国道246号の夜

国道246号の夜

FRAGMENTS春 23 裏語り(逆戻し)

RE3BRO:先輩、9月25日に決定です。
いまのところ、相馬と藤堂さんが参加。夕方に集合です。

Chizuru: 野村君、ありがとう。
予定空けておくね。

 夏休みが明けてしばらくすると、薄桜学園の後輩野村利三郎から連絡が来た。千鶴は直ぐにLineで返信を送り、リビングのカレンダーに印をつけてスマホのスケジュールにも予定を書き込んでおいた。

 9月25日 午後17:00 UFO観測会

 この日は午後早くに大学の講義が終わる。買い物をして帰ってから、夕飯の用意をする時間は十分にある。千鶴は父親が帰ってきたら、一週間後の夜に出掛けることを話そうと思った。

 日本で初めての研究機関と医療センターの設立に携わるため、9月の始めにドイツでの三年間の研究事業を終えて雪村鋼道が帰国した。以来、父親は大学病院と自宅の診療所とセンター設立の打ち合わせで忙しくしている。千鶴は朝夕の食事の仕度をして夜遅くに戻る父親との団欒を大切にしていた。

「とうさま、来週の木曜日。高校の時の後輩と夕方から出掛けるから」
 千鶴は夕食を用意しながら父親に伝えた。
「父さま、その日は遅くなる?」
 雪村鋼道は、カウチから立ち上がりテーブルについた。
「ああ、たぶん遅くなる」
「父さまが帰る前には、私も戻っていると思う」
「どこに行くんだい?」
「青山だったかな。246号沿いに」
「誰とだね」
「野村君と相馬君。剣道部の後輩の。それと平助君も」
 平助と聞いて、父親は安心したような表情になった。
「お向いの平助くんか」
「そう、藤堂さんちの平助くん」
「平助くんも最近、観測会に入ったの」
「何を観測するんだね」
「UFOよ、父さま。UFOがでるの」
 千鶴が目を丸くして話すと、父親は鼻先で笑うような声をたてた。
「なんでお前がUFOを見に行くんだい?」
「だってUFOだもの、父さま。246号沿いに普通に飛んでいるんですって」

 父親は声をたてずに笑っている。

「平助くんもお前も小学生の頃とちっとも変わっていないね」
「あの子は診療所の屋上から空を眺めてはUFOだ、隕石が光ったと騒いでいた」
 千鶴は思い出した。小学生の頃、屋上で花火をして遊んだ夜に不思議な光が見えた夜を。
「あれは絶対にUFO」
 父親は食事を食べながら、千鶴の話を聞いている。時折、「UFOね」と呆れたように相槌をうっては小さく首を横に振った。
「父さまは信じていないでしょ」
「さあ、どうだろうね」
「とうさんは医者だから天文学やなんかはからっきしだが、宇宙人は存在すると思うよ」
 千鶴は持っている箸をとめて、父親の顔を見た。ぱーっと明るい笑顔になった千鶴は嬉しそうに頷いた。
「宇宙は無限に広がっている。そこに地球みたいな場所があって、生命体がいるってことは十分に可能性としてある」
「そうなの。野村君がいつも言っているの。アンドロメダ星人がこっそり地球に来ているんですって」
「アンドロメダ」
 目を丸くして憮然とした表情で綱道は応えた。
「そう、アンドロメダ星雲のアンドロメダ」
「アンドロメダ星人は目鼻立ちがハッキリしているの。髪が太くて艶々なの。とっても美しいんですって」

 千鶴は父親の前に漬物の入った小皿を置いた。湯沸かしポットから急須にお湯を注いで、父親に手渡した。綱道は静かにご飯にお茶をかけて食べている。それきり、二人は話すのをやめて黙々と食事を続けた。綱道は書類を見なければといって、食事を終えると早々にテーブルから離れて二階に上がっていった。千鶴は片付けをしてから自室に戻った。翌日の講義の仕度を終えると、スマートフォンを手にとって斎藤にlineを送った。

 はじめさん、今日も遅くまでおつかれさま。
 わたしは、夕方まで講義でした。
 あと二日。土曜日が待ち遠しい。
 早く会いたい。
 おやすみなさい。

 お風呂から戻ると、斎藤からlineが届いていた。

 俺も今日は三限まであった。
 金曜は久しぶりに総司と稽古する。
 土曜日に会うのを楽しみにしている。
 おやすみ

 千鶴はスマホのメッセージの画面を抱きしめるように持って朝まで眠った。

*******

 土曜日の午後、駅前のカフェで久しぶりに斎藤に会った千鶴は観測会に一緒に行こうと斎藤を誘った。

「25日はバイトだ」
「夜遅くまで?」
「8時上がりだ。バイト料明細が貰える」
「そっか。じゃあ行けないね」

 千鶴と斎藤は窓際のいつものカウンター席に肩を寄せ合うように座ったまま外を見ていた。数時間の逢瀬。九月に入ってから初めてのデート。千鶴は父親が帰国してからは、門限を決められているため、こうして二人きりで会うのは土曜日の午後だけになった。

「俺はUFOを見たことはない。代々木公園は夜空が綺麗だ」
「行ってみたい」
「池のある場所は空が広くていい」
「最後に行ったのは数年前だ。総司と西原センターの試合の帰りに代々木公園に抜けて歩いて帰った」
「芝生の広場で仰向けに大の字になって空を見上げた」
「雲が晴れて、星がいっぱい見えた」
「冬だったの?」
「いや、今頃だ」
「今度、はじめさんと代々木公園に夜空を見に行きたい」
「ああ、時間ができたら行こう」

 テーブルの下で手を繋いで約束した。夜空に拡がる満天の星。この前見た、長野の空のような。

「観測会、気を付けて。平助たちにも気をつけるように言っておく」

 駅で別れる時、斎藤は千鶴に平助たちと出掛ける時は皆と離れないようにと何度も念を押して帰っていった。千鶴は改札の向こうを走っていく斎藤の背中を見えなくなるまで見送ってから家路についた。

******************

9月25日 UFO観測会

 玄関のチャイムが鳴って、千鶴はドアを開けに駆けていった。ドア口には平助と背後に薄桜鬼学園の後輩二人が立っていた。
「いらっしゃい」
「上がって」

 千鶴は三人にスリッパを並べてリビングに招きいれた。玄関を開けた瞬間、いい匂いが家中に充満していた。カレーライスだ、と空腹の三人は大喜びした。応接テーブルの上にシルバーが並べて置いてあった。千鶴に促されて席についた三人はおしぼりタオルを貰って、手を拭いて笑顔になった。千鶴がお盆にのせたサラダ皿を並べると、野村と相馬が立ち上がって配膳を手伝い始めた。
「ありがとう。これは平助くんに。これは野村くん」
 カレー皿にはたっぷりのルーとその上に豚カツがのっていた。
「うっまそう」
「頂きます」
「カレーのおかわりがあるから、どんどん食べてね」
 千鶴も応接椅子に座って、一緒に食べ始めた。三人は「うめえ、うめえ」と舌つづみを打っている。
「サラダは七色にしたの。オラクルストーンと同じ色」
 千鶴はドレッシングの入った容器を振って、サラダの上にかけた。
「イチゴのドレッシングなの。赤でしょ、紫キャベツ、パプリカの黄色、玉ねぎの白、ブラックオリーブ、人参のオレンジ」
「うめえ、何喰ってもうめえ」
 平助は嬉しそうに呟いて食べている。野村はサラダの皿を手に取って感心しながら食べ始めた。
「オラクルストーン、って。あれっすか。三角形の付録」
「そう、わたしね毎朝お水をかえて朝日にあてているの」
「やべえ、俺、箱に入れたまんまだ」
「とっても綺麗なの。あとで見せてあげる」
 相馬が野村と千鶴の会話を聞いて、手に持っていたスプーンをとめた。
「相馬君、おかわり?」
「はい」
 元気に返事をした相馬に、千鶴は微笑みながら立ち上がってカレーのおかわりを運んできた。平助と野村も同じようにおかわりをして食事を終えた。その時、リビングのドアが開いて雪村綱道が入ってきた。

「ただいま」
「おかえりなさい」
「お邪魔しています」
「いらっしゃい」
「父さま、野村くんと相馬君。今食事は終わったの。これから行ってくる」
「はじめまして、野村です」
「相馬です」
「はじめまして、そうか、今晩だったね」

 綱道は千鶴に促されて、上着を脱ぐと台所の中に入っていった。千鶴は平助たちに紅茶を煎れてダイニングテーブルに父親の食事を用意した。

「ねえ、二階にきて。オラクルストーンみせてあげる」

 千鶴は平助たちを誘って二階の自室に上がって行った。野村と相馬は、初めて入った千鶴の部屋を見回している。薄いピンクの壁紙に白いベッド。クマのぬいぐるみとハート型のクッション。デスクの上に斎藤と二人で撮った写真が飾ってある。白いドレッサーの上には小さな小瓶が並んでいて、鏡に斎藤の写真が貼り付けてあるのが見えた。出窓のレースのカーテン越しに外から街頭の光が射しこんでいる。部屋中が甘いシャンプーのような香り。

(すげえいい匂い。先輩の匂いだ)

 相馬はみぞおちの辺りがふわふわとしてきた。平助と野村は、思い切りベッドの上に寝転がるように飛び乗って、「腹いっぺー、くったー」と騒いでいる。相馬は先を越された気がして内心腹がたった。千鶴が相馬を手招きしている。惹きつけられるように相馬は前進した。

「いつもここに置いて、お月様の光と太陽の光をあてて、お願いしているの」

 千鶴は出窓の台の上にある不思議な三角形の容器を指差した。華奢な千鶴の指先に丸い小さな石が並んでいるのが見えた。薄い青色、白、透明、オレンジ、黒、紫、紅色。

「オラクルパワーが宿っているんですって。だから今日もUFOが見えますようにってお願いしたの」

 千鶴は嬉しそうに、石をひとつひとつ摘まんで相馬に見せた。相馬は石を手の平で受け取ると、千鶴が両手で相馬の手を包むようにあわせた。少しひんやりとした手。千鶴から甘いやさしい匂いがする。瞳を伏せて、祈るようにじっと動かない千鶴の睫毛に外からの光がうつって長い影が頬に伸びている。その美しい姿に相馬は息が止まりそうになった。見上げるように自分に笑いかける千鶴の前で直立不動のまま相馬は全身真っ赤になっていることを自覚していた。優しく開いた小さな掌の上に色とりどりの石玉がカチカチと音をたてた。窓からの逆光で千鶴の輪郭が輝いているように見える。華奢な指先で石が綺麗に戻された。その美しい姿は背後から野村の影が飛び出て遮られた。

「すっげえ、先輩。完璧っすね」
「ピラミッドパワー」

 野村は手を三角形に組んで、おかしなポーズをして千鶴を笑わせている。背後から平助も加わり、二人で組体操のように三角を作った。千鶴はくるりと振りかえり、机の上のケースを開いて、何かを取り出した。

「これは、今日のために綺麗にしておいたの」

 銀色の鎖の先に淡いピンク色の摺りガラスのような石がぶら下がっている。不思議な模様のケースが上下に石を挟んで石の尖った先がくるくると独りでに円を描いていた。

「すっげえ、ペンデュラムだ」

 野村は飛び上がって、石をかぶりつくように見詰めている。

「よく回転してる。すげえ」

 相馬と平助は興奮している野村を不思議そうな顔で眺めている。千鶴は回転がとまった石を大切そうに手にとり、ゆっくりと輪になった鎖を首にかけた。ペンダントトップの石は千鶴の胸の上できらりと光った。

「はい、これ」

 千鶴は机のケースから、小さな水晶をひとつひとつ手にとって、相馬たちに持たせた。

「UFOに遭遇したら。水晶でコンタクトをとろう」

 千鶴が嬉しそうに話す。大きく頷いて喜ぶ野村の傍で、平助と相馬は目を合わせた。

(コンタクトって、なんだよ)
(この石、持って何をするんだろ)

 いそいそと先を歩いていく野村と千鶴の後を二人はついていった。玄関で千鶴は大きな声で父親に呼びかけた。

「とうさま、それでは行ってきます」
「いってらっしゃい」

 リビングから父親の声が聞こえた。千鶴は平助たちに笑いかけて、玄関の外に出た。ポーチの先の門の上に拡がる空には一番星が光っていた。

「先輩、今日は俺が運転します」
「俺のうしろに乗ってください」

 相馬が千鶴に声を掛けた。相馬がいつも乗っているBMXのサドルの後ろに、荷台が付けてあった。クッションシートが即席でくぐりつけてある。平助のオフロードバイクには光反射シートが貼ってあり、道を行く自動車のライトが当たると緑色に浮かび上がるように輝いていた。野村のBMXは赤いフレームにところどころに貼ってあるステッカーとペダルの反射鏡が虹色に光った。三人は道に自転車を引いていき、広い道路に出たところで、千鶴は相馬の自転車のシートに腰かけた。

「先輩、しっかり掴まってください」

 平助を先頭に、相馬と千鶴、後尾に野村が続いた。緩い勾配を四人は風に乗るように下っていった。夜風が心地よい。

「集合先って、青山だろ」
「青山のこどもの城です」
「あれな」
「こどもの樹の上にでるって」
「でるって、UFOが?」
「あれ、そのまんまらしいっすよ」
「宇宙人の目印。マジェスティック12が調査にきたらしいっす」
「なんだよ、それ?」
「アメリカのMJ-12、宇宙人調査してる」
「その、まじぇすてっくなんちゃらがこどもの樹が宇宙人の目印だっていってんの?」
「そうです。ホットスポットっす」
「あの周辺、電波障害が頻発してるからしょっちゅうアンテナ工事してるって、田中さんが言ってた」
「246号の謎のひとつ」
「田中さんって、ヌーの?」

 平助の質問に野村が大きく頷いて応えた。野村は雑誌科学研ヌーのUFO観測会主催者の田中丈晴のことを「たなかさん」と呼んで信奉している。

「今日は田中さんがホットスポットでダウジングするって」

 千鶴は相馬の背後で野村に微笑みかけた。こどもの城は小学生の写生会で行ったきり。あの不思議な顔の像が宇宙人の目印ときいてワクワクしてきた。すっかり日は落ちて、夜道を三台の自転車が疾走する。飯田橋を過ぎたあたりから、四人はお堀沿いをひたすらに下っていった。水面に時折高速道路のオレンジ色の光が映る。千鶴は空を眺めた。真っ黒な夜空にところどころ星が見えた。向こう岸は明るい。市ヶ谷のお壕を過ぎると大きな森が続く。
「外苑公園沿いにいけば、青山通りにでるから」
「246号に合流するぞ」
「おーーー」相馬と野村が拳を振り上げながら、大きな声で応えた。
「先輩、しっかり掴まって。坂を下ります」

 相馬の声が聞こえた瞬間、ガタンと地面から衝撃がサドルに伝わった。自転車は物凄い勢いで坂を下っていく。千鶴は相馬の胴にしがみつくように掴まった。風の音。突然、相馬が思い切りペダルを漕ぎはじめた。急な登り坂。自転車はどんどん進む。再び緩やかな下りになって、三人は風に乗るように大通りに辿りついた。
「ここを右にずっと道なりに」

 平助の指示で、相馬達は通りを曲がって走り続けた。

******

「フェンスが張ってある」
「閉館してんだな」

 商業ビルが続いていた通りが、灯りもなくガランと暗くなった。青山学院前の歩道橋のたもとに自転車を停めた三人はフェンスに囲まれた巨大なモニュメントの前に立った。暗がりに浮かぶ奇妙な顔。上から覗き込むようにこちら側に笑いかけている。ステンレス製のフェンスで間近には近づけない。

「なんか、気持ち悪くね?」
「ここ、前はもっと明るかったよな」
「工事してんだろ、あのフェンスの囲い」
「ここが集合場所なんだよな? 野村」

 野村は頷いて、巨大なオブジェの囲いの裏側に向かって歩いていった。相馬と千鶴は暫くフェンスの中を覗き見ていたが、気づくと平助の姿が見えず、二人で取り残されたような気がして、辺りをぐるぐると野村と平助の名前を呼びながら探し始めた。青山通りには誰もおらず、信号機が青から赤に変わったが車も通らない。広場から駐車場に繋がる階段を下りたところで突然スマホの着信音がした。相馬がズボンのポケットからスマホを取り出した。

「もしもし、いまどこですか?」
「はい、雪村先輩と一緒です」

 相馬は平助と喋っている。千鶴はホッとした。平助と野村は既に集合場所で待っているらしく、言われた通りに駐車場を横切って工事のフェンス沿いに裏通りを歩いていった。道の途切れた場所に案内板と街灯が見え、そこで平助が手を振っていた。相馬と千鶴が足早に歩いていくと、眼鏡をかけた中背の男性が大きな金属製のアンテナのようなものを持って立っていた。野村が小声でささやくように、「来ました」と男に伝えると、男性は会釈するように頷いてじっと千鶴と相馬のことを眺め、「行こうか」と言ってきびすを返すように道を進んでいく。

「ダウジングっす」

 野村が千鶴に耳打ちするように小さな声で知らせると、顎で前を行く男の持つ金属の棒を差すような仕草をした。千鶴は目の前を歩く男性が観測会の主催者の田中丈晴という人だと思った。右側に白い工事フェンスが続き、左側は低い生垣と網のフェンスが遠くまで続いている。暫く歩くと、右側にぼんやりと広場が見え遠くに商業ビルの入り口の案内板が見えた。先頭を歩く男性が植え込みの隙間に大股で踏み込むと、大きく手に持ったアンテナのようなステンレスの棒を空に向かって掲げて宙に円を描くようにゆっくりと回し始めた。

 時折、ぶぉーんという共鳴が男性の持っている箱のような装置から雑音と共に聞こえ、千鶴たちは立ち止まって耳をそばだてた。男は植木の間に身体をねじ込むように網フェンスの中に入っていく。野村の白いTシャツの背中がそれに続いていくのが見えた。平助が一歩踏み出して、振り返り相馬と千鶴についていくるように言った。相馬は植木を両手で掻き分けて、千鶴がひっかからないように足場を確保するようにフェンスをくぐりぬけられるようにした。

「ここはね。立ち入り禁止なんだ。オリンピックの開発地区に決まったらしくてね」
「光の出るものは全て消してもらえるかな」

 千鶴と相馬が平助の傍に近づいた時に、野村は少し離れた場所から「スマホは切ってください。電灯も」と腕を交差させて皆に知らせた。フェンスの中は大きな駐車場のようで、アスファルトの上に白い線がひいてあるのが見えた。回りは木々が鬱蒼と茂っていて、アンテナを持った男性が草むらの中に分け入っていくのが見えた。

「藤堂先輩、こっち、こっち」
「駐車場の左端から、俺等はぐるっと回ることになってるんで」
「そうなの? 立ち入り禁止なのにやばくね?」

 暗がりの向こうに歩いていく野村と平助の声が聞こえた。

「相馬、先輩つれて向こうに行って。アンテナについて行けばいいから」
「わかった」

 相馬は野村に返事をすると、千鶴と一緒にアンテナを持った男の消えた草むらの中に分け入っていった。

「先輩、俺のあとに。足元、気を付けて」
「うん」
「空が見える場所を確認していればいいみたいです」
「わかった」

 暗がりの先で木の枝を踏みつけるような音がした。目が慣れてくると、アンテナを持った男性が少し離れた場所に立ち止まっているのが見えた。相馬が足元に大きな丸太があって危ないからと、大きく迂回するように一旦地面が盛り上がった場所に千鶴を引き揚げるように手を引いた。そこから、林を抜けた場所がぼんやりと見えた。男の被っているソフト帽のシルエットとアンテナ。

「こっちです。池のほとり」

 さっき聞いた男性の声とは少し違う甲高い声が聞こえた気がした。野村でも平助の声でもない。相馬は不思議に思いながら、木の根元にスニーカーをひっかけるようにして慎重に下りていった。

「ここの上空。飛んできますよ」

 男はアンテナを掲げるようにして空を見上げて云った。相馬と千鶴は足元の安全を確保してから辺りを見回した。暗い真っ黒な水面が見える。こんなところに池があるなんて。虫の声がして草木の匂いを嗅いでいると、さっきまでの大通りの都会の風景が嘘のように感じる。相馬は野村と平助が間違えて池の向こう側に行ってしまったのではないかと心配になってきた。

「駐車場の左側からぐるっと回ってこっちに来られますか?」

 相馬が男に尋ねた。男は声が聞こえていないのか、ずっと空を見上げたまま動かない。

「あの、さっき野村たちが駐車場の左側からぐるっと周ってくるって言ってたんですけど」
「この池の向こうに行けるんですか?」
「上空が見えれば。確認できるよ」

 男は独り言をいうように低い声で応えた。相馬はとっさにポケットのスマホを手に取ったが電源を切ってあることを思い出した。

「先輩、俺、野村達に声をかけてきます」
「うん、わたしも行こうか」
「いや、先輩。足元が悪いから。さっきの場所に居てください。俺、藤堂さんたちを連れてきます」
「わかった」

 相馬は千鶴が安全な場所に戻ったのを確認してから、池のほとりの草むらを掻き分けて野村たちを探しに行った。千鶴は池の水面の真上の夜空をじっと眺めて、何かが飛んでこないか確認を怠らないようにした。秋の虫の声。時折、木々の間を抜ける風が草を揺らす音が聞こえた。さっきまで、相馬が林の中を進む音が聞こえていたが、それも遠のいた。

「どこからですか?」

 突然、背後から声がした。千鶴が振り返ると、アンテナの男性が立っていた。

「あててみましょうか?」

 男は伺うように首を少し傾けて矢継ぎ早に質問してきた。千鶴は一瞬戸惑った。どこから観測会に参加したのかと問われたのかと思い。野村に誘われたと答えようか、小石川から青山に来た事を伝えようかと考えていると、男がゆっくりと手を差し出した。何かがきらりと光った。男の掌の上には藍色の水晶がのっていて、その鋭い先を千鶴に向けて指すようにもう片方の手で置き直した。一瞬、水晶が青白く光ったように見えた。

「アンドロメダだね」
「これはアイオライト。美しいでしょう。地球にもあるけど。もっと光る」

 千鶴は男が何のことを話しているのか解らなかった。アイオライトは確かパワーストーンのひとつ。

「綺麗ですね」

 千鶴が応えると、男はもう片方の手で千鶴を指差した。

「そのペンデュラム、それはどこから?」

 千鶴は胸のペンダントを握った。ほんのりと温かく感じる。

「ストロベリークォーツです」とだけ千鶴は答えた。どこからと云われても判らないし知らない。

「M31は美しい薔薇色だってね。全てが。わたしのシリウスからは遠い」

 男はどんどん近づいてくる。千鶴は後ろに下がろうとしたが、足が動かない。

「怖がらなくていいよ」
「さあ、来なさい」

 男の口元は口角が上がっているが、眼鏡の奥の瞳は暗く、じっと千鶴を見詰める表情は笑ってはいない。千鶴は声をたてようと口を開いたが、息がとまったように何も発することができなかった。

「先輩」

 背後から声がした。ガサガサと木の枝を踏みしめるような音がして、草むらから相馬の顔が見えた。千鶴は返事をしようとしても声がでてこない。男の手が伸びてきた。怖い。千鶴が身をすくめて目をつぶった瞬間、「おい」と相馬の大きな声が聞こえた。千鶴は相馬の腕で背後に囲われるように突き飛ばされた。ようやく足が動き、傍の低い木の枝に掴まって態勢を保てた。振り返ると、相馬は長い枯れ木の枝を両手で剣を持つように青眼で構えている。千鶴は驚いて声をあげそうになったが、声がでてこない。相馬はゆっくりとにじり下がり千鶴に近づいた。男は手にアンテナを持ったまま無表情で千鶴のことを見ていた。

「先輩、藤堂さんのところへ行きましょう」

 相馬は枝の先を男に向けたまま千鶴を庇うように左手で囲い、背後にまっすぐに走るようにと静かに小声で伝えた。千鶴は云われた通りに動いた。まっすぐに来た方向と逆に走る。

(きっと平助くんたちがいる)

「先輩早く」

 背後から相馬の声がした。林の中をガサガサと音をさせて走ってくる。千鶴も足元が続く限り全力で駆けた。左側の樹の間から光が見えてきた。千鶴たちは明るい方へ向かって木々の間を走り抜けた。駐車場の一角が見えたところで、相馬と一緒に草むらの段差からジャンプしてアスファルトの上に降り立った。

「野村、藤堂さん」

 相馬が大きな声で叫んだ。

「こっちだ」

 平助の声が聞こえた方向を探すと、草むらから平助が飛び出してきた。

「おう、いた。野村、のむらーーーーー」

 平助は林の中に声をかけた。ガサガサと音がして林の中から野村が出てきた。

「先輩。相馬」

 野村は必死な様子で草むらを飛び越えると、通りに戻ろうと叫んだ。その瞬間、千鶴は相馬に手を引っ張られた。

「先輩、こっち」

 千鶴は何がなにか判らないまま走り続けた。駐車場はぐるりと道側にフェンスが張られていて外に出られない。

「元来た所に戻れってか。行けねえよ」

 平助の焦った声がした。野村はフェンスを手繰りながら隙間を探しているようだった。その時、相馬の声がした。

「来た」
「早く」

 千鶴は相馬が振り返る先を見た。ソフト帽の男がゆっくりとこちらに向かって歩いてくる。戦慄く千鶴の手を再びとって相馬が走り出した。網のフェンスに辿りついた4人は網に足をかけてよじ登った。野村と平助はひょいひょいと上がっていく。天辺で跨ぐように足を固定して手を伸ばし千鶴を引き上げた。相馬が庇うように下から千鶴の腰を持ち上げて支えた。

「絶対、だいじょうぶ。俺が持ってるから」

 震える腕を野村と平助に握られた千鶴はゆっくりとフェンスを跨いで反対側に下りていくことができた。四人で青山通りに向かって思い切り走った。途中で案内板に続く通路の向こうから、アンテナの男が走ってくる姿が見えた。

「逃げろ」

 平助の声がして、一層怖くなった千鶴はひたすらに走り続けた。歩道橋の下に停めてあった自転車に飛び乗った四人は一目散に通りを赤坂に向かった。大きな交差点にでて246号から離れ四谷方面に自転車を走らせた。信濃町の交差点の前で一旦止まり、コンビニエンスストアの中に逃げた。そこでようやく息を整えて全員で話をすることができた。

「ちょっと待ってろ、あのオッサンが来ねえか確かめる」

 平助はポケットをまさぐりスマホを取り出した。もう片方のポケットから何かを掴んで「あれ」っと声をあげた。取り出したのは千鶴が渡した水晶の結晶だった。平助はふっと笑い声をたてた。

「オッサンが追いかけてきたら、こいつを投げてやろう」

 千鶴たちが店の奥に待機している間、平助は店のドアの中から辺りを確認した。

「来てねえよ。誰も」

 ドリンク棚からペットボトルを人数分とった平助はレジでお金を払って、千鶴たちの所に戻ってきた。

「いったい、なんだったんだよ。あのオッサン」
「田中丈晴じゃねえんだろ。誰だよ」

 平助は大きな声で野村に詰め寄った。野村は首を振っている。

「田中さんじゃないって、言ってた」
「じゃあ誰なんだよ」
「UFOを見に来たって。俺、てっきり観測会の人かと思って」
「観測会じゃねえのかよ。じゃあ誰だよ。田中さんと待ち合わせたんだろ?」

 野村は首を縦に大きくふって、スマホを起動させた。

「19時に代々木公園に集合……」野村は、スマホの画面を確かめながら呟いている。
「田中さん、観測会は代々木公園に集まってるって」
「青山じゃなかったのかよ。246号だろ」
「でも、これ。俺がもらったメールみてください」
「あ、ほんとだ。こどもの樹前って書いてある」
「じゃあ、田中さんが急遽集合場所変えたってこと?」
「連絡入ったの何時?」
「今日の15:35ってなってる。でも俺、ラインは全部確認してた」
「メールは田中さんからなのかよ」
「ううん、なんか宇宙語みたいな文字でよくわからなかった」
「なんだよ。あのオッサンからかよ。あいつ変だよ。やべえよ」

 平助と野村が云い争うのを、相馬がとめた。

「じゃあ、今、代々木公園に田中さんがいるんなら、連絡すればいいだろ」
「電話に誰もでねえよ」
「もう、今夜は不参加でいいよ。あとで野村が連絡しろよ」
「俺は先輩を家に送り届ける。今すぐ」

 相馬は千鶴に顔を向けて頷いた。

「オレも帰る。もうUFOは見なくていい」
「変なオッサンに追っかけられるのもな」

 四人で安全を十分に確認してから自転車に乗って、診療所に向かった。

「オレらが草むらでUFO探してたら、野村があいつは田中丈晴じゃねえっていいだしてさ」
「オレも、ヌーで見た写真と違うなって思ったんだよ」
「そんで、誰だって話になって、探しにいこうとしたら相馬がきてさ」
「千鶴を置いてきたっていうから、やべえって、探しにいったんだ」
「あいつ、先輩に手をだそうとしてた」
「まじかよ。千鶴、大丈夫か?」
「うん」
「あいつになにもされなかったか?」
「うん」
「先輩、ごめんなさい。俺、先輩から離れてしまって」
「ううん、相馬君が来てくれたから」
「あの池、あんなところにあんな場所があるなんて」

 千鶴は相馬の背中に掴まりながら、さっきの男の云っていた事を思い返していた。まるで、千鶴のことを知っているかのような口調。

(アンドロメダ。M31は薔薇色で美しい)

 千鶴は胸のペンダントトップを手に取った。お守りのペンデュラム。ストロベリークォーツは確かに薔薇色の素敵なパワーストーン。そういえば、あの人はアイオライトを持っていた。とても綺麗な碧い石。

「わたしのシリウス……」
「待って」

 突然、千鶴が大きな声を出したので。相馬はブレーキをかけた。

「なんですか?」

 千鶴は振り返った相馬の顔を見上げるように大きな目を一段と大きく見開いている。

「シリウスって言ってた。あの人。わたしのシリウスって」
「きっと宇宙人。あの人、宇宙の話をしてた。アンドロメダは綺麗だって、シリウスから遠いって」
「あの人が?」

 千鶴は大きく頷いた。相馬はさっきの男の異様な雰囲気を思い出した。先輩に手を伸ばして、触ろうとしていた。立ち入り禁止の場所に俺等を連れ込んで。

「あの人には二度と近づかないでください」
「俺、先輩を家まで送ります」
「うん、ありがとう。相馬君。相馬君がいてくれてよかった」

 再び相馬は自転車をこぎ出した。通りを平助と野村が全速力で走っていく。四谷に着いてからは試衛館までいつもの通学路だと野村と相馬はのんびりと進めた。千鶴は試衛館の傍を通り過ぎた時に、スマホを見ると斎藤から連絡が入っていた。簡単な短い文章でUFO観測会が終わって自宅に向かっているところだと返信した。

「先輩、掴まってて」

 伝通院前の交差点を曲がった瞬間、相馬は坂道を全速力で下っていった。風の音がヒューヒューと耳に響く。平助と野村が二人を追い越して先に下っていく。ジェットコースターのような感覚で、千鶴は相馬の腰に腕を回してしっかりと掴まった。

「飛びます」

 その瞬間、身体が宙を浮いた。自転車は空中を浮いたまま風をきって進んでいる。次に地面にタイヤがぶつかった衝撃で身体がシートから離れてバウンスした。自転車は急ブレーキで旋回して左の角を曲がり、狭い通りをすり抜けてあっという間に診療所の前に辿り着いた。千鶴はシートから降りて、足腰がふらふらになりながら頭を下げて相馬にお礼を言った。

「ほんとうに、ありがとう。最後、空を飛んだね」
「とっても楽しかった」
「野村君、平助くん、ありがとう。UFO見られなかったけど、ホットスポットで宇宙人に遇えたし。ちょっと怖かったけど楽しかった」

 平助と野村はポカーンと口を開けていた。

「宇宙人って。あのオッサンが?」
「うん、あの人、シリウス星人だよ」
「シリウス星人?」

 平助が素っ頓狂な声をあげた。

「うん、言ってた。わたしのシリウスからアンドロメダは遠いって」
「まじっすか。確かに、シリウス星人って感じだ。押しが強い所」

 野村が自分で喋って自分で頷いた。

「シリウス星人って、押しがつええの?」
「はい、昔から日本人とシリウス星人は関わりが深いっす」
「日本人にシリウス星人は多いっす」
「なんだよ。なんでお前、そんなこと知ってんだよ」
「田中さんの本に書いてあります」
「田中さんな。ヌーの田中丈晴にはいつか会わねえとな」

 宇宙人の話で盛り上がった後、千鶴が自宅のドアの向こうに手を振って消えるまで、相馬たちは見守った。

 野村が受け取った、こどもの樹への誘いのメールの送り主は不明なまま。青山の琵琶池で遭遇した謎の男性は、UFO観測会の田中丈晴によるとスターピープルの可能性が高いという。斎藤は翌週の金曜日の夜に千鶴を誘って代々木公園に行った。新月の夜に二人きりで星空を眺め語らった。気づくと門限をずっと過ぎてしまった。幸せな気分で自宅に戻った千鶴は父親に厳しく叱られ、拗ねて二階に閉じこもった。


つづく

(2023/08/05)


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