冬仕度

冬仕度

濁りなき心に その11

元治元年十二月

 長州征伐の各藩兵の解体が進み、一旦戦は回避されたまま師走へ。

 江戸から伊東甲子太郎が上洛した。

 近藤は朝から屯所内で指示をして、八木家の客間を整えた後に、井上と山南を引き連れて玄関で伊東の到着を待ち受け歓迎した。

「伊東先生、ようこそ。どうぞ此方へ」

「局長自らのお出迎え、痛み入ります」

 近藤は嬉しそうに甲斐甲斐しく、幹部の集まる広間に案内する。一通り幹部への紹介が終わると、そのまま黒谷の会津藩邸に伊東を連れて行った。

「なんだあれ、近藤さん浮足立ってんな」と不機嫌そうな新八。

「慇懃無礼な物言いだな、伊東さんは」と左之助は溜息をついた。

「今夜は幹部で夕餉の後に歓迎の宴を開く。巡査当番以外の者は全員出るよう」

 土方の指示で幹部は隊務に戻った。



***

 夜の宴会には伊東の実弟、三木三郎も呼ばれた。三木は四条の宿に篠原泰之進と一緒に滞在していた。

「伊東先生は学識も高く、弁舌にも優れておられる。我々は学ぶことが多い。隊士が増えるのは真に喜ばしい、それが先生の様な有能なお方なら尚の事ですなあ」

 近藤は上機嫌で伊東の杯に酒を注いでいる。伊東も笑顔で杯を受けると。

「まあ、御上手ですこと。新選組と伊東道場、志は同じで御座いますわ。真の攘夷の為、命をかけて国事の為に共に戦いましょう」

 近藤と伊東が意気投合するのを他の幹部は冷めた様子で静観していた。

 伊東甲子太郎は隊内の文学師範として活動する事になった。伊東が広間に連日隊士を集めて、尊王攘夷について論説を唱える様子を新八と左之助は呆れてみていた。

 長州征伐の流れの中で、幕命に従い活動する新選組は会津藩同様、佐幕派。
 伊東の説く勤皇攘夷は朝廷を第一に考え、諸藩の中でも薩摩藩の藩論に属する。

 会津藩と薩摩藩が相容れない仲であるように、伊東の思想は反新選組なものにしか感じられない。軋轢が出てくるのは目に見えていた。

 伊東は身のこなしも隙がなく、美意識も高い。頻繁に小原女に花を届けさせ客間に活けている。文化的な素養の高さは、五番組組長の武田観柳斎も心酔仕切っている様子で客間に足繁く通っている姿が見られた。
 まるで幹部を一人づつ値踏みするように観察する態度に苛立ちを覚えながらも、一刀流の免許皆伝の腕を持つ伊東を幹部は黙認するしかなかった。



***

二条の見倒屋

「なあ、左之。今日巡察の時に見倒屋でいいもん見つけた」

「なんだ」

「屏風だよ。びょうぶ」

「屏風、欲しいのか?」

「ああ、見廻り中だから買えなかったけど。二条烏丸の履物屋の隣の、あそこの入り口に、此れぐらいの高さのいいのがあったんだ」

 新八は手を自分の胸ぐらいの高さに置いて満面の笑みをしている。

「良いじゃねえか」と左之助は縁縁に腰掛ける。

「いいだろ? あの子なら、すっぽり隠れるし、山吹色地に桜の花弁が舞っててよ、いい品物だったんだ」

「千鶴にか、何処かに囲ってる女にかと思った」

「馬鹿言うなよ。今日は遅いけど、明日お前も一緒に二条に出ねえか?」

「ああ、いいぜ。屯所も慌ただしいばかりで、落ち着かねえ。奴さんもウロウロしていやがるし」

 そう言いながら、左之助は母屋の渡り廊下を扇子を持って歩く伊東を見ていた。

 翌日、左之助と新八は平助を誘って二条烏丸に出掛けた。

「なんか、休みにぱっつあんと烏丸に向かうのって変な感じ。いつも島原直行だもんな」

「たまにはいいだろ?」

「その見倒屋、俺も前に火鉢買った事あるよ。あそこの親父は気前がいい。新選組だって毛嫌いしないし」と平助。

「火鉢か。小振りで良いのがあれば、千鶴に買ってやろうかな」

「なんだよ、左之さんまで。俺だって、千鶴に何か買ってやりてえよ」

「店で何かみつけてやりゃあいい」

 夕刻に三人が戻ってきた時、千鶴は台所で夕餉の支度をしていた。屯所の玄関から大荷物を運び込む三人に巡察から帰った斎藤が出くわした。

「お、はじめくん。いいとこ来た。此れ千鶴の部屋に運ぶの手伝って」

 斎藤は素早く自室に戻って刀を置くと速攻で玄関に手伝いに向かった。

「あれ、千鶴いないのー?」

 廊下から声を掛けても千鶴の部屋は静かなまま。

「台所だ。今日は源さんと夕餉の支度当番だ」

「じゃあ、俺呼んでくるよ」と平助が走っていく。

「屏風か」と呟く斎藤に、左之助が

「そうだ、千鶴が急に障子開けられてもいいように目隠しにな。不躾な平助が千鶴の着替え途中に部屋を開けたりするからな」

 斎藤は頰がカッと熱くなった。

「平助もか」

「平助もって、斎藤おまえもか?」

「いや、あれは決して故意ではなかった」

 狼狽する斎藤の背後から

「一体何の騒ぎ? 僕の部屋まで聞こえてんだけど」

 総司が寝間着のまま現れた。

「千鶴ちゃん、洗濯板みたいだったよ」

 総司が笑いながら左之助に報告した。

「な、総司、あんたは」

 斎藤は、振り返りながら真っ赤になっている。

「でも、それは屯所に来た頃のこと」

「最近はね。柔らかいよ」と総司は笑顔で斎藤を覗き込む。

「ね、はじめくん?」

 斎藤は言葉が出てこず、全身に以前偶然に抱きしめた時の千鶴の感触が蘇りどうしようもなかった。

「総司。斎藤が固まっちまった。まあ、見ちまったもんはしょうがねえ。それは果報ってもんだ。な、斎藤」

 左之助は笑いながら、斎藤の肩に手を置いた。

「皆さん、すみません」と千鶴が廊下を走って来た。

「千鶴、部屋開けていい?」と平助が訊くと、千鶴は、はいと答えて障子を開け放った。

 新八は台所から新しく炭を入れた火鉢を運んで来た。

「はいはい、そこを通してくれよ。千鶴ちゃん、ここの脇に置くぜ」

「永倉さん、有難う御座います」

「礼には及ばねえよ。これでよしと」

「千鶴、屏風は部屋の奥に広げておくぜ。寝間もこっち側に敷くと風除けになるからよ」

「原田さん、有難う御座います」

「あと、此れは俺から」そう言って平助は包みを渡した。

「湯湯婆。私欲しかったの。有難う、平助くん」

「これで、暖かく過ごせるな」と平助は嬉しそうに鼻の下をこする。

「皆さん、本当に有難う御座います」千鶴は深々と頭を下げる。

「礼には及ばねえよ。日頃からこっちが千鶴には世話になってんだ。ありがとうよ」と笑顔で左之助が答える。

「夕餉の支度が出来ています。今日は【はりはり鍋】です」

「お、鍋かあ。争奪戦だな、こりゃ」

 そう言って、新八と平助は広間に向かって走り出した。

「沖田さん、今夕餉をお部屋にお持ちしますね」

「千鶴ちゃん、今晩、蒟蒻もお願い」

「はい」と千鶴は満面の笑みで答えた。

 部屋の入り口に立つ斎藤に笑顔を向けると、斎藤は優しい笑顔で頷いた。左之助と千鶴が台所に向かって廊下を歩いていくと、廊下の柱に凭れた総司が呟く。

「あの人、ずっと見てるよね」

「ああ」

「千鶴ちゃん。狙われてるから」

「ああ」

「僕なら斬っちゃうけどね」

 そう言って総司は部屋に戻って行った。斎藤は黙ったまま、向こうの渡り廊下の影が消えるのを見届けてから台所に向かった。



*******

八峰の椿

元治二年 一月

 正月も明け、隊士は通常の巡察に出ている。屯所は春の移転に向けて、荷物の整理などで慌ただしい。

 千鶴は、大広間の掛け軸の整理など、八木邸に元々あったものと新選組所有の物を分ける作業をした後に屑物を庭で燃やしていた。玄関から紺色のふさの付いた手拭いを頭に被った紺絣姿の女性が、

「花はいらんかえー」と呼びかけながら歩いてくる。

 千鶴を見つけると、「お花をお持ちしました」と小原女は笑顔で一礼した。千鶴は、客間の前のくれ縁まで女性を案内して、廊下に上がり伊東を呼んだ。

「伊東さん、小原女さんが来ています」

 障子が開いて、伊東が出てきた。

「有難う。雪村くんもご一緒に如何かしら。私が選んで差し上げてよ」

 伊東は小原女を縁側に呼んで筵の中の花を吟味する。

「この紅椿を頂くわ。雪村くん、この枝振りが良くてよ」

「八瀬の山に咲く大振りのものです」と小原女は微笑みながら枝を分ける。

「あしひきの八峰の椿ね、気に入ったわ。 あなた、また来て頂戴」

 小原女は笑顔で会釈すると、花入の筵を抱えて帰って行った。千鶴は、伊東に礼を言って、大広間に花を飾りに向かった。



***

 千鶴は広間で椿を活けて、床の間に飾り終わると、部屋に戻った。

 屑物にするには勿体無いと思って、取っておいた奉書紙を取り出すと、墨を擦った。そして、思い出した通りに 楷書で書いてみた。

 奥山之 八峯乃海石榴 都婆良可尓 今日者久良佐祢 大夫之徒
(奥山のやつをの椿つばらかに、今日は暮らさね、ますらをのとも)

 雲龍紙に貼って、広間の古い掛け軸に綴じ付けて掛けてみた。

 夜に大広間に来た伊東は目敏く、床の間の活花と掛け軸を眺めた。

(まあ、あの子。立花を良く心得てるわ。それにあの書。八峰の椿でそう詠んだのね)

 伊東は、近藤に参謀になったと皆の前で告げられ、更に上機嫌になった。総長である山南より重用される参謀役に伊東がつくと、山南の立場がない。伊東と近藤以外は、皆そう思った。

 伊東は山南に向かい、

「総長のお仕事は、剣を振る事が出来なくても充分勤まるものですのね。山南さんが出来ない部分は私が協力致します」

「伊東さん、それは一体、どういう意味だ。山南さんは剣を振れないんじゃねえ。総長は新選組の立派な剣士で論客だ。勝手な事を言わないで貰いたい」

  土方は伊東を睨みつけて怒鳴った。

「まあ、私は新選組に協力を惜しまないと言ったまでよ」と冷めた様子で土方を嗜める伊東。

「トシ、伊東先生が協力すると仰ってるんだ。有り難い事じゃないか」

  近藤が両方の矛を収めて、その日の夜の集会は終わった。



***

  翌日、千鶴が井戸端で洗濯をして居ると背後から伊東の声が聞こえた。

「雪村くん、いいかしら」

「はい」と返事して振り返ると、縁側に立った伊東が手招きした。

「あなたの書を見たわ。素直で伸びやかですこと。これ、私から。お庭の椿、八峰の椿に見立てて」

「貴方に差し上げるわ」

 伊東は椿の枝と短冊を千鶴に押し付けると鼻歌を歌いながら廊下の角を曲がって消えて行った。

 千鶴は部屋の文机に伊東から貰った花と短冊を置くと、井戸に戻って洗濯を済ませた。それから広間の物入れから花器を借りて、椿を活けた。伊東の短冊には、達筆な手跡で。

 安之比奇能 夜都乎乃都婆吉 都良々々尓 美等母安可米也 宇恵弖家流伎美
(あしひきのやつをの椿つらつらに見とも飽かめや植えてける君)

 部屋に花が有るのは嬉しいが、こんな歌を貰っても。千鶴は伊東の短冊に居心地の悪さを感じて、そのまま文机の上に放置した。

 伊東は鼻歌を歌いながら土方の部屋に直行した。

「土方さん、いいかしら?」

 そう言って土方の部屋に入ると、帳簿付けをする土方に向かって

「雪村くんって子。土方さんの小姓なんですってね」

 土方は千鶴の名前が出た瞬間、筆を止めた。

「ああ、それが何か」と伊東に厳しい目線を向けた。

「あの子、まだ元服もしていないようね。若い芽は手を掛けてこそ」

「私に貸して頂けないかしら。良ければ、私の小姓にしたいのですけど」と扇を口に当てて微笑む。

「それは、お断りだ。あいつは大事な預かり者だ。貸し出すつもりはねえ」

「用が済んだら、出て行ってくれ。俺は忙しい」

「まぁ、其れはどうもお邪魔致しました。でも、わたくし雪村くんの素養を高めるのに手間は惜しみませんわ。此れからが楽しみですこと」

 伊東は障子の向こうに消えて行った。

 土方は巡察から戻った斎藤を呼び出した。

「伊東さんが千鶴を自分の小姓にしてえ、と言い出しやがった」

 斎藤は内心動揺した。

「女と気付いてるのかもしれねえ。ま、そうじゃねえとしても厄介だ。お前に千鶴の護衛を頼む」

「巡察にも、当番も一緒に同行させろ。伊東さんは屯所内を監視していやがる」

「手に負えなければ、知らせろ」

「承知」

 斎藤はそのまま千鶴の部屋に向かった。

 声を掛けて部屋に入ると、千鶴は縫い物をしていた。斎藤が巡察から戻ったところだと告げると、お茶を入れて来ると部屋を出て行った。 斎藤は手持ち無沙汰に千鶴の部屋を見回した。

 新八の贈った屏風、文机の上には、千代紙で作った文箱。いつか斎藤が贈った和紙の巾着がある。

 何だ、この短冊は。

 みともあかめやうえてける君

 この字、雪村のでも副長のものでもない。斎藤が不思議に思って居ると。

「お待たせしました」と千鶴が戻って来た。お盆から斎藤の前に湯呑みを置く。

 斎藤が手にしている短冊に気がつくと、千鶴は咄嗟に取り上げて背中に隠した。斎藤は呆気に取られた。
千鶴は困った顔で、「此れは何でもないんです」と途方に暮れた様子で、伊東に貰った物だけど飾る気にも仕舞う気にもならないと説明した。斎藤は床の間の椿に目をやった。

「飾らないのならば、仕舞うしかないな。其れとも燃してしまうか」

 淡々と話す斎藤に、千鶴は気分が軽くなった。

「燃やすには紙も書も立派過ぎます」

「そうだな。俺はその書もその椿も美しいと思う。大広間のあんたの書と活けた花。あの歌もそうだ。俺は今朝巡察に行く時もあの歌を思い出して、よい一日を過ごせた」

 千鶴はみるみる間に頰を赤くした。

「有難うございます。そんな風に思って頂いて」

 千鶴は頭を下げると俯いた。

「伊東さんは、上洛されたばかりだ。新選組の様子を見ておられる。あんたを含めて俺らは皆、観察されているのであろう。居心地が悪ければ、いつでも知らせてくれ。あんたが困る必要はない。俺が対処する」

「有難うございます」

「明日から夜の巡察以外は俺と一緒に行動することになった。副長の命だ」

「はい」と千鶴は返事して笑顔になった。

「茶を馳走になった」

 そう言って斎藤は、部屋を出て行った。

 千鶴は、斎藤の傍に居られる事に安堵した。

 手に持っていた和歌の短冊を眺めると、そっと床の間の椿の横に飾ってみた。




 つづく

→次話 濁りなき心に その12

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