蛤御門 鬼の捜索
濁りなき心に その6
元治元年七月
(情報伝達がままならぬか、よほど戦況は混迷しているとみえる……)
京都守護職本陣のある黒谷から三条河原に向かいながら、斎藤は溜息をついた。
会津藩から正式に長州藩の攻撃から御所を守備するよう要請があったのは昨日の事。幹部が集められ、池田屋での負傷者や体調不良の者以外は全員で会津藩の援護をするよう近藤の指示があった。
大きな戦になるやも知れぬ。洛中の長州藩士は一掃されるだろう。
長州は会津中将様の首を獲ろうと躍起になっていると聞く。
我々は会津藩に仇なす者は討取らねば。
翌朝屯所を出発して桑名藩管轄の所司代に向かったが門前払いされ、黒谷に戻り守護職の門を叩いたがまともな指示も得られず、会津藩の予備軍がいる三条河原で待機しろと追い返された。新選組が守備に付く事は全く周知されていなかった。
千鶴は三番組に同行していた。
(戦になれば負傷する者も出るだろう)
池田屋での千鶴の救護手当ての能力は目を見張るものがあった。連れて行かぬ理由もない。副長や山南さんは危険だと反対したが、三番組で行動する限り雪村は足を引っ張るような事は無い。
斎藤は、そう確信していた。
今朝の出発時も、千鶴はいつの間に準備したのか、晒(さらし)や焼酎瓶、竹水筒を器用に風呂敷に包んだ物を背負って現れた。斎藤は三番組の隊士に千鶴の荷物を代わりに持つように命じた。左之助や新八は、九条河原から黒谷まで散々盥回しにされた上、新選組がただの予備兵扱いだった事に憤っているが、黒谷の様子を見ても未だ長州軍が御所に切迫している様子は見られない。斎藤は敵が東寺から責めて来るという情報が大方当たっていると思った。それより、監察方の山崎が見張っている伏見の長州藩邸の様子が判らない事がもどかしい。長州軍が彼処に陣を構えているとなると、街道を通って一気に攻め込まれる可能性がある。斎藤は、先頭を歩く土方に、屯所に三条河原での待機を報せたいと申し出た。
「黒谷を出る時に屯所へは伝令を走らせた。十番組の佐々木だ。あいつは韋駄天だ」
土方は陽の光を眩しそうに仰ぎながら笑顔をみせた。
「斎藤、お前は良く気が回る。じきに山崎が伏見から屯所へ戻るだろう。長州の進軍が伏見からなら、河原沿いに下ればいい、竹田街道が要になる」
斎藤は土方の予想と的確な判断を聞いて安堵した。戦況がどうであれ、土方の元に居る限り、自分の務めに集中していれば良い。
「河原に着き次第、陣を敷きます」
「概ね昨日の取り決め通りだ。三番組に殿を頼む」
「承知」
斎藤はそう応えると、列の最後尾に戻った。
*****
千鶴は不安そうな様子で歩いていた。斎藤の姿を認めると、斎藤に駆け寄って来た。
「負けているのですか?」
唐突な質問に僅かに驚きながらも、千鶴がそう思うのも無理はないと思った。
「負けてはおらぬ。まだ敵軍は御所に近づいても居ない。我々が上の指示に翻弄されてるだけだ」
千鶴はじっと斎藤の目を見つめている。
「三条河原に着いたら陣を敷く。戦がいつ始まってもいいように備えておけば問題ない。俺らは殿を務める。いつもの位置で動く」
「はい」
と、千鶴は真顔で答えた。覚悟を決めた様な表情を見て斎藤は微笑した。
「平隊士達河原の石をならして置く様に伝えてある。源さんの組で水の補給をするそうだ。雪村にも手伝いを頼む」
「はい」と返事をすると千鶴は隊の列に戻って行った。
三条河原では、大橋の陰になる涼しい場所に陣を張れた。水分の補給で漸く落ち着いた頃には陽が傾き出した。千鶴は斎藤と三番組隊士達と一緒に待機して居たが、陽が落ちて暗くなると原田が幹部の座に来るよう呼びに来た。
「長い夜になりそうだ」
と、左之助が辺りを見廻しながら言った。斎藤は池田屋の夜を思い出した。あの日、長州藩士の過激派二十数名の御所襲撃を未然に防いだが、今回は長州より二千の軍が迫ってきている。
「俺は政はさっぱり分かんねえが、天子さまと中将さまを目の敵に弓を向けるなんてな」
「大挙で来るなら四方から闇討ちに会う事もあるだろう」
と、斎藤が応えた。
「島田の話だと敵は天王山に本陣を敷いているみてえだ」
幹部達は車座になっていた、島田魁、山崎が中心になって長州の動きを報告している。
「伏見街道を大垣藩、桑名藩が固めて居ます。二万の兵に砲撃隊、大型の大砲で迎撃する目算。伏見の長州藩邸の軍はおよそ八百。大砲の数およそ五十。出陣を急いている様子」
「少数部隊が嵯峨より進軍している情報もあります。御所の蛤御門を会津藩、中立売御門は筑前藩、堺町御門に越前藩、乾御門は薩摩藩が守っています」
「御所に攻め込む奴等を食い止めるのが先だな」と、土方が呟いた。
「副長、我々は蛤御門の会津藩に加わるのが道理かと」
斎藤が口を開くと、近藤が大きく頷いた。
「我々は会津藩管轄の部隊ゆえ、会津藩の守備する蛤御門を守る必要がある」
「戦が始まったら、俺らは蛤御門に向かう」
土方が皆に命じた。
「伏見からの進軍は竹田街道で抑える。隊を分けるまで御門で応戦する。各自陣を崩さないまま待機しておけ」
***
遠くに砲撃の音がしたのが未明、千鶴は三番組隊士達と座ったままいつの間にか眠っていた。斎藤は三番組に蛤御門を目指して走ると告げた。平隊士が千鶴を起こすと、千鶴は慌てて辺りをキョロキョロとして探し物を始めた。斎藤が近づくと、救護用の風呂敷がないと千鶴は泣きそうな顔になっている。
「救護の道具は荷車に載せてある故心配は要らぬ。隊の最後尾にある。怪我人が出たら最後尾に送るゆえ、救護を頼む」
斎藤は提灯を千鶴から取り上げると、上にかざして大きく円を描き先に進んでいる土方達に合図した。千鶴は斎藤の後を付いて三番組の隊列に加わり駆け足で進んだ。御所に近づくと、火薬のキナ臭さと煙で視界が遮られた。
「敵軍は砲術に長けている。負傷者も多く出るやも知れぬ」
千鶴は息が切れて、返事も出来ず頷きながら走っている。
「弾に当たらぬ様、絶対に俺の前には出てはならん」
斎藤は御門が見えて来ると、千鶴に念を押した。
***
嵯峨から進軍してきた長州兵は、会津藩の守る蛤御門を攻めた。
門が破られ、御所内へ敵軍が侵入しようとしたが、援軍に乾御門から薩摩藩兵が駆けつけた。薩摩藩兵の最新型の銃の威力は凄まじく、長州軍は撃退された。新選組が御門に駆けつけた時には、既に敵軍は撤退し、会津藩と薩摩の兵が其々の陣を構えて睨み合っていた。
「遅かったか。よし、伏見からの敵軍を抑える。此処には三番組と山崎が残れ」
土方達は踵を返す様に元来た道を竹田街道に向かって行った。残った斎藤達は会津藩の旗印を目指して駆けつけた。長州軍が去った場所に薩摩藩兵が陣取り、会津藩兵を押し戻している。
「なんだ、会津っぽの弱腰は、助っ人が要るよっとか?」と大声が聞こえる。
「壬生狼みたいな浪士もんに頼らな戦も出来んちゃあ、片腹痛いのお」
洋式銃の先を上下に振りかざしながら、薩摩兵は会津藩兵を揶揄し笑っている。会津藩の兵士が憤り、刀に手を掛け陣を張った。三番組隊士も「何が浪士もんだ。畜生」と憤慨している。千鶴も動揺し、怒りの表情で薩摩藩兵を見詰め返した。
(大方、手柄の取り合いでもしているのだろう)
と斎藤は思った。
「世迷言に耳を貸すな。ただ己の務めを果たせ」
斎藤は三番組を制した。その声を聞き付けた様に、大きな男が薩摩藩兵の前に出て来た。斎藤をじっと見詰める者は、池田屋で取り逃した大男だった。その威圧的な風貌に煽られ、会津兵は抜刀して斬りかかろうとするが、斎藤がそれを制止した。
「よせ、あんた達が太刀打ち出来る相手ではない」
斎藤が前に出ると、後に続いて三番組が会津兵を遮り斎藤の周りを固める。千鶴は、落ち着いた表情で斎藤を見詰めている。千鶴は斎藤がこの場を納める事を解っているかのようだ。大男は、斎藤の姿を見ると、池田屋での一件を詫びた。
「藤堂と名乗った相手と対戦したが、傷の治りが悪かったなら、手加減が出来ず悪かったとお伝え願いたい」
よく響く低い声。その慇懃無礼な物言いに、斎藤は怒りを感じた。すかさず低い位置から構え、居合で瞬時に銀の一閃を見舞った。斎藤の刀の切っ先は、大男の鼻先を掠め眉間の前で止まっている。
「平助を撃ったのはあんただな。あんたは新選組に仇をなした」
静かに凄む斎藤に、大男は微動だにせず、
「しかし、今の私には君たち新選組と戦う理由がありません」と応えた。
斎藤と視線を交わした大男は、斎藤の後ろに佇む人影に視線を移している。
およそ新選組隊士らしからぬ風情の少年、いや違う。少女だ。目前の新選組を率きいる男を信頼しきった表情で、尚且つ事が有れば助太刀しようと構えている。そしてその手に掛けている、あの小太刀は……。
そう思った瞬間。
「だが侮辱に侮辱を重ねるのであれば、新選組も会津藩も動かざるを得まい」
斎藤の静かな声に遮られた。
「我々に軽率な態度があったのは事実、謝罪を致す」
大男は一歩後ろへ下り、頭を下げた。薩摩兵を退かせると、自ら斎藤に名乗り出た。
「それがし、天霧九寿と申す。次にまみえる時には互いに協力関係にある事を祈ろう」
と言って一礼し、千鶴を一瞥すると、薩摩兵と一緒に去って行った。
こうして斎藤は事を荒立てずに会津藩兵の面目を立てる事が出来た。三番組隊士もだが、傍らの千鶴があの状況を怖がりもせず、動揺する事なく、自分に信頼を寄せてくれた事が斎藤は嬉しかった。そして、あの天霧九寿と名乗った男。斎藤が殺意なく刀を抜いた事を見抜いて居たのか。状況を収める斎藤の意図を察し、だからこそ刀を突き付けても微動だにしなかった。
(薩摩にかの者の様な手練れが居ようとは)
斎藤は独り溜息をついた。
***
蛤御門前に残った斎藤達はその後も会津藩兵の援護につき、日が落ちて退去命令が出るまで御門を守備した。伏見から進軍した長州軍は竹田街道で大垣藩の砲撃により撤退。長州藩兵が天王山に向かい敗走するのを追った土方達も夜には屯所に戻り、幹部は広間に集まった。土方達は途中、風間と呼ばれた薩摩藩士に長州兵追討を妨害されたと報告。
恐ろしく腕の立つ奴だった、と土方が話すのを聞いた斎藤は池田屋で会った金髪の男だと思い返した。総司が必ず次は斬ると固く決心している相手。平助によれば、あの総司の三段突きを易々と躱していたらしい。
長い一日が終わった。長州藩が目論んでいた、会津藩主松平容保公の暗殺も阻止され、蛤御門の変は収束する。天子様に刃を向けた長州藩はこの事件で「朝敵」と見做され、朝廷から江戸幕府に長州征伐の勅命が下った。この戦に新選組は参加はしなかったが、この後、京、大坂、播磨まで活動の範囲を拡げ、跳梁跋扈する長州の攘夷志士達を討ち取り、名を上げて行くことになる。
そして近藤は新しい隊士の募集に江戸や近隣国を駆け回ることになった。
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鬼の捜索
元治元年八月
天霧は東国を巡った後に再び京の八瀬の里を訪れた。
八瀬は古の伝統が守られている。この里に立ち寄ったのは、ほぼ伝説となっている宝剣、大通連と小通連の行方を探すため。天霧が、蛤御門で出逢った少女が腰に差していた小太刀の拵えが伝説の宝剣の特徴そのものであった為、直ぐに東国へ宝剣の探索に出た。
大通連、小通連。古に鬼神を倒した宝剣。
対になった二振りは阿修羅神がその身から造った。千年前、鈴鹿御前から坂上田村麻呂に贈られたとある。黒漆太刀拵で縁頭の兜金として、金剛杵が埋め込まれ、決して刃こぼれすることのない無敵の剣。
伝説では、東国で暴れる鬼神退治の戦勝を祈り、鈴鹿御前が己の髪紐を解いて手貫緒に通した。その紐が大嶽丸の血で真紅に染まったと伝えられている。
蛤御門での邂逅以来、天霧はあの小太刀とその持ち主について秘密裏に探査をしている。天霧が仕える西国の鬼の頭領、風間は、天霧のこの活動をとっくに感知しているのだろうが、素知らぬ振りをしている。書物に依ると、宝剣は東国に渡ったとある。東国での鬼神伝説の地に出掛けて調べたが、鏃や大通連の写しが残っているだけで、実物の行方は判らない。
あの少女については、新選組で預かりの身である事は判った。男の格好をしているのは、男所帯での身の安全の為か、身を隠す必要があるからだろう。
そして、新選組の斎藤一。三番組組長として部下を率いる幹部助勤。精鋭で冷静沈着。居合の達人である事は蛤御門で知った通り。あの男の率いる三番組が主にあの少女の護衛に付いている。しかし、何故あの少女は新選組に身を置くのか。
斎藤が護るあの者は。
天霧の直感が当たっていれば、恐らく「鬼」であろう。
我が同胞。鬼の少女にあの様な状況で出会った事が千載一遇。
そして、その者の持つ小太刀が、もし小通連であったとしたら……。
天霧には八瀬の主である千姫に尋ねたい儀がもうひとつあった。東国の鬼の行方について。乱世に翻弄され、人里を離れ隠遁した高貴な一族。古より東国の鬼を統べていたと伝わる雪村家。
先の戦で人間によって滅んだと云われているが、我々西国の鬼の様に秘かに存続しているのでは。伝説の宝剣がその一族に伝わったのか確かめたい。
天霧は小通連を持つ鬼の少女がその一族の末裔である事を願った。
純血の鬼の女は、日の本中を探してもその数は少なく貴重である。
況してや、高貴な血を引く鬼はこの八瀬の千姫だけとなった今、
東国の鬼の末裔の存在は、天霧だけでなく、鬼の同胞全体の希望となる。
天霧の仕える鬼の頭領は、嫁取りにも興味を示されず。長い間、家老の天霧を一族の存続を憂う状況に置いているが。この少女の存在を知ったら、風間はどんな反応をされるだろう。
千姫に、天霧は宝剣について尋ねてみた。姫は、宝剣は東国の田村家か鬼の一族の雪村家に引き継がれた筈だと、古い書物「田村麻呂薨伝」を紐解かれた。そこに宝剣は雪村家に進上と記録されていた。
天霧は新選組に身を置く鬼の少女と小太刀について話をした。千姫は、著しく興味を示した。すぐに市中へ下って少女を見つけたいと言い出した。
姫は大人びて見えるが、年の頃はあの少女と変わらないであろう。きっと鬼の血族同士睦まじくなることを願って居られるのだろう。
鈴鹿御前の末裔である千姫は、女系の一族であり、八瀬の強力な結界を守り続けてきた誇りは、西国の頭領である風間千景をも寄せ付けない。その様な気丈な姫でさえ、昨今情勢の落ち着かぬ京に不安を隠せない様子であられる。
千姫の御殿を辞して、八瀬の境界に差し掛かりながら、天霧は鬼の少女の存在に、姫が嬉々としたのを思い返す。
(洛中に突然現れた同胞にきっと希望を見出だされているのだろう)
古より朝廷や天皇を隠密として補佐し、陰謀渦巻く京で鬼の血族を守り続ける重責に天霧は己の主人を重ね合わせ、その苦労を慮った。
***
天霧が薩摩藩邸に戻ったのは、京を離れて十日過ぎの夕方。
風間は独りで外出しているようだった。その夜、薩摩藩の家老に風間の代理で島原の角屋に喚ばれた。緞子の間で、剃髪の男、雪村綱道を紹介された。江戸の蘭方医。幕命で会津藩に協力して羅刹研究をしているという。「羅刹」と聞いて耳を疑ったが、この男も鬼の血を引く者らしい。
会津藩に手を貸すこの鬼が何故、薩摩藩の家老と行動を伴にしているのか。
天霧は情況を見極める事に集中した。会合では長州征伐の為に兵を集め小倉口に陣を張るが、風間には萩口から長州藩主父子の潜伏する萩城を攻めるよう念を押された。
(月が改めると尾張より徳川慶勝公が大坂城に入る。征長軍の出陣は間もなくだろう)
角屋から下がる時、出口で雪村綱道が近づき、自分は東国の雪村の末裔だと、そっと耳打ちをして来た。天霧は雪村一族が存続して居た事に驚いた。そして間も無く、この蘭方医があの鬼の少女の父親である事が千姫からの報せで判った。
それならば、新選組と雪村綱道についても詳査する必要がある。
この捜索の結果を風間に知らせるのは、もう少し時期を見計らってからにしようと、慎重に天霧は考えた。
此れから風間は長州征伐の援護で薩摩藩と萩へ下る。
薩摩への恩義に報いるか否か、長州での戦の見極めが肝要である。
風間は鬼の血族が人間の世から隔絶する事への願望が強い。
三百年前の戦乱の時代に西国の鬼は薩摩に保護され今に至っている。八瀬の里が朝廷の庇護に置かれた様に、風間家は薩摩への恩義の為、要請が有れば戦の加勢、時には隠密活動もしてきた。幼いまま元服し鬼の頭領となってから、風間家重臣の思惑とは裏腹に、千景は人間の世から隔絶した隠遁生活に秘かに憧憬を持っておられる。
人間社会での保護をも拒否し、誇り高く滅んだ雪村家のように。
征長の戦の後に風間が西の鬼の里に落ち着いてから、雪村千鶴の存在を伝えよう。
夜のしじまに秋の気配を感じながら、天霧は西での人間の諍いが西国の鬼の里に及ばないよう祈った。
つづく
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