千姫の憂い

千姫の憂い

濁りなき心に その27

慶応二年十一月 初霜

 ある一段と冷え込んだ朝、八瀬の里の道を白い息を吐きながら、千姫は結界の外まで急ぎ歩いていた。

 御所からの頻繁な呼び出しで千姫は市中に下る事が多くなった。改革派を謳う下位の公家が台頭し、朝廷内で孝明天皇が孤立しつつある。千姫は、御所周辺で集めた情報を孝明天皇に届け、そっと励まし続けている。そんな折、市中の君菊から、雪村綱道と南雲薫が薩摩藩邸に出入りしているという情報が入った。千鶴の身を案じた千姫は市中を見廻る新選組に偶然出会ったように装って、雪村千鶴と知り合った。身分は隠し、自ら【千(せん)】とだけ名乗った。

 君菊や葵から聞き及んでいた以上に、千鶴は美しく、その真っ直ぐな心延えに、千姫は同族の知古を得た以上の悦びを感じた。思慮深い千鶴は、多くを語らないが。最近、千鶴が君菊にしたためた文に、心の中の不安を吐露するような苦しい心持ちが書かれていた。

心の中にずっと長雨が降り続けて
幾ら願っても、考えても
自分では解らない事ばかり
せめて父親に会って話をする事さえ出来たら

 千姫は、恐らく千鶴は雪村綱道が薩摩側についた事を知ったのだろうと思い至った。
幕府と牽制し合う薩摩藩は、朝廷内でその影響力は衰えているように思える。しかし決して油断はできない。
千姫は、薩摩藩邸を更に偵察をさせた。そしてその矢先、祇園に西国の鬼の頭領、風間千景が滞在している事を知った。

 風間達は薩摩藩の命で、一橋慶喜、桑名藩、会津藩と御所の偵察を続けていた。薩摩と土佐藩は密約を結び、羅刹開発を共同で行うという事だった。土佐藩の南雲家と西国の風間が雪村綱道を保護をしているという情報に、千姫は愕然とした。

 とうとう恐れていた事が。幕府雄藩に倒幕の流れが出来つつある今、その先頭を切る薩摩に雪村綱道が羅刹を持ち込む。西国に雪村綱道が移ったら、風間は次に雪村千鶴を西国に連れ去るだろう。

「父を探す為に、新選組にお世話になっている」

 笑顔で話していた千鶴を思い出しながら、千姫は急ぎ身支度を済ませて市中に再び向かった。

 市中で葵と合流した千姫は、三条を巡察する新選組十番組の元へ案内された。そこで千姫は、風間達の居る二条城を再び偵察するという葵と一旦別れた。千姫は、葵から特徴を聞いた通り、背の高い槍持ちの原田左之助に自分から声を掛けた。原田は、千姫を警戒する事なく、気安く千鶴の様子を話してくれた。千鶴がこの頃、鬱ぎがちだから、茶屋で会って楽しい話でもしてやってくれと、心配そうに話す原田に千姫は胸が温まる思いがした。千姫は、翌日の午後、四条河原町の団子屋で待っていると千鶴に伝言を頼んだ。

 翌朝、原田からお千の伝言を聞いた千鶴は、土方に外出の許可を貰った。土方の指示で斎藤が千鶴に付き添っていくことになった。

 千姫は道の向こうから歩いてくる千鶴に手を振って、茶屋に迎え入れた。通りの向こうで、千鶴に付き添って来た斎藤は、千姫に会釈をすると、そのまま辺りを警戒している様子だった。千鶴は、常に護られている。

 市中での新選組の評判は悪く、恐ろしい人斬り集団だと市井の人々から疎まれているが、実際は全く違う。千姫は、数回出会った新選組の幹部一人一人が、千鶴に好意的で保護をする気持ちが強い事を、葵や君菊から聞き及んでいた。そして今回も原田や斎藤の細やかな心遣いや武士らしい振舞いに、千鶴は決して身柄を新選組に利用されているのでは無く、寧ろ大切な存在として護られている事を実感した。

「ここの御団子美味しいでしょ?」

 千姫は、千鶴に御団子を勧めながら、屯所では男所帯で苦労していないか。何か困った事はないか、とまるで身内の姉のように尋ねた。千姫は千鶴の一つ歳上だから姉みたいなものだと明るく笑う。千鶴は、こうして女友達と茶屋で会って話すのは、何年も無かったと思いながら話をした。同時に、屯所での幹部たちとの生活は、もう当たり前の様になっていて、屯所の外の生活は考えられないと強く思った。たとえ江戸の実家に戻る事になっても、それは同じ気がした。

 千姫は、楽しそうに、屯所での暮らしの様子を語る千鶴を眺めていた。

「この前、私の部屋に蜘蛛が出て。足が長いこんなに大きな。障子の桟からさっさーっと私に向かって来て。吃驚して大声を上げたら、斎藤さんが助けに来て下さって。蜘蛛を指差したら、刀を抜こうとして」

 千鶴は大きな瞳をくるくるさせながら話している。

「蜘蛛が斬りつけられると思って恐くて目を瞑っていたら、急に私の身体が持ち上げられて」

 千鶴は、湯呑みを両手で持ちながら笑顔で話す。

「脚高蜘蛛(あしだかぐも)だ。これは悪い虫を退治する。見た目は怖ろしいが家屋を守る。恐がらずともよい」

「そう言って、斎藤さんは足で蜘蛛を部屋から追い出して」

「濡れ縁の向こうに蜘蛛が消えたら、私を降ろして。もう大丈夫だ。あの蜘蛛は巣を持たぬ。家屋に人と共に住まうと教えて下さって」

「それを聞いてから、不思議と蜘蛛は怖くなくなって」

 そう言って笑う千鶴を千姫は優しく眺めた。

「そう、屯所は蜘蛛にも護られているのね」

 千姫は、笑顔で千鶴にそう言うと、道の向こうでそっと自分たちを見守る斎藤に目をやった。この物静かな男も、千鶴を側で護っている。千姫は、千鶴が新選組の庇護のもとで幸せに暮らしている様子を確かめる事が出来た。そして、たとえ雪村綱道が望んだとしても、風間や南雲薫が千鶴自身の同意なしに京から連れ去る様な事はあってはならないと思った。

「千鶴ちゃん、また会いましょう。次は三条の美味しいお饅頭屋さんで」

 千姫はそう言うと、千鶴の手をとった。初めて千鶴に触れた千姫は、千鶴から未だ覚醒していない強い鬼の力を感じとった。濃い純血の鬼の血脈。其れは何千年と受け継がれた、千姫の身の内にも流れているものと同じであった。

「うん、ありがとう。お千ちゃん、私は、毎月の終わりが非番」

 千鶴は、最初に会った時より表情が明るくなった。千鶴の身に禍が起きぬ様に念を送りながら、千姫はそっと手を離した。それから、葵の報告を待たずに急ぎ八瀬に戻った。丁度、天霧より数日中に八瀬を訪問したいという申し送りが届いていた。千姫は風間の訪問を警戒して、市中より君菊を呼び寄せた。



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千姫の憂い

双極の存在

 その日の翌日、天霧は独りで千姫に会いにやって来た。丁寧な挨拶の後に、年内は薩摩藩の命で洛中に滞在する予定であるという天霧に、千姫は薩摩藩の思惑を知らせるように要求した。風間家が雪村綱道を保護し、羅刹開発に協力するとあれば、千姫は朝廷の力を借りてでも其れを阻止すると宣言した。天霧は風間千景は羅刹開発を快く思ってはおらず、西国の鬼の郷に雪村綱道と羅刹を入国させる事は無いであろうと応えた。

「今日伺いましたのは、その雪村綱道に関わる事です」

 天霧の前置きに、千姫と君菊は真剣な眼差しで姿勢を正した。

「雪村綱道が薩摩入りをする時に、千鶴様を鬼の郷に迎え入れたく」

「其れはなりませぬ」

 毅然と千姫は反対した。

「雪村千鶴は東国を統べる鬼。西国に赴く事はありません」

「然しながら、千姫様。その東国は失われたまま。風間は雪村家の再興を望んでいます。西国で千鶴様を保護し、人間の禍が雪村の血脈にこれ以上降り懸かるのを防ぐ事を風間は望んでおります」

 天霧の了見は、重々過ぎる程千姫には理解出来た。鬼の血脈。それは八瀬を護る千姫も古来より受け継いで来た最も大切なものであった。風間が人間の関知を超えた鬼の聖域を築く事に心を砕いている事も、そこで鬼の一族は平和裡に豊かに暮らせる事も千姫は理解していた。だが、どうしても、雪村綱道と千鶴を一緒に風間の元に行かせる事は、直感的に道理にもとる気がした。

「雪村家の再興に、雪村綱道も風間千景の力も必要はありません」

「雪村千鶴は、強い力を持つ女鬼です。人の世の禍事から己が身を護る力を充分に持ち合わせています。風間にそう伝えなさい」

「それでは、千姫様は千鶴様が父親の元に、そして兄上の元で一緒に暮らす事もお望みではないと。千鶴様は父親の安否を気遣われておられる。我々としては」

「雪村千鶴の兄とは、南雲薫を。貴方がたはあの者とも手を組んだのですね」

「いいえ、その様な事は。しかし、千鶴様と南雲薫は双生」

 天霧は、千姫の厳しい視線をまともに受けながら応えた。

「天霧、南雲薫を今、雪村千鶴に近づける事はなりません」

 天霧は、千姫が南雲薫について思い置く事柄がある事を察知し、そのまま沈黙した。千姫は、暫く逡巡した後、天霧に打ち明けたい事があると、語り始めた。

「東国の鬼の一族は、古来より双児が産まれると、必ずどちらかに強い鬼の力が備わり、その子に【千】を冠する名前をつけ、片割れには一文字の名を与えます」

「双子は陰と陽の象徴。月の満ち欠けが五十を超えるまで双生は単一の存在」

 天霧は、じっと黙ったまま千姫の話に耳を傾けている。

「古来より、東国では双児が産まれた時は、五十一夜(いそいちや)に初めて存在を分かつ式を行い、一族の頭領が決まるのです」

「天霧、大層驚いているようね。此れは私も最近まで知らなかった事です。古い八瀬の文献に双生についての術書が残っていたのです」

「雪村千鶴と薫が東国を追われた時、幸か不幸か、まだ五十一夜を迎えていなかった。雪村綱道が連れ去った双生の片割れが千鶴ちゃんだったのは、全くの偶然だったと私は思っています」

「雪村綱道は、血筋では分家。それも田村家に近い家人。医術に優れていた雪村綱道は、雪村家のト術師として 召し抱えてられていた。恐らく、雪村綱道は雪村の嫡子が双児である事を知っていたのでしょう」

「雪村の里が闇討ちにあった時、双児は助け出され。雪村綱道は、双児のうちの一人を守り江戸に隠れた。南雲薫は南雲家の縁の者が保護したのでしょう」

「雪村綱道は賢明でした。己が救った女鬼を保護する事は血脈を護る最も重要な事。人間の世で、人間と同じ様に育て、鬼の力を隠す事に成功しました」

「天霧、此処までが我々八瀬の里が知る限りの事です」

「雪村綱道が千鶴ちゃんを護り育てた事は事実です。しかし、ここ数年間、雪村綱道は行方を眩ませ南雲薫と一緒にいます。南雲薫は雪村の血脈ですが、強い鬼の力を持ちあわせない陰の存在」

「南雲薫が鬼の力を持たない男鬼である事は解りました」

 天霧は、雪村千鶴と南雲薫の相互関係が腑に落ちない様子で尋ねた。

「千姫様、陰陽の存在と仰いましたが、二人が近づく事で何か障りがあるのでしょうか」

「それは解りません。雪村の長は大通連と小通連を振るう力を持つと古より言伝えがあります。五十一夜の儀式で大太刀と小太刀が授けられ、一族を護る長と成る。今、雪村千鶴の元には小通連があり、彼女の身を護っています」

「大通連は南雲薫が」

「天霧、洛中での南雲薫の暗躍を見ていると、私は彼の存在自体が禍事の様に感じるのです。鬼の力を持たぬ鬼はどこの一族にも。決して珍しい事ではありません。しかし、雪村千鶴を護り育てた綱道がここ数年の間、千鶴ちゃんを捨て置き、南雲薫と行動を共にするのは」

「南雲薫に咎があると」

「ええ、本来、南雲薫は陰の存在。雪村千鶴の双極です」

「雪村綱道が本当に千鶴ちゃんを護り、雪村家の再興を望んでいるのか。南雲薫の思惑は……」

「天霧、今は時期が悪いのです。私には先が見通せません」千姫は、悔しそうに胸の帯に差した短刀に手をやった。

「だからこそ、私は己の直感に従います。貴方がた西国の鬼が南雲薫と手を結ぶなら、私達八瀬の鬼は全力で雪村千鶴を西国より遠ざけるでしょう」

「それでは、西国に雪村綱道と南雲薫を迎えず、千鶴様だけを迎え入れる事はご承知頂けますでしょうか」

 千姫は、天霧が千鶴の西国入りを此処まで望む事に驚いた。

「天霧、あなた、どうしてそこまで千鶴ちゃんを……」

「まさか、風間が千鶴ちゃんを望んでるってこと」

「はい、風間は娶られるつもりでおられます」

「いやだ、何言ってるの」

 千姫は、半腰で立ち上がると、天霧が冗談を言っていると思い一蹴した。傍らの君菊は千姫に落ち着くようにと、目配せをしてきた。天霧が真顔のまま否定をしないでいるのに気づき、千姫は姿勢を正してキッパリと断った。

「天霧、千鶴ちゃんの同意を得た上で、西国の風間の元に迎えるなら異存は有りません。ですが、無理やり連れ去る様な事は決してしない事。風間にそう伝えなさい」

「承知しました。それでは洛中滞在中に千鶴様にお会いし、同意を得たいと思います」

 天霧はそう言って、丁寧にいとまの挨拶をすると、足早に八瀬の里を後にした。千姫は、天霧が八瀬の里の結界を出るまで見守った。そして傍らの君菊に、

「風間が千鶴ちゃんを本気で娶ろうなんて。お呼びじゃないわよ」

 そう言って笑った。だが風間がもし本気ならば、鬼から千鶴を護るのはたとえ新選組でも非常に困難な事になるだろうと懸念が拡がった。居ても立っても居られなくなった千姫は、八瀬の里の結界を一層強く張り直すと、再び君菊と一緒に市中へ下って行った。




つづく​​​​​​​

→次話 濁りなき心に その28

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