ブログ【旅、ゆかりの地巡り】 新選組 白河戦線のこと
【新選組 白河戦線のこと】
こんばんは。
今日は福島県白河に行ってきました。史実の新選組の参戦について少し書きますね。
今年、白河では戊辰戦争150周年「蘇る仁のこころ」というテーマで様々なイベントが開催されています。今日開かれた講演会。幕末から維新にかけての面白い話を聴けました。新選組に関することでまた書き留めたらアップします。
今日は新選組の白河戦線について書きます。
白河はみちのくの入り口。幕末、白河藩は諸事情で城を明けたままだったところに、会津軍が占拠します。白河は会津藩から江戸への道、白河街道に直結する守りの要所でした。新政府軍に攻め込まれるのを一番に防ぐ必要がありました。
白河戦線は、山口二郎(斎藤一)が隊長として新選組を率いて戦いました。薄桜鬼ゲームにある通り土方歳三は、宇都宮城の戦いで足を負傷して戦線離脱していて、山口二郎が隊長役に命ぜられ白河方面に出陣しました。慶応四年閏四月の事です。今の暦で6月。
写真は白河戦線の図と斎藤一の参戦した日が記された年表(脇本陣近くのマイタウン白河という市の施設に展示されています、戊辰戦争の詳しい映像説明が随時上映されていて、斎藤一の写真画像や新選組の情報も見られます)
新選組は、閏四月二十二日から三ヶ月間に渡り、全部で第六次戦まで出陣しています。白河口は七次(7月16日)まで戦線が敷かれ、新政府軍に敗退します。
白河口の戦いは、鳥羽伏見以降の新選組の参戦した戦でも長期の戦いです。東北諸藩にとって白河戦線は非常に重要でした。新選組が最前線で戦った場所です。
新選組が布陣を敷いた場所、攻めていった場所は市内に沢山点在しています。今日は午前中に激戦地の1つ、雷神山に登って来ました。
上の写真は、山が切り開かれて新道が出来ていますが。雷神山は左側の丘陵です。
路を逸れた林の中には若干土塁の跡も見えます。
丘の上から、遠くに小峰城が見えました。小峰城は新政府軍が陣を敷いていて、新選組が攻めて行った場所です。丘陵からお城を見た風景、小さいですが一番奥に写っているのが、小峰城の復元された三重櫓です。
この丘陵の奥に雷神神社があって丘陵の中腹が台地のようになっています。(神社の登り口は川沿いの別の道にありました。)
新選組が戦った雷神山は、別の場所です。小峰城より西方面の丘陵地帯(西郷村)にありました。現在はゴルフ場になっています。150年前の7月、雷神山付近で、土佐藩から放銃火を浴びて斎藤一率いる隊は退散します。日暮れに羽鳥村まで引き揚げて休陣と記録されています。
斎藤一の率いる隊は、そのまま復帰した土方歳三に召集されて岩瀬村に上がっていきます。
全部で6回出陣したルートは様々で、攻めた場所もそれぞれ違っています。全ての足取りを辿るのはまだまだかかりそうです。陣を敷いた場所で残っているのは、復元された白河の脇本陣です。蔵座敷はまた別の機会に写真をアップしますね。
上の写真は白河ラーメン。駅から徒歩や自転車でいける英(はなふさ)という人気ラーメン店です。門前通りの近く。
読んで下さって有難うございます。 連日の猛暑、どうかご自愛ください。