
総司、疱瘡に罹る
文久二年八月
毎日うだるような暑さの中、早朝から試衛場に出向き、一日稽古を続ける日が続いていた。
七月から多摩へ出稽古に出ている総司は、もうひと月近く甲羅屋敷の道場には戻って居なかった。外出に頻繁に出ている近藤先生の留守を、永倉新八、藤堂平助、原田左之助と順番で守っている。今日は出稽古に出た平助の代わりに、早朝から一日試衛場で稽古をつけた。
陽も傾きかけた頃、近藤先生が血相を変えて外から戻って来た。
「総司が橋本さんの所で、病で寝込んでいる」
「稽古の途中で急に倒れて、高熱を出したそうだ」
「医者の見立てだと、疱瘡だそうだ」
先生は、手に持っていた文をぐしゃぐしゃと拡げて何度も眼を走らせながら、道場に集まった門人たちに知らせた。
「二日の日に、大雨の中を橋本さんの家に出稽古に来て」
「翌日から二日間、稽古をつけていたが、三日目に倒れたとある」
「すまんが、平助。文を橋本さんに書くから飛脚の手配を頼む」
先生の言う、「橋本さん」というのは、小野路村の名主の橋本家のことで。総司は多摩に滞在中、呼ばれると小野路村まで出向いて稽古をつけていた。自分も九月に総司と一緒に小野路村まで出向く予定だった。平助が飛脚を呼びに道場の玄関から走って出て行くと、門人一同は、近藤先生から稽古に戻るようにと言われた。
翌日、試衛場に出向くと、住み込みの門人全員が広間に集まっていた。自分も呼ばれて広間に行くと、「山口君、よく来た」と近藤先生は自分にも座るようにと云った。
「小野路村の橋本さんから報せがあって、総司は布田宿まで送り届けられたそうだ」
「熱は下がってきているが、疱瘡が出ているらしい」
「すまんが、布田まで総司を迎えに行ってやって欲しい」
一度疱瘡に罹ったことのある者にはうつらない。総司を迎えに行って欲しいと言われ。門人たちの中から左之助と自分が選ばれた。平助は、自分が疱瘡に罹ったことがあるかどうかは、実家の母親に訊ねなければ判らないと言っている。先生は、念のために平助に家に帰って確かめて来るようにと云って、試衛場での稽古は一日取りやめになった。荷車に布団を積んだものが、直ぐに用意された。道場から少し離れたところにある先生の自宅に立ち寄るように言われ、左之助について行くと。先生の奥さんがお勝手から出て来て、自分たちに握り飯を包んだ弁当を持たせてくれた。菅笠を被って、左之助と試衛場を出発した。もう既に陽が高かった。布田宿まで日没までに出向いて、容態が安定していれば翌日に連れ帰る。だが、このように暑い中を搬送するのも病人には酷だと思った。
布田宿には日暮れに着いた。総司は、宿の一室で静かに眠っていた。みたところ顔や手足の何処にも疱瘡はでていなかった。額に触ってみた。部屋が暑いせいもあるだろう、微熱があった。宿の女将に、冷たい水を用意してもらって額を冷やした。その日は、左之助と総司を介抱しがてら宿に泊まった。翌朝早く、人馬が用意されたと報せがあった。これは、近藤先生が練兵館に自ら松前藩邸に出向き、老中目付役より「人馬借受け証書」を用意してもらい、宿場で馬を一頭手配出来たものだった。外に置いた荷車に繋げられた馬は、たっぷりと水を与えられていた。左之助が荷車の上に布団を敷いて準備した。宿の客間から総司を抱えて運び出した。総司は、とっくに目覚めていたが、薄目を開けたまま四肢をわざと脱力している。総司の腕が柱にぶつかると、
「痛いなあ。病人なんだから。もうちょっと優しくやってよ」
総司は半分笑いながら片目を開けて文句を言っていた。左之助は「すまねえな」と応えると、後ろを振り返りながら、ゆっくりと段差を降りて、総司を荷車に寝かせた。宿の外は人通りも少なく、道の向こうには蜃気楼が立っている。
「総司、悪いがこの暑さだ。筵を荷車の上から掛けて日除けにする」
「水を飲みながら、少しずつ進む」
「具合が悪ければ、いつでも云ってくれ」
総司は頷いた後に目を瞑って再び眠り始めたようだった。馬引きはゆっくりと街道を進んで行った。左之助と自分は時折、筵をはぐって中で横になる総司に風を送ってやりながら歩いた。この暑さでは、馬もばてます。馬引きはそう言って、街道の影を探して歩き、途中何度も水飲み場に止まって休んだ。総司は、再び熱が上がってきたようだった。息が短くなっているのが気になった。
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総司、養生する
試衛場に戻った時は、既に日没に近かった。近藤先生が離れに部屋を準備したと云って、総司を運び入れた。総司は、起き上がって「先生、只今戻りました」と挨拶をしようとしたが、先生はそれを制止した。
「総司、どうだ。腹は空いていないか」
「粥を用意してある」
頷く総司を見て、先生が自らばたばたと廊下を台所に向かって走って行った。外の荷車から布団を下ろしていると、台所から先生が左之助と自分を呼ぶ声が聞こえた。
「あいにく、今日はみんな出払っていてな」
「つねも、暫くここには来ん」
「茶碗のある場所は判ったが、匙がどこに仕舞ってあるのかがわからん」
見ると、お盆の上に粥をよそった茶碗が載っていた。先生の宅では、春先に子供が生まれたばかりだった。別宅に暮らしている先生の奥さんは、毎日赤子を背負ってやって来て、通常は道場のお勝手で門人の食事の世話をしているが、総司の疱瘡が赤子にうつるのを防ぐと言って、今日から道場にはやって来ない。食事は別宅で用意されたものを門人たちが道場に運ぶことになっていた。
左之助は、自分が総司の食事の世話をするからと言って、湯を沸かし始めた。自分も左之助を手伝った。遅い時間だったが、総司は一口だけ粥を口にして、もう満足だと言って眠ってしまった。近藤先生に、総司を連れ帰って来た礼を云われた。
「まことに助かった。総司は、ここのところ根を詰めて出稽古にでていて、疲れがたまっていたのだろう。可哀そうなことをした」
「さっき、小野路村の橋本さんと小島さんから文と見舞い金が届いてな」
「随分と先方にも心配をかけていたみたいだ」
「今晩はもう遅い。二人とも十分に休みたまえ」
「山口くんも、自宅に戻らずに、泊まっていけばいい」
「布団を出してやろう」
先生は、自分から客間の襖をあけ放って、押し入れから布団を敷き始めた。自分は恐縮した。先生にそんな手を煩わせては申し訳ない。慌てて布団を敷き始めた自分に向かって先生が、
「今晩は、わたしが総司の面倒を見よう」
「総司の熱は高い。明日の朝一番に医者にも来てもらうつもりだ」
先生は心配そうな表情でそう云うと、廊下を離れに向かって歩いて行った。
翌朝になっても総司の熱は依然高いままだった。医者の見立てでは、今晩あたりが峠だろうということだった。疱瘡は熱が下がってから、水ぶくれが全身に拡がる。それが難儀だと言っていた。医者が帰ったのと入れ違いに平助が道場に戻って来た。久しぶりに、実家に戻って母親に会って来たと話す平助は、「母上に聞いたら、俺は一度も疱瘡はやっていないってさ」と皆に報告した。
「それなら、平助には総司の世話は頼めんな」
そう言って、出稽古の当番表を持ち出した近藤先生は、調整を始めた。
「山口くん、すまんが。今日一日、試衛場で稽古を頼みたい。平助と原田君で伝馬の道場。永倉君が練武館」
「私は、神田に用向きがあってな。講武所だ。伊庭君を覚えているだろう」
「彼もそこへ稽古に来ている」
伊庭八郎。下谷の練武館心形刀流宗家の嫡男。歳は自分と変わらぬ。直参旗本で近く城勤めに出るようになると聞いていた。伊庭は近藤先生と土方さん両人と懇意にしているらしかった。いつも試衛場にふらりと現れて、門人と手合わせをして帰る。自分も試衛場に通い始めた春先に、何度か手合わせをした。己の身分をひけらかす事をせず、真摯に剣術に打ち込む伊庭は、試衛場の皆に好かれていた。総司以外には。総司は、伊庭を揶揄の対象にしていた。毎回、辛辣な嫌味を投げかけ、真剣に木刀で打ってでる。伊庭八郎はそれに応えた。真剣勝負。だいたいがひき分けるが、時折、総司が伊庭を打ちのめす時があった。総司の瞳には焔がたっていた。
「参りました」
降参した伊庭は、清々しく笑いながら、「己の剣はまだまだです」、そう言って道場を後にする。そして暫く経つと再び試衛場にやって来て、食客ひとりひとりと剣を交えていた。幕臣子弟の武術指導のための講武所に、伊庭八郎と同様に、先生は自分の稽古の為に出向いていた。江戸の各道場主に稽古に通う許可が下りていた為であるが、近藤先生には講武所の剣術指南役になる夢があった。それは、元は士分ではない農家の出自の先生にとって「真の武士」になる事と同じ意味であり、悲願だった。
皆がそれぞれの当番の稽古に就いた。昼に総司の寝ている離れに様子を見に行くと、熱は高いままだった。水に濡らした手拭で額を冷やしてやった。総司は何も食べたくないという。水を沢山吸い飲みで飲ませた。稽古が終わった頃に、つねさんが粥を持ってやって来た。それを受け取って、総司の部屋に持って行った。
総司はずっと眠っていた。ちょうど近藤先生が外から戻って、総司の世話を交代した。翌日、自分は非番だったが、総司の世話をしに来ると申し出ると、先生は、「それは助かる」と云って喜んだ。翌朝、自分は泊まりの準備をして早朝から試衛場に向かった。総司の熱は大分下がっていた。食欲も徐々に戻っていて、茶碗の粥を半分食べた。
容態が安定している様子なので、合間に道場で稽古もつけることが出来た。今日は平助が当番だった。昼餉に、総司は粥を少し食べてまた眠り続けた。夕方、近藤先生がつねと一緒に夕餉を自宅から運んできた。冷や奴に目刺しと香の物。豆腐を茶碗に崩したものに、醤油を入れて冷たい粥と混ぜた。それを盆に載せて離れに向かった。
「総司、夕餉だ」
「豆腐粥だ」
「醤油しか入れておらん」
匙で掬って、横になったままの総司に食べさせた。
「冷たくて美味しい」
総司は嬉しそうに微笑んでいる。口の中が熱くて痛い。そう言う総司の口の中を見ると、内側は真っ赤にただれていた。
「荒れておる。水ぶくれが頬の内側にみえる。痛むだろう」
総司の口を覗き込んだ。総司は、姉上が江戸に居ない間に疱瘡に罹ったのが運の尽きだと笑っている。
「俺も、疱瘡を患った時は口の中が荒れた。母上が善仁寺の極楽水で冷やした奴を冷たい粥に混ぜたものを食べさせてくれた」
「以来、ずっと豆腐が好物だ」
「噛まずに済むのがいいよね」
総司はそう言って少しずつ豆腐粥を食べた。食事を終えた総司の傍に居ると、家に帰らなくていいのかと総司に訊かれた。今夜は道場に泊まるというと、「へえー」と総司は返事した。身体を拭いてやろうと思って、ぬるま湯を桶にはったものを部屋に運んだが、総司は寝間着を脱ぐのを嫌がった。
「嫌だよ」
「清潔がいいのであろう」
「誰が」
「あんただ。前に清潔好きだと言っておった」
総司は仕方なさそうに布団の上で胡坐をかいた。寝間着を脱いだ総司の身体を見て驚いた。水泡が全身に拡がっていた。中には空豆ぐらいの大きさのものもあった。潰れていて痛々しい。言葉を失っている自分を見て、総司は溜息をついた。
「だから嫌だって言ったのに」
「痛むだろう。なぜ早く言わぬ」
医者が置いて行った膏薬の傍にあった晒しを水に浸して、水泡を潰さないようにただれた肌に沁みだしている膿みを拭きとった。相当に痛むはずだ。なのに、総司は息をひそめて我慢しているようだった。汗をかくと沁みて痛む。手拭で脇などをそっと拭ってから丁寧に膏薬を塗った。
「顔と手足には、不思議と疱瘡がでていない。僕、うまくできてるでしょ?」
総司はそう自慢気に言って新しい寝間着を羽織ると、気持ちよさそうに布団に横になった。
「あばた面で、奉納仕合には出られないからね」
総司は微笑んだ。総司は九月に府中の六宮所で奉納仕合をすることが決まっていた。大國神社。六月に多摩に出稽古に出た時に立ち寄った立派な神社だ。昨年の秋に、近藤先生の四代目襲名披露の野試合も行った。今回も紅白に分かれて近隣の門人たちが仕合を行う事になっている。自分も手伝いに借りだされることになるだろう。
奉納仕合は秋の彼岸頃に開かれる。その頃までに、総司の疱瘡は治っているだろうか。ここまで全身に拡がっている水泡がそう簡単に引くとは思えぬ。総司は熱が引いたら、稽古にも出ると言っているがゆっくり養生をした方がいいと思った。総司は、翌朝には完全に熱が下がったが、水泡が落ち着くまで離れで養生することになった。
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なーおんのずいぎょー
それから三日経った頃、試衛場に出向いて朝稽古をつけた。昼餉をとった後に、総司の居る離れに行くと、総司は布団の上に仰向けになっていた。
「具合はどうだ?」
そう訊ねると、水泡は潰れて、ところどころ「かさ」を掻いてきたと胸元を開いてみせた。身体を拭いてやろうとぬるま湯を桶にいれて運ぶと、総司は素直に起き上がって着物を脱ぎ始めた。
「よお、総司。はじめくんも」
開け放った廊下の縁側に平助が立っていた。平助は、濡れ縁に腰かけて草鞋を脱ぐと、手拭で足を拭って廊下に上がった。平助は朝早くから伝馬の道場に稽古にでて今戻って来たばかりだという。平助は部屋には入らずに、廊下で足を伸ばして座ったまま、手当てを受けている総司をずっと見ていた。
「総司、痛そうだな。可哀そうに」
「オレ、これ貰ってきた」
「本郷の身代わり地蔵さんの御札。はい」
平助は懐から、御札の包みを取り出して総司の部屋の入口に手を伸ばして置いた。平助は、総司の部屋への出入りを近藤先生から禁じられているらしく、こうして時間が出来ると、廊下に顔を出すらしい。自分は総司の身体を拭きながら、潰れた水泡の膿みを晒しで拭きとって、軟膏をつけていた。全身に拡がった発疹全てに薬をつけるのには骨が折れた。
「総司、やっぱさ。総司の云う通り。晴れた日は昼四つだな」
「今日も見て来た」
総司は平助が廊下から話しかける方に首を向けて、「へえ、そうなの」と返事をしている。平助は、ごろんと廊下に横になって、身体をこっちに向けたまま、「もう、ばっちり」、「最初から最後まで全部な」とにんまり笑っていた。自分には平助の報告している事が何かさっぱり分からない。総司は、「全部って、全部?」と尋ねている。
「ああ、いや、前は手拭で隠してたな。一瞬、中が見えたけどさ」
「へえー、見たんだ」
「ああ、やっとな」
満足そうに笑う平助は、「明日も晴れたら、四つに見に行く」と自分で言って自分で頷いている。総司は、「はじめくん、誘ってあげたら?」と自分と平助に顔を向けてそう云うと、再び寝間着に袖を通して腰ひもを結んでごろんと横になった。
「はじめくん、明日もこっちで稽古だっけ。朝にこっちに来てるなら」
「なんの話だ。どこかに出掛けるのか」
「うん、道場からちょっと行った先に浄気寺ってあるだろ?あそこの境内からよく見えんだ」
「四つに行かなきゃ」
そう付け足すように総司が言って、顎を上げて平助に向かって合図を送っている。何かの見物か。そう思った。
「運がよければ。全部見られるんじゃない。はじめくんも」
「運が良ければな」
「でも、あれってさ。なんであんな風に、うまく隠してしまうんだろうな」
「平助や僕が見てるって、知ってたりして」
総司が揶揄するように云うと、平助は、「俺も、そんな気がしてきた」と興奮しだした。二人が盛り上がるのはいいが、総司の枕許においてあるお盆の上の手拭をはぐると、昼餉が全くの手つかずのまま置いてあった。
「総司、これは昼餉か」
「なにゆえ、食べずに置いてある」
「腹が空いておるだろう」
総司は、食べたくない。こう暑いと食べる気にもならない。そう言って黙ってしまった。平助は、「総司、我がまま言わずに食べろよ。早く病を治しちまえよ。待ってるぜ」
「なに、あれを見に行くって」
「そーだよ。あれを見たら、途端に元気になるって」
「あれは薬だ。いい薬」
総司は機嫌よく笑って頷いている。ふと、自分の顔を見上げた総司は、まじまじと自分の顔を眺めて云った。
「ねえ、はじめくん。僕らが何の話をしてるかわかってる?わかってないよね」
「えー、総司、まだはじめくんに教えてねえの?」
はじめくんは知ってるかも。でも知らないか。総司は面白そうな様子で自分の顔を覗いてくる。失敬な奴だ。はっきりと言わぬ事を勿体つけおって。自分は総司とは目を合せないように、お盆の膳を下げて、片付けようとした。
「なーおんのずいぎょー。だよ」
「そ、【なーおんのずいぎょー】」
そう続けて、ケラケラと平助は笑っている。なんだ平助まで。自分はだんだん不愉快な気分になって来た。
「牛込小町っていわれている娘がいてさ。根来百人町の屋敷に住んでるんだけど」
「その娘が、かならず昼四つに裏庭で行水するのさ」
「境内の裏の生垣の間から、丸見えでね」
「オレなんか、日参しちゃって」
女の行水をのぞき見しておるのか。自分は呆れた。平助と総司は、夏前に浄気寺に用向きがあって出掛けた時に、偶然生垣の向こうで行水する娘を目撃したのだという。
「もう、腰巻までとっちまって、正真正銘の素っ裸でさ」
「透けるように色が白くて、柔らかそうでな」
「こーんな、こんなで」
「僕が見たときは、立ち上がって、足を盥の縁に上げて手拭で拭ってたんだけど」
「そうそう尻から、股から、太もも、ぜーんぶな」
平助は宙に曲線を描いては、また綺麗なんだよ、それが。顔も別嬪で可愛くて。
「まだ、僕も平助も、ご開帳は拝めてないけどね」
「おー、観音様のご開帳な」
平助はもう四つん這いになって、総司の部屋の中に身を乗り出して興奮している。何がご開帳だ。下世話な奴だ。自分は話を聞かないように、水の入った桶を抱えて立ち上がった。
「はじめくん、明日、行ってきなよ」
「おー、行こう行こう」
「俺は、覗き見などせん」
自分がそう云うと、平助と総司は目を合わせた。一瞬間があった後に、二人が笑い出した。
「またまたー、はじめくん、絶対、見たら気に入るってー」
「あれを朝に見るだろ、元気がでちまって。でちまって困るぐらいになるって」
「いいじゃない。お寺に行って、観音様拝んで来るんだから」
「ま、一度見てみろって話」
「あれ、何。怒ってる?はじめくん」
「怒ってなどおらん」
「ぼくの代わりに行ってきてよ。むっつり助平のはじめくん」
「なっ、なにがむっつりだ」
「俺は稽古がある。おなごの裸をわざわざ見に行く暇はない」
「なーに、強がり言っちゃって」
「ほんとは見たいくせに」
「見たいくせにー」
「平助、あんたまで、しつこいぞ」
「いいから、騙されたと思って、行ってみろって、はじめくん」
「陽の光の中で見る、女の肌はほんと綺麗だからさ。ぜーんぶ見えちゃうんだぜ」
「手を伸ばせば届くぐらいの距離で」
最後の一言は、自分が廊下に出たときにそっと平助に耳打ちされた。そんなに近くで見ておるのか。自分は驚いた。平助は自分が言葉を返せないでいる様子が面白いのかにやにやと笑っている。自分は振り切るように廊下を台所に向かって歩いて行った。その後、道場で稽古を始めたら、途中から平助も加わった。総司は、夕餉は機嫌よくペロリと出されたものを食べて、早い時間から
眠りについた。自分は、翌日は午後から稽古の予定だったが、念のために朝から試衛場へ出向いた。総司は、離れの部屋で布団の上で起き上がっていた。もう、水泡は引いて来ている。かさが取れるのも近い。そう言って笑う総司を見て、自分は安堵した。
「あんたには早く良くなってもらわねば困る」
「合せたい場所がある。撃ち方を変えてみた」
「うまく打てることが出来れば、一撃で相手を倒せる」
「へえ、なに。それ。秘剣の技?」
「いや、医者の話で知った。人が撃たれると致命傷を負う場所だ」
「そこを狙う」
「どこ、心の臓?」
「ああ、他にもある。心の臓も、場所によっては、相手が長く生きるし、即死させるのも可能だ」
「なになに、教えてよ」
「道場で待っておる。早くよくなれ。あんたと試したい型がある」
「ずるいよ、はじめくん。どこで教わったの。練武館?」
総司がずっと訊きたがったが、道場に稽古に向かった。平助が「ちょっとちょっと」と言って、防具を取り外して、少し用向きがあるからと裏通りに連れ出された。平助について行くと、百人町の浄気寺まで連れていかれ、境内の裏から女の行水を覗き見た。陽の光の中で、水浴びをするおなごは確かに綺麗だった。ただ盗み見ている状態は後ろめたく、自分や平助のような見知らぬ男の眼に肌が晒されていることを、勿論おんなは気づいていないだろう。それが気の毒で仕方なかった。
「あの太ももがいいよな。尻も。触るとすべすべだぜ」
帰りの道すがら、ずっと平助は興奮していた。道場に戻って稽古を始めて、昼過ぎに総司の部屋に行ったが、既に平助から朝に百人町まで行ったことを総司は聞いていたらしく。
「で、どうだったの?ご開帳は」
からかうように総司が訊いてくる。自分は、「綺麗だった」と答えると。総司は、覗き込むように自分の顔を眺めて。はじめくんは、ほんとにむっつり助平だね。そう言って、くっくっくと肩を震わせていた。そんなに可笑しいことか。「ほんとは興奮しちゃって、見たもの全部しっかり覚えてるでしょ」と揶揄するように云うと、総司は布団の上で思い切り伸びをした。自分は否定出来なかった。
「ねえ、はじめくん。人を斬ったことある?」
「真剣で」
「真剣で斬りつけることか」
「うん、切り殺したことがあるかってこと」
自分はずっと首を振り続けた。斬ったことはない。そう答えると。総司は、「そう、僕も」と言って、じっと天井を眺めた。なにゆえ、総司がそんな事を訊ねて来たのかはわからぬ。だが、総司は暫く何も言わずにずっと天井を見詰めていた。真剣な表情。昨日、自分が話した新しい型を練習したいと云ったことを気にしているのか。そう思った。総司と手合わせはもう、ひと月近くしていない。試衛場に来て、総司と稽古をしないのは正直毎日が物足りなかった。
「昨日、あんたに言った新しい撃つ手の稽古をしたい。早く良くなってもらわねば、俺は困る」
「僕も困るよ。ほんと。奉納仕合も近いのにさ」
「わかったよ。ちゃんとご飯も食べて、養生する。だから待っててよ」
「ああ」
「では、今日は帰る。明日、また来る」
「うん、気をつけて帰って」
「夜にしっかり抜いちゃって」
自分は廊下で振り返った。総司は、「【なーおんのずいぎょー】で」と言って、目を見張りながら頬が赤らんだ自分の顔を見て、噴き出すように笑い出した。総司の揶揄の声を聞きながら、離れから道場に立ち寄って、門人に挨拶をして帰った。平助が、「じゃあ、はじめくん、明日も昼四つに。【なーおんのずいぎょー】で」と満面の笑みで手を振っていた。平助もあからさまな奴だ。
それから、一週間ほどで総司は床上げをして道場稽古を復活した。稽古の後に、井戸端で汗を流した時、総司の疱瘡の痕が、殆ど綺麗に消えている事に驚いた。あれほど酷かった水泡はあばたにもなっていない。僕の身体、うまくできてる。総司はそう自慢していた。ひと月近く、患った者とは思えぬ強さと俊敏な様子で、再び試衛場の稽古は活気が戻った。総司の全快を一番に喜んだのは、近藤先生だった。先生は食客を集めて、九月の奉納仕合の役割を発表した。
本陣
総大将 近藤勇
軍師 沖田総司 土方歳三
軍奉行 永倉新八 山口一
軍目付 藤堂平助 原田左之助
太鼓 井上源三郎
これに多摩の近隣の道場が紅白に陣を分けて仕合う。勝ち抜き戦と一騎打ちで闘う。まさに実戦のような内容だった。自分は興奮した。軍奉行は皆の前にたって最前線で刀を振るうことになる。稽古を積む必要がある。そう思った。
——相手を真剣で斬るつもりでかかるよ。
総司は、そう言って。八月とその翌月の閏八月もずっと、二人で新しい撃ち方を練習し続けた。
つづく
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