ブログ【二次小説 更新情報】船徳
皆さん、こんにちは。
残暑が厳しいですね。お元気にお過ごしでしょうか。
明暁に向かいて その44『船徳』を更新しました。
完結しているシリーズ番外篇です。
時系列では、『決闘』と『秋昼後刻』の間、八月から九月にかけてのエピソードです。
前半は落語「船徳」のパロディです。船徳は、大好きな演目で夏になると必ず聴きたくなる噺。 今回は噺をそのまま再話していて「船徳」のお客さんになったのが天野一家という設定です。落語薄桜鬼クロスオーバーのよう。
四万六千日は、浅草寺のほおずき市が有名です。千日詣の風習は各地にあると思いますが、この夏の一番暑い盛りに、人出の多い浅草寺に出向くのは、本当に「砂埃と汗にまみれて、人間安倍川ができちまう」という表現そのものに、功徳を授かる引き換えの苦行だったのではと思います。
現在はもう埋め立てられて公園になっていますが、山谷堀は墨田川の今戸から舟で浅草に上るというのが、江戸から明治期頃までの吉原に通うルートの一つでした。吉原は陸の別天地であって、徒歩のルートもこの猪牙舟で上るルートも日常から離れていく、一種の儀式的な要素が強かったようです。
物語にでてくる猪牙舟(ちょぎぶね)は、深川の江戸資料館で本物の舟を見る事ができます。猪牙のように船先が尖っているから「ちょぎ」と呼ばれていたそうです。大きな舟で、これを竿と櫓だけで一人で漕ぐのですから、船頭は熟練の腕がなければ生業にはできなかったようです。
スクラップブックに志ん朝の船徳をアップしました。
ほおずき市は夏の風物詩で、大昔に奉公した会社の先輩は毎年、午前半休をとって四万六千日のお参りをしてから、ほおずきの鉢を持って出勤するのが恒例でした。小さな風鈴をお土産にもらえて、殺伐とした事務所の中も鮮やかな赤と緑で気分が良かったです。
この風流を好む先輩は、入谷朝顔市に行かれる年もあって、朝活に青春をかけていらっしゃる素敵な先輩でした。
さて、私も今日は朝活をして小説書き終えました。
明治期のシリーズで、本編に入れようと思いつつ、書ききることができなかったエピソードです。まだ、シリーズで語りきれていない部分も残っているので、機会をみて書いて行きたいです。
残暑が厳しいので、皆さんどうぞご自愛ください。
ちよろず