瑞雲

瑞雲

明暁に向かいて  その22

明治八年十二月

「どうして早くに教えてくれなかったんですか」

 師走の朝、朝餉の給仕をしている千鶴が声を荒げた。斎藤は、黙ったまま食事を始めている。千鶴はじっと斎藤が応えるのを待った。

「俺もずっと土方さんに訊ねられずにいた。この前やっと品川でお会いして確かめた」

 斎藤は静かに箸を進めながら応えた。

 土方が顧問をしている硝子工場を年内に閉鎖すると今朝千鶴は初めて知った。

 夏の終わりに品川硝子興業が操業を停止してから久しい。当初、土方の説明では一時的に炉を止めているという事だった。理由は硝子の原料の高騰だったと思う。確か、斗南に向かわれる前のこと。だが、斎藤の説明では、実際は長期に渡って資金繰りがうまく行かず、硝子興業の経営が成り立たなくなった。政府からの借り入れでは賄いきれず、財閥からの資金援助も底を尽きたということだった。

「土方さんは工場を手放すことに決められたそうだ。硝子工場は財閥が買い取った。年内で閉鎖されるが、いずれ、別資本で硝子作りは継続される」

 土方さんが顧問でなくなるだけだ。

 そう言って、斎藤は再び食事を続けた。

「そんな……。あれだけ一生懸命、硝子を造っておいででしたのに……」

 千鶴は、肩を落として項垂れたようになっている。何故、もっと早くに。千鶴は、品川に土方を訪ねた日のことを思い出した。あれは斗南に向かわれる前。斗南への荷物を言付けに品川の事務所へ行った日だった。土方の執務席を片付けた時、机上には銀行からの借入証書が沢山あった。

 あれは全て、借金をされていたから。

 何故、気がつかなかったのだろう。あれほど、お忙しくされていたのはお金の工面で……。

 千鶴は土方が家にも帰らず、事務所に寝泊まりして働いていた姿を思い出した。そして、土方の苦労を思い胸が痛んだ。昔からだ。どんなに大変な時でも、全てご自身の内にお留めになる。弱音を見せることを人一倍嫌い、最後まで隠し通す。

 最後まで

 千鶴は、昔の土方を思った。京の屯所に暮らした時、新選組の活動資金を集めるのに奔走していらした。特に西本願寺に移った夏は、隊士の数が増えて賄いが追いつかなかった。それでも、米だけはしっかり隊士に食べさせろと気前よく賄いの入用を渡してくれていた。

 夜遅くまで、借用書と帳簿を睨んでは溜息をついていた姿をよく覚えている。

 本願寺の広斎和尚、近隣の商家、会津藩勘定方、大阪の豪商鴻池、千鶴が知るだけでも十以上もの相手からお金を借り入れていた。

 新選組をこれからもっと大きくする。

 土方さんはいつもそう云って笑っていた。千鶴は何も心配はしなかった。ただ土方を信じていた。一度決めた事は必ず。土方はそういう性分だった。実際、新選組はどんどん大所帯になった。京の治安を守る為、天子さまや御公儀をお守りする為、新選組は次々に新しく隊士を募った。

 あの頃も借金を重ねていた筈

 千鶴は昔の土方を思い出しながら、金銭面でどれだけの苦労をしていたのだろうと思った。お金に限らず、土方は負けん気が強く、弱みを表に見せることを嫌っていた。伏見で戦が始まり、敗戦を重ねても決して弱気をみせず最後まで闘った。

 最後まで

 千鶴は食事を終えた斎藤が身支度をするのを手伝いながら云った。

「土方さんに会いに行きます」

「床下のお金を」

「土方さんにお渡して、」
「どれだけお役に立てるかわからないですけど。でも・・・・・・」

 千鶴はそっと斎藤のベルトを留めると。

「少しでも使って貰えれば」

 千鶴は斎藤を見上げた。深刻な表情でじっと斎藤の眼を見詰めている。

「そうしたいんです。はじめさん」

 斎藤は微笑んだ。

「千鶴がそうしたいなら」

 千鶴は嬉しそうに笑顔になると、はじめさんを送り出したら、坊やと支度して行って参りますと張り切りだした。斎藤は千鶴に「土方さんに、年の瀬は診療所で是非一緒に過ごしたい」と伝えるように頼んだ。

 千鶴の父親、雪村綱道が診療所の床下に置いていた千両箱の小判は、千鶴がこまめに両替屋で紙幣に替えていた。新選組慰霊碑建立の資金を覗いても、二千円ある。これを土方に渡そう。千鶴は決心した。

 斎藤が出勤するのを見送ると、千鶴は急いで品川まで子供を連れて出向いた。



*****

品川硝子興業


 土方は千鶴と子供の突然の訪問を喜んだ。土方の部屋は綺麗に片付けられていて、執務席の上には書類が一枚置いてあるだけだった。

 千鶴はじっと立ったまま、窓の傍で息子を抱き上げて笑う土方の横顔を見ていた。

「工場をお閉めになると聞きました」

 千鶴がそう言うと、土方は「ああ」と笑いながら答えた。

「年内に閉める。工部省の硝子造りは終いだ」

 土方は、子供に高い高いをして笑わせている。

「お金が必要でしたら、ここにあります」

 千鶴は、巾着から袱紗に包んだ封筒を取り出すと土方に差し出した。土方は、不審な物でも見るような表情で千鶴の差し出した封筒を見た。

「二千円入っています。新紙幣です」

「父が診療所に隠し持っていたお金です。はじめさんも私も使う充てのないもので、いつか世の中の役に立てるようにと」

「なので、お使いください」

 土方は驚いたままじっと動かない。近頃は銀行でも政府への貸し出しを渋る。それにこんな大金。土方は商売もしていない千鶴がいきなり差し出す事に驚いた。

「気持ちはありがてえが」

 土方は子供を床に下ろすと、千鶴に向き直った。

「此は受け取れない」

「ここは工部省の工場だ。政府が抱えた借金をお前や斎藤に肩代わりさせる訳にはいかねえ」

 土方はきっぱりと千鶴の申し出を断った。

「でも、硝子の材料さえ。材料さえあれば、硝子は作れます。硝子が出来れば、いずれ借りたお金を返して」

「硝子作りを続けることが叶います」

 土方はじっと千鶴の云うことを聞いていたが、「そうなりゃあ、良かったんだがな」と遮った。微笑む土方の瞳は哀しみを帯びていた。こんな土方の顔を見たのは初めてだった。千鶴は何も言葉を返すことが出来なかった。

 子供が応接椅子の背もたれによじ登って遊び始めた。土方は、執務席の机上に置いてあった書類を千鶴に見せた。

「この証書を岩崎に渡せば、硝子作りは民間が請け負う事になる。ここを閉鎖するのはあくまでも、政府の操業としてだ。硝子作りが終わる訳じゃねえ」

「民間の資本で炉が廻り続ければ、きっと板硝子は成功する」

 千鶴は土方が掲げた書類をただ黙ってじっと見ていた。土方は書類を再び机に置くと、そのまま窓辺に歩いていって背中を向けた。逆光で土方の黒い髪が縁取られたように見える。長身の背中は哀しそうで、為す術を全て絶たれた様子に千鶴は自分が何も役に立てないと身につまされ、ただ黙ってそこに立っていることしか出来なかった。

「メリヤスはなんとかやっていけそうだ」

 土方が少し顔をこちらに向けたように見えた。逆光でよく見えないが、土方は微笑んで居るように見えた。

「政府のお達しで革靴を作る工場も起ち上げた。当面はそっちに関わる」

 土方はそう言うと、机の前に戻って現金の入った封筒を手に持つと、千鶴の手の中に返した。

「お前の申し出は有り難い。礼を言う」

 千鶴は黙ったまま頷いて封筒を受け取った。受け取って貰えないなら仕方がない。なにも役に立てない事が悲しかった。

「お忙しいと思いますが、年の瀬を是非診療所でご一緒に。はじめさんも私も豊誠も土方さんと過ごしたいので」

 千鶴がそう頼むと、土方は頷いた。

 子供を抱きかかえた土方が珍しく工場建屋の玄関まで千鶴を見送りに出てきた。二人で背後の大きな炉を見上げた。とてつもなく大きな溶炉。

 志半ばで諦めた夢

 北風が吹き付ける中、土方と千鶴は暫くそこに立ち続けた。

 馬車に乗り込んだ千鶴と子供に、優しい表情で土方は、「来週、診療所に行く。暫く世話になる」と笑いかけた。

 お待ちしています。

 千鶴は子供と一緒にわざわざ馬車の窓を開けて顔を出して答えた。手を振り続ける親子に土方も手を挙げて応えた。



*****

銀の裏地


 年の瀬もせまった頃、土方が仕事を終えたと診療所を訪ねてきた。大きな旅行李のような革の鞄を馬車から下ろした土方は、家に上がると、さっそく中から沢山の織物や布地を千鶴に見せた。

「英国の商人から買い取った上物のウールだ。これで乗馬服を作らせる」

 濃い鼠色格子の毛織物と一緒に取り出した大きな帳面を開くと、中には沢山の布地の見本が貼り付けてあった。

「フロックコートの裏地だ。俺はこれが良いと思う」

 土方が指さしたものは、白地に近い灰色の光沢のある布地だった。銀色、上質な絹。千鶴は、土方が自分に洋服を仕立てようとしている事を知って驚きと嬉しさでいっぱいになった。いつも馬に乗るときに着ている筒袖は、戊辰の戦の時のもの。幕府伝習隊から一番小さな制服が誰も袖を通すものが居ないということで貰ったものだった。所々に綻びがあるのを当て布をして着ていた。生まれて初めて洋服を仕立てて貰える。それは特別な事だった。

 ドレスとも思ったがな

 土方は子供を膝に抱きながら笑っている。

 乗馬には向かねえ。

 千鶴は土方が云う通りだと思った。斗南に居た頃、馬別当に西洋の女性は馬には跨がらずに、横乗りをすると乗り方を教えて貰ったことがあった。実際とても乗りにくいし、落馬しそうで怖ろしかった。最近は、斎藤の部下の巡査も騎馬巡察をするようになって、厩に神夷の他に雲雀という名の栗色の駿馬も借り受けている。斎藤の非番の日に馬で遠出をしようと約束をしてはいるが、ここ数ヶ月休みは一切ない。土方が家に居ても、斎藤は夜行巡査で家を開けることも多く、正月まで家族で過ごすことが出来なさそうだった。

 土方も、診療所の居間で日中は書類を拡げて仕事をしている。時折、相馬主計も診療所に現れた。相馬は以前は硝子興業で働いて居たが、今はメリヤスと靴工場の調達掛になっていた。土方の下で働いていた硝子職人たちは、大阪に新しく出来た硝子工場で工員に硝子作りを教える仕事をしている。品川硝子興業にちなんで、工場のある町名が「品川」に変わったらしい。

 西の品川

 硝子興業はこうして新しい世の中で少しずつであるが、広がり始めていた。

 土方が向島のメリヤス工場に出掛けていった日中、日野から千鶴に文が届いた。差出人は【佐藤ノブ】と書かれてあった。土方の姉上だ。秋に土方が息子の豊誠を連れて日野に行った際、千鶴が持たせたお土産に対する礼が遅れたお詫びと、佐藤家で年の瀬に開く「餅蒔き」に是非家族で来て欲しいと書いてあった。

 歳三ニモ是非帰村スルヤウ
 御伝エ頂キタク
 宜シク奉リ候

 文はこう結んであった。夕方に戻った土方に、日野からの文を見せると。

「毎年、姉貴の家では年末に餅蒔きをする。毎年師走の二十八日にな」

 二十五日に一家総出で餅つき
 二十七日包む
 二十八日は裃着て櫓の上から餅蒔きだ。

 土方は日野の豪農出身であると聞いていた。義兄は日野宿本陣名主。お餅を蒔く日は往来は近隣の村からも人出で賑わうという。

「俺は、裃着て櫓に上がるのが気恥ずかしくて毎年蔵に隠れて」

 だが姉貴に見つかると、首根っこ掴まれて櫓の下まで連れて行かれた。

 土方は微笑みながら懐かしそうに話す。千鶴は、夕餉の膳を並べながら土方の昔話を聞いていた。櫓に上がったら上がったで、土方は覚悟を決めて派手な仕草で餅を振る舞い、本陣に来た人々が大いに沸いたという。千鶴は、土方が思い切り餅を櫓から投げる姿を想像してクスクス笑った。

「お忙しい年の瀬に、私たちがお邪魔するのは。でも土方さんの餅蒔きは私もはじめさんも一度見てみたいです」
「俺は出ねえよ。死んだ事になってる俺が配る餅なんざ、幸先悪くて誰も喜ばねえ」

 土方は笑ってそう言うと、「なあ、坊主。坊主が餅投げるか?」と膝に座った子供に話かけた。

「忙しい時期に無理にとは言わねえが、斎藤と一度日野の兄貴の所に来るといい。兄貴が斎藤に会いたがっている」

 千鶴は「はい」と応えた。そして、「でも土方さんのお姉様はきっと土方さんがお戻りになるのを。だからこのような便りを」と伝えると。

「わかっている。日野には正月に帰る」

「坊主も連れて行こう」

 また土方は、豊誠を連れて日野に行くことを決めているようだった。



****

瑞雲


 土方が、日中に子供の相手を思う存分してくれるので、千鶴は大掃除が捗った。普段は行けない駒込の土物店まで買い出しに出掛けた。日が傾きかけた午後、子供を中庭で遊ばせながら、庭木やくず物の整理をしていた土方が千鶴を呼ぶ声が聞こえた。

 千鶴が、台所の勝手から返事をすると、「早く、出てこい。消えちまう」と土方が叫ぶ声が聞こえた。

 前掛けで濡れた手を拭きながら中庭に下りた千鶴は、土方が子供を抱えて空を見上げている姿を見た。

「見てみろ、空が五色だ」

 どんよりと曇っていた空が、いつのまにか晴れていた。ちぎれる雲が土方の云うとおり五色に輝いていた。

 青、緑、赤、橙、白

 雲がそれぞれの色に輝き融け合う
 その隙間から明るい陽の光が放射線に拡がっていた

「まあ、」

 千鶴はそう呟いたきり言葉が出てこない。なんて美しいのだろう。空気が澄み切って冷たいが、天上からの明るい光は暖かそうで、じっと千鶴は見入った。

【瑞雲(ずいうん)】だ。

「俺は、今まで二回見たことがある」

 千鶴は、土方が空を見上げたまま話す横顔を眺めた。

「壬生に居た頃だ」

 土方が千鶴を見下ろしながら、「枡屋喜右衛門を捉えたのを覚えてるか?」と訊ねた。枡屋、きえもん……。千鶴はその名前を薄らと覚えていた。

「炭問屋の枡屋。お前が総司としょっぴいた古高俊太郎だ、覚えてねえか」

 千鶴は漸く思い出した。京に暮らした頃、枡屋の店先でいきなり浪士が斬りかかってきた。怖ろしい記憶。あの時、沖田さんがいなければ、自分は斬り殺されていただろう。

「長州浪士の企みを隠してやがった。だがどうしても口を割らねえ。あの冷静な山南さんでさえ流石に焦りだしてな」

「あの日、ずっと鬱陶しい梅雨空だったのが急に晴れて。俺は、たまたま屯所の玄関から輝く空を見た」

 昔から、明るい輝く雲は吉兆ってな。五色に輝く瑞雲は特にだ。

「俺はあの日の夜、古高を拷問にかけた。山南さんは俺が古高を殺すつもりかと思っていたらしいが。奴に長州者の企みを吐かせる事ができた」

 千鶴はあの物々しい日々を思い出した。夏の暑い日の夜、毎晩のように広間に幹部たちが集まっていた。そのうちに、廊下を幹部の皆が忙しく行き来し、武装して出ていった。

 池田屋の夜
 新選組が長州浪士を引っ捕らえた。
 斬り合いで、平助くんが大怪我をして……。
 お亡くなりになった隊士も……。

「あの日は新選組が手柄をたてた。中将さまや幕府家老からも褒美を貰った」

 土方はまた空を見上げながら微笑んだ。

「瑞雲は、蝦夷でも見た。春先にな。本格的に戦が始まる前だ」

 千鶴は遠くを見詰めるように空を見上げる土方の横顔をじっと見ていた。土方さんは、戦場で空を眺め吉兆を見て己の士気を鼓舞されていたのだろう。

「蝦夷の戦は負けたがな」

 あの雲が吉兆だったことに変わりはない

「この空は、幸先がいい……」

 あの雲を見てみろ、黒いが縁は光っている。

「英語でシルバーライニングっていってな。【どんな雲にも銀の裏地がついてる】という諺がある」

 土方は隣に立ったまま千鶴を見下ろしながら話す。

「どんなに困難な状況にも、何かしら良いことがあるって意味だ」

 千鶴は土方を見上げながら、その頭上に拡がる明るい空を見た。

「政府のお達しで、陸軍と海軍の革靴と制服の製造をすることになった」

 土方は、制服の下に着るメリヤスの下着と靴下以外にも、紡績工場を拡大して毛織物も生産する予定だという。英国に負けないぐらいの上等なものを作る。土方は、向島のメリヤス工場の隣に更に紡績工場を建設する為に、土地を確保したと話した。

「入船町の革靴工場も大きくする」

「年が明けたら、工員を増やして行く」

 土方は子供を地面に下ろし、千鶴に向き直った。

「お前に頼みがある。この前、硝子興業に用意してくれた金を俺に貸して貰えないか」

 千鶴は土方の眼を見詰めた。深紫の瞳は真剣そのもので、じっと千鶴が応えるのを待っている。

「はい」

 千鶴は頷いた。

「ありがてえ。礼をいう」

 そう言って土方は頭を下げた。顔を上げた土方は、笑顔でまた空を見上げた。

「その資金で、製靴工場を買い取る。民間興業だ」

「靴の需要はこれからもっと増える。今でも追いつかねえぐらいだ。沢山の職人を雇う」

 硝子興業の金の工面で、大勢の財閥と繋がりを持てた。

「政府の用立て以外に民間から出資者を募る。新しい興業の仕方だ」

 千鶴は、土方が話す言葉の意味を少しずつ理解しながら頷いた。

「硝子興業は、」

 そう言いかけて、もう一度空を眺めた。五色の雲は、光の中に溶けて消えかけていた。

「なあ、千鶴」

 千鶴は土方に呼びかけられて、もう一度土方の顔をみた。

「俺は、転んでもただじゃ起き上がらねえ」

「工部省の殖産顧問で培った人脈を使って、製靴工場を成功させる」

 お前も出資者のひとりとして見てて欲しい。

 千鶴は、土方が昔と変わらない表情でそこに立っていると思った。屯所の部屋の文机の前で、腕を組んで千鶴によく言っていた。

「俺はな、新選組をもっと大きくしてみせる」

 あの希望に満ちた瞳。そうだ、ちっとも変わっていらっしゃらない。一度決めたら、どんな事をしてでも成し遂げようとする強い意志。けっして、へこたれない。

 不撓不屈(ふとうふくつ)

 はじめさんもだが、土方さんも。思えば新選組の幹部の皆さんは本当にそうだった。どんな状況でもひるまず、絶対にくじけない。そんな強さが頼もしく、私はいつも守られてきた。

「はい、土方さん。土方さんならきっと」

 千鶴は笑顔で応えた。嬉しい、やっと床下のお金を役立てることができる。はじめさん、早く家に帰って来て欲しい。

 それから五色の雲が完全に光に溶けてしまうまで土方とずっと空を眺め続けた。空気は冷たいが、身のうちは温かい。土方の希望の光は、ずっと消えずにこれからも。それが千鶴を心底喜ばせた。

「さあ、珍しい雲を見たお祝いをしないといけません」

 千鶴はそう言って、台所に戻るとご馳走を作り始めた。



*****

嬉しい便り


 瑞雲をみた翌日。大きな荷物が診療所に届いた。差出人は「藤堂平助」とあった。

 荷物を紐解くと、中から鹿の毛皮の敷物、棒鱈の干物が入っていた。

「まあ、大きな鱈」

 三尺はありそうな長さの太い鱈の干し物に千鶴は声をあげた。子供が、「これなに?」と訊ねてくる。

「鱈ですよ。大きなお魚。お水で戻してお正月に甘いお醤油煮にしましょう」
「これは、鹿さんの毛皮」

 千鶴はそういって、子供と一緒に艶やかな鹿の毛を撫でた。そして、珍しい皮の敷物を平助が送って来たと土方に見せた。

 文には、千鶴が斗南に送ったお土産のお礼が書いてあった。

 春に子供が生まれる
 近藤さんの石碑が建つ頃に上京する

 いつもの平助の字を微笑みながら千鶴は目で追った。

「土方さん、平助くんお子さんが生まれるそうです」

 同封された写真には、千鶴が送った紬を纏った平助の妻のおまつが腰掛け、背後で嬉しそうに笑う平助が写っていた。おまつのお腹がふっくらとしていた。

 千鶴は幸せそうな二人の写真を土方に見せた。土方は嬉しそうに写真を眺めていた。

 二十七日の夜。土方は、翌朝暗いうちに小石川を発って日野に帰ると云った。姉貴に叱られるからと笑っていたが、早朝に馬車が来るように手配をしているからと云って早く休んだ。

 翌朝、夜行巡査から戻った斎藤と入れ違うように、土方は診療所を出発した。そしてそのまま土方は診療所に戻らず、日野の実家と佐藤家を行き来しながら、正月を迎えることになった。

 斎藤は土方から正月明けに診療所に戻るという報せが届いていると千鶴に云って微笑んだ。

 年の瀬は、斎藤の部下が挨拶に来て食事をして帰り、親子三人と総司だけで新年を迎えた。総司は、火鉢の前に敷かれた鹿の毛皮の上が常駐場所となった。そこでいつも毛繕いをして昼寝をしている。

 元旦は、朝から快晴で久しぶりに親子三人で歩いて明神さまに詣った。新しく下ろした紬に一番大切にしている帯を絞めた千鶴は、洋髪にレースのリボンをつけた。半襟にもレースを挟んで、巾着袋にもレースのリボンを縫い付けている。

「レースが流行っておるのか」

 斎藤が訊ねるが、千鶴は「さあ」と首をひねっている。自分でも解らずに身につけて喜ぶ千鶴をみて斎藤は微笑んだ。

「でも、レースを身につけると嬉しいです。少しでも綺麗になった気がして」

 隣で歩く千鶴は微笑みながら前を見ている。その横顔を見て斎藤は呟いた。

「綺麗だ」

「おおいにな」

 そう言って満足そうに前を歩く斎藤の横顔をみて千鶴は微笑んだ。




つづく

→次話 明暁に向かいて その23




(2018.10.01)

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