
壬生【閑話】
濁りなき心に その5
幹部が集まったある晩。
池田屋で負傷した平助が起き上がれる様になり、包帯を額に巻いて大広間に現れた。
「平助、どうだ? 傷の調子は」
「もう直ぐで糸が取れる。もう大丈夫だ。土方さん、そろそろ残党狩りにも出られるんで、よろしく」
平助は胡座をかいて左之助と新八の間に腰を下ろした。
「大丈夫かよ。さっきも千鶴に薬付けて貰ってる間、痛い痛いって大声あげてたじゃねえか」
「大丈夫、大丈夫」と平助は屈託なく笑っている。
「俺も親指の付け根斬ったけど、千鶴ちゃんの手当てで、ピタッと血が止まって助かった」
新八が自分の左手の傷跡を見せた。
「池田屋の階段から、あの子が駆け下りて来たときは心底たまげた。まさか討入りに来てるなんてよお。それも小太刀抜いてたんだ」
「聞いた聞いた、二階まで上がったって、はじめくんは千鶴に無茶させ過ぎ」
平助は話の矛先を斎藤に向けて口を尖らせている。斎藤が黙ったままでいると。
「総司に聞いたが、枡屋で雪村君は総司の助太刀をしようと小太刀を抜いて構えたらしい。おなごにしては、実に雪村くんは度胸が据わっているな」
近藤が感心しながら笑った。
「あいつは蘭方医の娘だから、血を見ても驚かねえ」
「そうそう、池田屋でも。玄関の中に戻って来て、斬られて死んでる浪士の中着の袖や袴を千切って、それで手当てしてた。 俺、思わず手を止めて見ちまった。こうやって、首に手を当てて確かめて。死んでるって判ったら、手を合わせて拝んでから、ビリっと着物引き千切って持ってって」「仏さんも、身包み剥がされたら、堪んねえよなあ」
と、左之助が笑っている。
「堪んねえよ。ま、あの子のお陰でこっちの怪我人は助かったんだけどよ。永倉さん、親指は暫く、こうやって心の臓より高く持ち上げて下さい、ってさ」
新八は千鶴の真似をした。
「可愛い顔して、そこらの平隊士よりよっぽど肝が据わってんだ。あの子は」
「総司の悪戯にも、驚きはするが最後は気丈に笑ってる。だよな? 斎藤」
と左之助が首を向けると、微笑しながら斎藤は頷いた。
「簀巻きの時の騒ぎか?」
と、土方は笑った。近藤が鸚鵡返しのように尋ねた。
「なんだ、簀巻きって?」
「総司が、物干しの敷布で千鶴を簀巻きにして、鴨川に投げ込むって、脅かしたんだよ」
「千鶴はいつもみてえに、斎藤の名前を叫び続けて。そうしたら総司の奴、千鶴を肩に抱えて屯所の門の外まで出やがった。お雅さんまで出て来て。総司は壬生寺の境内に逃げ込むは。斎藤が千鶴を奪い返したが、あん時は、人集りも出来るぐらいの騒ぎになった」
「そんな事があったのか」
と、近藤は驚いた。
「簀巻きって女郎の足抜けでもあるめえし、よく千鶴ちゃん平気だったな」
と、永倉が言うと。
「俺は屯所の玄関で見てた。斎藤がそのまま千鶴を抱えて帰って来て、敷布をとってやろうとしたら、総司がまた千鶴を奪い返して広間に逃げた。寝かせた千鶴の敷布の端持って思い切り引っ張って拡げたもんだから、千鶴は、きゃーって叫んで縁側までゴロゴロ勢いよく転がっていって」
左之助は笑いながら話している。
「斎藤が慌てて受け止めたから、怪我はなかったんだがな。千鶴は斎藤に抱えられたまま笑っていやがった。あの後、俺はお雅さんに『騒ぎはやめといておくれやす』って散々小言いわれて。総司の奴、掴まえてとっちめてやった」
「簀巻きにされた千鶴は、ちっこくて、蓑虫みてえで。後で千鶴にそう言ってやったら、自分でもそう思ってたって、クスクス笑いだしてな」
といいながら左之助は湯呑みに手をつけた。
「あんな目にあっても、あいつは総司を怖がることもねえ」
と、感心する土方に全員が頷いている。
「それでも、この前は流しに蛞蝓が出たって、大騒ぎしてた」、と平助が得意そうに話した。
「こんな大きなのは生まれて初めて見た、とか言って半べそかいてさ」
「オレが塩振りかけときゃ溶けちまうから、心配ないって言っても。溶けた後はどこに行くんだ、とか訳わかんないこと言って。すっげえ可愛かった」
平助は嬉しそうに笑っている。
「考えたら、江戸から男の成りで独り上洛したってのも千鶴だから出来たんだろうよ」
左之助が感心しながら呟くと近藤が応えた。
「父親に会いたさ所以だろ。何としても我々は綱道さんを見つけてやらねばな」
これを聞いた平助が問い返した。
「綱道さんが見つかったら、千鶴は江戸に戻るの?」
近藤は暫く考えた後に応えた。
「おそらくそうなるだろう。綱道さんは幕府の御典医になると聞いている」
「ふーん、千鶴は江戸に戻っちまうのかあ」
平助は、そう呟いたきり黙ってしまった。
千鶴の処遇については、初めて屯所に千鶴を連れて来て以来、幹部の其々が気にかけていた。池田屋での働きで幹部に信頼を得た千鶴は、屯所での生活の中でも掛替えのない存在になっていた。黙り込んだ皆の前で、土方も近藤もそれ以上は千鶴について言葉にすることをあえてしなかった。そして、会津藩から下った新たな残党捕縛命令と翌日の段取りだけを確認して、幹部会はお開きになった。
大広間で始終黙っていた斎藤は、その晩部屋に戻ってから刀の手入れをした。普段は無心になるものだが、平助の一言が頭から離れない。
綱道さんを見つける為。雪村が留め置かれる理由はそれだけだ。新選組にとっても、変若水の改良、そして羅刹を抑える術を知っている綱道さんを一刻も早く見つけなければならない。
そして、綱道さんが見つかれば、雪村は……。
ずっと抑えていた想いが心中を巡り出す。
屯所の中庭で自分を呼び、駆け寄ってくる雪村。
独り中庭で寂しそうに空を見上げてる姿、畳んだ洗濯物を手渡す時の小さな手。
溢れるような笑顔。
ふと、振り返りながら屯所を去っていく千鶴の姿が見えるような気がした。
「それまでは、我らが守る」
斎藤は、刀を前に掲げると静かに呟いた。
それは、誰からの命でもなく
斎藤が己に命じた強い決心だった。
つづく
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(2017/02/10)