
龍谷山本願寺
濁りなき心に その10
元治元年十一月
今来むと
いひしばかりに
長月の
有明の月を
待ちいでつるかな
土方が島原の置屋の使いから受け取った付け文には美しいかな文字。紙には菊の模様が梳いてあった。土方は微笑みながら文を畳むと、文箱に仕舞った。
九月の終わりから江戸に行っていた近藤が戻って来た。 幹部が広間に集まり、隊士の募集結果の報告があった。年内に上洛の決まっている伊東甲子太郎。年明けには五十名近くの入隊が予定されていた。
屯所の移転は必須。広い境内を持つ西本願寺が候補に上がった。
「禁門の時、あすこの坊主、長州兵を匿いやがった」
土方は、屯所の移転先云々より以前に、長州に味方する西本願寺を焼き討ちにしようと思っていたと明かした。
「土方さん、それを逆手にとるのです」
山南が静かに微笑む。
「朝廷に仇なす事は許されない。新選組が屯所とする事で西本願寺は朝敵の汚名を返上出来ると住職に持ち掛ければ良いのです」
「それはいい考えだ。山南君」、近藤が賛成する。
「西本願寺なら御所や二条城に近い、我々の見回り範囲も拡げやすい」
「長州は隠れ家を一つ失う事になる」
皆が賛成した。近藤が土方に頼んだ。
「トシ、山南君と明日にでも西本願寺に交渉に行ってくれ」
移転先候補が決まった事でその夜の話合いは終わった。
***
島原にて
数日後の夜に、土方は近藤と輪違屋の座敷に君菊を呼んだ。
「それでは、お西さんにお移りになりあそばすんどすなあ」
「島原にも近い、隊士達はもっと足を運ぶ事になるだろう」
近藤は上機嫌で杯を空けていく。
「まあ、それは嬉しいおすなあ。いつかの角屋での宴。ほんに楽しゅう御座いました」
土方が微笑みながら、近藤に話しかける。
「近藤さん、江戸に行ってる間に開いた宴だ」
「おお、そうか。雪村君が大層喜んでいたと聞いた。君菊、世話になったな」
「いいえ、雪村はんが余りに可愛いらしゅうて」
君菊は袖で口元を覆いながら笑うと、
「勝つ乃が雪村はんに文を送りたいとしきりに」
「あいつに付け文が届いたら、幹部がみな騒ぎになる」
土方が笑いながら受け流す。
「雪村はんは、新選組のお客人どすか? 幹部さんでも、隊士さんでもありはれへんやとしたら……」
「まあ、客人みたいなもんだ」、と土方。
「雪村君は父親探しの為に江戸から出て来て、我々の処に居る。御尊父は雪村綱道という江戸の蘭方医で、 幕命で京に来ている間に行方不明になってな。もう一年になる」
笑顔で話す近藤に、土方が厳しい視線を向けた。
「雪村綱道。蘭方医」
呟く君菊に、土方が顔を向けた。
「君菊、綱道さんに心当たりがあるのか?」
「いいえ、その様なお名前は聞いた事あらしまへんなあ。蘭方医の先生は前に数回、お座敷に上がらせて貰うたことあるんやけど」
「綱道さんは、剃髪で小柄な男だ。如何にも蘭方医みてえな成りをしている」
「へえ、お座敷に呼ばれた先生は皆鬢を結うて結うてはりました。その様なお人探しでしたら、お座敷に上る芸妓や舞妓にうちから声をかけますえ」
「それは有り難い。どんな些細な事でもいい。何かあったら屯所に知らせてくれ給え」
近藤はそう言うと、君菊に長唄を聴かせるよう頼んだ。
土方は、寛ぐ近藤としっとりと唄う君菊を眺めながらゆっくりと酒を呑んだ。
「いつ聴いても、そなたの声は良い」近藤は満足そうに脇息に凭れながら笑った。
「おおきに」、君菊は両手をついて頭を下げると、土方の傍に座り酌をした。
「山崎が大坂から薬草を仕入れて帰って来た。人蔘もな。今月の勘定書きはべらぼうに出る方が多い。承知しといてくれ」
土方が近藤に報告する。
「あいわかった。それで総司の様子はどうだ? 俺が江戸から戻った時にはちょっと痩せたように見えた、これから巡察に行ってくると張り切ってたがな」
近藤が脇息から肘を外しながら訊ねた。
「夜中から明け方に変な咳をする」
「隣の部屋の源さんが、夜は殆ど寝てないんじゃねえかと心配してる。この前も昼間の一番組の巡察は自分が行くからって代わりに出てった」
近藤はじっと真顔で話を聞いている。
「あいつは山崎の煎じ薬を嫌がって飲みやがらねえ。この前も何処に隠れてるのかと思ったら、千鶴の部屋の蒲団の中に居やがった」
「なに? 」近藤は急に起き上がると、
「嫁入り前のおなごの、それも蒲団に潜りこむなど怪しからん!」
「千鶴にも総司の世話を頼んでるんだが、毎日悪戯ではぐらかされて、助けに入った斎藤が手を焼いている」
「俺から総司には言ってきかせよう」、近藤は溜息をついた。
「屯所を移ったら、山崎と千鶴を総司の隣の部屋に配置する。斎藤を千鶴の隣」
土方は懐から部屋割りの書付を取り出した。君菊はそれを土方の代わりに近藤に手渡す。
「西側の奥に平隊士、北側に山南さんと【手偏部屋】、平助達は監視にその周りで、問題は新しく来る 水戸派の連中だ」
土方が胡座をかいたまま、近藤の持つ書付を顎で指した。
「伊東先生は、山南君の所から遠去けるべきだろう。【手偏部屋】は隔離せんとならん。何れにせよ、地方遊説の役目について貰うから、伊東先生は屯所を留守することになる」
「トシ、苦労をかけるが、部屋割りはこれで進めて貰えまいか? 今よりずっと広くなる。ひょっとすると、幹部同士も一日顔を合わすこともなくなるやも知れん。広間が無理なら俺の部屋かトシの部屋で幹部を集めればいい」
土方が静かに頷くと、会合はお開きになった。
夜更けに輪違屋の籠で土方は壬生屯所に、近藤は妾宅にそれぞれ帰った。
****
八瀬の里
八瀬の千姫の元に式鬼が舞い込む、木の葉を手に取ると忽ち文に変化した。
美しい手跡で、
千鶴様は西本願寺北集会所南西の間に移られます
斎藤一の護衛付き
新選組に雪村綱道との接触なし
勤皇水戸派伊東某入隊
屯所内に山南某が関わる羅刹部屋あり秘匿
千鶴様は御無事、局長以下丁重に厚遇の様子
千姫は まだ見ぬ雪村千鶴が無事の報せに安堵した。
長州征伐の勅命にも拘わらず、幕府の動きは消極的な一方、尾張藩徳川慶勝率いる征長総督は薩摩藩の西郷長吉を参謀にし、長州藩の恭順降伏へ暴走している。あらゆる思想が、朝廷内でも入り乱れ孝明天皇が望む公家と武家が伴に手を併せる世は程遠い。
会津藩主の松平容保公を頼りにされている天子様は果たして幕命で羅刹を生み出している者が会津藩に関わっている事をどう思召しになられるであろう。
江戸の将軍家茂様はこの事態を何処まで操作されているのか。
噂では薩摩藩が長州征伐から手を引く流れにあるという。
幕府でも影響力を持つ薩摩が長州に付くと、幕府の弱体化は必須。朝廷内討幕派が台頭すると、孝明天皇の身が危うくなる。
其れは決して在ってはならぬ。
千姫は廊下に出て、月を仰ぐ。
この数百年間の平和な時代が終わろうとしている。
八瀬の里を平穏に保たねば。
千姫の溜息が白く変わった。
萩に居るであろう天霧九寿から薩摩藩の動向と雪村綱道の居場所を報せて貰うよう、君菊に命じよう。不安要因は些細な事から忽ち大きくなる。
雪村千鶴の安全の為にも。
青白く輝く下弦の月の下、黒く拡がる漆黒の闇を見詰めながら、千姫はこれから始まる動乱に冷静に臨む覚悟を決めた。
つづく
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