イルミネーション

イルミネーション

FRAGMENTS 9 冬

2018年12月

  遅くにすまん。
  24日は行けるようになった。
 また夜に電話する。

 千鶴は目覚めた時に斎藤からメッセージが届いて居た事に気づいた。夜中の内に届いたLine。きっとバイトを終えてからくれた連絡だ。千鶴は、直ぐに返事をした。

 都合がついてよかった。
 早く会いたい。
 今日も寒いから気を付けて。

 雪が降る中で白兎が飛び跳ねるスタンプを一緒に押してからメッセージを送信した。千鶴は、階下に降りて朝食の仕度をすると、すぐに大学の講義に出る準備をして玄関に向かった。父親は、ダイニングで独り食事をしながら手元に積まれた書類に目を通している。

 千鶴の父親、雪村鋼道はドイツでの研究を終えて夏に帰国した。それまで、別の医師に任せていた診療所で、月曜日に診療を行い、火曜日と木曜日は医大病院で勤務している。今日は月曜なので、千鶴は父親より先に家を出る支度をした。

「父さま、今日は講義が終わったら五時に戻ります」
「お夕食は、七時でいい?」

「ああ、今日わたしは一日診療所だ。ずっと家にいるよ」

 千鶴はブーツを履くと、「行ってまいります」と玄関から声を掛けてから家を出て行った。寒い。吐く息が白くなりながら、駅まで足早に歩いて行った。電車の中で、ウィンターイルミネーションの広告を見た。夜の渋谷がライトアップされている。

 行ってみたい。はじめさんと。

 千鶴は手元のスマホを開いてみた。送ったメッセージはまだ既読になっていなかった。斎藤とは、11月の始めに会ってから暫く逢えていない。夏に会津の旅行から戻って以来、互いに忙しくてデートは月に一度。駅前のカフェで数時間を一緒に過ごす。どうしても会いたい時には、アルバイトの終わる時間に駅前で待ち合わせて、千鶴の家まで一緒に歩く。少し遠回りして礫川公園に立ち寄り、静かな公園でベンチに腰かけて缶コーヒーを飲みながら語らい次に逢う約束をする。二人きりの時間。大切なひと時。

 夏以来、千鶴は父親から夜遅くまで出掛けることを禁じられている。大学生になって、門限が九時なのは本当に厳しい。以前は、バイト帰りの斎藤と夜のデートを楽しんでいたが、それも無理になった。父親は、大学病院での勤務の後に家に客人を招くことがあった。千鶴は、夕飯を用意してもてなす為に準備をしなければならない。そのために午後の斎藤とのデートも早く切り上げて帰らなければならず。そんな時は、なかなか互いに別れがたくて駅の改札口で手を繋いだまま小一時間経ってしまうこともあった。

「少し先のことだが、休みに入ったらイルミネーションを見に行こう」

 斎藤が珍しく夜のデートに誘って来た。千鶴は渋谷の【青の洞窟】に行きたいと言うと、必ず行こうといって抱きしめられた。駅の構内で、人前なのに髪の毛とこめかみに優しくキスされた。電車に乗り込んだ斎藤は優しく微笑んでいる。千鶴は手を振った。それから、夕飯のための買い物をして家路を急いだ。

 今日も父親が人を連れて帰って来た。お客様といっても、雪村診療所に勤める医師だ。今年の十月から新しく診療所の内科医として勤め始めた伊庭先生。臨床研修をドイツで終えて帰国したばかり。千鶴は幼少の頃より伊庭を知っていた。父親が伊庭家の主治医をしていた縁で小学生の伊庭八郎が診療所に頻繁に遊びに来ていた。八郎は千鶴より三歳年上で、まだ幼稚園に通っていた千鶴を妹のように可愛がった。両家は互いの家を行き来しながら懇意にしていたが、八郎が12歳の時に伊庭家は一家でドイツに引っ越すことになった。以来八郎はドイツで教育を受け、飛び級で大学の医学部に進んだ。

 雪村鋼道が研究の為に渡欧した際、偶然、伊庭八郎は同じ町に暮らし、同じ病院で臨床研修を受けていることが判った。鋼道はドイツでの研究期間を終えた時、八郎に、是非日本に帰国したら雪村診療所で勤務医となってもらうように頼み込んだ。

 そういった経緯で、雪村診療所は鋼道が月曜日に診療を行い。新しい医師として伊庭が内科と小児科を担当することになった。十月のリニューアル開業以来、診療に訪れる患者も多く、ナースも人員を増やしている。千鶴の自宅と渡り廊下で繋がった雪村診療所は入院施設も備えていた。病床の数は少ないが、家庭的で温かい療養施設として知られている。千鶴はいつも家を出る時に、診療所の渡り廊下で病院のスタッフやナースたちが、「伊庭先生」の噂話で盛り上がっている声を聞いていた。

「八郎先生、ドイツの大学を主席で出たそうよ」
「それも二十歳で」
「あまりにも優秀で、ドイツの病院でも引き留められたって」
「背も高いし、ハンサムで優しくて、王子様よね」
「プリンス先生」
「そう、プリンス先生よーーー」

 ナースたちは、皆既婚者だが突然現れた若くて優秀な伊庭先生に夢中になっているようだった。千鶴は診療所が最近明るく賑やかになったと思いながら、学校に向かった。



****

 

 もう三か月前になる。九月になって、新学期が始まった千鶴が大学から戻って家に居ると、父親が玄関で、「千鶴、お客様を連れて来たよ」と呼び掛けて来た。

「こんにちは。千鶴ちゃん。ご無沙汰しています」

 玄関で父親の背後から自分の名前を呼ぶ男性を見て、千鶴は誰なのか判らなかった。

「僕のこと、覚えていますか」

 玄関の上り口で、顔を覗き込むように近づけてきた伊庭を千鶴はじっと見つめ返しながら、誰か判らなくて困惑した。

「そうか、最後に会ったのは10年前になるのか。千鶴、八郎くんだよ。下谷の伊庭先生の」
「……八郎。伊庭先生……。もしかして。はちろう兄さん?」

 千鶴はようやく思い出した。目の前の男性は、大人で声も変わって、背も高くて。自分の覚えているお兄さんとは、まるで別人のよう。でも、優しく笑うその目は、変っていない。

「千鶴ちゃん、変らないね」

 伊庭は、千鶴の肩に手を廻して自分に抱き寄せるようにして、千鶴の頬に自分の頬をつけた。耳元に接吻するような小さな音が聞こえた。千鶴は飛び上がるぐらい驚いた。

「ごめん、日本だと。こういった挨拶はしないんだね」

 ——嬉しいよ。また会えて。

 伊庭は優しく微笑んでいる。固まったようになっている千鶴に、居間に向かうドアを開けながら鋼道が「千鶴、八郎くんを中にご案内しなさい」と言って階上に上がって行った。

 その日、八郎は夕食を一緒に食べた後、居間で鋼道と診療所での勤務や研究センター設立についての話をした。千鶴は、八郎が翌月から雪村診療所の新しい内科と小児科の医師として勤め始めると聞いて驚いた。八郎は、鋼道の研究している血液内科の最新医療センター開設作業の手伝いもしている様子だった。診療所での勤務に、研究センターのお仕事も。千鶴は、父親同様、伊庭も忙しく駆けまわることになると思った。

 以来、毎週金曜の夕方は、勤務後の八郎が鋼道と家で食事をするようになった。千鶴は、学校帰りにスーパーで買い物をして帰り、夕食を用意する。金曜は講義が三時に終わって家に戻るので十分に間に合った。時折、鋼道は急に予定が変わって早く家に戻る日もあった。そんな時も八郎を家に呼ぶ。二人は食事しながら、いつも研究センターの立地場所や、設備投資の話を真剣にしていて、千鶴は静かにお茶を運んで伊庭をもてなした。

 千鶴が徐々に鋼道が戻った新しい生活に慣れて行く中、斎藤と逢う時間は少なくなってきていた。アルバイト帰りに二人で会っても、斎藤は千鶴を早く家に帰さなくてはならない。二人で居る時、いつも時間を気にするようになった。

 時間の制約。別れ際の名残惜しさで、互いに言葉少なくなり、言葉の代わりに強く手を握り合う。斎藤は、人目をはばからず、町中でも千鶴を抱きしめるようになった。そんな斎藤の気持ちを千鶴は判っているのかのようにずっと伏し目で微笑んでいる。二人で居られる時間が少なくなれば、少なくなるほど互いに離れがたく想いが募った。



****

 

レセプションパーティーの夜

 斎藤が千鶴に「24日に行ける」と返事をしたのは、雪村鋼道が主催する晩餐会の事。血液医療センター設立決定を発表するパーティに千鶴は斎藤を招待した。都内の大きなホテルのバンケットルームで開かれるパーティは、諸外国からも列席者がいて、総勢200名近くになる。千鶴はこのクリスマスイブに開かれる晩餐会の後に、斎藤とイルミネーションを観に行く約束をしていた。

 この日は特別に遅くまで出掛ける事を許して貰おう。

 千鶴は、鋼道に門限を過ぎて帰ることを伝えようと思っていた。だが、朝早くに急いで出掛けた父親に、デートの事を言い出せないままだった。千鶴は夕方にホテルに向かった。斎藤は、スーツにネクタイ姿で都内のホテルにやって来た。会場の入り口で千鶴を見つけた時、千鶴は、白い清楚なミモレ丈のイブニングドレス姿だった。髪にパールの髪飾りをつけて、化粧をしてピンクに輝く唇が美しく、斎藤は息が止まったまま言葉がでてこなかった。肩からリボンと細かなレースで覆われた首筋は華奢で、むき出しになった美しい腕の線を目にしながら、斎藤はこのまま千鶴を腕に抱きしめたい衝動にかられた。

 黙ったままの斎藤を下から見上げるように眺めた千鶴が、斎藤の胸元にレセプション列席者用の花飾りをピンで留めた。その指先は、薄いピンクのマニキュア。そして、手の中に、レースの手袋を持っているのが見えた。斎藤の襟をそっと、払うように整えると、千鶴はレースの手袋を付けて、斎藤の腕に掴まって歩き出した。このような正装をする千鶴を斎藤は初めて見た。斎藤が千鶴をエスコートする形で会場の中に入って行った。その時だった、背後から声がした。

「雪村千鶴。こんなところで何をしている」
「そろそろ、主賓のレセプションが始まる」

 振り返ると、そこには風間千景が立っていた。タキシード姿の風間は、千鶴の手を引いて部屋の上手にある主賓席に向かって行く。斎藤は、風間の華やかな姿を目にして、呆気にとられていた。長身に白い光沢のあるタイ。ドレス姿の千鶴の背中に手を掛けて颯爽と歩く後ろ姿。千鶴は、戸惑うように斎藤に振り返って、「はじめさん、待っていて」「はじめさん、」と声を上げているが、風間は強引に千鶴の手を引いてどんどんと離れて行った。

「来賓のお席にご案内しましょう」

 背後から声を掛けて来たのは、天霧九寿だった。天霧は風間コンツェルンの専務役員。今夜のレセプションの主賓であると同時に主催者でもあった。斎藤は、雪村鋼道の血液医療センター設立に風間グループが協賛している事を聞いていた。風間は資金面で雪村鋼道を援助する約束をしている。斎藤は、天霧に会釈して案内された席に座ると礼を云った。天霧は軽く黙礼をして主賓席に戻って行った。斎藤は、来賓席から主賓が並ぶ上手の方を眺めた。千鶴の父親の雪村鋼道の姿が見えた。斎藤は、今日初めて千鶴の父親に会って挨拶をするつもりでいた。千鶴が座って、父親と言葉を交わしている姿が見えた。その隣に風間千景が座っている。

 ——風間は着実に自分の立場を固めている。

 これは、最近、薄桜学園の教諭である土方が斎藤に云った言葉。

 土方は、薄桜学園を卒業した風間が、千鶴に近づくために、春から千鶴の通う女子大の助教授に就任したことに憤っていた。大学キャンパス内での千鶴への付きまとい。千鶴は、迷惑に思っていながらも、高校時代同様の態度で風間に接していた。

 あくまでも、学校の教授と学生。それ以上でもそれ以下でもない関係。

 千鶴の分け隔てのない態度は、今までと変らずに風間の暴走を抑制することになった。斎藤は、千鶴の傍にいて、千鶴の風間に対する「全くの無関心」を実感していた、それゆえに何も不安を感じることがなかった。

 だが、夏の終わりに雪村鋼道が帰国してから状況が変わりつつある。風間千景は大学のキャンパス以外でも、雪村鋼道を通じて、千鶴の前に頻繁に現れるようになった。千鶴と逢う時間が少なくなるにつれ、斎藤は、風間の存在が気になるようになった。

 斎藤は、多くの人が列席するパーティ会場で、ひと際派手に振る舞っている風間を遠目に見ていた。主賓席で、千鶴の隣に座った風間は、給仕を呼び寄せて千鶴に飲み物を運ばせている。間もなく、雪村鋼道がマイクの前に立って、日本で初めての血液内科に特化した研究施設、バイオ医療センターの設立が決定したことを宣言し、皆に協力を呼び掛けた。大きな拍手と乾杯で始まったパーティは、研究施設の将来の展望を皆に知らせる目的のものだった。

 斎藤は、ずっと千鶴を目で追っていた。千鶴は、次々に訪れる来賓に父親と一緒に挨拶をしている。そして、その傍で風間も紹介を受けて挨拶をしている。撮影カメラが近づくと、風間は千鶴の背中や肩に手をかけて、自分に引き寄せた。千鶴が身じろいでいるのが遠くからでも判った。斎藤は不愉快な気分で出される飲み物も、食事も、一切喉に通らなかった。

 司会者が、マイクを持って主催者の風間千景の紹介を始めた。風間はスポットライトを浴びて、スピーチを行った。年末には、センター設立のファンドレイジングのチャリティコンサートを開くと紹介し、ミュージックホールの映像を流して会場の出席者に参加協賛を呼び掛けた。次に雪村鋼道が立ち上がってマイクを取り、紹介したい優秀な研究者がいると、自分の右腕である医師たちを次々に紹介していった。

 会場の上手に数名の医師が並んで紹介を受けた。その中に、伊庭八郎の姿もあった。挨拶を終えた伊庭は、主賓席の千鶴の傍に向かって行った。斎藤は、歓談の時間に移った瞬間、席から立ち上がって千鶴の元に歩いて行った。和やかな会場で、斎藤の急ぎ歩く姿は目立った。だが、千鶴は、伊庭がテーブル越しに歩いてくることに気を取られていて、斎藤が近づいて来ていた事に全く気付いていなかった。

「こんばんは。千鶴ちゃん」

 立ち上がった千鶴の傍に近づいた伊庭は、優しく微笑みかけた。そのまま千鶴の左手をとって優しく引き寄せると、上体を折りたたむように自分の左頬を千鶴の頬につけた、挨拶の接吻。今夜の伊庭は、千鶴のもう片方の頬にも接吻した。

「いいパーティだね。参加出来て嬉しいよ」

 優しく微笑む伊庭は、そういって千鶴に礼を言って、傍の雪村鋼道にも礼を述べた。千鶴の背後に座っていた風間は、黙ったまま伊庭を睨みつけていた。深紅の瞳には嫉妬の炎が立っている。表は冷静に見せているが、風間は伊庭の事を、足元から頭の天辺までを値踏みするかのようにじっと睨んでいた。

 千鶴のテーブルの反対側では、斎藤がじっと立ち止まっていた。千鶴の手を引いて、口づけをした男。千鶴はそれを普通に受け入れている。一体、誰だ。何が起きている。これは、悪い夢でもみているのだろうか。斎藤は、目の前の光景が現実とは思えなかった。会場の和やかな空気はどこかに消えて。大きな耳鳴りがしていた。自分の心臓の鼓動だけがひときわ大きく、どくどくと全身の血が逆流するかのような感覚。

 突然、ガラスが割れる音がして、正気に戻った。

「大変、失礼をいたしました」

 目の前には給仕がしゃがんで、絨毯の上の割れたグラスを集めている。呆然と立つ斎藤に給仕がぶつかって、トレイの上にあったグラスの飲み物が床に落ちて割れてしまっていた事にようやく気がついた。

「はじめさん」

 千鶴が自分の腕に掴まるように立っていた。覗き込むように見つめる千鶴の瞳は、心配そうな表情を湛えている。

「怪我はしていない?」

 千鶴は、斎藤の手や足元を確かめるように手で触れている。慌てて、レースの手袋を取った千鶴は、斎藤の手を握りしめて、「はじめさん」と呼び掛けた。

「大事はない」

 ひと言で答えた斎藤の手をそっと引くようにして千鶴は、そのまま雪村鋼道の元に歩いていった。

「父さま、斎藤一さんです」

 鋼道は、座っていた席から振り返って斎藤を見ると、軽く会釈した。

「君が斎藤くんだね。今日はよく来てくれた」

 斎藤は、「はじめまして、斎藤です。御招待ありがとうございます」と言って深く頭を下げた。鋼道は、既に、伊庭や他の医師との歓談に戻っていて。斎藤の挨拶を半分も聞いていないようだった。

「父さま、わたし。これでパーティはお暇します」
「父さま、」

 何度か、千鶴が呼びかけて。ようやく鋼道は振り返った。

「父さま、今日はこれから、はじめさんと渋谷に出掛けます。前から約束していたの」
「パーティに最後まで居られなくて、ごめんなさい」

 千鶴は頭を下げて謝った。鋼道は、「どこに行くのだね」「最後までここに居なさい」と納得していない様子で、そう言っている。

「最後まで居ると、間に合わないの」
「父さま、」

「それなら、用が終わったら、早く家に戻りなさい」

 そう言った雪村鋼道は、千鶴の顔を見てから斎藤の顔も見た。その厳しい目線を真っ直ぐに受けた斎藤は、

「必ず、お嬢さんを送り届けます」

 そう言って、頭を下げた。雪村鋼道は、黙ったままじっと斎藤を見ていた。千鶴は、足早に会場を出て行った。斎藤もそのあとに続いた。二人がバンケットルームから去るのを、風間が睨むように見つめ、伊庭八郎も振り返りながら眺めていた。

 クロークで、コートとマフラーを手にした二人は、急いでホテルを後にした。外は空気が澄み切って凍るように冷たい。斎藤は、千鶴の肩を抱き寄せて温めるようにして歩いた。

「遅くなっちゃった。イルミネーション、間に合うかな」
「ああ、22時まで点灯している」

 斎藤は、千鶴の右手を自分のコートのポケットに入れて温めた。地下鉄の中でもずっと二人は離れない。渋谷に着くと人の流れがそのままイルミネーションに繋がっていた。沢山の人。雑踏の中なのに、不思議と静かに感じた。千鶴は隣の斎藤の横顔を見上げた。

(はじめさん、こうして二人で歩けて幸せ)

 そんな千鶴の想いが伝わっているのか、斎藤は満足そうに微笑みながら、ゆっくりと歩いていた。目の前に広がる青い青い光。斎藤の髪や瞳は、いつもより一層蒼に輝いている。それを見詰める千鶴の髪も碧く輝いて、黒い瞳にはキラキラとした光が灯っているかのようだった。辺りには「愛の鐘」が鳴り響く。

「メリークリスマス」
「メリークリスマス」

 また一緒に過ごせることが嬉しい。こうして。

 千鶴は青い光の中で特別な時間を過ごしていることを実感していた。このかけがえのない瞬間を。大切な人と。

 斎藤は、腕の中の千鶴のぬくもりに、さっきまで感じていた不安もなにもかも忘れていた。ホテルのバンケットルームでの光景。千鶴がキラキラと輝く場所で、見知らぬ誰かに触れられた。それは、風間とも違う誰かで。いきなり鳩尾を思い切り殴られたような衝撃を受けた。

 不意打ちに動揺するなど。
 俺はまだまだ修行が足りん……。

 そんな事を考えていた。千鶴は、斎藤の腰に抱き着くままでいる。帰したくない。あとどれぐらいこうして居られるのだろう。一歩一歩前に進みながら、斎藤は千鶴をずっと離したくないと思っていた。



つづく

→次話 FRAGMENTS 10




(2019/12/17)

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