天守

天守

戊辰一八六八  その10

明治四年四月十四日

 新選組の会津若松での宿陣先は、城下名子屋町。斎藤と幹部は長命寺の本堂を借り受ける事になった。残りの隊士は二隊に分かれて隣接する極楽寺に分宿した。

 先に会津入りしていた隊士たち二十数名も合流し、新選組は総勢百五十名の隊となった。斎藤は到着した翌日に、元京都守護職の公用人であった倉沢右兵衛と城内二の丸で面会した。倉沢とは、新選組が西本願寺に屯所を構えていた頃から面識があった。倉沢は、会津藩が京都守護職を置いていた黒谷に常駐していた。非常に温厚な人物で家老にも匹敵する役職につきながらも、斎藤が土方の御付きとして黒谷に出向いた際、土方が勘定方と面会をしている間、中庭の紅葉が見事だからと、座敷を離れて寺の境内を案内してくれたことがあった。

 倉沢は、江戸から百名以上の隊士を連れて援軍に加わろうする新選組に感謝の意を伝えると、城中では合議が連日のように開かれて落ち着かない状態であると説明した。

「三代に送った文書に書いだ通り。大殿は家督を喜徳公にお譲りになられ、城外に謹慎中の身であられる」
「喜徳公は仙台藩、米沢藩への歎願に連日奔走しておられる。奥州では大ぎな藩だども、こごで違えだどあれば。我らは完全に孤立。それでも徹底抗戦の意は変わらぬ」
「今朝も庄内がら早馬が来で。羽州で一揆が起ぎだども、新政府軍が鎮圧に来るど兵を向げだど報せが」

 奥羽に薩長軍が攻めて来る。いよいよ、この地でも戦が始まろうとしている。斎藤は心中でそう思った。斎藤は、倉沢に流山からの逃走について報告し、既に江戸近隣藩は新政府に恭順、棚倉藩のみ薩長の影が見えなかったと報告した。倉沢は真剣な表情で静かに頷いた。

 そこへ別室に繋がる襖の陰から、何者かが現れ倉沢に伝言した。倉沢は静かに「相分かった」と答えると、斎藤に向かって、「ご案内したい儀がある」と云って立ち上がった。斎藤は、一礼してから立ちあがり倉沢の後に続いた。倉沢は足早に隣接する部屋から部屋に移っていく。暫くすると、狭い薄暗い廊下に出た。斎藤の後ろには、かしこまるように倉沢に伝言を伝えた御付きの者が、足音を立てずについて来ていた。長い廊下から廊下へ進むうちに、何名かの見張り付き役人の前を通り過ぎた。倉沢が通ると、皆が一歩引き下がって頭を低く垂れる。建屋の様子から、城中の中心部へ向かっていくように感じた斎藤は、内心緊張し始めていた。

「こちらへ」と言われて、大きな階段の前へ案内され、倉沢の後に続いて登っていった。見張櫓かと斎藤は思った。それにしても大きい。そう思いながらどんどんと上がって行った。倉沢は、暗い小さな部屋の一角に斎藤を案内した。畳敷きの奥には沢山の葛籠が積まれてあった。そこで、倉沢は正座をして斎藤にも腰かけるように声を掛けた。不自然な程、距離が近い。膝と膝がぶつかりそうな間合いで、斎藤は背筋を伸ばした。

「大殿様が天守に在らせられる」
「四半刻ほど城下を監視確認されるのが日課であらせられる」
「其方を思し召しだ」

 囁くような声で斎藤に伝えた倉沢は、斎藤の眼を見て頷いた。斎藤は驚いた。大殿様。容保公が自分を。そんな事ならば、どんな事をしてでも正装をしなければ。そう思った時、倉沢は、「今すぐ、階上へご案内する」と立ち上がった。斎藤は、自分の刀を持ったまま、胸のあたりを手で押さえて自分の身なりを確認した。倉沢は察したように微笑んだ。
「斯様なお目通りは、異例中の異例でござる」
「身なりのごとはお気になさらんでよい」
 そう云って、正面に立った斎藤に向かって大きく頷いた。部屋を出てから大きな周り廊下を通って行く。その間倉沢は、「今は戦のとき」「大殿様もずっと陣羽織を身に付けておられる」「洋装の軍服は正装と思し召しであらせられる」「我が藩は甲州流ではなく西洋式の軍備のすつらえだ」と背後の斎藤に誇らしげに語っている。斎藤は、ずっと頷きながらついていった。何度目かの急な梯子階段を上がり、階上に辿り着いた。

「大殿、江戸より参られた新選組局長山口二郎殿をお連れ致しました」

 倉沢が頭を下げて挨拶をするその向こう。欄干の前にその御仁が立っていた。振り返った姿は逆光で、その輪郭しか目に入らない。斎藤は頭を下げてその場に膝まづいた。

「会津藩御預新選組局長、山口二郎に御座います」

 挨拶をした先から「よう参った」と声が聞こえた。「近こう」と声を掛けられた。斎藤は、「はあっ」と大きな声で返事をして、倉沢に促されるように前に出た。気持ちの良い風が外から吹き付けてきた。

「山口、今朝は西の山に掛かった霞みが綺麗に晴れ渡った」

 斎藤は「はっ」と畏まって返事をした。ずっと暫く、大殿は何も言わずに欄干から向こうに見える景色を眺めていた。倉沢も斎藤も黙ったままその後ろ姿を眺めていた。

「江戸城が新政府軍に明け渡された。だが、我が藩は最後まで徹底抗戦する」

 目の前に大殿の袴の膝が自分の方を向いたのを見詰めたまま、斎藤はずっと膝まづいていた。

「余はこの会津では決して後には引かん。我が兵と共に薩長と戦い抜く」

「我ら新選組も力を尽くす所存に御座います」

 斎藤ははっきりと答えた。容保公は満足そうな様子で頷いたように見えた。その表情は威厳に満ちていて、鮮やかな紅色の陣羽織を身に付けられているのが判った。

 軍議が決まり次第、我が兵と共に行動を共にして貰う。

 大殿の声はよく通る。斎藤は、「はあっ」と答えて、退出してよいと云われるまま、階下に降りて行った。これが容保公との初めてのお目通りだった。朝の光が身に当たっても、苦しい事を忘れていた。大殿の戦いへの決心を直に耳にして、斎藤は敵に立ち向かう気持ちが一段と強まった気がした。天守で。このような場所で、直に容保公から声を掛けられた。大坂からの敗走以来、闘う事の大儀。心中に疑念がなかったわけではない。己でも目を背けていた暗い思考。そういったものが全て晴れて行く気がした。不思議なもので、全身を突き刺すような陽の光の中でも、しっかりと立っていられる。籠が用意された場所で振り返って天守を見上げた。大きな城だ。天守から見た会津の地。

 どんな事をしてでも守り抜こう。斎藤はそう決心した。

 宿陣先の長命寺本堂に隊士たちを集めた。新政府軍との抗戦となった場合を想定して、役回りの確認を行った。武器、兵糧の準備、調練、やることが山の様にある。既に隊士たちは城下の地の利、食料調達先を調べ上げていて報告も兼ねて合議が開かれた。千鶴は医療掛と兵糧準備掛に割り当てられた。夜更けに斎藤の部屋に遅い夕餉を持って来た時、千鶴は、準備がどこまで進んでいるか、細かな報告をした。

「蕎麦の実が三俵ございます。そのまま炊いてもいいのですが、焚火ですと時間がかかります。やはりここにいる間に粉に挽いてしまおうと思っています。お寺の大通りから三丁先に藩の共有粉引処があって。今日、使用許可証を頂いたので、明日行って参ります」
「粉を伸ばして焼いたものを干して。そのままでも食せますし、お湯に浸せば【蕎麦掻き】になります」
「味噌も混ぜようと思って。軽くてよい兵糧になります」
「ほんとうは、水で練ってまとめたものを油で揚げた方が美味しいのですが」
 千鶴は給仕をしながら笑っている。
「斎藤さん、お好きでしたよね、蕎麦掻きの揚げたもの」
「江戸で、二杯もお代わりされてました。御酒が進むって」

 そう言って、口元に手を当ててクスクスと笑っている。
「明日、少し粉を取っておきますね」
「今の内なら、こちらでお夜食に出す事も可能です」と嬉しそうに話している。斎藤もつられて微笑んで、「無理はせずともよい」と答えた。
「こちらは、とても美しい土地ですね。御城下の様子も立派で」
「朝晩冷え込むのが、江戸や京とは違います」
「陣羽織の裏打ちを取ろうと思っていましたが、もう少し先に延ばします」

 これは、斎藤の行李に仕舞ってある陣羽織の事だった。甲行した時に洋装の上に羽織る為に用意されたもの。甲府では新八や近藤が身に付けていた。ふと、斎藤は二人の姿を思い出す。新八や左之はもう北上を始めているのだろうか。近藤さんと土方さんは、無事に流山を出て此方に向かわれているのだろうか。江戸が新政府軍に占領されていると聞いた。平助や山南さんの消息も全く分からぬ。

 斎藤が皆を思っていたこの頃、既に近藤は流山で身柄を捕らえられて、越谷に連行されていた。

 斎藤たちが流山を脱出した直後、近藤は小姓役の野村利三郎を従え、流山に領地を持つ旗本と名乗って自ら投降した。その隙に、土方は相馬や中島を連れて駐屯所の裏口から逃走した。決死の逃亡の末、土方は江戸市中へその日の内に戻ることが出来た。鍛冶橋の酒井屋敷を借り受けていた土方は、そこに潜伏しながら連日幕府役人に面会を求め、捕らえられた近藤の助命歎願の為に奔走した。土方は、近藤の釈放が叶ったら、抗戦派の旧幕府軍と一緒に仙台に向かう意を老中に掛け合い続けた。

 江戸に着いて三日目に、勝阿波守が直接土方を自分の部屋に呼びつけてこう言った。

「これから江戸が火の海になる。ここに留まって、それを阻止する必要があらあね」

 そう言い含められた土方は、この歯切れのいい話し方をする幕府重臣と、互いに解りあえていると思っていた。しかし、その三日後、自分の代わりに嘆願書の手紙を持ち込んだ相馬主計が役人に門前払いの末、新政府軍役人に引き渡された挙句、投獄されたと聞いて耳を疑った。勝に直談判しようと、再び登城したが、留守を理由に追い返された。その場で「江戸城引き渡し決定の儀」を役人から知らされた。そして、市中混乱を避けるために即刻江戸の外へ出るようにとお達しがあった。

 ——鴻之台へ向かう。

 部下四名を集めて、土方が宣言した。江戸を離れた市川鴻之台には幕府伝習隊が屯集していた。今戸を拠点にしていた靖共隊も近くの寺に移動しているという。どの隊も日和見な幕府を見限って脱走してきた兵で成り立っている。そう聞いた土方は、そこに合流して北上すると決心した。一度心が決まると土方の動きは早かった。

 鴻之台大林寺で、合流した伝習隊、会津藩秋月登之介らと合議の末、土方は旧幕軍の参謀となった。直ちに先蜂軍として宇都宮への出陣が決定し、翌四月十二日に出立。北上を開始した。

 新選組先陣隊の斎藤たちが勢至堂の峠を越えようとしていた頃、土方たち伝習隊は下妻、蓼沼へ行軍し、そこに陣を構えた。江戸を出てから八日目。土方は新政府軍が占拠を始めていた宇都宮城を攻撃した。四月十九日。宇都宮の戦いの勃発である。




*****

赤津行軍

明治四年四月二十日

 斎藤は、倉沢に呼び出され、城中二の丸で藩主若狭守松平喜徳公に謁見した。喜徳公は元服後まだ間もなく、少年の風貌を宿していた。その場に集められた徴募隊の隊長達に喜徳公は、直に声を掛けられた。

 庄内藩の領地で起こった一揆は、各地でも起こっておる。

 守の殿はよく通る声で、奥羽が危機にあることを、それが大きな懸念だと語った。その誠実な様子は、斎藤の心を打つものがあった。

「余は、其方ら新選組に我が【会義隊】と共に赤津行軍を命ずる」

 斎藤は「はっ」と返事をした。【会義隊】は最近結成された徴募隊で、行軍の訓練が必要と云う事だった。隊長の野田進は、幕府伝習隊のフランス軍式を学んだ優秀な軍師だと紹介を受けた。赤津行軍で、会藩の地の利を見据え、白河街道の守備の偵察も兼ねて貰いたい。斎藤は、その場にいた倉沢に念を押された。行軍は五日間の予定だった。斎藤は、いつでも出発できる準備が出来ていると応えた。

 翌日、斎藤は新選組百三十名の隊を率いて、猪苗代湖南に向けて出発した。行軍には千鶴も参加した。千鶴を城下に待機させようと斎藤は決めていたが、千鶴は隊から決して離れないと言い張った。行軍中に怪我や病人が出た場合、千鶴が居てくれた方が助かる。兵糧食の準備についても、千鶴以外の隊士では手が回らないことが予想された。斎藤は陣屋で待機することを条件に千鶴の行軍を許可した。

 赤津までの道程は、猪苗代湖畔をずっと南へ下る。空は晴れ渡り日差しが強い。斎藤には厳しい行軍だった。だが、江戸に居た頃より発作の起きる回数は減っているのは確かだった。それは、斎藤が己を奮い立たせている事もあったが、北の土地柄もあったのかも知れない。美しい湖畔や山々、清涼な水や食べ物。その全てが斎藤の身体の羅刹の毒を少しでも和らげているのなら。出来るだけ新鮮な水や食べ物を摂って貰おう。千鶴は、そう思っていた。赤津宿に辿り着くと、新選組は会義隊と合同調練を行った。山の斜面を使って、砲術や斬り込みの訓練をする。

 翌四月二十一日早朝、伝令で旧幕府軍が宇都宮城を落としたと連絡があった。その翌日、幕府伝習隊より会津藩へ援軍要請があったと早馬が報せに来た。赤津行軍は全員で、百九十名の兵数。会津藩は、更に百名を行軍させる準備をしているという事だった。赤津での待機中、幕府伝習隊先蜂軍参謀として土方歳三と記名された要請伝令が伝わって来た。斎藤は、土方が宇都宮の戦いに参加している事を知って、その無事を願った。直ぐに、新選組隊士たちにも周知され、陣屋に待機していた千鶴は、直ぐに出発が出来るように準備を整えた。

 斎藤が援軍として宇都宮に向かおうと気が逸っていた頃、新たに増軍した新政府軍に宇都宮城下を占領された土方達は大苦戦していた。会津藩は、日光口が攻められる今、白河関門を絶対の砦として、何者をも入れてはならないと合議決定していた。同時に、仙台藩、米沢藩との折衝は回答を得られぬまま。北の雄藩が新政府に恭順して会津を攻めてくる可能性が強く、援軍出兵させると城の守備がままならぬ。会津は状況を見極める為、動けずにいた。

 こうして会津藩が援軍を出すのをこまねいている内に、幕府伝習隊の形勢は傾き、旧幕府軍は宇都宮から撤退することになった。四月二十三日。土方は、激しい攻防戦の中、右足に鉄砲の弾を受けて負傷。命は取留めたが、戦線から離脱して日光口経由で北へ敗走することになった。

 斎藤は、宇都宮が新政府軍に落ちたと報告を受けた。そのまま、予定通り四月二十五日に新選組は会義隊と共に会津若松へ帰還した。いよいよ、奥羽に薩長軍が攻めて来る。緊迫した空気の中、斎藤達は宿陣先に戻って戦に備えた。

 土方が会津若松入りしたと急遽報せが入ったのは、それから三日後のことだった。




*****

会津七日町清水屋旅館

明治四年四月二十九日

 斎藤は千鶴を連れて、城下を下り七日町へ向かった。通りにある清水屋旅館に土方が宿陣している。流山で別れてから、ほぼひと月。土方は無事に会津に到着した。斎藤も千鶴も土方に会えるのが嬉しくて仕方がなかった。宿の女将に奥の間に通された二人は、部屋の真ん中に敷かれた布団の上で、背もたれに凭れて座る土方の姿を見た。右手に包帯をして、羽織を肩にかけている。

「よお、よく来た」

 微笑む表情は、どこか遠くを見ているような。千鶴は、直ぐに傍に駆け寄るように座って、「ご無事でなによりです」と涙ぐんだ。
「泣くな、泣くな」

 土方は、怪我をしていない方の手を伸ばして、千鶴の頭をぐしゃぐしゃと撫でている。そう言う土方も眉毛が八の字になっていた。

「宇都宮で負けた上に、この様だ。情けねえ」

 土方は、傍に座った斎藤に見せるように布団をはぐって右足を見せた。鉄砲の弾を受けて、革靴ごと足の裏まで貫通したと苦笑いしている。千鶴は、包帯にぐるぐる巻きにされた足を見て目を見開いていた。

「医者の見立てだと、普通に歩いたり走れるようになるには、数か月かかるらしい」
「やってられねえ」

 土方は大きく溜息をついた。斎藤は、悔しそうな土方の顔を見て心中を察した。そして、新選組は全員市中に待機をして戦への準備は整っていると報告した。土方は、大きく頷いた。

「よく、隊士全員を無事に連れて来た。苦労をかけたな、斎藤。近藤さんに代わって礼を云う」

 そう言って土方はじっと斎藤の眼を見詰めた。「はい」と返事をする斎藤に、土方はゆっくりと流山からの経緯を話した。自分を逃がす為に、近藤が捨て身で投降したこと。野村利三郎と一緒に越谷に連行された近藤が、新政府への恭順を拒み続けた事。自分は江戸に逃げて、幕府に近藤さんの助命歎願をしたが、一切聞き入れてもらえないまま、相馬までが新政府の役人に捕まり、投獄されたこと。

「近藤さんは、板橋で打ち首になったそうだ」
「今朝、相馬がここに辿り着いて、報告を受けた」

 あの人は、武士らしく切腹を願い出たそうだ。だが、百姓出の分際でと取り合って貰えねえまま……。そう言ったきり、土方は拳を握りしめて肩を震わせて黙ってしまった。千鶴が傍でむせび泣いている。斎藤は、衝撃で何も言葉が出て来なかった。局長が、近藤さんが。身を切り裂かれる感覚とはこのことだと思う。目の前の土方さんも、そうだろう。千鶴のしゃくりあげる声の合間に、どこかから同じような声が聞こえていた。

「おい、お前らも入って来い」

 土方が隣の部屋に繋がる襖に向かって声を掛けると、ゆっくりと静かに襖が開いた。その向こうに、相馬主計と野村利三郎が座っていた。二人とも涙を流し、ぐっと堪えながら、斎藤と千鶴に向かって、深く頭を下げた。

「俺等、二人が付いていながら、近藤さんをお守りすることが出来ませんでした。すみません」
「すみませんでした」

 二人とも堪え切れないという風に、声を上げて泣いている。土方も悔し涙が止められない様子だった。

 

「新政府軍が向かってくるのを、止める」
「これ以上、薩長の奴らの自由にはさせねえ」

 土方は、床の間の上にある盆を相馬に持ってこさせた。

 ——近藤さんの、形見だ。

 千鶴と斎藤の前に置かれた盆の上には、髷がひと房。紙に包まれて糸で結んであった。土方は、「弔い合戦だ。近藤さんに恥ずかしくねえ戦いをしてみせる」と決心を語った。斎藤は深く頷いた。千鶴は、斎藤と一緒に、近藤の形見に手を併せた。どうか、近藤さん。近藤さんの御意志は、必ず俺等が引継ぎます。

 斎藤と千鶴は夜更けまで、清水屋旅館に居た。千鶴が、相馬たちと隣の部屋で土方の荷物の整理をしている間、斎藤は、土方の身の廻りの世話をするために、千鶴を旅館に移しますと云うと、土方は野村と相馬を小姓につけているから必要はないと断った。相馬は、翌日に城中に出向いて家老に面会する予定だという。土方と先陣していた中島登らは、幕府伝習隊と一緒に二本松経由で会津に向かっているという事だった。

「土方さん、流山で投降した羅刹隊は。平助と山南さんのその後は」

 斎藤が土方に訊ねると、土方は首を振った。

「あいつらは、薩軍に通じていやがった。大方、変若水開発で取引でもしているんだろう」
「平助も一緒に姿をくらましたまま。江戸で連絡を取ったが、隠れ家のどこにも居なかった」

「酒井屋敷の他にも潜伏場所があったのですか」
 斎藤が尋ねると、土方は頷いた。

「上野五軒町。井吹龍之介を覚えているか」

 斎藤は頷いた。土方も江戸での龍之介の居場所を知っていた。龍之介は、新政府軍の役人からも錦絵の注文を受けていて、江戸に新選組が帰還してからの重要な情報源となっていることを斎藤は初めて知った。龍之介の長屋に平助は羅刹隊と山南の動きを報せ、その情報を龍之介が仲介して土方に伝えていた。だが、流山以降、平助からの一切の連絡がないままだという。

 斎藤は平助の安否が心配になった。




つづく

→次話 戊辰一八六八 その11

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