べて出してくれた。青さ海苔の味噌汁に香の物。自分は飯を三杯お代わりした。沢山飯を食べた後は、腹ごなしに泳ごうと左之助に誘われた。自分は泳げないと左之助に話すと、酷く驚かれた。

「じゃあ、さっきはどうやって岩場まで来たんだ」
「泳げねえなら、なんで先に言わねえ」
「波にさらわれたら、お陀仏だ」

 左之助は立ち止まって海には入るなと言い出した。「水底を歩くから、大事はない」と云っても、さっぱり、お前の言ってる事がわからねえ。そういって首を捻っている。暫く押し問答が続いたが、結局左之助に泳ぎを教わることになった。水面に身体を浮かべたが、やはり暫くすると自然に沈んでいく。でも、思い切り息を吸い込むと、その間身体は浮く事は解かった。波には簡単に乗ることが出来た。

「なんだ、完全な【かなづち】ってわけじゃあねえんだな」
「それなら、水面で波にのってりゃあいい。お前は手足で水を押す力はあるんだ。水面で息さえ吸ってれば死ぬことはねえだろ」
「どんどん、潮が満ちてきた。波が出て来たな。これに乗って砂浜に滑ろうぜ」

 左之助の言っている事はなんとなくわかった。確かに満ちてきている。さっきまで水面に顔を出していた岩場はすっかり水の中に納まっている。大きなうねりが遠くから起きているのが見えた。自分は左之助に続いて、「泳ぎ」ながら岸部から離れていった。沈んだ時はその時だ、水底を蹴れば良い。

「来たぜ、あれに乗るぞ」といって左之助は波を背にしておもいきり岸部に向かって泳ぎ始めた。大きな波は、白く崩れて行った。左之助はその上に身体を平らにして泳いでいる。波の上を滑るように砂浜に打ち上げられた左之は、素早くたちあがると引き波と一緒に自分のところに戻って来た。凄いもんだ。ああやって、波に乗るものなのか。初めて見た。

「波に背を向けて、直角に泳げばいい」

 そう言われて、その通りに左之助に声を掛けられるまま必死に水を腕でかいた。轟轟と音のする波に全身が押されて物凄い勢いで前に進んだ。身体が波に揉まれ砂浜に一緒に打ち上げられた。楽しい。これは愉快だ。次の波が打ち寄せた後に引き波に乗って戻った。そこで左之助と次の波を待った。何度も波乗りをして砂浜に打ち上げられた後、左之助が「そろそろ、上がろう」と声を掛けて来た。




*******

左之助の腹の傷

「江戸の浜は、砂が黒いのがな」
「褌が砂まみれになる」

 そう言いながら、褌の中にたまった砂を落とし始めた。店の裏で、二人で褌を解いて、真水でバシャバシャと股に溜まった砂や身体の潮を流していると、隣の茶屋の若い給仕の娘が通りかかり、「きゃー」と叫び声をたてられた。前を隠そうと、手に持っていた柄杓で前を押さえたが、隠れるわけでもなく……。

 店の女将が、「お客さん、ここで裸は困ります」と苦情を言われた。左之助は、苦笑いしながら砂を洗い落した褌を締め直して、再び御座の上で身体を乾かした。二人で仰向けになって陽の光にあたっていると、その眩しさで自然に目を瞑る。隣の左之助が、静かに話始めた。

「腹の傷は、あれだ。自分で詰め腹をした痕だ」

 左之助が腹に真一文字に大きな傷痕があるのを、今日はっきりと見た。まだ江戸に出て来たての頃。左之助は武者修行と名売って、江戸中の道場を渡り歩いていたらしい。同じ伊予出身の者が出入りする道場に出向いた時に、足軽以下の郷士に何が出来ると笑われた左之は、武士らしく切腹くらい出来ると啖呵を切って、そのまま自分で腹を詰めた。そう言って笑った。

「お前の年位の頃の話だ。若かった。何の見境もなく。気概だけで威勢を張って」

 左之助は目を瞑ったまま、呟くようにそう話すと黙ってしまった。自分は首を左之助に向けて、左之助の腹の傷を見た。大きな傷跡だ。ここまでの割腹で一命をとりとめたのは、余程運がよかったのだろう。自分がそう云うと。左之助は、寝そべったまま静かに話を続けた。同じ故郷の郷士身分の者に医者に運んで貰って治療を受けた。浅草今戸の外れにある、小さな家で「赤ひげ先生」と呼ばれる名医。そこに五日間入院することになった。その先生は、治療のお代もとらずに、近隣の貧乏人を診ている。元は番医師も務めた腕のいい医者だったが、御旗本の殿さんの治療より、近所に起きた火事場の怪我人を治療する方を優先したってことで、お咎めになって。屋敷も何もかもお奉行にお取り上げになったってな。

 そこの先生には、ずっと世話になった。幕府の免許のねえ、闇医者だ。役人の取り締まりや、それを盾に脅しをかけてくる輩から守ってやる必要があった。用心棒だ。近所には賭場もあった。そこでも、喧嘩や脅しが絶えねえ。俺が鎗を持って立ってるだけで、少しは揉め事が起きるのが防げたんだろうよ。そうやって、日銭を稼ぎながら生きていた。

 ——今の、お前の年の頃の話だ。そんな時に、新八と知り合った。

 賭場の用心棒同士。気が合ってな。稼いだ金で、飲んで。いろんな道場で稽古も受けて鍛錬して。そんな風にしてるうちに、試衛場の食客になった。近藤さんは、大らかでいい人だ。細かい事や伝統やなんだと細かく煩いことを云う他の道場とは違う。今も、俺や新八は、金が必要な時は賭場の用心棒をやっている。そのことにも、近藤さんはとやかく言わねえ。

 試衛場は貧乏道場だが、人の根性が真っすぐで、剣術を磨くには一番だ。本当に強くなることを目指している。実戦向きだ。

 自分は左之助の話をずっと頷きながら聞いていた。左之助とは歳で四つ違い。新八もそれぐらいだ。もう四年近くも前から、独りで江戸に出て武者修行をしてきた左之助達。強い筈だ。そう思った。左之助は、起き上がって背中を乾かすように太陽に背を向けて胡坐をかいた。

「赤ひげ先生には、人間の身体の中がどうなってるかって事を教わった」
「体中にある血の通る道や、腱、骨。みんな同じ場所にあって、刀で打つ場所を選べば一撃で殺すことが出来る」
「ちゃんと場所があるんだ」

 自分は起き上がった。左之助は腕を伸ばして、大きな血の通る道をずっと指でなぞるように見せてくれた。血の道は脇の下に近い所で交差して首に繋がっている。腕を狙うなら内腕から切る方が血の道は斬れる。だが、腱や肉はその外側にあって、そこを一緒に斬り落とす方が相手の動きを止められる。首と顎の付け根の大きな血の道。首の後ろの頭蓋骨の間を叩く。心の臓の正確な場所。一番早くに相手を殺せる場所。左之助の話は、実戦的だった。

「って、こんな話。昼間にお天道様の下、こんな長閑な砂浜で話す内容じゃあねえな」
左之助は、肩についた砂を払いながらそう云うと、こっちに顔を上げて見せて自分を見ると笑い出した。

「山口、そんな真剣な顔で、正座してるのか。ここは寺子屋じゃねえ」

 自分は褌姿のまま、御座の上で正座をして膝に手をついて真剣に話を聞いていた。左之の講釈はひとつひとつが役立つ事だと思った。自分は真剣で人を斬ったことはない。だが、相手を制圧するには、一番必要な事だろう。次の稽古では相手に致命傷を負わせる方法を探りながら撃つ練習をしようと思った。

「今教わったことは、忘れぬ。礼を言う」
「なんだ、こんな事でも役に立てるなら、お安い御用だ」
「道場の者にも教えているのか」
「いいや、こんな話。誰にも話しをしたことはねえよ」

 左之助は笑いながら立ち上がると、御座についた砂を少し離れたところで払い始めた。自分も同じように立ち上がって、砂を払っていると。

「山口、お前は不思議な奴だ」
「無口で物静かなお前といると、自然と普段は話さねえような事もつい喋っちまう」
「人の話を聞くのが上手な人間ってのは、いいもんだ」

 左之助はそう言って微笑むと着替えに茶屋の中に入っていった。自分は褒められたのかどうかもよく判らないまま、ただ左之助が教えてくれた様々な事に感謝の気持ちしかなかった。魚の突き方、波間での身体の浮かせ方、波乗りの仕方。人の斬り方。教わった事は大きい。

 着物に着替えると、残りの魚を塩焼きにしたものを竹皮に包んで貰ったものを持って袖ヶ浦を後にした。陽も傾いて来て、二人で品川宿の外れの茶屋で酒を一杯ひっかけた。そこも左之助の行きつけらしく、給仕の女が親しい様子で左之助に近寄って来た。【左之助さん】と呼びかける女は、給仕の合間に纏わりつくように左之助の肩に手をかけてすり寄っている。なんとなく、目のやり場に困った。膳に出された浅蜊の佃煮を箸でつつく振りをして下を向いたままじっとしてやり過ごした。

 ——残念だが、今夜は無理だ。帰んなきゃならねえ。

 女の誘いを断る左之助の返事が聞こえる。女の撫で声は艶めかしくて、膳の向こうに見えた帯から下の女の曲線に目が行ってしまう。自分は酔っている。陽に当たったせいか、いつもより酒のまわりが早い。左之助は、女をあしらい続けて出された肴を食べ終わると、お代を置いて席を立った。二人で店を出ると、もう外は夕焼けの時刻で、ゆっくりとお堀端の近くの道を歩いて帰った。左之助とは飯田橋で別れた。かさごの塩焼きは、道場に持って帰って新八たちと今夜の酒の肴にするらしい。いい非番だったと左之助に礼を云われた。こちらこそ、こんなに楽しい芝の浜での一日は生まれて始めての事だった。左之助は、翌朝は早く起きて四万六千日の縁日に出掛けると言っていた。初めて江戸に来た夏以来、観音様の功徳日のお参りは欠かしたことがないらしい。左之助は本当に疲れを知らない。いつものんびりしているように見せて、何かしら働いている。そんなところがあった。一緒にいると、褒められたり感心されたりするが、いつも手助けされて教わることが多い。自分は大らかな左之助が大好きだと思った。

 それから二日後、試衛場に行くと。左之助が浅草から持ち帰ったというほおずきの大きな鉢が縁側に飾ってあった。




つづく

 

→次話 大股開き その5

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