ブログ【明暁に向かいて中巻申込開始】使わなくなった言葉のこと。

ブログ【明暁に向かいて中巻申込開始】使わなくなった言葉のこと。

こんにちは。蒸し暑い日が続いていますね。

明暁に向かいて中巻の申し込みを開始しました。来月頒布に向けて本づくりに励んでおります。

原稿の手直しをしながら、明治期の人々の言葉遣いや口調はどうだったのかなとよく考えます。Webに載せている小説はあまり深く考えずに書いたもの。縦書きの小説にする時に表記の雰囲気を優先して書き換えることが多いです。

口調や言葉遣いは明治時代の小説を参考にしています。特に漱石は言文一致体、お手本にしています。台詞だけでポンポンと物語が進むスタイルはとても好みです。言葉の表現の部分はゲームをプレイして特徴を掴んでいるつもりですが、読み返してみて現代的過ぎるような書き方をしている部分は細かく修正をかけています。

わたしは関西育ち。大阪弁の変遷は敏感に感じます。幼少期に聞いて育った言葉と現在の大阪ことばはかなり変わってしまいました。意味は通じるけれど、もう余り使われなくなった言葉も沢山あります。

「のう」という相槌も最近は聞かなくなりました。これは私が子供の頃、男の子がよく使っていました。

「そうやのう」の「のう」の部分。同意や納得を促すように使います。よく時代劇でお殿様が「のう」と呼びかけたりするのと同じ用法です。「なあ」や「なっ」に比べると、少し強い言い方かもしれません。

女の子が「のう」と男の子の真似をしていうのは、少し偉そうで乱暴な感じがして余りそんな口調で話す女の子はいなかったかな。

「去ぬ(いぬ)」という言葉も。最近は使わなくなりました。祖父と出掛けたとき、帰る頃合いになると「そろそろいのか」と声を掛けてくれました。帰ろうかという意味です。祖父の優しい声の響きを懐かしく思い出します。「去ぬ」の命令形「去ね(いね)」はよく男子が使っていました。「帰れ」とか

「あっちへいけ」という強い意味合い。時代劇や時代小説でこの表現が出て来ると、本当にキツイ言い方だなと思います。薄桜鬼では出てこない言葉。でも、状況的に誰かがこの表現を使っていても不思議ではない。特に関西弁を話すキャラクターなら言いそう。

原稿を書き直しながら、「去ね」は使ってもいいかなと考える場面が何度もあって、書いてはまた戻し、また書き足しては消してを繰り返しています。斎藤さんが使ってもいいかなと思う時と、斎藤さんならきっと「去れ(され)」というだろうなと悩みます。いまのところ「去れ」を採用しています。

このブログを読まれた方はどう感じていらっしゃるかな。斎藤さんが「いね!!」って強く言う場面は違和感があるかしらん。でも一度、「いねぇえ」って凄んで言い放つ場面がみてみたい。そんな話を書こうかしら。京の屯所時代か明治期で。いいかも、いいかも。

ここのところ、FRAGMENTSの続きを優先して書いています。一日数行しか進まずぼちぼちやっています。なんとなく流れで後輩の相馬くんがクローズアップされていくような感じです。SSLの移植版にちっとも相馬君と野村くんが出てこないので、妄想さく裂で書き進めます。いつかゲームSSLに真改以降のキャラが沢山でてくることを願いながら。

ここまで読んでくださってありがとうございます。

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