ブログ【二次小説 進捗状況、そのほか】斎藤さんの婚姻証明書
こんばんは。
明治期のシリーズの続きを書き続けています。
明治九年春の斎千夫婦の話。
今回のエピソード。比較的最近発見された大正五年に提出された史実の藤田五郎さんの恩給請求の資料の画像写真を眺めている内に想い浮かんだ話です。
藤田トキヲさんの藤田五郎さんとの結婚証明書(国立公文書つくば分館所蔵文書より)
住所がはっきりと番地まで書かれていますね。大正六年に真砂町に住まわれていた斎藤さん夫妻。
小説の話ですが、明治九年は春先に廃刀令、新選組慰霊碑建立があって。でもそれには触れずに一気に夏辺りまで話を進めるかもしれません。
先週会津若松に行って、戊辰戦争の展示を博物館やお城でじっくり観てきました。古文書が豊富で、当時の緊迫した様子がよく解る内容の濃い展示でした。会津新選組については、2年前に公表された斎藤さんの写真の実物と同時期に撮影された家族写真のパネルが展示されていました。島田魁さん所持の新選組腕章と中島登が描いた新選組絵巻の斎藤一の部分(普段は函館で所蔵展示されているもの)を見る事が出来ました。
斎藤さんの写真は福島県立博物館のショップでA4サイズクリアフォルダになったものが売られていました、嬉嬉。
斎藤さんクリアファイル(まだ売り切れずにあるそう。博物館では現金書留送付で郵送もしているようです。ご興味あれば、福島県立博物館に問い合わせしてみるのもいいかも!)
今年の藩公行列、お天気も良くて見事でした。例年より騎馬武将が多くて、美しい馬を沢山見物出来ました。翌日は午後の会津新選組まつりに行く迄、飯盛山、妙国寺、白虎隊資料館と伝承館、長命寺を見学。
今回は初めて妙国寺と長命寺に行きました。戊辰戦争に所縁のある場所ですが、誰も居なくてひっそりとしていて、静かに参拝出来て良かったです。
この二箇所と白虎隊伝承館で山川大蔵氏が藤田五郎さんの長男誕生を祝って送った書の掛軸が見られた事、會津新選組同好会の講演会で、金戒光明寺のご住職のお話が聴けたのが嬉しい出来事でした。
宿で食事をした際、囲炉裏端でご一緒した会津出身の老夫婦から昔の会津若松の話をいっぱい伺うことが出来ました。本当に偶然なのですが、ご夫婦の菩提寺が近藤勇さんのお墓のある天寧寺で、お寺の古い本堂があった頃の境内の話、天寧寺に伝わる遊び唄を歌ってくださったり、お寺の時の移り変わりを教えて下さいました。お二人の会津言葉がほのぼのとして、本当に楽しいひとときを過ごしました。
会津は本当にいい所です。土地も人も食べ物も。
毎回地元の人の温かい人柄に触れられるのも会津に行く楽しみの一つです。
今回の旅では、会津の歴史は斎藤さんの人生に大きく関わっている事が実感出来て、150年前の戊辰の年の事はしっかりと物語にしたいと強く思いました。
大坂城の夜、小太刀の誓いをたてた斎千の激動の一年間。
頑張って描きます。
その前に明治期の話をプロット終わりまで書ききりますね。
いつも、このとめどもないログを覗いて下さって有難う御座います。
台風通過で列島は大変な事に、どうか皆さん息災にお過ごし下さい。
ちよろず