第十部 ゐざり

第十部 ゐざり

薄桜鬼奇譚拾遺集

慶応元年 夏

 屯所に貸本屋がやって来た。

 貸本屋は、店じまいをして国元に帰ることになったと話すと、今日は貸し出した本を全て回収するという。黄表紙の続き物を借りようと、朝から楽しみに待っていた千鶴は、残念に思いながら自分が借りていた本と平助から預かっていた本を返した。

 夕方、巡察から戻った平助に貸本屋が店じまいをしたことを伝えると、平助は残念がった。今夜は、非番だから新しい黄表紙を読もうと思っていたのにとぼやくと、外も暑いしなあと溜息をついた。千鶴も読みたかった続きがもう読めなくなったと一緒に残念がった。

「俺さ、怪談読んでるだろ? 巡察の時に組の奴らに話をしてやったら、みんな続きを聞きたがって」

「百物語で盛り上がってんだ」

 平助は人差し指で鼻の下を擦った。

「百物語。隊士さん達が?」

 千鶴は興味深そうにたずねた。平助は、「ああ、夜に平隊士の部屋でな」と答えた。

「でも、一晩でせいぜい、三つか四つ話をして、そのまま眠っちまうらしい」と平助は笑った。

「私、百物語は一度も。でも、江戸に居るときにお隣のお夏さんから、沢山怖いお話をしてもらってたの」

 千鶴は、台所の土間に降りると、戸棚から湯飲みを取り出した。

「とっても怖くて。でも、お話は面白くて」

 千鶴はそう言いながら、水瓶から水を湯飲みにたっぷりと汲んで平助に渡した。

「あんまり怖くて、夜独りで眠れなくなって。暫く父様のお部屋に布団を持ち込んで寝たりして」

 千鶴は、微笑みながら懐かしそうに話した。

「なあ、千鶴。今晩、怪談しねえか?」

 ぐいっと一息に水を飲むと、平助は千鶴に湯飲みを突き返しながら誘いかけた。千鶴は、うん、と嬉しそうに返事をした。

「どうせやるなら、お堂の広間でさ。しんぱっつあん達も誘おう」

 平助は乗り気だった。千鶴は夕餉の片付けが済んだらお堂に行くと平助に約束すると、食事の支度を始めた。



***


 その日は、風のない蒸し暑い夜だった。千鶴は、台所の片付けを終えると、麦湯の入った茶瓶と湯飲みを大きなお盆に載せて広間に向かった。広間の欄窓は開け放たれ、中では行灯が一つ灯されていただけだった。

「お、きたきた。千鶴、こっちだ」

 薄暗い部屋に、皆が待っていた。湯上がりの着流し姿の平助が、手に団扇を持って千鶴を呼び寄せた。そこには、小さな蝋燭立てが一本。左之助がその向こうで胡座をかいていた。その隣に、総司が寝間着のままで腕枕をしたまま横たわっていた。そして、黒い着流しを来た斎藤が手前に正座をしていた。千鶴が麦湯を湯飲みに汲んで、皆の傍に置くと、早速平助が始めようと言い出した。

「誰が一番に始めるんだ?」

 行灯から蝋燭に火が移された。行灯の灯が吹き消されると、再び左之助が「誰が一番だ?」と訊ねた。

「じゃあ、俺から」

 平助が、口火を切った。

「これは、ほんとにあった話」

 そう言って、暫く黙ったあと。平助は話し始めた。





****

女の妄念迷い歩く事


 昔、越前の北之庄で男が旅をしていた。

 上方に向かって夜になっても歩き続けていると、沢谷ってところにでっけえ石塔が建っているのが見えた。その石塔の足元から、鶏が一羽飛び立って男の前に降り立ったんだ。

 月夜の影だ、暗い中をよくよく見てみると、それは女の生首だった。

 生首は、男に向かって不気味に笑いかけていた。男は、少しも動じずに腰の刀を抜いて女の首に斬りかかった。首は、男の刀を躱すと道の上を宙に浮いたまま飛んでいった。

 男は生首を追いかけていった。ずっと走って追い掛けると、府中の町、上比地って所についたんだ。すると、生首は、集落のある家の窓から中に入っていった。

 男は不思議に思って、しばらくその家の外で様子を伺ってたんだ。

 縁側に廻ってみると、女が横になって眠っている主人を揺り起こしている。

「なんて怖ろしいことでしょう。旦那様、いましがた見た夢で、沢谷野を通っていますと、男が一人、わたしを斬ろうと追い掛けてきて。ここまでなんとか逃げて参りました。そこで夢から目覚めました」

 女は主人に、こんなに汗をかいてびっしょりになってしまったと大きな溜息をついている。そこで男は表にまわって門を叩いた。

「夜分に、大変失礼な申し伝え候へども、申すべき言あり、門を開けさせ給え」

 門の外の丁寧な物言いに、主人は門を開けて男を招き入れた。その男が、貴殿の女房を追い掛けて来たのは自分で、追って居たのは女の生首であった。あなたは人間の姿に変わられたのか、と主人の隣の女房を見て大層驚いた。

「罪業の深さを思うと、なんとも嘆かわしい」

 そう言って、旅の男はその家を去って行った。女房は、泣きだした。

「このような有様では、旦那様のお側にもおられますまい。本当に辛い」

 そう言って、女は京に上って寺に籠もって一生終えたそうだ。それが上京の西方尼寺って話。

「これ、ほんとにあった話だぜ」

 そう言って、平助は話を終えた。みんなが、静かに聞いていた。次に、平助の向かいに座った斎藤が話を始めた。




***

馬のもの云う事

 これは、俺が江戸から戻る途中。近江草津宿で聞いた話だ。

 斎藤は、正座をしたまま千鶴の隣で静かに話している。この春から五月にかけて斎藤は土方について江戸に隊士募集の為に行っていた。その時の事を話しているようだった。

「まだ、国盗りの戦が盛んな頃、小畠虎盛という武将がおった。甲斐の武田の五名臣のひとり武功の誉れ高く【鬼虎】と呼ばれていた」

 この鬼虎、戦で召し上げた今川の領土もだが、敵将の首だけでなく、跨がっていた馬までも取り上げると今川に迫った。それほど、敵将の乗った馬は姿も素晴らしく、どうしても連れ帰り頭領の信玄公に見せたいと馬を所望した。

 引き渡しの日、馬を連れた今川の者は暮坂峠まで登っていった。いざ、武田側の家臣に引き渡そうとすると、その馬は暴れ出した。武田の家臣は、馬に崖から蹴落とされる勢い。あわてて道から退き大声で馬を落ち着かせるように今川の者に頼んだ。馬は、首を大きくふるとそれまで大きな声でいなないていたのを止めた。

「おのれ、我が身、この峠より向こう。甲斐の国へは決して入らぬ」

 馬は、武田の家臣に向かい大きな声でこう言った。馬が人間の言葉で話始めたのだ。

「我が父、母、甲斐の虎に討ち取られし候。我が魂、甲斐を呪いてその地滅びんことを望まん」

 そう言うと、大きく首を天に振り上げ嘶いた。武田側の家臣は、そのまま馬を受け取らずに本陣へ戻って、馬の文言をそのまま小畠虎盛に伝えた。

 虎盛は激怒した。

 どのような名馬でも、甲斐を呪うもの、すぐに討ち首にしてくれる。

 そう言って、その日の内に峠を越えて今川の馬の首を斬った。そして、その首を持ち帰った。

 信玄公の城の庭にさらし首にされた馬は、目を見開き、歯をむいたまま。まるで生きているようだった。人間の言葉を喋った馬だという噂を聞いて、馬の首を見物しにくるものが絶えなかった。

 夜、虎盛が自分の根城で休んでいると、外が騒がしい。家来の話では、庭に馬の生首が現れて暴れているという。【鬼虎】は手元の槍を持って応戦に庭に降りていった。

 庭に馬の生首が宙を浮き、弓矢で撃っても、槍を投げても当たらず。家来達を翻弄していた。その異様な光景に、鬼虎は生首に向かって叫んだ。

「おのれ、死してもこのような狼藉を」

 そう言って、槍をもって鬼虎は首に向かっていった。馬は待っていたとばかりに、鬼虎の槍を口で掴むと武将もろとも地面に打ちつけた。

「鬼虎、甲斐の虎とともに貴様を末代まで呪う」

 そう言って、生首は宙を飛び峠の天辺まで飛ぶと、そこに留まり朽ち果てるまで動くことはなかった。

 暮坂峠には、今でも馬の首塚が祀られている。俺は行かなかったが、隣国には馬の胴塚もあるそうだ。馬の呪いかどうかは知れぬが、武田の一族は間もなく絶え、国もとられた。


 斎藤は、話を終えると湯飲みに入った麦湯を飲んだ。千鶴は、おかわりを入れようとしたが、斎藤は「よい」と静かに断って、左之助から酒瓶を貰うと酒を湯飲みに注いで飲み始めた。

「生首の話が続いたな。俺、晒し首ってまだ一回しか見たことねえ」

 平助が呟いた。

「あれは、見て気持ちのいい物じゃねえな」

 そう左之助が応えた。そして、次、誰か話はあるか? そう言って千鶴の方を見た。千鶴は、手に持っていた茶瓶をお盆に戻すと、正座をし直して話を始めた。



****

ゐざり

 江戸の家の隣に住んでいるお夏さんから聞いた話です。

 お夏さんは豆州伊豆国の出身で。おじいさまの代に、修禅寺の傍に移られたそうです。その前は韮山の深い山の中に。今から話すのはその山奥で起きた話。もう百年以上も前、明和の頃の事です。

 お夏さんのご先祖様が住んでいた村落には、竜神池という淵がありました。豆州は水の綺麗な場所ですが、その淵だけは、昔から藻が茂って淵の水は透き通る事が無く、誰もそこの水を飲むことはしませんでした。

 池の傍には竜神様を祀る祠があって、代々そこを守る家がありました。夫婦には子供がいたのですが、次々に死んでしまい。代を継ぐ者がいないまま。ちょうど春から日照りが続いて、辺りの畑は干ばつになる心配があり、村の人達で竜神さまに雨乞いをしようということになりました。

 古くから雨乞いには人身御供として、池に子供を沈めるという習わしがあったそうです。

 祠を守る家には子供がいない。村落では誰かを差し出さなければという相談をしたそうですが、中には子供の代わりに人形(ひとがた)を沈めて竜神さまに助けてもらおうと訴える人もいました。お夏さんのおじいさまです。

 誰も自分の子供を差し出すのは嫌です。ですから、村の女達は一生懸命美しい人形をつくって供物と一緒に淵に沈めました。

 でも雨乞いの祈りは、天には届かなかったそうです。それからも日照りはずっと続きました。隣の山から水を引く灌漑をしようと村人たちは相談しました。山を削る。その為には竜神池も掘らなければなりません。

 竜神さまは人身御供をあげなかったから怒っている。
 竜神池の水は飲んではならねえ。

 これが村人たちの灌漑に反対する声でした。村の長老。もう百歳は過ぎていると言われているご老人が居て。昔の出来事をよく知っていました。長老にどうすれば良いか聞いてみようという事になりました。

 村人たちが教えを請いに行きましたが、このご老人はもう目も見えず、日照りで困っているという事を説明しても、話を解っているのかもわからない様子だったそうです。ですが、祠の中の巻物に竜神さまのお告げを聞く術が書かれてあると、祠を指さすので。村人たちは、その巻物を探しに行ったそうです。

 実際、巻物はありました。

 術の名前は『ゐざり』と書かれていました。村人達は、その巻物の通りにお告げを聞こうとその夜集まりました。

 村落から男が四人選ばれました。どの者も力は強く、家を持つ人達です。
 祠を守る家の客間に集まりました。
 客間は四方同じ長さの真四角の部屋。そこの真ん中に蝋燭を灯します。
 夜中の丑三つ時
 四隅に立った男たちは、いったんしゃがみ膝をつき
 右の方向に向かって壁づたいに膝行(いざ)ります。
 ゆっくりとゆっくりと

 膝行る間、決して口を聞いてはいけません。
 部屋には誰も入ってはいけません。中を覗いてもいけません。

 膝行る間、四人で「ゐざり、ゐざり」と声を合わせてゆっくりと唱え続けます。

 四隅に人が戻るとき、蝋燭の元に膝行ったまま集まります。

 その時にお告げがある。

 それが術のならわしでした。

 男たちは、膝まついて膝行り始めました。ゆっくりとゆっくりと。

 ゐざりー、ゐざりー、
 ゐざりー
 ゐざりー

 低い男達の声は続きます。ゐざりー。ゐざりー。

 何周目でしょう、呪文のように唱える声で、男達は気が朦朧としていました。壁つたいに床の上を移動しているのは解ってはいるのですが、もう自分たちが元の四隅に戻ったのかも解らなくなって来ました。ただ、頭の中に、ゐざりー、ゐざりーという声が響いているのです。

 ずっと男たちは膝行り続けました。すると、ふと頭の中の声が止んだのです。男達は自分が部屋の四隅に戻って居ることに気づきました。そのまま取り憑かれたように部屋の中心に向かって集まったのです。

 ぼーっと浮かんだ蝋燭の灯りの中に誰かの背中が見えました。

 子供です。ちいさな子供。

 四人の男は、その子供の背中に手をかけました。子供はゆっくりと振り返りました。それは村端に住む惣兵衛さんの一番下のせがれでした。名前は【三郎】

 三郎がゆっくりと顔をあげると、男達は声をあげて腰から後ろに倒れました。

 蝋燭の灯りに浮かぶ三郎の顔には、大きな手首がまるで顔を覆うように……。

 千鶴は蝋燭の灯りの前で、同じように自分の顔を手で覆うと、向こうで平助が驚愕の表情で声も出ない様子だった。

「男達は、でたー。化け物が出た、と叫んで部屋から飛び出していきました」

 家の外で待っていた村人も、恐怖で震え上がっている男達の説明を聞いて怖くて部屋には近づけない。

 唯一、子供の父親の惣兵衛さんが家の中に駆け込みました。

 部屋の真ん中には、三郎が立っていました。蝋燭に灯された三郎の顔にはもう、手首はついていません。ですが、惣兵衛さんが呼びかけても、三郎は返事もせずに宙を見たまま。涎をたらして目はうつろ。正気をなくしていました。

 三郎は口もきけなくなっていました。
 何を話しても、宙をみつめたまま無表情で立っているだけです。

 三郎を抱きしめる惣兵衛さんを子供から引き離した村人は、三郎を三日三晩祠の中に閉じ込めました。

 そして、四日目の朝、淵に子供を沈めたそうです。

 間もなく雨が降り始め。畑は潤い、干ばつの被害から村は救われたそうです。

 お夏さんのおじいさまは、惣兵衛さんを大変気の毒がり、収穫前に家屋を売り払ってその村を出たそうです。以来、一度も韮山には近づかず。決して、「ゐざってはならぬ」というのがお夏さんのおじいさまの言い伝えだそうです。



***



 千鶴が話を終えると、一同は沈黙したままだった。

 蝋燭の向こうで、平助が喉から絞り出すような声で、「怖えーー」と呟くのが聞こえた。千鶴は一息つくと、わたしの話はこれでおしまいです、と小さな声で応えた。

「怖ろしい話だ」

 左之助が一言呟いた。千鶴は頷いた。

「伊予でもそういった話は聞いたことがあるが、そうだな、身近に人身御供を出したってのはねえな」

 千鶴は、頷きながら「ほんとうに、残酷な話です」と応えた。

 誰も、次の話をする者はいなかった。左之助は、十分涼しくなったから今晩はこのままお開きにしようと提案して、皆で広間を後にした。

「左之さんさ、俺、左之さんの部屋で寝てもいい?」

 平助が廊下を歩きながら左之助に訊ねた。

「ああ、俺は構わねえが、今晩みたいに風がねえと、手偏部屋から叫び声が聞こえるぜ」

 左之助は笑いながら平助に教えた。俺は、気にならねえが、あれを聞きながら眠っても構わねえってなら俺の部屋は快適だ。そう言って、厠に立ち寄るからと廊下の反対側に歩いていった。

「じゃあいいよ、左之さん。俺、はじめくんの部屋に行くから」

 平助は、斎藤に「これから、はじめくんの部屋で寝るから」と言うと、「総司、一緒に、厠行こうぜ」と総司を誘ってばたばたと団扇を扇いだ。



****

怖がる面々


 斎藤の部屋の障子を開け放し、斎藤は平助と二人で布団を敷いた。ひと組の布団。平助は、上掛けをとって胡座をかいていた。ばたばたと団扇を扇いで、「怪談、怖かったな」と斎藤に話しかけていた。

「あの、斎藤さん」

 何度か、千鶴が呼びかけてくる声が聞こえた。それは襖の向こうの千鶴の部屋から聞こえて来ていた。斎藤は立ち上がると、千鶴と自分の部屋を隔てている襖を開いた。襖の向こう側に千鶴が、正座をしていた。髪を下ろして、薄紅色の寝間着姿。手には、枕を持っていた。

「すみません。斎藤さん、今夜、こちらの襖を開けたままにしてもらっていいでしょうか?」

 斎藤は驚いた。部屋続きの間を襖で間じ切っているだけの部屋をそのまま同じ部屋にすると云いだした千鶴。

「その、独りですと。怖くて……」

 生首が飛んで来そうで……。

 そう呟く声が平助に聞こえると、「なに、生首? おい、千鶴、怖いこというなよー」といいながら四つん這いで駆け寄ってきた。

「俺も怖えよ。眠れないよな」

「うん、女の人の生首も、馬の生首も飛んで来そう」

 千鶴と平助が目を大きく開いて興奮しているのを見て、斎藤は溜息をついた。

「ねえ、千鶴ちゃん。いる?」

 その時、千鶴の部屋の障子に総司の影が見えた。千鶴は「はい」と返事をして、障子を開けに走った。

「ねえ、今晩、僕、千鶴ちゃんの部屋で寝てもいい?」

 障子を開けると、総司は自分の上掛け布団と枕を持って立っていた。

「はい」

 千鶴は直ぐに返事をして、総司を招き入れた。斎藤の部屋から平助が、襖を大きく開け放った。

「おい、総司。千鶴の部屋に泊まれる訳ねえだろ。総司もこっちで寝ろよ」

 平助はそう言って、顎で斎藤の部屋に来るように言うと、総司は微笑みながら襖の傍に立った。

「じゃあさ、千鶴ちゃんもこっちで一緒に眠ろうよ」

 そう言って、総司は千鶴の手を引いて斎藤の部屋に入った。千鶴は、最初ぼーっと襖の傍に立っていたが、急に大きく目を開いて首を振り始めた。斎藤は、千鶴の様子がおかしいと心配になった。

「なりません。四人は」

「死人ですから」

 ひときわ大きい声で叫ぶと、ぶるぶると震え始めた。

「なに、言うんだよ!!」

 平助が、振り返って目を大きく開けている。

「俺、じゃあ左之さん呼んでくる、五人だったらいいだろ」

 そう叫びながら、廊下にでて走って行ってしまった。千鶴が震えたままなので、斎藤は「雪村、大丈夫だ。しっかりしろ」と両肩を持って自分に向かせた。千鶴は、ゆっくりと頷いたが、まだ震えは止まらぬ。

「わたし、小太刀を持って参ります。守り刀なので」

 そう言って、自分の部屋に向かおうとしたが、斎藤の袖を持ったまま振り返り、付いて来てもらって宜しいでしょうかと頼んで来る。斎藤は、行灯の明かりも消したままの暗い部屋に千鶴に袖をもたれたまま入っていった。千鶴は、小太刀と文机からなにかを掴んで、斎藤の元に小走りで戻ってきた。暗がりで、こっくりと頷いた姿が見えたので、そのまま自分の部屋に千鶴を入れた。総司が自分の布団を斎藤の布団の隣に敷いていた。

「さ、おいで」

 総司が、寝転がりながら千鶴の足元に来ると、そのまま千鶴の手を引いて引き寄せた。小太刀を受け取ると、枕元に置いて、千鶴をそのまま両腕で持ち上げるように引っ張ると、自分の布団に寝かせた。

 こうやってさ、背中から僕が守ってあげるから。

 そう言って、千鶴を包み込むように横になった。千鶴は動けないようだった。

「なにをやっておる」

 斎藤の厳しい声が響いた。その瞬間、総司の腕が解かれて涼しくなった。斎藤が、総司を千鶴から引きはがし、布団の外に放り投げた。

「なに、すんの?」

「怖がる雪村につけいるような事はするな」

 静かに総司を諫める斎藤の声が聞こえた。

「なに、まるで、僕が密男みたいじゃない。怖い顔で睨まないでよ」

 そう言って、くっくっくと笑う総司の声が聞こえた。千鶴は、振り返った。斎藤は憮然としたまま立っている。すると、総司が自分を引き寄せ、背中を向けて、ぴったりと背中と背中を合わせた。

「ねえ、千鶴ちゃん。こうしたら怖くないでしょ?」

 背後からそう訊ねる総司の声が聞こえた。千鶴は、はい、と答えた。

「これなら、文句ないでしょ? はじめくん」

 総司がそう言って、背後で斎藤に訊ねていた。斎藤は黙ったままだった。

 廊下を平助が走ってくる音が聞こえた。

「左之さん、もう高鼾かいて寝てたよ。ぱっつあんも帰ってくるの朝方だし、もう俺、このままここで寝る」

 そう言って、斎藤の布団に横になった。

 斎藤は、寝間着に着替えると、平助を押しやって、千鶴と平助の間に横になった。

「平助、怖ければ。俺の背中に背中をつければ良い」

 斎藤の静かな声が聞こえた。平助は、体勢を変えて斎藤の背中に自分の背中をぴったりとくっつけた。確かに、幾分か怖さがなくなった。

「なあ、はじめくん。あの柱、あの木目、あれさ目玉みてえじゃね?」

 しばらくすると、平助が斎藤に訊ねる声がした。

「あれは、木目だ。目玉ではない。この部屋に住んでいる俺が言っている。もう寝ろ」

 静かに諭す斎藤の声が聞こえた。

 静寂の中、静かな寝息が聞こえた。斎藤は、月明かりが入る部屋で、隣の千鶴の顔を眺めた。千鶴は、安心したように眠っていた。すうすうという寝息をたてて。枕元には守り刀の小太刀。背後に総司の背中。安心したのだろう。

 千鶴の伸ばした手は、斎藤の敷き布団の端を掴んでいた。そしてもう片方の手で何かを握って居るのが見えた。斎藤は、そっと近づいて、手の中を覗いてみた。青い月明かりに薄い桃色の何かが見えた。

(貝殻か)

 それは、その前の月に丹後に出向いた時に海岸で斎藤が見つけて拾った桜貝だった。小さな貝殻だが、どこも欠けたところのない綺麗な合貝で、その二枚を斎藤は土産だと言って、千鶴に渡したのを千鶴は大層喜んでいた。


 大切にしておるのだな


 斎藤は千鶴が文机から何かを掴んだのが、桜貝だと思うと胸の辺りがくすぐったいような不思議な心持ちがした。そして、幼子のような表情で安らかに寝息をたてている千鶴の顔をずっと眺め続けたまま、いつの間にか眠りに落ちていた。










(2018.07.22)

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