寺田屋

寺田屋

濁りなき心に 一

元治元年四月

 監察方を伏見に潜伏させて数ヶ月、寺田屋に雪村綱道らしき剃髪の男が出入りしている情報が土方の元に届いた。

 やはり綱道さんは生きている。その目算が強まった。だが薩摩藩が絡んでるとなると、見廻りをすれば十中八九また姿をくらまされてしまう。

 土方は暫く考えた後、文を一筆書くと斎藤を部屋に呼んだ。

「副長、斎藤です」

 障子の向こうから、斎藤の声がした。

「おう、斎藤か。入れ」

「御用でしょうか?」

「ああ、お前今日は非番だったな。折角の休みに悪いんだが、ちょいと使いを頼みたくてな」

「はい」

「これから伏見に行ってきて貰いたい。これを大黒寺の山崎に渡して欲しい」

「承知しました」

 斎藤は畳に置かれた文を前に出て手に取ると、そのまま懐にしまった。

「直ぐに行って来てくれ。それから、千鶴も一緒に連れて行って欲しい」

「雪村をですか?」

「ああ、寺田屋に綱道さんらしい男の出入りがあったらしくてな。見張りに千鶴を行かせるのが一番手取り早い。寺田屋前に団子屋があるだろ。あそこで客の振りして寺田屋の出入りを見張らせる」

「寺田屋といえば、最近は薩摩藩や土佐藩の浪士が出入りしていると」

「ああ、お前は面が割れてるから、座り込む訳には行かねえが。千鶴なら怪しまれずに張れるだろ」

 斎藤は一瞬逡巡した様子だったが、顔を上げると

「では雪村を呼んで参りましょう」と立ち上がりかけた。

「いや、それには及ばねえ。お前から誘って伏見へ連れ出してやればいい。綱道さんの事は道すがら段取りすりゃあいいだろ。俺はこれから急ぎの用で黒谷に行かなきゃならねえ。ほら、これ持って行け。千鶴に団子以外にも何か欲しいものを買ってやればいい」

 そう言って、土方は紙に包んだ金子を斎藤に渡した。

「御意」

 斎藤は応えると一礼をして部屋を出て行った。

*****

「これから、伏見へですか?」

 出掛けることを伝えると、千鶴は驚いた様子で洗濯物を干す手を止めた。

「ああ、俺は用があって行くんだが。あんたも、その……」

 口籠る斎藤を千鶴が不思議そうに見つめていると

「千鶴ちゃん、はじめくんが千鶴ちゃんと逢い引きしたいんだって」

 縁側からからかう調子の沖田の声がした。

 斎藤の頰が赤くなった。

「総司!!」と叫ぶ斎藤の横をすり抜けて千鶴の持つ敷布を取り上げると、沖田は千鶴を見下ろしながら言った。

「洗濯物は僕と源さんでやっておくから、行っておいでよ。じゃないと、はじめくんが拗ねちゃうからね」

 沖田は咄嗟に掴みかかる斎藤をかわし、高笑いしながらくれ縁を駆け上って廊下を走って逃げた。それを追う斎藤の背中に向かって千鶴が声を掛けた。

「今直ぐ支度をします。斎藤さん、玄関で待っていて下さい」

 そう言うと足早に自分の部屋に戻って行った。

 千鶴は部屋に入ると襷をとって、後れ毛を櫛で梳かし上げて髪を直した。行李から桜の柄の入った手拭いをだして袂にしまった。

 玄関で待つ斎藤は刀袋を抱えていた。千鶴が来るのを確かめると、先に歩きながら伏見の立ち寄り先の話を始めた。

「父さまが、寺田屋に居るのですか?」

 千鶴は斎藤に駆け寄ってきた。斎藤の着物の袖を思わず掴み顔を覗き込むように訊く千鶴の真剣な表情を見ると、斎藤は足を止めて千鶴の正面に立った。斎藤は、袖にかかる千鶴の手を左手で強く握ると、

「まだ綱道さんだと判っていない。剃髪の蘭方医らしい出で立ちの男だそうだ。娘のあんたなら判別がつくだろう」

 斎藤は千鶴の眼をじっと見つめて答えた。

 寺田屋の前の団子屋で見張ること。その間に斎藤は大黒寺の用を済ませ再び千鶴と合流すると段取りを伝えた。千鶴は独りで見張りをするのに少し不安を感じたようだが、父親が見つかるかもしれないという期待のほうが勝った。

「斎藤さんは大黒寺にその刀をお持ちになるんですか?」

 隣に並んで歩きながら、千鶴は斎藤の刀袋を見た。

「いや、これは研ぎに出す」

「伏見に研ぎ屋があるんですね」

「ああ、古い付き合いだ」

「平助くんが屯所に来る刀匠も研ぎ屋さんも会津藩御用達だと言っていました」

「屯所に来るのはそうだ。俺は研ぎは別に出している」

「そうなんですね」

 千鶴は笑顔で刀袋を見つめると、自分の小太刀に手を掛けながら

「私もいつかこれを研ぎに出してみたいです」と言った。

「この前手入れした時は、一点の刃こぼれも曇もなく、何も問題なかったが」

 斎藤は小太刀にかける千鶴の手元を見ながら微笑した。

「今度、替えの脇差しを貸そう。差料さえあればそれを研ぎに出しても問題なかろう」

「はい」溢れるような笑顔で応えると千鶴は自分の足取りが軽くなった気がした。




*****

研ぎ師

 伏見の団子屋で千鶴が寺田屋の見張りを続ける間、斎藤は大黒寺の境内で物乞を装う監察方山崎丞に土方の文を渡した。それから伏見御堂の裏手にある研ぎ屋に向かった。一見すると唯の長屋だが、開け放たれた玄関から中に入ると上り口から向こうは研ぎの工房になっている。

「御免」

 斎藤が声をかけると、薄暗い土間から、へえ、と返事があった。白い作務衣に白足袋に下駄、藍の前掛をした初老の男が斎藤の顔をみると笑顔になった。

「斎藤様でしたか。よういらっしゃいました。どうぞ」

 男は上り口の奥から敷物のような布を持って床に拡げた。

 斎藤は上り口で手にしていた刀袋を男に渡した。

「急ぎで頼みたい」

 男は袋から刀を取り出すと、手際よく鞘から刀を抜き刀身を確かめる。

 物打ちに微小な刃毀れ二箇所、鎬の中腰に傷二箇所。

「早速に」

 そういうと、刀身をゆっくり鞘に収め研ぎ場の刀置きに載せた。

「お社へ行かれますか?」

 男に尋ねられた斎藤は無言で頷くと、男について土間を通り家の裏に出た。

 苔に覆われた敷石が続く向こうに小さな祠があり、両側に楠の大木がそれを守るように立っている。斎藤はここに来ると必ずこの祠に立ち寄る。信心深い訳ではないが、この空間は気持ちが落ち着くからだ。

 ここに暮らす研師は山道で盗賊に襲われたところを偶然斎藤が助けた。斎藤が初めて上洛した時の事だ。大和の国のもので、宮司をしながら刀剣の研磨を生業にしている。研ぎ屋とはいえ、表看板も出さず、人を斬る刀を研ぐことはない。神社に奉納される刀剣だけを扱う。名は光逸真五郎と名乗っている。その腕は確かだ。真五郎は斎藤と出会った時に御礼にと刀の研ぎを申し出て以来、斎藤の愛刀を研ぎ続けている。

 工房の左手に離れのような小屋があり渡り廊下のように長屋と繫がっている。そこに見憶えのある男が佇んでいた。殺気は感じないが、目に光をもったその男は浪人風の出で立ちで、顔に怪我をして着物も斬られた痕があった。斬り合いをした直後に逃げて身を隠しているのか。

 斎藤は鯉口に手を掛けながら、ゆっくりと真五郎を庇うように廊下にむかった。男は近ずく斎藤を暫く見つめた後、一礼をしてゆっくりと離れに入って行った。

「かの者は、客人か?」

「へえ、時々お見えになられます。あの通り怪我をされてるので治るまでの間離れに」

 以前にも此処で見かけたのか、斎藤は男が消えた離れを見つめながら、男の特徴を思い返していた。

「時に主人、ここのところ伏見に西方の浪人の出入りが増えているようだが、此処へも研ぎの用で顔を出す者がいるのか?」

「へえ、たしかに。土佐や薩摩の藩士を名乗る御仁が研ぎの御用向きでお見えになりますが、皆お断りしていましてな。此処は街道にも近いので旅籠はどこもいっぱいと聞いてます」

 二人は工房に戻ると、真五郎は早速研ぎの準備に取り掛かる支度を始めた。

 神棚の前に斎藤の愛刀鬼神丸国重を置くと。禊ぎをしてから柏手を打ち祝詞を唱える。斎藤は静かにその様子を眺めた後正座を解くと、「では頼む」と一言残し静かに長屋を後にした。




****

 寺田屋の前の団子屋に戻ると、千鶴は直ぐに斎藤の姿に気付きお代を済ませて店から出て来た。一刻以上も見張りをしていたが、綱道らしい男の姿はみえなかったと肩を落としている。

「監察方も目を光らせている。また新たな情報が入るやも知れぬ。此処へはいつでも見張りに来ることが出来る」

「そうですね」

 千鶴に少し笑顔が戻った。

「何か必要なものはないか?この界隈は店も多い。欲しいものがあれば探すといい」

 斎藤がそう言うと、少し思案をした表情をした千鶴の顔が急に明るくなった。

「あ、そうだ。繕い用の糸が少ないので欲しいです。藍や浅葱のものがあれば。羽織り用に」

 斎藤は微笑しながら応えた。

「あんたの欲しいものはないのか? 小物でも見てみればどうだ」

 千鶴は、はいと笑顔で応えると、キョロキョロと辺りを見回してから、角の小間物屋を見つけると嬉しそうに入って行った。斎藤が店の中に入ると、千鶴は台の上の千代紙を手に取り、「まあ、綺麗。これも綺麗」とうっとりと眺めている。

 千代紙の隣には色取り取りの袱紗が並べてあった。その中の紅い袱紗を見ると縁に桜の花弁が描いてあった。

「まあ、可愛いい袱紗」

 千鶴は思わず溜息が出た。

 斎藤が近づいて、「それが気に入ったのなら、貰おう」と言うと店の売り子を呼んで同じ模様の入った懐紙と千代紙を一緒に買った。

「有難うございます。こんなに沢山」

 そう言って包みを大事そうに抱えると、千鶴はおもむろに袂から手拭いを取り出して見せた。

 桜模様の手拭い。

 以前斎藤が市中で見つけ千鶴に買って帰った。屯所に籠りきりの千鶴に幹部の皆がやれ、団子だの蜜柑だのと差し入れをしているのを、無意識に羨ましく思っていたのか。自分でも解らない。だが手拭いを目にした時に小さな桜の花弁を見て、千鶴の笑顔が思い浮かんだ。

「この模様と同じ」

 千鶴は微笑みながら手拭いを眺めると、「大切にします」と丁寧に畳んでしまった。

 斎藤は歩を進めながら千鶴の横顔を気付かれないように眺めた。

 長い睫毛に縁取られた大きな瞳は、真っ直ぐ前を向いて
 微笑を湛えた頰、貝殻を想わせる小さな耳朶、風に揺れる黒髪

 不意に押し寄せるこの感覚は一体何であろうか……。

 斎藤は不思議に思いながらもこれ以上その想いを突き止めるのは止した。

 自分は明日をも知れぬ身。俺のような者が。

 そんな事を考えていると、いつの間にか屯所に着いた。

 土方はまだ戻って居らず、千鶴は洗濯ものを取り入れると言って中庭に出て行った。斎藤は自分の部屋に入ろうとすると。

「それで、どうだったの?」

 廊下の柱にもたれ掛かり、まるで待っていたかのように訊ねる総司が居た。

「収穫なしだ。綱道さんらしい男は現れなかった」

「ふーん、それでどうだったの?」

「伏見に西方からの出入りが増えている。薩摩、長州、土佐ものが多い」

「ふーん、それで?」

 いつの間にか斎藤の部屋で寝そべりながら、総司は揶揄するような皮肉っぽい表情で斎藤を見つめる。

「一体、あんたは何を聞きたいんだ」

 斎藤は腰の刀を抜いて刀置きに掛けると、静かに正座して訊ねた。

「はじめくんってさ、普段聡い割に鈍いよね」

「総司、言いたい事があればハッキリと言え」

 斎藤は瞑目しながら静かに凄む。

「だからー、千鶴ちゃんの事だよ。僕が聞きたいのは」

 総司は寝返りを打って斎藤に向き肘枕をすると、呆れたような表情で笑いかける。

「雪村は残念がっている」

「ふーん、そんな風に見えなかったけどね。随分楽しかったみたいじゃない。それで、どうなったの逢引きは?」

「今日は副長の命で偵察に出ただけだ。逢い引きなどではない。見張りも雪村は単独行動で、俺は山崎や研ぎ屋に会っていてずっと一緒ではなかった」

「そうか、ずっと一緒でなくて、はじめくんは寂しかったんだ」

「あんたは何を言っているのだ」

 この時には斎藤の頰が熱くなり、次の言葉は何も出なくなった。

「はじめくん、耳まで真っ赤だよ。井戸で顔洗って来たら。千鶴ちゃんが物干しにいるだろうからさ、また伏見にいこうって約束するといいよ」

「伏見には十日後にまた行く。研ぎに出したからな。総司、手合わせするぞ」

 これ以上は耐えられぬと斎藤は立ち上がり、引きずる様に総司を連れて道場に向かった。

「なに、また研ぎに出したの?その伏見の研ぎ屋さん、僕のも研いでくれないかな。はじめくん、狡いよ。自分のだけ」

 道場で久しぶりに斎藤は総司と手合わせした。

 伏見からの帰り道に感じた千鶴への想いはやはりこれ以上は突きとめないでおこう。

 総司のからかいが的を射ていただけに、余計に斎藤の決心を頑なにした。

 総司は総司で、斎藤の何処か心有らずな剣筋を退屈にかわしながらも、伏見で二人に何かがあったのだろうと、聡く感じ取っていた。

(だから、認めちゃえばいいのに。真面目だね、はじめくんは)

****

 土方が屯所に戻ったのは皆が夕餉を終えてからだった。千鶴と斎藤は土方の部屋で報告を済ませ、先に千鶴は下がろうとした。土方に感謝しているとお礼をいう千鶴に土方が応えた。

「俺は何もしてねえよ。綱道さんの事は当てが外れたが、また現れるかもしれねえ。伏見へはまた行くことになるだろう。その時は」、一瞬間を空けて土方は斎藤の方に顔を向けると。

「斎藤が連れていくよな、なあ、斎藤」

 微笑む土方に、総司と同じ様な冷やかしの空気を感じながらも、斎藤は黙ったままでいた。

 千鶴は嬉しそうな笑顔で下がっていった。また父親探しが出来る事が嬉しいのか、伏見に行くのが嬉しいのか。出かけるのが嬉しいのか。

 斎藤は心の中でまた突き止めても詮無いことを考えてる己を諌めた。

 十日後に預けた刀を取りに伏見に行く時、斎藤は独りで行こうと決心した。




 つづく




→次話 濁りなき心に その2

(2017.01.21)

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