錦市場

錦市場

濁りなき心に その7

文治元年九月

 朝から土方は、手隙の幹部を部屋に呼んだ。

 原田と斎藤が部屋に入ると、文机の前に座って帳簿をつけながら、池田屋と長州軍追討の報奨金として会津藩から金百両と幕府より金五百両を賜った事を伝えた。
「今夜隊士を集めるが、これが分配付けだ。文句のある奴はいねえと思うが、これで大丈夫か、先に目を通してくれ」
 土方は書付を渡してそう言うと、また文机に向かって帳簿を付け始めた。

「俺は文句ねえよ。これだけ貰えりゃ、隊士の奴等も恩の字だと思うぜ」
 左之助は書き付けを斎藤に回しながら、胡座を組み直した。
「新田や奥沢には此れを国の身内に送る」
 土方は溜息を吐きながら、筆を動かし続ける。分配付けを見ながら斎藤は、平隊士に十五両、自分は十七両もか、と驚いていた。
「明日、近藤さんの代わりに黒谷に行く。この書付は、帳簿と一緒に会津の勘定方に出さねえとならねえ」
 ずっと黙っている斎藤に土方が訊ねた。
「斎藤、何かあるか?」
「いえ」斎藤は顔を上げながら分配付を土方に渡した。

 土方は暫く黙った後、

「千鶴の事は公には出来ねえ。あいつは隊士じゃねえからな。池田屋の手柄には、俺と近藤さんから金一封渡すつもりだ」
「それなら、俺らも千鶴に何かしてやりてえって話をしていた所だ。といっても、俺と新八での話だ」と左之助が云った。
「俺も雪村には、何かしてやりたいと思っています」と斎藤も後に続いた。
「お前らが千鶴を連れ出すなり、何か買ってやったりするのは構わねえが。近藤さんも江戸に発つ前に金子を置いていった。千鶴にと言ってな」
「俺は、それで新しい着物でもと思ってるんだが、連れ出すとしたら、島原はどうだ?」
 そう提案する土方に、左之助が応えた。
「島原ならいつでも大歓迎だ。でも千鶴は呑まねえよ」
「俺も呑まねえが、角屋の宴はハレの席には持ってこいだろ」
 土方が微笑みながらそう言うと、
「角屋か。そりゃ、豪勢だ。決まった。土方さん、俺らはいつでも出られるぜ」
 と、左之助は膝を叩いて喜んだ。
「近藤さんが戻ったら、隊士も増える。屯所の移転先も探したりで落ち着かねえ。征長の戦に向けて、会津のお偉いさんは、新選組も隊組織に組み替えろと言ってるらしい。月が明けると何かと忙しくなるから、出るなら今の内だ」
 土方は、手元の書き付けを文机に戻しながら言った。

「組制度は廃止ですか?」と斎藤が訊くと。

「いや、組同士合わせて大きい隊にする。俺らは加勢するにしても会津藩の元で戦することになるだろうからな。どのみち、黒谷から要請があればって話だ」

「戦が近くて落ち着かねえのは確かだ。隊士も増えりゃ、ここも出ていかないとな。綱道さんも見つからねえし、千鶴はまだ留め置くんだろ。それなら、気晴らしも必要だろうよ」、と左之助が溜息をついた。

「角屋の宴会は近いうちに開く。着物や要り用な物はどんどん千鶴に買ってやれ」

 土方は再び文机に向かい帳簿をつけ始めた。斎藤達は土方の部屋から下り隊務へ戻った。



***

 非番の日に斎藤は千鶴を二条烏丸に連れ出した。

「そろそろ衣替えですね」
「でも、この前裏打ちの反物を買って貰ったので、私は今着ているもので十分です」

 古手屋が並ぶ界隈に着くと千鶴は下がっている品を物色し始めた。暫くすると、店の奥から千鶴が斎藤を呼ぶ声がした。

「斎藤さん、これ合わせてみて下さい」
 そう言って手に持った長着を広げてみせた。黒地に見えるが濃藍に紺の細かい柄の入ったよい品物だった。
「単ですが、これで百文なら。とてもよい買い物です」
 千鶴は嬉しそうに斎藤の肩に着物を合わせながら、袖口や裾の縫いを確めている。
「斎藤さん、此れを買ってください。私が急いで袷にします」
 斎藤は千鶴の勢いに驚いた。
「今日はあんたの買い物に来た」
「俺は着るものは間に合っている」
 千鶴の表情が一瞬翳った。
「でも」
「私も十分間に合っています。この前は一反も裏打ち用にとてもよい木綿を買っていただきました」

(余程欲がないのだな。それにしても、何ゆえ俺などの着物を仕立てるというのか)

「京の冬は厳しいと聞いています。袷が必要でなければ、身頃に棉を入れて仕立てます」
 千鶴は長着を丁寧に畳むと抱き締めるように持った。黙っている斎藤に、

「とても斎藤さんに似合う柄なので、どうしても……」

(仕立てたいというのか)

 千鶴が欲しいと思うものは何でも買う気でいたが、まさかそれが自分の着物になるとは、と斎藤は思った。

「わかった。其れは貰おう。あんたが仕立ててくれるのは有り難い」
 斎藤は微笑しながら、
「雪村、冬に向けてあんたのも調達しておこう。京は底冷えがする。さっき入り口で女物の袷が下がっているのが見えた。あんたに似合いの山吹色のだ」
 千鶴は一瞬驚いたような顔をすると、はい、と笑顔で答えて店先の着物を見に行った。千鶴は山吹色の袷を大層気に入った様子で斎藤の単と一緒に包んで貰った。

「他に要り用なものはないか」
 斎藤が訊いても、千鶴は笑顔で首を横に振る。
「十分過ぎます」
 斎藤は先に歩いて行く。
「今度伏見に研ぎに出しに行くが、その小太刀も一緒にどうだ」
「此れをですか」
 千鶴は小太刀の柄に手をかけた。斎藤は千鶴から荷物を取り上げ、小脇に抱えると、

「前に一度研ぎに出してみたいと言っていた」
「研ぐ必要がなければ、拵えを手入れに出すことも出来る」
 千鶴は嬉しそうに小太刀を眺めて頷いた。
「有り難うございます」

 斎藤は自分が貰った報償金の使い途が見つかったのが嬉しかった。上洛してから暫く幕府の後ろ楯もなく貧窮していたが、新選組になって会津藩より給金が下りるようになった。新選組では屯所で生活する限り衣食は支給される。次第に斎藤は、給金を持て余すようになった。
 原田や永倉の様に花街へ繰り出す事も全くない訳ではないが、普段呑む時は三条の煮売居酒屋が行き付けで、大枚を注ぎ込む事もない。実家は絶縁したも同様で仕送もしておらず、精々刀を新調し手入れに出す位しか金を使う途がなかった。

「来月の非番に伏見へ行く。あんたも出掛けたければ副長に断っておくが」

千鶴は、是非付いて行きたいと言って笑った。二人で話しながら歩く内に、いつの間にか三条寺町通に差し掛かった。

「腹は空いていないか?」
 と、斎藤が訊ねた。
「はい、もうお午ですね」
「この先に煮売屋がある」
「この先ですと、錦市場ですね、前に井上さんに連れて来て貰いました。鰊の昆布巻きを買っていただきました」
「あれは旨かった」
「本当に。私も京に来て初めて鰊を食べて美味しいと思いました」
「今日の夕餉に買って行こう」
「この先にある煮売屋の奥が居店になっている」

 千鶴は斎藤に付いて寺町通りの裏手の小さな店に入った。こじんまりとした店内には床机と長椅子が並べてあった。奥の席に向かい合わせに座ると、女将がお茶の入った湯呑みを並べる。

「おいでやす」
「二人前に、燗を1本」

 斎藤は馴れた風に注文をした。直ぐに盆に小鉢が沢山並んだものが並べられた。

「美味しそう」
 千鶴は嬉しそうに小鉢を眺めている。斎藤は燗を手酌でお猪口に注いでぐいっと呑むと。
「旨いな」と呟いた。
「此処の店で売っているものを出している。どれを食べても美味い」
「頂きます」
 千鶴は壬生菜の煮浸しに箸をつけた。
「美味しい。壬生菜の炊いたん。こうやって薄くお揚げを刻むと味がしみて食べやすいですね」
 女将が白米に絹さやのお味噌汁を持ってきた。
「この茄子も美味い」
 斎藤は茄子の田楽を食べている。
「あらめ炊き。これは胡桃が入ってます。美味しい」
 千鶴はしきりに美味しいと言って喜んでいる。女将が出汁巻き玉子の皿とひろうす煮を持ってきた。
「大根おろしと出汁巻き。今度作ってみます。生姜の酢漬け、斎藤さんお好きですか?」
「ああ、甘くないのが好みだ」
「もう新ものは出回っていないけど、作ってみます。こうやって玉子焼きに添えると合いますね」
「近藤さんが、玉子はいい、総司にももっと食べさせてやってくれ、って仰って」
「鶏卵は滋養に良い。屯所ではお雅さんの伝で手に入りやすい」
「斎藤さんは此処によくいらっしゃるんですか?」
「ああ、総司や三番組の隊士と時々来る。気に入った煮物は買っていこう」

 斎藤は勘定を済ませると、あらめ炊きを店先で買って店を出た。市場をみて歩きながら、鰊の昆布巻きも買った。

「昔、江戸にいた頃、鰊は嫌いだった」
「新選組が出来た頃、中将様の御前試合が催された。会津藩邸で振る舞われた午餐で食べて以来、昆布巻きは好物だ」
「酒にも合う」

 千鶴は斎藤の顔を眺めながら横を歩く。

「御前試合。斎藤さんは新選組の代表で出られたんですか?」
「いや、幹部は全員出た。俺は新八が相手だった。総司は山南さんとやって勝った。平助は土方さんとだ」
「真剣勝負ですか?」
「いや、木刀に防具もつけた」
「居合の形見せは、真剣でやった」
「斎藤さんは、」
 千鶴が訊ねるより先に斎藤が応えた。

「新八には辛うじて勝った。屯所の道場での手合わせと違い、互いに本気で闘った」
「新八は、強い」
「俺らは昔、真剣で斬り合った事がある」

 千鶴は眼を見開いて驚愕している。

「事情があっての事だ。互いに殺し合う寸前で止めた。御前試合はその続きのように感じた」
 驚く千鶴の表情に気付き微笑むと、
「新選組では俺が残った。会津藩士の剣術師範、町野主水殿と最後に打ち合った」
「六本とって俺が勝った。あの日は何とか面目が果たせた」

 千鶴は安心したような表情になると。

「斎藤さんは本当にお強いですもの」
「御前試合。会津藩の方々は新選組の皆さんの強さにさぞかし驚かれたと思います」

「会津藩は武芸に秀で義を重んじる気質がある」
「中将様はその最もな方だ。御前試合の後、正式に新選組に市中の見廻りの命を下さった」

 千鶴は新選組が市中を巡察するのは当たり前の様に思っていた。斎藤達が実力で今の役目を勝ち取って来たことに思いを巡らせた。

「中将様はご立派な方と聞きました」
「ああ、ご上洛の際、新選組は御所までの護衛も仰せつかった。近藤さんは馬引きに任じられた。馬上の中将様は大層ご立派であられた」
「私、観てみたかったです」
「沿道に人出が。皆、中将様を見物に来ていた」
「総司があんなに誇らしげで嬉しそうな近藤さんは初めて見たと感心していた。総司も喜んでな」

 微笑みながら楽しそうに話す斎藤をみて、千鶴は斎藤が剣術と新選組、幹部の皆、会津藩を大切に思っているのだと実感した。

 そして自分も同じ様に斎藤や新選組が大切に思えて、胸が温かくなった。



 屯所に着くと、千鶴は夕餉の支度にとりかかった。

 壬生菜のたいたん
 すぐきの胡麻和え
 煮豆腐
 あらめ煮

 煮豆腐は土方や斎藤が好きな味醂とお醤油で江戸風に濃く味つけた。
 鰊の昆布巻きは明日の朝に出そうと水屋に仕舞った。

 そして、その夜から、斎藤の長着に裏打ちをし始めた。



***

角屋での宴

 十五夜も過ぎ、九月も終わりにさしかかったある日の晩、島原の角屋、青貝の間で土方は宴を開いた。

 千鶴は、仕立てたばかりの濃藍の袷を着て現れた斎藤がいつもと違って見えて、自分の胸の鼓動が早く大きな音をたてているように感じた。

「今日は池田屋と御所の護衛の労いだ。金子はたっぷり近藤さんが用意してくれた。思う存分呑んでいいぞ。始めてくれ」

 土方の音頭で宴が始まった。

 永く床に臥せっていた総司が、久し振りに皆の前に顔を見せていた。土方が酒を禁止していたが、総司は拗ねてくだを巻き始めた。

「千鶴ちゃん、僕にも御酌して」
 はい、と返事して千鶴は総司の傍に行く。斎藤は、山吹色の袷を着て座敷で皆に御酌をして回る千鶴を眺めた。ひととおり酒を注ぎ終わると、千鶴が嬉しそうに斎藤の隣に戻って来た。

「どうぞ」、と言って。杯を差し出す。
「斎藤さん?」

 顔を覗きこむ千鶴の笑顔を直視出来なかった。お銚子に添える千鶴の手は小さくて愛らしく、胸の鼓動が早く打ってしまい、狼狽を誤魔化そうと、ついたて続けに杯を空けていった。

「斎藤さん、その長着。よくお似合いです」
 千鶴は斎藤を嬉しそうに眺めている。

「朝晩」

 斎藤は目線を外すと真っ直ぐ前を見たまま、

「朝晩冷えるゆえ、袷は心地良い」

 斎藤は、杯をぐいっと飲むと意を決したように千鶴を直視した。

「その」

 言いかけた時に。

「こんばんは、ようおこしやす」
 襖が開くと同時に舞妓と芸妓が、両手をついて挨拶をする声が聞こえた。
「おー、待ってたぞ、入れ入れ」
 土方が手招きした。座敷が華やぎ、皆が手を叩いて歓迎する。

「勝つ乃と申します」

 舞妓は挨拶をするとしっとりとした地方の三味線に合わせて舞いを披露した。千鶴は皆と同様うっとりと見とれている。

(よく似合っている)

 斎藤は、千鶴に山吹色の袷の事を言いそびれた。

 土方の隣には芸妓のなじみ【君菊】が座り、呑まない土方に上手に杯を勧めている。

「お久しゅうございます。皆さんお揃いで。お招きおおきに」
「近藤さんが江戸に行っている間の息抜きだ」
 土方は機嫌良く杯を受ける。君菊は座敷を見回すと、
「幹部さんに、あないな可愛いらしい方が居はりますんどすなあ」
 千鶴を眺めながら感心している。
「ああ、あいつは幹部ではない」
「平隊士さんどすか?」
「いや、隊士でもねえ、大事な預り者だ」
「へえ、御大事な」

 君菊は、目線を千鶴に向けながら、うっすらと微笑む。

「あいつは先だっての池田屋で手柄を立てた」
「今日はあれの為の宴だ。存分に楽しませてやってくれ」
「そうどすか。ほな、お遊びに」

 君菊はそう言うと、座敷にお遊びの膳を置いて、勝つ乃と千鶴を手招きした。地方(じがた)の芸妓が陽気な金比羅船々を三味線で弾き、千鶴はお遊びに興じた。その様子を遠くの席から眺める斎藤に、

「勝つ乃に千鶴ちゃん盗られちゃったね」

 と、いつのまにか隣に総司が据わっている。斎藤は黙ったまま手酌で呑み続けた。

「はじめくんも、行ってくれば」
「俺は座敷遊びはやらん」
「ふーん、千鶴ちゃん楽しそうだよ。ほら、【虎虎】やってるよ」

 向こうでは、ますます興が高じて、皆が大笑いし、新八や佐之助が手を叩いて喜んでいる。

「雪村が楽しければ良い。今夜はその為の宴だ」
「はじめくんも楽しめばいいのに」
 総司はそう言うと、座蒲団を枕に横になった。行灯の明かりの当り具合か、総司の頬が痩けて見えた気がした。
「寝ているのか?風邪を引くぞ」
 返事をしない総司に、斎藤は自分の襟巻きをとって、総司の背中に拡げて掛けた。

 座敷遊びの後、君菊が舞と小唄を披露して座敷を引いた。

「ほんに、今夜は楽しゅうございました。雪村はん、またのお越しを。皆さん、どうもおおきに」
 君菊が挨拶をすると千鶴は深々と両手をついて礼を言った。
「此方こそ、有り難うございました」
「まぁ、御丁寧に有り難うございます。ほんに可愛いらしいこと」
 千鶴は妖艶に笑う君菊を、恥ずかしさを感じながら笑顔で見送った。

 その後仕切り直しのように、新八や左之助が裸踊りを始め、どんちゃん騒ぎになって行った。千鶴は、斎藤の隣に戻って皆の様子を愉しそうに眺めていた。宴は朝まで続いた。明け方近くに、土方は角屋に駕籠を用意させ、総司を連れて先に屯所へ戻った。

 その頃千鶴は斎藤の隣で丸くなって眠っていた。

 朝は冷え込むようになってきた。土方が置いていった羽織を千鶴に掛けてやりながら、斎藤は小さな声で呟いた。

 その袷、あんたによく似合っている。

 千鶴は斎藤の声が聞こえたかのように眠ったまま微笑んだ。




 つづく

→次話 濁りなき心に その8

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