
斗南の冬
斗南にて その3
明治四年一月
斗南に移って半年が過ぎた、雪に閉ざされた村落の小さな直家に足早に戻ると 、家の中から、庇に出迎える千鶴の姿が見えた。
「おかえりなさい。雪が止まないから心配でした」
千鶴は笑顔で駆け寄ると、手拭いで斎藤の頭や肩から雪をはらった。
「ただいま戻った。今晩は止まないようだ」
斎藤はそういって足元の雪を藁敷で落とし家の中に入った。 千鶴は上り口で斎藤から刀を受け取り、丁寧に溶けた雪を拭き取り庵の間の奥に立てかけると、 斎藤の脱いだ上着やズボンを干して夕餉の支度に土間に下りていった。
「今日、おたねさんから、胡麻油のお裾分けを頂いたんです」
千鶴は土間から斎藤に話しかける。嬉しそうに御膳に熱燗と小鉢を乗せて囲炉裏の前に置き、斎藤が腰掛けると。
「今夜は凍り豆腐です」
そう言って、 お酌をしながらクスクスと笑う。
(何故そこまで喜んでいるのか)
斎藤は不思議に思いながらも、釣られて微笑しながら 杯に口をつけた。 ぱたぱたと土間に下りた千鶴は、へっついから鉄鍋を下げて戻り囲炉裏に置いた。 蓋を開けると香りのいい湯気の向こうに揚げ出し豆腐が並んでいた。 みぞれ汁にひね生姜がのっている。温まりそうな。そして何とも美味そうな。千鶴はお椀に豆腐をよそって斎藤に差し出し、自分の膳を並べてやっと腰をかけた。
「いただこう」
斎藤は箸をとり豆腐を味わった。美味い。 今夜も酒が進むか。 千鶴はお代わりの碗をよそいながら、「どんどん食べてください」と笑う 。
凍り豆腐に衣をつけて胡麻油で揚げたら香ばして、
それだけで充分美味しいけれど。
揚げ出しにしたらきっと斎藤さんが喜ぶと思って。
今夜は冷えるから大根と生姜でみぞれにしてみました。
温まるからもっと食べてください。
「斎藤さん、好物ですものね。ここではお豆腐が手に入らないから。春になるまで待たないと。でも 凍り豆腐もこうして頂くと美味しい」
千鶴の嬉しそうな笑顔を見ていると、京の屯所での夕餉を思い出した。
新選組の事情で千鶴を屯所に留め置くことになって間も無く、千鶴は屯所の雑用や見廻りに出るようになり、幹部の食事当番にも加わるようになった。元々細かい事に良く気が回る性質なのだろう、少ない食材も工夫をして品を変え幹部の皆をよろこばせた。幹部の連中はそれぞれ千鶴を気にかけていた。雪村綱道探しの為、副長土方の指示で千鶴は三番組の見廻りに一緒に出ることが多くなり、斎藤は護衛についた
千鶴は次第に用があると、真っ先に斎藤の名前を呼ぶようになった。
用事もさることながら、総司の悪ふざけや悪戯に千鶴が驚き斎藤が助けるというのが日常茶飯事だった。そうこうしているうちに、斎藤の後にくっつくように過ごす千鶴の姿が当たり前になった。朝夕餉も斎藤の隣にわざわざ自分の膳を置いて座り。斎藤の好物を自分の皿からそっと斎藤の皿に移すようになった。
斎藤が夜回りの後に咳をし始めた日があった。朝餉に見慣れぬ蕎麦猪口が添えてあり、中に甘酒のようなものが入っていた。呑んでみると、塩気のある葛湯だった。
「蓮のすり流しです。喉風邪に、咳止めの妙薬です」
「そうか、ありがたい。頂くとしよう」
斎藤はそう言ってゆっくりと味わうように全部飲み干した。確かに喉元が温まり、痛みが緩んだ。傍らで千鶴は斎藤に心配そうな視線をむけていた。それに気付いた斎藤に「夕飯も温かいものをお出ししますね」と溢れるような笑顔でいうと、食事もそこそこに済ませて台所へ戻っていった。
確かあの夜も、揚げ出し豆腐をみぞれ汁にして、たっぷりのひね生姜がのっていた気がする。その後も咳が治るまで蓮の葛湯を部屋に運んで来ていたな。
「斎藤さん? どうされました。ご酒が足りませんか?」千鶴が訝しげに訊ねる。
「いや、十分だ。この豆腐は美味いな。身体が芯から温まって良い」
「良かった。お口に合って。おたねさんに凍り豆腐の作り方も教わったので、お豆腐が手に入ったら作って見ます。寒ざらしにして軒下に吊るして干すといいそうです」
京から江戸、会津を経て極寒の斗南へ移ったが、傍らの千鶴は常に斎藤の身を気遣って来てくれた。剣でずっと千鶴を守って来たと思っていたが、己が日々の世話で守られていたか。囲炉裏の灯りで瞳がキラキラとしている千鶴の顔を眺めながら、斎藤は感謝の念が沸き起こり身の内が温まった。
「明日は久しぶりに休みだ。雪が止んだら隣村まで出てみるか」
「はい、行きたかったから嬉しいです。それなら、早く休まないと。お風呂を焚いておきますから 、斎藤さんはお支度してください」
千鶴は半纏を羽織り土間から家の裏へ出て行った。斎藤は燗の酒を杯に開け、全て飲み干すと。膳を下げてから刀を持って奥の間へ入った。行李の上に綺麗に畳まれた浴衣を持って土間の裏手の風呂場に向かった。斎藤が湯に浸かっている間に、千鶴は 薪をくべ続けた。斎藤は熱いお湯が好みで、長湯は決してしない。斎藤は後の千鶴がゆっくり浸かれるように熱いうちに早目に湯浴みを済ませた。千鶴が湯を済ませて床に着くまで、斎藤は寝間の傍らで刀の手入れをする。湿度が低い冬場だが、雪の道行きや結露で刀身は元より拵えも傷みに繋がり易い。一日の終わりに手入れを施すと気分が落ち着く。これも屯所の頃から変わらぬ習慣だ。
翌朝には雪が止み 、雪掻きも軽く済んだ二人は久しぶりに町へ出た。
古道具屋で火熨斗を見つけ買った。それ以来、千鶴は毎朝斎藤の上着とズボンの皺を延ばし温かい中着を用意するようになった。そのまま火熨斗を厚布で包んだものを斎藤の布団に入れて寝間を温めている。雪解けまで斗南の地は厳しい寒さだが、二人で寄り添い合って過ごせるのはこの上ない幸せだと斎藤は感じていた。今朝も降り始めた雪を見上げた斎藤は千鶴に振り返った。
「では、行ってくる。今日も遅くならぬ内に戻る」
庇の下で見送る千鶴に告げる。
「はい、お気をつけて。今日も温かいもの作って待っていますね」
白い息で返す千鶴を振り返って眺めながら、斎藤は「ああ」と応えて笑顔で雪道を踏みしめた。
つづく
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(2017.01.01)