ブログ【旅、ゆかりの地巡り】会津の写真

ブログ【旅、ゆかりの地巡り】会津の写真

会津の写真をアップします。

妙国寺と長命寺を中心に。

日新町にある長命寺の黄色い壁は戊辰の戦の弾痕。今でも生々しく残されています。

長命寺は藤田五郎が眠る阿弥陀寺の近く。激戦地でした。東軍戦死者のお墓があって、戦死墓としか石に彫ることが出来なかったそうです。戦後暫く記名埋葬を許されなかった歴史を物語る場所。

妙国寺は、会津若松駅から白虎通りを東に飯森山の麓を通る、いにしえ夢街道をそのまま北に少し行った市内の外れにあります。日蓮上人像が境内にあって立派なお寺でした。松平容保親子、義姉の照姫が謹慎した地。二次小説では、千鶴ちゃんが戦後逗留した場所と設定しています。

市内観光の足は季節が良ければ駅のレンタル電動自転車がおススメです。妙国寺まで30分もかからずに、登ってこれます。飯盛山も中腹まで登っていけるので、観光に便利です。気持ちいいですよ。

妙国寺からそのまま滝沢本陣前を通って、飯盛山の中腹まで自転車で登りました。

戸口堰は飯盛山のさざえ堂側にある洞窟入口。白虎隊士中二番隊が敗走に通った場所。この時斎藤さんは母成峠で闘って猪苗代山中を敗走してました。白虎隊士自刃の二日後に、新選組は天寧口に無事帰陣。白虎隊士の眠る飯盛山に来ると胸が詰まります。

飯森山で白虎隊士のお墓に参って資料館に立ち寄ってから七日町まで戻りました。阿弥陀寺での会津新選組祭りは午後からスタートです。

斉藤一墓前祭は誠の旗しか写真を撮っていない。いつもスマホ取り出すのも忍びない厳かな雰囲気。会津新選組祭りは、斎藤さんの墓前法要もありますが、同じ阿弥陀寺に眠る1200名以上の東軍戦没者を弔う行事でもあって、無外流の居合の奉納など、刀を振るって闘った会士の鎮魂の意味合いが強いです。なんとも言えない気分になります。

藩公行列の写真アップします。

庄内藩の破軍星旗(逆さ北斗七星) この旗は列範同盟の中でも、その強さで敵兵が軍旗を見ただけで逃げた鬼の玄蕃率いる庄内藩第二大隊。史実の酒井玄蕃もイケメンです。

松平容保 (御子孫が騎馬されています)

娘子軍 高校生たちが凛々しかった。

萱野権兵衛さん 戊辰の戦の責任を一身に背負って切腹した家老。お墓は近藤勇と同じ天寧寺。馬も立派だったのですが、よく撮れてないのが残念。

日野新選組同好会 洋装土方歳三。毎年行列の最初の方に歩かれます。



會津藩兵 地元の高校生たち 当時の戦装束です。ゲーベル銃に二本差し。足元の草鞋や半分洋装和装取り混ぜで、とてもこの姿が幕末の会津藩士らしくて感動するのです。



誠の旗。此れが見えると気分が上がります。


斎藤一。まげのヅラに鉢金。腕の記名は齋藤一と旧仮名づかい。戊辰戦争時の斎藤一は髷を結っていたと思いますが、きっと総髪。そう信じています。今年も行列の殿を斎藤一が務められました。お疲れ様でした。

お付き合い下さって、有難う御座います。



ちよろず

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