節分会
濁りなき心に その12
元治二年二月
月が開けて、新選組は壬生寺に焙烙(ほうらく)を奉納することになった。
長州との膠着状態もさることながら、屯所の移転を控え厄を落とそうと近藤が言い出したのきっかけだった。昨年はまだ外出許可が下りてなかった千鶴にとって、初めての壬生寺の節分会だった。壬生狂言も上演され、境内は人で賑わう。
「千鶴、はじめくん、こっちこっちー」
先に狂言舞台の前に陣取った平助が手を振って呼ぶ。千鶴は斎藤と一緒に人混みを抜けて前に進んだ。〈壬生のかんでんでん〉と呼ばれている狂言の演目は【節分】人に化けた鬼が打ち出の小槌で後家に着物を与えて酒宴をするが、正体がばれて豆で追い払われる。眠った男が鬼だと判った時の後家の驚き様が滑稽で、皆が大いに沸いた。
「千鶴、面白かった?」
「うん、とっても。眠った鬼が起きそうなところが可笑しかった」
「あの後家さん、強いよな。打ち出の小槌も奪って、鬼を追い払っちまう」
「本当に」、と千鶴はクスクス笑いながら歩く。
「綺麗なお着物まで下さるいい鬼さんなのに」
「なんだ、千鶴。お前、綺麗な着物貰えりゃ、鬼でも良いってのか?」
驚いたように左之助が後ろから話しかける。千鶴は頷きながら笑っている。
「驚いたな。おい、斎藤。鬼が現れたら、おっ払わねーとな」
斎藤は微笑みながら頷く。
「やっぱり千鶴も女だな。着飾りてえって事か」、と左之助は千鶴を見下ろしながら眺めた後、誘いかけた。
「今度茶屋にでも出掛けてそこで着替えてみるか」
「ちょっと、左之さん。何どさくさに紛れて千鶴のこと口説いてんだよ!」
先を歩いていた平助が振り返って、大声で叫ぶ。
「左之。お前、赤鬼と同じじゃねえか。茶屋に連れ込んで、千鶴ちゃんを取って喰おうとすんじゃねえぞ」
新八も振り返りながら呆れる。
「人聞きの悪い事言うなよ。俺は純粋に厚意でだな。千鶴に綺麗な着物を着せてやりてえんだよ」
左之助が千鶴の横を歩きながら応える。
「そうだな、屯所が移ったら、島原の茶屋に上がってみるのもいいな。おい、楽しみだぜ、こりゃ」
左之助の元に戻りながら、新八が相談を始めた。
「なになにー、勝手に二人で決めないでよ」
平助が加わり、左之助と新八と三人で先に屯所に戻って行った。斎藤と千鶴は境内を周って焙烙を買った。千鶴は父様に会えますようにと願い事を書いて奉納した。
「皐月に焙烙割りがある。また観に来よう」
「はい」、と千鶴は嬉しそうに笑う。
「狂言は秋の演目と同じだ。また【土蜘蛛】が観られる」
「それは楽しみです。【紅葉狩】もまた観てみたい」
「あれは面白い。江戸に居た頃に俺は猿楽で観た」
「女鬼のお着物がとっても綺麗で。紅葉が刺繍されて本当に豪勢な。大きな杯を平維茂があおる場面が面白い」
「あの女鬼は利口だ、毒を盛って維茂から大小まで奪う」、と斎藤は微笑む。
「私は紅葉のことを維茂は好きになったと思っていたので、紅葉が鬼に姿を変えた時はびっくりしました」
「美しい女人のままなら、維茂も好いたままであっただろう。俺は【降魔(こうま)の剣】を授かる場面が好きだ」
「斎藤さんは、美しい女の人なら鬼でも一緒にご酒を呑むんですね」、千鶴はクスクス笑う。
「ああ、酒は呑む。でも美しくとも鬼であれば、斬らねばならぬな。宝剣を授かったからには」、そう言いながら斎藤も笑う。
「斎藤さんが【降魔の剣】を持てば、どんなに強い鬼でも敵いません。なんだか、女鬼がお気の毒です」
「あんたは、今日はやたらと鬼の味方をするのだな」、斎藤は笑う。
「本当に、節分だというのに」、千鶴は困った表情をする。
出店を覗きながら、夕方まで斎藤と千鶴は境内で過ごした。翌日に近藤、土方、山南、伊東の四人が焙烙奉納に出掛けた。四人が揃った時に何が起きたのか、大方、伊東が何時もの慇懃な調子で山南を見下すような言動があったのだろう。追い込まれた山南は、動かない左手で再び剣を取る為、節分の夜に自ら変若水を飲んだ。
***
総長 山南敬助
山南敬助が羅刹になった。
未明の騒ぎで、眠っていた千鶴も広間に駆けつけた。幹部が集まり対応を話し合ってたのを千鶴が廊下で聞いてしまった。
千鶴が上洛した夜に偶然、暴走した羅刹を目撃して以来、幹部がひた隠しにしていた新選組の秘密。
幕命で新選組は変若水の実験をしている事。変若水でヒトは羅刹になるが、驚異的な身体能力を持つ一方で制御が効かなく、血に狂い理性を無くす状態であること。そして、その変若水の研究をしていたのが、自分の父親雪村綱道という事実。
秘密を全て知った千鶴を生かして置くのは危険。
土方は、今直ぐは斬らないが、新選組が不利になる状況になれば千鶴を処分するのも辞さない。そう千鶴に告げた。千鶴は死刑宣告を受けたも同然で、自分の立場は一年前と何ら変わらない事を痛感した。新選組を危険に晒している怖ろしい薬を自分の父親が造り出していた。この真実が千鶴を更に打ちのめした。
変若水の副作用から生還した翌日、山南がいつもと変わらぬ様子で幹部の前に姿を現した。そして、自ら羅刹の成功例として隊務に就きたいと言い出した。陽の光の元では活動出来ない羅刹の特性所以、自分を死んだ事にして欲しいと。幹部は山南の希望を汲みとった。
山南は表向きは法度に背いて粛清され、節分の夜に極一部の幹部に弔われた事になった。
伊東を含む他の隊士の目から山南を隠す為に、前川邸の変若水部屋で山南は寝起きするようになった。夜の監視当番が食事を運び、要り用を言付かる。幸いにも山南の飲んだ変若水は改良型で、山南は血に狂い理性を失う様子はなかった。
「斎藤くん、すみませんね」
二月の終わりに近いある晩、斎藤が食事を運ぶと山南が廊下に出てきた。屯所の移転の手伝いも出来ずにいる事を詫びる山南に、斎藤は土方からの伝言をする。
羅刹部屋を移すのは三月四日の日没後。その日は水戸派の連中が近藤さんと大坂に出向く。幹部で変若水の道具や書物の類いは昼間に搬入しておく。夜道を歩けない連中が居たら知らせるよう。事前に対処する。
対処する。
羅刹になった者の心の臓を貫くか、首を切り跳ねること。
「副長に申し伝える事があれば、伝えます」
斎藤が静かに話す。
「私からは何もありません。移転の予定はわかったとだけ」
山南は行灯の灯った薄暗い部屋の入り口に立ち、静かに応える。
「俺は、羅刹部屋の前に居ます」、斎藤は奥の廊下に向かって行こうとすると。山南が呼び止めた。
「斎藤くん、君さえ良ければ私と手合わせをお願いしたいのですが」
「随分長い間、左手を使って稽古をして居なかったので、勘を取り戻したいのです」
斎藤は喜んで引き受けた。二人で木刀を手に座敷牢の手前にある土間で手合わせをした。
山南は、以前と変わらぬどころか、動きがより俊敏になった。剣を振るう力は強く、斎藤は何度か太刀を躱され、体勢を崩しそうになった。斎藤は本気で臨んだ、一定の動きに隙が見えるまで構えて待つ。最後は斎藤の一撃で一本をとった。
息を切らしながら、山南は飛ばされた木刀を拾うと元の位置に戻り、互いに一礼した。
「斎藤くん、有難う御座います。課題が見えました。此れから精進する事にします」
「俺も是非またお願いしたい」
斎藤も上がった息を整えるように、肩を上下させながら応えた。
「有難う。私は果報者です。藤堂君にも手合わせをして貰っているのです。こうして強いあなた方に稽古をつけて貰えば、私でも新選組で役立てる事が出来ると思えます」
微笑む山南に、斎藤は一礼をして監視周りに戻った。
再び剣を振るえる様になって、山南は生き返ったようだった。斎藤は山南の気持ちが良く解る気がした。剣を持てなくなるという状態は死んだも同然。自分が山南の立場なら、きっと変若水を飲むだろう。斎藤は、目の前の羅刹になった元隊士達を見ながら、己が剣を振るえなくなったら、同じ選択をするだろうと思った。
それから山南は夜間に変若水の研究と羅刹隊士の鍛錬を始めた。血に狂い制御出来なくなった者を、山南自らの手によって処分していった。
つづく
→次話 濁りなき心に その13へ