賑やかな正月

賑やかな正月

明暁に向かいて その30

明治十年一月

 正月に土方夫婦が診療所を訪れ、斎藤一家は大勢で賑やかな三が日を過ごした。

 お多佳の持ち寄った御節は、凝った飾り物や千鶴が食べた事のない食材を使って丁寧に作った品が美しく重箱に詰められていた。お多佳は、【お祝い】は控えなければと思いつつ、折角だからといって、大きな数の子や鮑の蒸し物が並べられた美しい器を取り出した。

 千鶴たちは驚嘆の声をあげた。だが、【祝いを控える】というお多佳の言葉が気になって、尋ねようとすると、子供を膝に抱いていた土方が千鶴に向かって、「喪中だ」と言った。

「多摩の姉貴が十一月に他界してな。喪が明けねえ内に正月が来るから集まりも内輪だけになる」

 千鶴は驚いた。時折、文のやり取りをしていた土方の姉は、日野の名主である佐藤家に嫁ぎ、土方は佐藤家と土方の家を行き来しながら大きくなった。姉の【おのぶ】は土方の母親のような存在だった。去年の春に、斎藤が土方と日野まで出掛けて挨拶をしに行った時は大いに歓待を受けたと聞いていた。土方が息子の豊誠を連れて泊まりに行ったことも数回ある。土方の姉から貰う文の最後にはいつも、歳三に日野に顔を見せるようにという言伝で締めくくられていた。

「夏の終わりに胸が痛いと言って、寝込みがちになって。そのままあっけなく逝っちまった」

 お悔みの言葉をかける千鶴や斎藤に、土方は微笑みながら、

「去年の正月にお前に多摩に帰れと言われて姉貴の家で過ごした。あれが姉上との最後の正月になった……」

「帰ってよかった」

 土方の姉の嫁ぎ先である佐藤家は、毎年年末から餅振る舞いや大勢の客の出入りがある。賑やかな正月を取り仕切るおのぶは、土方の自慢の姉で、母親代わりのような存在だった。千鶴は土方の寂しい気持ちを思うとどう声を掛けていいかもわからず、何も言葉がでないまま膳の前で座っていた。

「夏に何度か、お多佳を連れて帰った。姉貴は俺が身を固めたことを大層喜んでな。少しは孝行を出来たと思っている」

 そう語る土方の隣で、お多佳が微笑んでいた。「湿っぽい話はここまでだ」と土方は、そういうと乾杯の音頭を取った。そして、全員で御馳走に舌鼓を打って、大いに食べ語らい飲んだ。

 お多佳は、自分も台所に立って千鶴の炊事を手伝った。御節に飽きた土方たちに、煮物などから別のおかずを作って出す。飾り切りから、無駄のない支度の手ほどきを沢山受けて、千鶴は楽しくて仕方がなかった。斎藤の部下の天野は、ずっと酒が入っているせいもあって、お多佳の事を別嬪だ、天女のようだと崇めまくっていた。

「ちょいと御免なすって」

 そう言って、千鶴とお多佳の間に割り込むように座ると、「この席はいいなあ」と満足そうに云って、ぐほほほと笑っている。

「両手に花。そうでございましょ?主任」

 ね、と土方に向かっても笑いかけている天野に、呆れた顔を向けた津島は、その隣でくすくすと嬉しそうに笑っている千鶴をみて胸が締め付けられた。お多佳は天野にお酌をして、丁寧な手つきでお皿に酒の肴をよそったものを天野に差し出した。天野はもう有頂天で、鼻の下を伸ばして喜んでいる。それを土方が微笑みながらお膳の向こう側から眺めていた。斎藤は天野の節操のなさに呆れながらも、千鶴の笑顔を見ていると、皆を誘ってこうして賑やかに正月が過ごせてよかったと思った。



*****

坊やが二人

 年が明けてからの嬉しい出来ごと。

 空気がしんと冷たい、太陽の光が眩しい朝。ずっと出掛けていた総司が中庭に戻ってきた。のっそのっそと中庭を歩く総司の背後から、小さな子猫がちょこちょこと付いて歩いてきた。最初に子猫を見つけたのは、坊やだった。縁側から草履も掃かずに飛び出した子供に驚いた子猫は、全身の毛を逆立てて、ぴょんぴょんと後ろにはね飛んで逃げた。豊誠は、その様子を可笑しそうに眺めながら、「おいでおいで」としゃがんで手招きした。子猫は半間先の平たい御影石に乗っかって、尻尾と耳を立てて身体を横にして背中を丸めるようにつま先立ちになって威嚇していた。中庭で振り返った総司が、のっそのっそと尻尾を振りながら引き返してきた。御影石に上ると、子猫の首根っこを咥えて、すっと岩の下におり立った、そのままのっそのっそと中庭を横切って縁側に上がった。連れてこられた子猫は、とたんに大人しく床に降ろされると、総司の懐に入って隠れた。豊誠は走って玄関側にいる母親のところに行くと、「ちいさな猫、かーさま。そーじがもってきた」と言って、しきりに腕を引っ張って母屋に戻った。

 胡桃色の小さな子猫が総司にやさしく身体をなめられていた。千鶴が驚きの声をあげて近づくと、再び子猫は後ろに飛び跳ねて逃げた。翡翠色の瞳までが総司にそっくりな子猫は、廊下の端まで逃げると、構えるように尻尾をぴんと立てている。

「可愛い。沖田さんにそっくり」

 千鶴が坊やと縁側に上がって総司の隣に座って、子猫が警戒を解くのをひたすら待った。子猫は、総司に呼ばれてゆっくりと近づいてきた。豊誠が差し出した手の先を興味深そうに匂いを嗅ぐと、また後ろにはね飛び、再びゆっくりと千鶴の差し出した手を嗅ぎに近づいてきた。興味深そうに千鶴の指に鼻先をつけると、自分の頬をこすりつけるような仕草を見せた。千鶴は我慢できなくなって優しく抱き上げた。小さな小さな可愛い子猫。思わず頬ずりしてしまった。ふわふわの綿毛。子猫は丸い目を見開いて、小さな声でニャーと泣いた。豊誠が千鶴の膝に登って、自分も抱っこしたいとせがむ。千鶴はそっと子猫を子供の掌に載せた。

「やさしくね。まだ赤ちゃんだから」

 子供は両手で大事そうに子猫を抱えると、「かわいいー」といってふわふわの綿毛に頬をつけた。子猫は小さな前足で子供の頬を押して逃げようとしている。千鶴が離してあげるようにと云うと、子供はそっと床の上に子猫を降ろした。子猫はすぐに走って総司の背後に隠れてしまった。総司は尻尾で子猫を包むように巻き取ると、自分の前足の間に挟むようにして座り直した。

「沖田さんの坊やですね」

 千鶴が総司に問いかけると、総司はゆっくりと両瞼を降ろしてそうだと答えた。沖田さんの坊や。そう教えられた豊誠は、「ぼうや、おいでおいで」と手招きした。千鶴は台所から小さな小皿に水をいれたものを総司の食事処に置いた。子猫は水を舐めるように飲むと、子供が転がすビードロ玉を追いかけては飛び跳ね、いっしょに遊びだした。総司は二人が遊ぶ様子をじっと座ったまま満足そうに眺めていた。小一時間そうやって遊んだら、総司は再び子猫の首を咥えてぶら下げるように立ち上がると、中庭に降り立ちのそのそと門から出て歩いていった。千鶴は豊誠とそのあとからこっそりとついて歩いていった。お夏の家の向こうの鵜飼さんの家の生垣を超えた総司は、子猫を連れて母屋の中に消えていった。総司は子供を母猫のところに連れて帰ったようだった。また別の日に鵜飼さんを訪ねてみましょう。子供にそう言って聞かせた千鶴は、再び子供の手を引いて家に戻った。

 総司は、それから日中に胡桃色の子猫を連れて帰ってくるようになった。子猫はだんだんと豊誠や千鶴に慣れて、診療所の縁側で遊んだ後にそのまま居間の火鉢の前の敷物の上で総司と一緒に昼寝することもあった。夜行巡察から早朝に帰った斎藤が、仮眠をとっている間に総司と一緒に斎藤の布団の上で寝ることもあった。

 一月も終わりを迎えた頃、朝に仮眠から目覚めた斎藤は、子猫を可愛がる千鶴や息子の様子を見て、鵜飼さんに事情を話して子猫を貰い受けてくればよいと千鶴に言った。

「総司は婿入りをしたそうだ」

 総司と子猫を見送って居間の障子を閉めた千鶴に背後から斎藤が話しかけた。

「婿入り?」

 千鶴が尋ねると、斎藤は「ああ」と答えた。どうも猫の習わしでは、いい仲になって子が出来ると【婿】扱いされるらしい。斎藤が可笑しそうな様子で千鶴にそう教えた。千鶴は「まあ」と驚嘆の声をあげている。

 じゃあ、うちから鵜飼さんちに沖田さんを「お婿入り」させたってことですか。

 千鶴は目を丸くしてそう言うと、くすくすと笑い出した。「鵜飼さんにご挨拶もなしで来てしまってます」と言うと、お膳の前に座ってお茶を煎れた。斎藤が腰かけると、廊下側の障子を勢いよく開けて息子の豊誠が入ってきた。腰には玩具の木刀を差している。

「ただいまもどった」

 胸を張って挨拶をする息子に、千鶴は「おかえりなさい。巡察お疲れ様です」と声を掛けた。子供は嬉しそうに頷くと、腰から木刀を抜いて千鶴に渡した。千鶴は丁寧に受け取りながら、「今日もご苦労様です」と頭をさげた。息子は「うん」と嬉しそうに頷くと、お膳の前に腰かけた。斎藤は、息子が毎日、庭で【巡察ごっこ】をしていると千鶴から聞いていた。総司や子猫と玩具の刀を振って駆け回り、戻ってくると挨拶をして居間に上がり木刀を千鶴に渡す。ただそれだけの事だが、その振る舞いは自分をそっくりそのまま真似ていて、面白いと思った。

 干し芋が載ったお皿が出されると、子供が手を伸ばした。手を洗ってくるように注意されると子供は走って手水場に手を洗いにいった。斎藤と一緒におやつを食べる子供に「父さまが、子猫を貰っていいって言っていますよ」と話すと、

「ぼうや、おうちにかえった。そうじもいっちゃった」

 子供は総司の子猫を「ぼうや」と呼んでいる。自分の事もそう呼ぶ。ぼうやが二人。家に子猫が来たら、名前を付けないといけない。それとも、もう沖田さんが名前を付けているかもしれない。そんなことを考えた。夕方になって再び斎藤が制服に着替えて巡察に出掛けて行った時、入れ替わりに総司が帰ってきた。千鶴が用意した夕餉を食べると、居間の火鉢の傍で毛繕いを始めた。

「沖田さん、今度鵜飼さんにお願いして坊やの猫ちゃんを診療所で暮らしてもらうようにしようと思っています」

 千鶴が総司に話し掛けると、総司は話を聞いているのか聞いていないのか、ずっと背中や脇腹を舐め続けている。千鶴は、「もし沖田さんがよかったらです」そう言って、覗き込むように総司の顔を見てみた。総司は、毛繕いを止めると、ゆっくりと敷物の上で伸びをした。

「もうちょっとしたらね」

 そういう総司の声が聞こえた。「まだ坊やは母親が乳やりしてるから」そう言って総司は大きな欠伸をした。それからゆっくりと横になった。千鶴は安堵した。きっといい時期が来たら、沖田さんは坊やの子猫を連れてここで暮らし始めるつもりなのだろう。

 命の繋がり

 いつか、総司がそう言っていたのを思い出した。なんて嬉しいことだろう。あの日以来、人間の姿をみせない沖田さん。きっと毎晩中庭ではじめさんと手合わせをしているはず。日中はずっと眠っていることが多くなった沖田さん。忙しく夜中に剣術の稽古と【お仕事】で帝都中を巡察しているのだろう。はじめさんと一緒に……。目を瞑って眠り始めた総司の背中を優しく撫でると千鶴はそっと立ち上がって子供をお風呂に入れに行った。

*****

横浜への旅

 一月の終わりに千鶴のドレスが出来上がった。

 土方が横浜の仕立屋に作らせていたドレスは、一旦土方が懇意にしているテーラーの喜一が預かってくれているという事だった。千鶴は土方に誘われて、横浜に出掛けることになった。二月に入ってから、斎藤が半日非番をとった日の朝、千鶴は子供に余所行きの洋服を着せて斎藤と新橋停車場まで向かった。

 生まれて初めて上等車両に乗った。椅子はふかふかで心地よく、ゆったりと座れた。土方はお多佳を連れて来ていた。土方に連れられて行った洋館には、既に喜一が写真技師と一緒に待っていて、衣文掛にかけられたドレスを千鶴たちに見せた。

 真っ白なデイドレス

 モスリンのタフタ

 たっぷりレースをあしらった襟や袖口には美しいリボンの飾りがついていた

 千鶴は感嘆の声をあげた。綺麗。こんなに沢山のレースが……。テーブルの上には丸い筒形の箱がおいてあり、中から白い帽子が取り出された。輝くような白いリボンがついている。千鶴は促されて、髪結いの支度をするように別の部屋に案内された。そして、洋髪を結われるとお多佳が化粧をするのを手伝った。千鶴がこうしてやつされるのは、京の君菊に手伝って貰って以来。斗南での結婚式の時も、君菊が綺麗に化粧を施してくれた。懐かしい、とても嬉しかった日……。

 千鶴はお多佳にお礼を言うと、ドレスの着付けをしに別の部屋に移った。そこに居た洋装の女性は写真技師の手伝いで、ドレスの着付け担当だった。不慣れな千鶴はコルセットをつけた時に背中まで締め付けられるのに驚いた。だが、最後にドレスを纏うと、まるで絵草子でみた異国の姫のようで、鏡に映った自分は自分ではない気がした。結い上げた頭のてっぺんに小さな帽子を乗せて顎の下でリボンを結ぶと着替えが完了した。

「綺麗、千鶴さん。とてもお似合いです」

 お多佳はうっとりとした表情で千鶴に笑いかけると、優しく手をひいて部屋の外に出た。背後から洋装の女性が、千鶴の裾をさばきながら付いている。写真を撮る部屋に現れた千鶴を見て、子供が駆け寄って来た。斎藤は、警部補の正装に着替えていた。真っ白な金巾に銀モールが三本。背格好は昔と変わらないのに、ここ一年で腕や胸廻り、太ももに筋肉がついて、精悍さが増した。そんな斎藤が堂々と立つ姿は恰好良く、千鶴はうっとりと見とれてしまう。斎藤も千鶴が別人のような姿で立っているのを見て驚いていた。そして、真っ白なレースで縁取られたようになって微笑んでいる美しい顔をみて思わず顔が綻んだ。

「よく似合っている」

 近づく斎藤に手を引かれて千鶴は一歩前に進むと、土方が大きな箱から洋傘を取り出した。真っ白なレースで出来た傘で、千鶴にそれを持って立つように言うと、そのままお多佳と並んで、「どうだ、良く似合うだろう」と話している。千鶴は写真技師に指示されて、部屋の真ん中に立った。傘を床に立てて持ち、身体を横にして首だけまっすぐ前に向ける。千鶴だけを背後からも撮って、今度は斎藤と一緒に並んで立った姿を撮影した。椅子に斎藤が座って、帽子を手に持った横に千鶴が立ったもの、逆に帽子を脱いで千鶴が椅子に座って、斎藤が立った姿のもの、次に椅子に子供と千鶴が座って背後に斎藤が立ったものも撮った。斎藤一人だけの写真も撮って撮影は終わった。

 それから、洋館を後にして馬車で牛鍋屋に向かった。静かなお座敷で出された牛鍋は、東京の牛鍋とは違って、大きなぶつ切りの肉が浅い鉄鍋に並び、たっぷりと味噌がのっていた。その上にのった葱の香りがよくて、柔らかく煮えた肉を子供も斎藤も美味いと舌鼓を打った。土方と喜一は、ずっとメリヤス工場と陸軍海軍の制服の仕立ての話をしていた。お多佳は、料亭夕月を開けずに一日休んで、横浜に一晩泊まっていくと言っている。千鶴は、夜から仕事に戻る斎藤と一緒にお昼を食べたら、汽車で東京に戻るつもりだと話した。千鶴と斎藤は土方たちに、先にお暇すると挨拶をすると身支度を整えて牛鍋屋を後にした。店が用意した馬車で横浜停留所に出ると、中等車両に乗って三人で帰った。車窓から見える外はまだ明るく、広がる海を眺めながら千鶴も斎藤も子供と一緒に東京までの旅を楽しんだ。

 それから暫くして、写真館からドレスと出来上がった写真が診療所に届いた。千鶴は家族で撮った写真を額縁に入れて居間の壁に飾った。そして、小さな名刺大の斎藤の写真をハンカチに包んで肌身離さず持った。自分の写真を斎藤に渡すと、斎藤も赤い懐鏡と一緒に上着の内側の胸ポケットに入れて毎日出勤した。

 そんな矢先だった。鹿児島で薩軍が決起し、政府は直ちに【鹿児島暴徒征討布告】を発令した。鍛冶橋に呼び出された特任従事者は、近く暴徒鎮圧の為の警視隊が編成されると川路から直接説明を受けた。政府陸軍の後備支援が主な任務になるということだが、年明け早々から開始していた陸軍との軍事訓練が全てこのための準備段階であった事は明らかだった。斎藤達特任従事者はいずれ警視隊に任命される。全国の警視官が西南へ向かう。それまでの間、引き続き東京警視本部として帝都の警備も行う。九州への支援で、帝都の警備が手薄になる

「こん国家を守っため、諸君に奮戦してもらいたい」

 川路は真剣な表情で皆に鼓舞すると、一同一斉に敬礼をして応えた。鍛冶橋から虎ノ門署に戻ると、さっそく巡査主任以上の幹部が集められ、今後の軍事訓練と巡察区域について話し合われた。政府の指示では小銃や銃剣の扱いを訓練せよという事だった。斎藤は近いうちに自分も含め署員が従軍することになるだろうと思った。今月の終わりか、来月か。賊徒鎮圧に向かう。

 斎藤は出征の覚悟を決めた。




つづく

→次話 明暁に向かいて その31




(2018.12.01)

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