死闘

死闘

明暁に向かいて その34

七里村の役

明治十年五月二十七日


 警視隊の攻撃で後退した薩軍は、竹田の南に位置する山城群の手前の七里丘陵に陣を構えていた。

 警視隊が陣を張る法師山から送られた斥候部隊は暗い内に敵陣の様子を知らせて来た。薩軍に、支援部隊が熊本方面から駆け付け合流したらしく、二百人の兵が進軍の準備をしているということだった。徴募隊は陽が高く上がらぬ内に七里村を攻撃することに決定した。

 一番大隊が先駆として出立し、四番小隊、五番小隊が援護についた。斎藤の所属する二番小隊は後備として法師山に留まっていた。午前十時を過ぎた頃、五番小隊の伝令掛が法師山に駆け戻り、一番大隊と四番小隊が七里村で苦戦していると報せて来た。平田小警部の指示で、一番大隊の左翼を攻めている薩軍に奇襲攻撃をかけることになった。

 法師山を下山し、石原から本道を通って南下した二番小隊は、途中間道からそのまま脇道をひたすら真っすぐ南下していった。途中壁崖を降りる場所があったが、皆が命綱を伝って手際よく崖下に着地した。ここでも東京の陸軍戸山学校の訓練が大いに役立った。これで、本道伝いに移動するより圧倒的な速さで稲葉川まで辿りつく事が出来た。川を越えてからは、河岸沿いに身を隠して迂回し、七里丘陵の東側の麓に出た。午後一時過ぎ、斎藤たちは一番大隊に猛攻撃をしかけている薩軍に左脇から奇襲をかけて撃退した。

 斎藤達が一番大隊の陣に駆け付けると多数の死傷者が出ていた。法師山から医療部隊が駆け付け負傷者の介抱にあたっていた。敵は白兵戦を繰り広げているらしく、四番小隊はほぼ全員が敵の剣に倒れたと聞いた。敵は【報国隊】という旗を掲げて、凄まじい剣戟を繰り広げる精鋭部隊という。報国の徒。一筋縄ではいかぬ。斎藤は心中で思った。指揮官の萩原の指示で、残りの一番大隊と二番小隊で七里村の麓まで薩軍を追って進軍することに決定した。斥候部隊の情報では、薩軍が七里村の隣山の枝村に潜んでいるということだった。平田小警部の指示で、斎藤の率いる半隊が先駆として戦闘することになった。

 七里村の麓には薩軍が築いた防塁が残っていた。斎藤は素早く執銃隊七名を左右の防塁に三名ずつ配置。真ん中に鉄砲組頭を置いた。組頭は狙撃の腕のある徴募兵で、名は本城充之進(じゅうのしん)。この本城を中心に扇を広げたように陣形をとった。そして、その背後に残りの部下を控えさせた。斥候の情報では枝村は地盤が揃わず、隠れる場所が少ない為、野営は不可能。薩軍は七里丘より南に一里離れた岡城に本陣を構えている。このまま日暮れまで待っていれば、薩軍は必ず移動する。村境に出て来た時を撃つ。これが斎藤の作戦だった。

 奇妙に静かな時間が過ぎた。

 もうとっくに陽は傾きかけていた。だが日差しが厳しく殆ど影のない防塁の傍で、息を凝らして待つ巡査たちの疲労が見えた。ちょうど後方から給水班が気を利かせて水の補給に来ていた。後備兵が水を飲んで一息ついた矢先、突然左翼の林から薩兵が飛び出して来た。刀を掲げ襷掛け袴姿に鉢金をつけた者たち。大軍で雄叫びをあげて突進してきた。

 斎藤の合図で銃撃隊が一斉に発砲した。三間先まで迫ってきた薩兵が銃撃に倒れて行く。連続して銃を放った二番小隊は、一旦斎藤の合図で攻撃を止めた。後方の部下に斎藤は前に出てくるように指示をした。そして、銃撃隊が次の発砲をしている間、抜刀部隊を配置につかせた。斎藤を中心に両側に六名ずつが立った。枝村との境は極狭い林に足元は尾根が続く、迎撃には背後の鉄砲隊を守るようにクサビ型の陣形をとった。先頭に斎藤。左翼には天野。右翼には津島が立っていた。天野は武者震いをしている。薩軍兵は一軒先まで迫っていた。

「誰一人、防塁の中に入れるな。防塁を超えた者は全員斬れ」

 斎藤はそう叫ぶと先頭を切って防塁に近づく薩兵を猛烈な勢いで斬っていった。一人、二人、刀を振り上げ狂ったように駆け込んでくる薩兵を倒していく。敵兵と剣と剣を合せて、力づくで押される者も居た。津島が斎藤と背中を合せるような形で相手と斬り合った。一打一撃。
斬っても斬っても、相手は飛び出してくる。総勢五十以上の兵士。半分は討ち終わったか。そう思った時だった。背後から二番小隊のもう一つの半隊。遊佐半隊長が率いる隊が後方から支援してきた。防塁の前で、残りの薩兵を全員掃討出来た。

 二番小隊が白兵戦を続けている間、薩軍は日暮れを待たず、夕方五時には七里村の反対側から撤退していった。二番小隊の迎撃戦は勝利に終わった。軽傷以外、大きな怪我を負った者もなく、法師山に帰陣した。この日の激戦では主要部隊である一番大隊に多大な死傷者がでた。九名の戦死者、負傷者は四十五名。その夜から、雨が降り続け二日間休戦となった。

 この休戦の間、熊本鎮台兵と熊本の警視隊大隊が阿蘇方面から徴募隊に合流した。


*******

竹田岡城の役

明治十年五月二十九日



 二番小隊は一番小隊の一分隊(分隊長 千葉束)とともに岡城攻撃兵の先駆となった。

 援隊は一番小隊。早朝から挟田峠にまわり七里峠を占拠した。政府軍の総攻撃で岡城が墜ちると、二番小隊は敗走する薩軍を追って城下を北上した。薩軍は竹田城下に放火をしながら熊本方面へ向けて後退したため、斎藤たちは本道は通らずに尾根伝いに円福寺へ出た。斎藤たちはそこで陣を張った。見下ろした城下は焦土と化している。待機中に佐藤常吉を偵察に走らせた。薩軍は寺から西方に三十間の距離にある 騎牟礼の丘にある古城に立てこもっていた。佐藤常吉の報告では、山城は南東からは堀切もなく、間道から主郭に難なく接近できるということだった。

 午後四時。警視隊は鎮台兵とともに古城の南東から一気に攻撃して薩摩軍を退却させた。警視隊に死傷者なし。日暮れまでに岡城に戻り、そこに陣を構えた。翌日から二番小隊は後備として岡城に留まった。


*****


 六月に入ってからは、敗走する薩軍を追って警視隊と陸軍は竹田から南下した。斎藤の所属する二番小隊も警視大隊と一緒に月末には重岡までたどり着いた。途中、山間部の旗返峠で激しい官軍と薩軍の攻防があったが、二番小隊は守備につき陣営を守り抜いた。

 六月二十三日 警視隊は陸軍二小隊とともに重岡を出発。 警視大隊三小隊と合流し黒澤村に入った。この間、重岡を熊本鎮台司令官が豊後口諸隊指揮の為、一大軍事基地とした。風紀衛生本部、食糧分配局、兵器物品倉庫、竹木集積所、兵器馬具修繕所、伝令使詰所など多くの施設が建てられた。重岡の民家は官軍の宿舎に当てられ、不足には千人小屋も建てられた。山間で野営をしている二番小隊は、物資補給に時折重岡に出向いた。重岡は、町のような賑わいで、酒や煙草などの嗜好品も入手が可能だった。斎藤は半隊の部下が希望すれば、自由に重岡で息抜きをさせた。皆、連日の進軍と戦闘で疲労の色が見えていたが、重岡での宿陣中に少しは気晴らしが出来ているようだった。天野を中心にもう一つの半隊と酒盛りをしては盛り上がり、笑いが絶えない。斎藤は酒の席で部下の打ち解ける様子を見ながらいつも静かに酒を飲んだ。

 六月の終わり、鹿児島の警視隊本隊を指揮していた大警視川路は、別働第三旅団司令長官を辞して帰京したと知らされた。鹿児島出身の川路が地元民に銃を向けているとして、反感を買い、人民の帰順工作に悪影響をおよぼすおそれがある事を憂慮、全国の治安回復のため東京で指揮をとるという川路自らの決断だった。別働第三旅団の指揮は大山厳少将が代行されると公表された。その後、別働第三旅団は重岡に移動合流した。この時に、西南の戦が勃発してから、衝背軍として戦っていた黒江安彦小警部と久しぶりに再会した。第三旅団の再編成で第一大隊に組み込まれ衝背軍は、日向から北上してくる西郷軍を迎え討つ準備を始めていた。

 七月に入り、薩摩軍は宮崎との県境を越えて北上し、豊後に入り佐伯に本営を構えた。二番小隊は薩軍の北上を阻止するため、重岡から南東の丸市尾に進軍した。轟越より一気に山道を駆け下りて薩塁を攻撃し、丸市尾の海を見下ろす山上を占拠した。

 七月四日の夕方、延岡から続々と援軍が薩軍に加わっていると偵察部隊から報告があった。

 市尾内に屯集した薩摩軍はおよそ百三十人。二番小隊は、重岡の警視隊本陣へ援護隊の要請を送った。六月からずっと毎日、滝のように雨が降り続けた。蒸し暑さで体調を崩す者が出て来た。近くの森崎村で宿陣した斎藤は、地元人夫に協力してもらって陸軍の食糧物資と芋や魚介と交換してもらい栄養補給をした。陸軍の兵糧班は隊員の健康管理に対して非常に優秀な兵士が揃っていた。連日の戦線をくぐり抜けてこれたのは、警視隊、陸軍隊の豊富な兵糧によるところが多い。斎藤は二番小隊の部下を見て、戊辰の戦を思い出していた。寒さと飢えに堪えながらの進軍。皆が戦えたのは、千鶴が兵糧を準備し、怪我人や病人の世話をしていたところが大きい。どれ程の思いでかかずらっていたのか。荷物を抱えて、山道を必死について来ていた千鶴の姿を思い出した。

 温暖で物資が豊かなこの地で、決して負けることはならぬ。斎藤は、薩軍の【報国の徒】との仇を思った。決して、負けぬ。そう静かに心に誓った。

 七月十日 熊本鎮台に付属する後備歩兵第四大隊百五十名が乗った船が豊後地方応援のため佐伯港に到着した。大隊の五十名からなる第四中隊の一小隊が、轟越の薩軍攻撃の為、森崎村に待機中の二番小隊に合流した。

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死闘 高床山

明治十年七月十二日午前二時


 空は晴れ渡り、夜灯がなくても十分に明るい夜だった。二番小隊は夜中の内に森崎村を出発。丸市尾で陸軍一小隊と合流した二番小隊は兵を右半隊と左半隊に二分した。宮崎との県境に向けて、斎藤が率いる右半隊総勢四十名は本道を、遊佐半隊長率いる左半隊五十名は間道を進んだ。

 夜明けとともに、斎藤の右半隊は丸市尾浦を見下ろす福原山より本道を駆け下り、焼尾(やけお)の薩塁を攻めた。薩軍は、防塁から退却して海側にある高床山(たかとこやま)に向かった。斎藤達は焼尾を占拠して、後備隊に移動してくるように伝令を送った。佐藤常吉が斥候として高床山に走ったが、すぐに戻って来た。間道は極狭く、中腹までは脇の斜面を通れば身を隠せる。薩軍は中腹に防塁を築いているという事だった。焼尾の陣営から敵陣まで百間の距離。

 陽が高くなってきた、斎藤達は焼尾を出立し、高床山の麓に着くと斎藤を先頭に三角形の陣形を取った。前方に銃撃隊。後方に抜刀隊。ほぼよじ登るようにまっすぐに正面の山の中腹に向かって進軍していった。斎藤の傍には佐藤常吉が藪を【ナガサ】と呼ばれる山刀を使って斬り倒して行く。佐藤は常に【ナガサ】を右の腰に下げていた。下げ緒は丈夫な真田紐。それは佐藤の身につけている制服の金モールと同じぐらい明るい黄色をしていた。【ナガサ】を腰に下げている者が隊内にもう一人いた。斎藤の左側で坂をよじ登っている本城充之進。本城は宮城県警の巡査主任だった。旧仙台藩の砲兵掛を務める名家本城家の嫡男。幼少の頃より兵学を学び、砲術に長けていた。

 二番小隊の平田小警部によると、本城の狙撃の腕は、県下一番で、二百間先の酒瓶を見事に射貫く事が出来るということだった。巡査をしながらも、本城は冬になると山に入り山立のように猟をしているらしい。本城はその狙撃の腕を買われて、宮城県警の推薦で徴募隊に入隊したが、一緒に佐藤常吉が付いて来た。佐藤は厳密には士分ではないが、本城家に仕える【やまだち】として幼少の頃より充之進の小姓として育った。常吉は主人を「若様」と呼び、本城本人から隊内ではそぐわないと注意されても決して止めなかった。平田小警部の説明では、旧仙台藩の伝統で、戦乱の世の頃より、歴代の領主は青葉流の【やまだち】を保護してきたという事だった。斎藤から見ると、本城と佐藤の二人は主従の間柄ながら、年も近くとても仲が良そうだった。

 山の中腹はなだらかな台のようになっていた。広大で殆ど隠れる場所がない。有難いことに台の手前の坂の土は腐土で柔らかく、二番小隊は即席で塹壕を掘って陣を構えることが出来た。斥候の佐藤の報告で、敵軍の砲台はなく鉄砲隊が竹束の向こうで十名構えているということだった。敵兵の数は七十名。斎藤は陣形を三角にとった。二番小隊の鉄砲隊は二十名。銃撃だけで十分敵兵を上回っている。

 敵が発砲するまで待つ。
 枝村での戦いを思い出せ
 薩軍の出方を待つ。

 敵が攻撃をしてきたら、相手の歩兵を引き付けて発砲する。
 指示するまで決して、台の上には上がるな。
 先方が後退して山の反対側へ逃げたら追討する。山の上から一気に攻める。

 作戦は迎撃戦。斎藤は斥候掛の佐藤に銃撃が始まったら、後方の塹壕に避難するように指示した。

「援軍が必要になったら直ぐに伝令に走るよう」

 佐藤は頷いた後、あわてて挙手敬礼した。鉄砲隊の本城には、陣の先頭から敵の鉄砲頭を狙撃するように指示をした。左翼長の天野には、銃撃が終わってから一気に斬り込むように、右翼長の津島には、鉄砲隊の援護に回るように指示した。

 正午に近かった。斎藤の予想通り、薩摩郡が先制攻撃をしかけてきた。

 敵の銃撃は手前の五丁のみ。旧式銃を使っていることは明らかだった。斎藤の合図で銃撃隊が配置について構えた。敵の歩兵が出たら撃つ。敵の銃撃が止んで静寂になった。敵の竹束の狭間から鉄砲の先が引くのが見えた。その瞬間、防塁の間を敵兵が大軍で攻めてきた。十間も離れていない距離を鎗や刀を持って突進してきた。

「撃て」

 斎藤の合図で一斉に発砲した。次々に倒れる兵の後ろから敵兵が発砲をしてくる。斎藤は続けて発砲するように指示した。それから背後の後備隊に台によじ登る準備をさせた。

 陣形を崩すな
 正面突破を目指す
 敵の歩兵は全員斬れ

「いざ」という掛け声で一気に台に登って、斎藤は駆け抜けていった。激しい討ちあい。敵兵はおよそ五十名。味方は四十名。左翼の天野は槍兵に別の巡査と三人がかりでかかっていた。敵の勢いが強い。どんどんと押し返されている。

 斎藤がそう思った時だった、銃砲の大きな音が鳴り響いた。斎藤は敵陣の竹束を見たが敵の銃砲は見えなかった。剣を振りながら数える。一、二、三、四、……。

 一、二、三、四、五、
 一、二、三、四、五、

 相手の弾込には、旧式銃で四十を数える間がかかる。次の発砲までに敵陣を突破する。斎藤は歩兵を斬り倒しながら前に進んだ。次の瞬間、敵陣から新たな大軍が押し寄せてきた。三十名はいるか。右翼の津島が背後で苦戦していた。斎藤も押し返された。次の鉄砲音が響いた。

 左翼の巡査が撃たれて倒れた。天野の叫び声が聞こえた。斎藤は振り返った。天野は「田中」と叫びながら、倒れた巡査に駆け寄り、そのまま引きずるように味方の塹壕に向かって後退している。

「陣形を崩すな」

 斎藤は叫びながら、後退していった。その時背後の塹壕右翼から本城が銃を背負ってよじ登ってくる姿が見えた。津島が後退しながら本城を援護するように前に立った。本城はその場で膝をついて、じっと敵陣の後方を狙っている。斎藤は、後退しながら次々に攻めてくる歩兵を討った。

 一、二、三、四、五、
 一、二、三、四、五、

 次の敵の狙撃まで二十の間。そう思っている内に、本城が発砲した。撃ったか。斎藤は敵陣を確かめた。本城は更に次の狙撃の準備をしている。その表情は冷静で、微動だにしない。津島が一人、二人と周りの歩兵を斬り倒している。津島は制帽を飛ばされて、歯を食いしばるようにして、敵を突いた後に斎藤の傍の敵兵に斬り込んで行った。その瞬間だった。次の大きな発砲音が響いた。山上から響くその音と共に背後でどさっという音が聞こえた。本城が仰向けに倒れていた。



*******

アト千匹 叩かせ給エヤ

明治十年七月十二日 午後二時


 わかさまーーーーーーーーーーー。

 背後から絶叫が聞こえた。塹壕から這うように駆け付けて来たのは、佐藤常吉だった。顔をぐしゃぐしゃにして本城に駆け寄った佐藤は、本城の上に覆いかぶさって、必死に敵から守った。本城の足が動いていた。生きているか。斎藤は思った。一、二、三、四、五、

 一、二、三、四、五、
 一、二、三、四、五、

 山上から狙撃されている。全員下がれ。斎藤が叫んだ。左翼の巡査が下がり始めた。津島も右翼の者と陣形を崩さずに下がっている。斎藤は、なんとか本城の傍まで近づくことが出来た。佐藤常吉が地面を這うようにして、本城の手から離れた銃を掴むと、涙を拭いながら起き上がって充填を始めた。

 撃つつもりか

 斎藤は迫る歩兵を薙倒しながら、背後の佐藤を確認した。佐藤は震える手で、地面を這って本城の肩から薬きょう掛けを外すとそれをかぶって、弾込めをしている。

 大物千匹 こもの千匹 アト千匹 叩かせ給エヤ
 アト千匹 叩かせ給エヤ
 南無アビラウケンソワカ     
 南無アビラウケンソワカ
 南無アビラウケンソワカ

 全身震えながらぶつぶつと佐藤が唱えている。佐藤、あと何秒だ。斎藤は心の中で叫んだ。

 一、二、三、四、五、
 一、二、三、四、五、

 南無アビラウケンソワカ
 南無アビラウケンソワカ
 南無アビラウケンソワカ

 涙ぐむ佐藤の声が聞こえてくる。本城が「山上、……松の根本だ……」と撃たれていない方の手で宙を指さした。

 南無アビラウケンソワカ
 南無アビラウケンソワカ
 南無アビラウケンソワカ

 振り返って佐藤を確認した斎藤は、援護に右翼から攻める歩兵に斬りかかった。その瞬間再び山上から発砲音が響いた。

 津島が見た時、斎藤は剣を振り上げたまま両膝をついて倒れた、うつ伏せになって動かない。

「半隊長」

 津島が背後から駆け付けた。突っ伏したままの斎藤を助け起こすと、斎藤は「後退しろ」と絞り出すような声で応えた。

 南無アビラウケンソワカ
 南無アビラウケンソワカ
 南無アビラウケンソワカ

 津島から見える世界は全てがゆっくりと動くように見えた。佐藤常吉の唱える声がずっと頭に響いている。主任が右胸を撃たれた。仰向けのまま引き摺るようにしか動かせない。早く、早く塹壕へ。津島は必至に斎藤を抱えて後ろに下がった。

 息が出来ぬ……。空が……高い。

 斎藤は自分が仰向けに地面を引きずられるように後退していっているのがわかった。

 南無アビラウケンソワカ。

 その時、佐藤の懇願するような声とともに、大きな発砲音がした。狙えたか……。敵の銃頭は山の上だ……。

 斎藤は、そのまま気を失った。


****


 塹壕に戻った二番小隊は、状況確認に追われていた。高床山の山上にいた薩軍の狙撃手は佐藤が撃ち落とした。その瞬間、敵の攻撃は止み、大軍で押寄せていた歩兵も全員が敵陣の向こうに退却し始めた。焼尾から薩摩軍は陽動作戦で高床山に警視隊を引き寄せた事が明らかになった。二番小隊には三名の負傷者が出ていた。指揮長だった斎藤が撃たれた事で、小隊はやむなく下山して焼尾に退却した。移動の間、後備についた津島たちは、敵兵が追走してこないことを確認した。天野が斎藤を背負って山を下った。

「死んじゃなりません。主任。ぜってえに」

 天野は背中の斎藤にずっと話かけ続けた。焼尾の後備隊の中に、医療班が配置されていたことで、本城、斎藤、巡査の田中の三人がただちに手当てを受けた。三人は銃創を負っていた。本城は右肩、田中は左腹部、斎藤は右肋。三人とも銃弾が貫通していた為、出血が激しかった。消毒と止血、縫合が行われた。ただちに陸軍病院に送られる手配がされた。斎藤の意識はないようだった。

 平田小警部への伝令の後、斎藤の右半隊は焼尾で待機して指示を待った。その間に鶴羽峠(つるはとうげ)を攻めあぐねていた遊佐半隊長率いる左半隊が焼尾に戻って来た。左半隊に死傷者はなく、陸軍の馬蹄利越攻撃兵が左半隊に合流し、約百名の大軍を編成した。

 二番小隊の左半隊は再び鶴羽峠を攻めて、二時間で攻略し終えた。そのまま、遊佐たちは高床山の右側から坂を掛け登り攻撃をしかけることになった。天野と津島が率いた右半隊も合流して、夕方四時には高床山を攻め落とした。

 この闘いで、豊後口警視徴募隊では三名負傷。陸軍第四中隊の被害はさらに大きく、八名の負傷者が出た。

 斎藤と負傷兵は陽がある内に、黒澤村の陸軍出張病院に搬送され入院した。


*****

土用干し

明治十年七月十日 小石川


 強い嵐の後に雨が上がった朝、久しぶりの晴れ間に千鶴は早朝から洗濯物を干していた。

「今日は暑くなりそう」

 子供が起きてくると、朝餉を食べさせた。居間は風も通らずに朝から蒸し暑い。千鶴はご飯が喉を通らなかった。みそ汁に口をつけてみたが、子供が食事の途中で猫の坊やと遊び始めたので、それを叱っているうちに、すっかり食事をとることを忘れてしまった。今日は、牛込まで出て新聞を読みに行こうと思っていた。千鶴は片付けを済ませると、子供の着物を整え、巾着鞄を持って玄関の外に出た。表の道を歩いていると、隣家のお夏に声をかけられた。

「千鶴ちゃん、これからお出かけかい?」

 お夏は庭の垣根ごしに顔を出すと、千鶴に訊ねた。牛込までミルクスタンドに行ってくると答えると、お夏は「土用干しの約束を忘れたのかと思った」と笑っている。そうだった。つい先日、嵐が明けたら、一緒に梅干しを干そうとお夏と約束していた。お夏は毎年、梅を三種類大量に漬ける。千鶴は小さい時からお夏の家で、梅干しの手伝いをするのが大好きだった。斗南から東京に移った翌年の夏に、一緒に梅干しを漬けた。去年の梅干しは殆ど食べてしまった。

「そうだった。すぐ戻ってきます」

 千鶴がそう云うと、お夏は準備を始めて待っているからと手を振りながら母屋に戻って行った。千鶴は牛込まで子供の手を引いて急いで歩いていった。ミルクスタンドで搾りたての牛乳をもらったが、生暖かい乳は匂いがきつくて飲めずにいた。それよりも新聞が気になった。朝野新聞、東京日日新聞の紙面を次々に広げて、西南の記事を探した。

 七月七日 川路大警視帰洛して戦地状況を奏上
 七月八日 巡査一大隊重要任務を果たして帰京す
 七月九日 官軍鹿児島上陸以来の大激戦
 磯山背後に展開

「川路大警視さんは京へ。巡査一大隊はお戻りに……」
「でも、磯山で大激戦……」

 千鶴は帳面を巾着から取り出して、地名を書きとった。巡査一大隊に、はじめさんはいらっしゃるのかしら。はじめさんは豊後口徴募隊。豊後口、豊後口徴募隊……。もう一度記事を隅々まで探したが、豊後口の事はどこにも書かれていなかった。子供が牛乳を飲み終わって、道の外に駆けだして行ったので、千鶴は慌てて新聞を片付けると、そのままミルクスタンドを後にして子供を追いかけた。

 日差しが眩しい。気温も一気に上がって暑い。千鶴は日傘を差して、子供を早歩きで追いかけた。子供は道に生えてる草を抜いては、用水路に投げこんでいる。しゃがんで、蛙が見えたと言って指を差していた。千鶴はやっと追いついて、用水路を覗き込んだ。ちょうど肥え溜めの前だったこともあり、強烈な匂いに襲われた。千鶴は袖で鼻と口元を覆って立ち上がった。道の反対側に駆けて行って、木陰に入ると傍の樹の幹に寄りかかった。立ち眩みがする。千鶴はしゃがみこんだ。目の前の風景が霞んでくる。子供が立ち上がってきょろきょろと千鶴を探していた。千鶴は坊や、と呼びかけた。喉から乾いた声が出た。気分が悪い。暑気あたりかしら。千鶴は手を伸ばして、子供を呼び寄せた。子供が思い切り抱きついて来た。

 じっと千鶴の顔を覗き込む坊やの顔が見えた。小さな手で千鶴の頬を持って「かあさま」と呼びかけている。千鶴は頷くのがやっとだった。大丈夫。大丈夫ですよ。小さな声で囁いた。
通りすがりの人が、千鶴の様子を見て近くから水を汲んで持ってきてくれた。水を飲むと、幾分か楽になった。千鶴はお礼を言って立ち上がると、家に向かってゆっくりと歩いて帰った。日陰を探しながら、いつもは三十分もかからないところが、自宅まで一時間近くかかってしまった。お夏がお昼を用意しているからと千鶴と子供を呼びに来た。千鶴は、総司と坊やに昼餉を用意して、前掛けをつけたまま隣の家に子供の手を引いて行った。

 梅干しのおにぎりに、茄子のお味噌汁、冷や奴。お夏は簡単なものだけどと笑っているが、塩で握っただけのおにぎりなのに、いつものように本当に美味しい。子供はおにぎり三個をペロッと食べてしまった。千鶴は、梅干しのおにぎりを一つ食べただけでお腹がいっぱいになった。そして、子供が機嫌良く遊び出したので、その間に土用干しを始めた。

 良く漬かった梅を平ざるに並べながら、千鶴は時折梅をつまみ食いをした。小梅は程よい塩気と酸っぱさ、噛むとコリコリとして美味しい。お夏は、「いやだよ、この子は」と笑いながら、台所から去年漬けた小梅を小鉢に盛ったものを縁側にもって来た。「こっちをお上がり」と優しく笑って、爪楊枝を添えて庭先に出た。

 千鶴は梅干しを頬ばりながら、全ての梅と赤しそを綺麗に並べて干した。縁側に戻った千鶴にお夏はお茶を煎れて出した。そして、小さな壺に入った小梅を手拭に包んで千鶴に差し出した。

「去年の小梅をお裾分け。今年もいっぱい漬けたからね」

 そう言ってお夏は笑った。お礼をいう千鶴に、お夏は団扇で風を送りながら微笑んだ。

「もしかして、【おめでた】じゃないかい?昔から梅干し好きなのは知ってるけど、こんなに一気に食べちまうなんてねえ」

 千鶴はお夏に言われて初めて思い至った。おめでた。そうかもしれない。急に暑くなったから、体調がそれについていけないと思っていたけれど……。千鶴は小さく頷いた。お夏は、そうかい、そうかいと嬉しそうに笑っている。「五郎さんもお悦びだろうよ」と云って、戦の様子はどうなんだろう。五郎さんも天野さんも早くお戻りになるように、明神さまに願掛けに行かないとね。そう言って、お日様に向かって手を併せた。千鶴も一緒に手を併せた。

 神様、はじめさんが早く戻ってきますように。


 それから、お夏は梅干しの表返しは自分がやっておくからと千鶴を見送った。診療所に戻った千鶴は、昼寝をし始めた子供に添い寝をして身体を休めた。夕方になるにつれ、涼しい風が吹き始めた。その夜は、奥の間に蚊帳を吊るして、喜ぶ子供と総司親子と蚊帳の中で眠った。


 夢の中で千鶴は宙を飛んでいた。

 満点の星空のもと。ずっと羽ばたきながら
 逢いたい、はじめさん

 やがて地平の向こうから陽が昇り、
 眩しい中をずっと飛び続けた
 逢いたい、はじめさん

 大海原の上を西日の沈む向こうへ
 逢いたい、あいたい、はじめさん

 愛おしいあなた
 お腹に次の子が宿ったみたいです




つづく

→次話 明暁に向かいて その35




(2019.01.05)

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