
竜胆と書置き
濁りなき心に その24
慶応二年九月
八月から体調を崩しがちだった総司は、朝稽古と日中の巡査を交互に行い、それ以外の時間は屯所でのんびりと過ごしていた。
千鶴は、夏の間に更に食が細くなった総司を心配して、食事作りと投薬をこまめに行って様子を見ていた。
斎藤は夕餉の時に広間に現れない総司について千鶴に尋ねると、まだ床についていると言う。心配になった斎藤は、千鶴が別に用意した膳を持って総司の部屋に向かった。
「はじめくん、今夜巡察?」総司は、布団の上に胡座をかいて、膳を横にやりながら尋ねた。
「いや、巡査は昼間に行ってきた。薩摩と土佐の者の出入りが多いと関所から情報が入った。今日は伏見を見廻って来た」
「ふーん」
「此れから稽古?それとも、伊東さんの講義?」
「今夜は出掛ける」
「へえ、珍しいね。平隊士の子達と?」
「いや、局長の別宅だ」
「近藤さんに何かあったの?」総司が真顔で尋ねた。
「いや、俺は伊東さんに護衛に付いて来る様に言われただけだ。近藤さんに伊東さんが呼ばれて、講義をするらしい」
「ふーん。こんな目と鼻の先の距離にわざわざ護衛なんて言って、伊東さん、何を怖がってるんだろ」
総司は愉快そうに笑っている。
「三条辺りで土佐者が狼藉を働いている情報もある。物騒な事に変わりはない」
「夕餉を食べぬのか?」
「ううん、食べるよ」
「俺が見ててやる」
「なあに、はじめくん。山崎くんの差し金?」総司は、皮肉な表情で笑いながら膳を自分に寄せた。
「雪村が、冬瓜の葛煮は必ず匙を使って全部食べる様にと言っていた」
「何それ」総司は、笑いながら膳に添えてある木の匙をとって、眺めている。
「葛は咳止めの妙薬だと。よく雪村は言っている」
「はいはい、僕が葛湯飲むの嫌がるからね」総司は、そう言って煮物の入ったお碗を手に持って食べ始めた。
斎藤は、じっと正座したまま総司が食べているのを眺めていた。
「最近、軽鴨くん達がずっと稽古に来てる」総司は、匙を口に運びながら呟いた。
「朝稽古か」
「うん、一番組に混じってね」
「はじめくんもあの子達に稽古付けてるの?」
「いや、だが時々体術の稽古で一緒になる」
「ふーん」
「どうした?」
「ううん、別に。ただあの子達、頑張ってるなと思っただけ」
「ああ」
「総司、朝稽古の手が足りなければ、俺が引き受ける」
「ありがと。あの子達、近藤さんの護衛に付くんだから、もっと強くなって貰わないとね」
「そうだな」
斎藤はそう言って、仄かに微笑んだ。
相馬と野村は、近藤付きの小姓として交代で黒谷と屯所の往来を護衛していた。それ以外は、屯所内で千鶴の補佐に付いている。
千鶴が女だと知って以来、相馬と野村は屯所内で千鶴の護衛をしている。それは近藤との主従以上の強い意志で、 まるで姫を守る忠臣の如く。自然、鍛錬に熱心になる訳だが、斎藤は表向きは三木率いる九番組との合同鍛錬に協力する態度を見せて居たので、軽鴨達とは一定の距離を置く様心掛けた。それ故、総司が近藤の小姓役の二人に目を付けて指南するのは有り難かった。
道場での斎藤と三木の体術勝負以降、九番組隊士は斎藤に畏怖の念を強め、至って順従になった。三木の執拗な千鶴への関心も、収まった様に見えた。三番組隊士も斎藤の意向を汲んで、九番組と協力し合って稽古を進めた。
この頃の斎藤は、会津藩の調練、巡察、剣撃、体術指南、屯所内調練、伊東の講義出席、これに加えて明け方に御堂で朝練も続けていた。千鶴は、斎藤を見つけると、少しでも休憩して欲しいと願い出たが、「心配には及ばぬ」の一言で片付けられてしまう。仕方なく、千鶴は、斎藤の元に頻繁に飲み物を運び、御茶菓子などを持ち込んで、他愛のない話をして下がる様になった。斎藤が不在の折も、書置きが文机の上に菓子と一緒に置かれていた。広間での夕餉でも、隣の膳から自分の御菜をそっと斎藤の皿に移して来る。
「しっかり食べて下さい。残暑で身体を壊してしまいます」
大きな瞳で真っ直ぐに見詰められ、斎藤は微笑した。
「わかった。有り難く頂く」
そう言って、静かに箸を進める斎藤を千鶴はまだ心配そうに眺めていた。
「はじめくん、なに笑ってるの」
総司の声で、斎藤は我に帰った。
「いや、何でもない」
総司は、葛煮の椀は全て平らげていたが、残りは一口ずつ箸をつけただけで、膳を横にやってしまった。
「もう、お腹いっぱい。昼からずっと動いてないんだもん、僕。お腹へらない」
そう言って、横になった総司の頰に影が出来ているのが斎藤は気になった。
「山崎が新しい薬草を持ち帰ったようだな。洛中ではまだ出回っていない良薬だと言っていた」
「うん、物凄く苦い変な味のする煎じ薬だよ」
「良薬は口に苦しと言う。効能のある証拠だ」
斎藤は、総司の膳を持って部屋を下がろうとした。
「……はじめくん、明日の朝の稽古。もし僕が起きられなかったら、軽鴨くん達をお願い」
斎藤は、障子を開けながら、「あいわかった。よく休め」と肩越しに応えた。
「近藤さんも、お願いだよ」
障子を閉めようとした時に、総司が斎藤の方を真顔で見て呟いた。光る眼孔は、総司の本気を表している。斎藤は黙ったまま頷いた。
総司の口角が上がって、笑顔になった様に見えた。斎藤はそっと障子を閉めて台所へ向かった。
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竜胆と書置き
八月の終わり頃のこと
二月に近藤に随行して、そのまま西国の偵察を続けいた山崎が漸く屯所に戻って来た。半年振りに姿を見せた山崎は、日焼けをして逞しくなった様に見えた。
帰洛早々 山崎は、土方と近藤の元へ出向き、芸州 、備後、土佐藩で得た情報を報告した。山崎は主に、四月まで土佐藩に滞在していた伊東甲子太郎の動向について調査していた。伊東が勤皇志士達と接触し、土佐藩邸で行った講義では、長州への罷免を大きく訴えていた事、倒幕を目指し天皇が中心の新しい強き国を作るべきと論説していた記録を屯所に持ち帰った。
「此れは、何と言う事だ」
近藤は講義録に目を通すと怒りに震え、すぐさま伊東を呼び出し問い正そうと言い出した。
「落ち着け、近藤さん」
土方は、講義録を受け取ると、さっと目を通してから溜息を吐いた。
「将軍不在の今、此処で伊東に大きく出られて、勤皇派に隊を割られるのは困る。だが、此処らで一度、奴さんの主義主張が新選組とは相容れねえって事は、ハッキリさせる必要がある」
「近藤さん、酒の席を用意しよう。屯所の広間だと、事に寄ると斬り合いにでもなりかねねえ」
「座敷か。其れなら、俺の別宅でどうだ」
「ああ、島原や祇園でやるより都合がいい。伊東さんだけ呼び出す。奴さんは警戒して篠原あたりを連れて来るだろう」
「此方の準備も万全にせんといかんな」近藤は、決心した様な表情をした。
「なあに、心配には及ばねえよ。表向きは、伊東さんの講義の教導給わるって名目で呼び出せば」
土方は表情では笑顔を見せたが、此処に来ていよいよ伊東に詰め寄る必要が出て来た事で何れは新選組から勤皇派排除の動きになるだろうと覚悟を決めていた。
***
九月の十二夜、近藤の別宅に伊東が篠原泰之進と斎藤を伴いやって来た。近藤が妾を囲う別宅は、屯所から歩いて数軒の距離にあった。先に着いた土方が座敷で、伊東達を迎えた。
近藤は、大坂で家茂公が亡くなり、御公儀不在の中、黒谷や幕府の要人との面会で忙しく、屯所を不在がちで申し訳ないと伊東に謝った。伊東は、機嫌良く杯を受けて居たが、話が西国視察中の講義の話になると、その手も止まった。
「長州藩に対する幕府の御沙汰は、変わらない。伊東先生、我々新選組が、長州藩罷免を訴えるのは道理が通らない」
近藤は飽くまでも穏便に話を進めようとした。
「あら、近藤さんともあろうお方が、時勢も見られずに。夷狄が開国を迫る今、国を護る我々が内事で分裂していることがおかしい事をよく御考えに」
「先生、国事を憂いで居られるのは解ります。ですが、公の場で幕府を弱腰呼ばわりされるのは、やめて頂きたい」
「列強に押し切られる形での開国に朝廷も不満を抱えています。天子様を護れぬ幕府にその存在の意味も見出す事は出来ませんわ」
「伊東さん、俺たち新選組は、会津藩御預の隊だ。京都守護職が幕府の役職である限り、俺たちは幕府の元で京の街を守るのが勤めだ。会津藩が御所の天子様を護衛する時には俺達も参じる」
土方が初めて口を開いた。
「土方さんの志と幕府への忠義、会津藩への忠心とでも言い換えた方がいいかしら。それは良く心得ていましてよ」
伊東は、揶揄するかの様な皮肉な表情で、扇子を手に持って口許に持っていった。
「我々の意見が相容れない事は明白ですわね」
「これだけ話しても、呑んでくださらぬか」
近藤が残念そうに話した。
「そうですわね、私の主張は変わりません。新選組の別働隊として、天子様を護衛する任務を主に。其れがわたくしの希望です」
「別働隊。そいつは、どういう事だ。伊東さん」
土方は声を荒げた。
「トシ、やめないか。伊東先生は国事を憂いで居られる。先生、此れからも我々は手を携えてやっていく様にせんと駄目ですな」
そう言って、近藤は首の後ろに手をやって笑顔を見せた。
近藤のその仕草を見て、【合議決裂、伊東派排除】と土方は理解した。其れからはずっと沈黙を続けた。
「そうですわね。今夜は有意義な時間が過ごせましたわ。厚く御礼致します。先程の別働隊の件、御考え置き下さいますよう」
それから、そろそろ遅くなったからと、伊東は篠原と斎藤を促して席を辞した。
「其れでは、失礼致します」
斎藤が廊下で一礼して障子を閉める時に、土方は斎藤に小さく頷いた。
近藤の別宅から、屯所へ向かう道すがら、伊東は大層機嫌が良さそうだった。
「機が熟してきたわね。是の故に、百戦百勝は、善の善なる者に非るなり。戦わずして人の兵を屈するは、善の善なる者なり」
「そうですね、先生」篠原は満足そうに笑った。
「そろそろ、我々は動き出すべきね。篠原くん」
斎藤は、ずっと黙ったまま屯所まで伊東達を護衛して歩いて帰った。自室に戻ってから、刀の手入れをした。
(近いうち、別働隊として伊東派は新選組を離れる。年内か、年明けか)
斎藤は自室を見回した。いつでも発てる様にしないと。そんな事を考えながら、身一つで上洛した時と変わらず、自分の持ち物は愛刀ぐらいであると思い至った。着物は羽織と今着ている長着だけだ。来月には雪村が袷に仕立ててくれる。
(そうか、次の季節にはそういう事も儘ならぬな)
斎藤は、独り溜息をつくと、襖の向こうの千鶴を思った。千鶴は、ここのところはずっと総司の世話に明け暮れている。おそらく、自分が隊を離れても生活に変わりは無いであろう。
刀を鞘に収めると、刀置きに置いた。ふと見ると文机の上に、小さな一輪挿しに竜胆(りんどう)が差してあった。脇に、小さな書置きがあった。
隊務、お疲れ様です。
今日は葵さんが竜胆を持って来ました。
斎藤さんの髪の色、目の色みたいで
とても綺麗です。
斎藤は、思わず笑みが溢れた。綺麗などとは。千鶴の美しい手跡と花を見て心が和んだ。書置きを仕舞おうと文箱を出して、蓋を開けると中は、千鶴からの小さな紙切れで一杯だった。斎藤は一枚一枚目を通してから、丁寧に揃えると紙縒で纏めた。
身一つでも無いものだな。
そう思いながら、もの入れから旅行李を取り出して、文の束を大切に仕舞った。
つづく
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