ブログ【斎藤さんウォーク】斎藤さん散策おすすめスポット
【斎藤さん散策おすすめスポット】
こんにちは。立秋すぎたら、暑さもおさまって過ごしやすくなりました。
皆さん、息災におすごしでしょうか。
日中の暑さで、先月初旬から斎藤さんの出稽古ウォーキングを控えたまま、夏が終わりそうです。
今までに歩いた山口家から試衛館までの道のりのログは使い物にならず(数回歩いたのですが、どこも新道だったことが判明)、旧道を通るルートに挑もうと思っているのですが、本郷に行くと、ついつい立ち寄りばかりしてしまい、試衛館への道のりは止まったままになっています。
暑さもおさまってきたので、飯田橋周辺の旧道(旧東慶橋)を探しに行きたいです。この橋は絶対に斎藤さんが渡っていたので、渡りたい。
夏休みに限らず、新選組関連施設は人気で週末は人出が多いのが難。
特に聖地と云われている、日野や京都、函館は観光地としても人気で、ゆっくりじっくり巡ろうと思ってもなかなかというのが現状です。行きたい場所が多すぎて、つい急ぎ足で巡ることに。
会津若松も同じ。会津は大好きなのですが、いかんせん遠い。その分、大急ぎで巡ってあっという間に家路につく感じです。たまにしか訪れることができないのが残念。
そこで、斎藤さん好きなみなさんにお勧めしたい場所が関東圏にあります。
東京の本郷地区。斎藤さんの生家山口家が在った本郷真砂町。
明治期に斗南から移り住んで生活を始めたのが小石川二丁目。
そして、警視庁を退職する前に勤めたのが本郷の本富士警察署。
門衛を勤めた東京高等師範学校(現存、湯島聖堂の仰高門)
本郷界隈は斎藤さんが生まれ育って、人生の後半を生きた場所です。
藤田五郎にまつわる記念碑も何もありませんが、この地域は古くて静かな町並みが残っていて、界隈を歩くと、江戸や明治期の雰囲気が残っています。150年前の慶応年間の切絵図を見ると、武家屋敷と寺社仏閣が多い。大正から昭和の国鉄や幹線道路の建設からも逃れ、大きな開発がなかった分静かな環境が守られた地域です。
本郷は都内でも特に目立った観光地はありません。人も少ないのでゆっくりと斎藤さん散策できるのでおすすめです。
穴場スポットは、山口家のあった場所の近くにある「文京区ふるさと歴史館」
文京区の施設で、古代から現代までの地域の歴史や文化、風俗が解りやすく展示されています。考古学的な展示から現代まで、江戸近世の上水施設など徳川時代の灌漑、当時の人々の生活の工夫。都市デザインなど。斎藤さんが暮らした、幕末の頃の町の様子も模型や資料でみることができます。
二階には、「やっちゃば(土物屋)」という根菜を主に商う市場の模型があって、江戸の人達の生活の様子が見られて面白いです。ミニチュア模型は、斎藤さんや千鶴ちゃんが市場を歩いている様子が見えるよう。生活道具も当時のものが展示されて、江戸近世から明治、大正、戦前までの生活の様子もよくわかるようになっています。電子資料の閲覧コーナーで、幕末明治期の界隈の画像も閲覧できて、当時の様子をビジュアルで確認することも叶います。
学芸員さんも親切で、切絵図の読み方を教えてくださいます。現在の地図と照らし合わせて、歴史館周辺を散策することもできるので、斎藤さん探しのお散歩にそのまま出ても楽しい。
私は小説の中で、雪村診療所を小石川にあると設定しています。
これも本当に偶然。蘭方医の綱道さんが何処に診療所を開業していれば、徳川幕府の番医師ぐらいの地位につけるかと考えてこの場所に決めました。山口一の生家と試衛館の間に小石川が位置することもその時には、まったく関知しておらず、実際に町歩きを始めて改めて、斎千の生活圏が極々近くだったことが判明しました。
斎藤さんと千鶴ちゃんは年齢では5才違いなので、子供の頃から出逢っている可能性も高い。道ですれ違ったりしていても、おかしくない距離です。試衛館に本郷から通う時にも小石川は通るので、稽古へ向かう斎藤さん(18才頃)が雪村診療所前を通りすぎて、そこに13才のちびっこ千鶴ちゃんが玄関前の掃き掃除をしている場面を想像してしまいました。あるあるー。視界に入っていても、お互い気にも留めていないだろうけど、先々の出会いを思うと萌えます。
総司君や他の試衛館の門人達は出稽古に上野や小伝馬界隈へ足を運んだ設定なので、15才の総司君が絶対偶然に9才のちびっこ千鶴ちゃんとすれちがってるーー、あるあるー。14才の斎藤さんも、通っていた道場の稽古の帰りに、15才の総司くんと通りですれ違ってるーー、あるあるー。
すみません、やめます。あるある想像。
斎藤さんが上洛して、壬生の屯所に現れる(黎明録)以前の話をずっとこっそり書いています。試衛館時代の18才の斎藤さん。幼少の頃からの設定も必要で、つらつらと本郷で育った斎藤さんを書きとめ中。まだプロットの骨組み段階。この作業が楽しくて楽しくて。物語は、「濁りなき」シリーズに繋がるように立てているので、明治の話を書き終えたら一気に書いてアップしたいと思っています。
この物語と、戊辰戦争の話を書いて、最終的に全てのシリーズが繋がる「薄桜鬼斎藤一クロニクル」にするのが、目標です。
本郷・小石川界隈に戻りますが、江戸時代に蘭学で西洋医術を学んだ蘭方医が多く住んだのもこの地域です。明治期には、当時珍しい二階建ての洋館を真似た木造建屋(文化住宅)が既にあって。斎藤さんの暮らした本郷4丁目あたりに、著名な医師達が住んでいました。松本順(良順)医師もそういった医者ネットワークの中心人物だったらしいことが、当時の文献でわかります。
雪村診療所は完全にフィクションの施設ですが、山の手の静かな武家屋敷に囲まれた地域というのが気に入っています。明治期には、一時、松平容保が小石川に屋敷を構えて住んでいたこともあり、藤田五郎は妻の時尾と松平容保邸を訪問していたそうです。容保の住んだ場所は、小石川伝通院の近くです。
写真は、ふるさと歴史館、Fire Houseのハンバーガー(おいしいハンバーガーが食べられるレストラン。歴史館のそばにあります。いつも人が並んで満員の人気店)
本郷三丁目は丸の内線で東京駅から15分ぐらい。ふるさと歴史館は駅から徒歩10分の場所にあります。
斎藤さんの出稽古ウォーキング近く再開してログにかきますね。