忍びの道(前編)

忍びの道(前編)

薄桜鬼小品集

 ここ数日秋雨が続いている。雨間に朝の巡察を済ませて斎藤は屯所に戻った。そのまま午後は非番になるからと、隊士とは四条で別れて独りで帰ってきた。

 階段の上り口で、濡れた足袋を脱いで足を拭っていると、ぱたぱたと誰かが廊下を走る音がした。その足音の軽さから雪村千鶴だと思った。最近、廊下で物音を立てる者が増え、屯所内の廊下は、危急の時以外は駆け回ることは禁止されている。斎藤は何事かと思って足音のする方を見た。

 廊下の角から人影が飛び出して来た。黒い眼出し頭巾、袴の裾を脚絆で巻いて、足には黒足袋、背中には小太刀を下げ緒で斜め掛けに背負い、壁づたいにしゃがみながら斎藤の立つ表階段に向かって移動してきた。小さな姿は、まるで鼠のようである。

「おかえりなさいませ」

 なぜか、黒頭巾姿の雪村は、片膝をついてしゃがみ頭を深く下げた。その装束から鼠小僧、もしくは忍者に成りきっている事はわかった。

「ただいま戻った。巡察は雨間に四条を廻って来た」
「南座で三人吉三を演っている」

 斎藤が濡れた足袋を持って廊下を歩きながら千鶴に話かけた。「三人吉三ですか」と千鶴は悦びの声を上げたが、斎藤が雨の吹き込んだ廊下を歩こうとすると、左腕を伸ばして遮るように前に立った。

「龍神池でございます」

 そう言って、懐から手拭を二枚取り出すと、広げて縦に並べた。「忍法浮草の術」「はっ」と大きな声で言うと、手拭の上を歩いて行く。斎藤にも手拭の上に乗れと言って、斎藤が乗っかると。再び、「はっ」と言って懐から取り出した手拭を前に並べた。

「あの、お手数ですが、斎藤さんの後ろの手拭をこちらにください」

 急に普段の口調に戻って、ぺこぺこと頭を下げて頼む千鶴に、斎藤は振り返って足元の手拭を回収すると、千鶴はそれを受け取って前に置いて進んで行く。ただ濡れた廊下を歩くだけなのに、「浮草の術」は恐ろしく手間取る。斎藤は、三枚目の手拭を千鶴に渡したところで、手拭から下りて普通に濡れた廊下の上を歩いて自室に向かった。背後の千鶴は、龍神池を渡るのにずっと手間取っているようだった。

 濡れた隊服を脱いで、新しく足袋を履き替えた。午後は非番だ。千鶴がもし出掛けることが可能ならば、南座の芝居に連れて行ってやろうと思って戻って来た。だが千鶴は忍者遊びに夢中のようだった。それならば、仕方がない。斎藤は、物入れから道具を取り出して、刀の手入れを始めた。障子の向こうを人影が走る。足音を忍ばせているが、明るい外の光に影が出来ている。大方、軽鴨隊は忍者遊びに興じているのであろう。斎藤は、静かに刀の曇りを確認するのに集中していった。

 何度か、誰かがバタバタと廊下を走る音が聞こえた。「助けて」という千鶴の悲鳴が聞こえた。同時に「姫」という大きな叫び声。斎藤は刀を掴んだまま廊下に出た。相馬らしき者の後ろ姿が見え、その向こうに千鶴が総司の肩に載せられて廊下の角から見えなくなった。

 相馬も完璧な忍者装束だった。大の男が、昼間から見立て遊びをするなど子供じみていて呆れるが、小姓役の三人は雨天続きの中、洗濯や掃除もままならず、それでいて外出も思うように出来ない。今日も朝から土方はずっと黒谷に外出中だ、暇を持て余していたのか。総司まで遊びに加わっているなら、大方、総司も身体の具合はいいのだろう。

 直後に背後から何かが飛んできた。斎藤は、素早く刀で跳ね返した。石文。相馬が素早くそれを拾うと広げて軒下の明るい所で読み始めた。

「敵は宝の巻物と姫を交換しろと言って来ました」

 相馬は悔しそうに斎藤にそう言うと、「甲賀者め」と総司が消えた廊下を睨んでいる。雪村は伊賀の国の姫なのか。斎藤はそう思った。

「宝の巻物はどこにある」
「秘密の場所に隠してあります」
「ならば、それを持って雪村を取り返してくればよい」

「巻物を取り出す為の鍵は姫がお持ちです」

 相馬は苦虫を噛み潰したような顔をして、握り拳で廊下の手すりの桟を悔しそうに叩いている。

「早く、姫を取り返さないと。拷問にかけられて鍵もとられてしまう……」

 拷問。斎藤の動きが止まった。こういった遊びに総司が加わると、総司は歯止めが効かない。斎藤は刀を持ったまま、「俺の部屋に来い」と相馬に言って二人で部屋に入った。斎藤は廊下に人が居ないことを確かめてから障子を静かに閉めた。薄暗い部屋で、相馬は頭巾を脱いだ。刀の手入れをしている途中だった斎藤の部屋には、道具が広げられていたままだった。蝋燭の灯を床の間の近くの壁に移動させると、斎藤は押し入れを開けて大きな行李を取り出した。蓋を開けて、中から次々に刀を取りだす。脇差、短刀、打刀、小さな木箱には小柄が三本。どれも黒光りしている。

「好きなものを取れ」
「短刀は、足に巻いてもよい」

 斎藤は、鎖帷子の手甲を取り出した、そして、脇差、短刀、打刀を一本一本、抜いて刀身の状態を確かめた。最後に、小柄を綺麗に拭うと、相馬に一本持たせた。

「暗器の使い方だ」

 斎藤は、小柄の刃先を手首で隠すように持って、一瞬で手首を返し小柄を握ると真っ直ぐに刃先を下に向けて刺す動きを見せた。ひゅんっという音が僅かに聞こえるだけで、手に持っている小柄は一切見えない。

「相手と接近した時にだけ使う技だ」
「やってみろ」

 相馬は生唾を呑みこんだ。斎藤の気迫が恐ろしい。前髪から睨むように自分を見詰める眼は碧く光っている。斎藤は、持ち方をもう一度丁寧に見せて教えた。相馬は、なんとか手首を返して、刃先を下に刺す動きが出来るようになった。斎藤は、打刀の柄に小柄を刺しこんだ。

「このように、刀の柄に仕舞う時、小柄の頭に少しだけ隙間を開けておく」
「左手の親指の爪で弾いて、右手で素早く抜き取る」
「そうだ」

「小柄は投げるより、この動きで相手の首を狙うほうがよい」
「致死率が上がる」

 致死率。相馬は目を見張った。これ、殺しの技だ。冗談じゃなく、この人は本気で言っている。

「刺す時は、最後まで押し込めば相手の動きは止まる」
「やってみろ」

 やってみろ。やってみろって。相馬は大声をあげそうになったが、斎藤の真剣な表情にそれも憚られた。相馬は小柄を刀の柄から取り出して、手首を返して上から相手の首に刺す動きをやってみた。

「よし、それを持っていけ」

 斎藤は、自分の打刀の小柄を取り出して、何度も拭ってから、手首を構えて相手の首に刺す動きを繰り返した。ひゅん、ひゅん、という空気を斬り裂く音だけが響く。それから道具を片付けて立ち上がると、蝋燭を吹き消した。腰に大小を差して短刀を懐にしまい、素早く襷がけをして姿勢を正すと、「いざ」と小さな声で言って、相馬に目配せをした。二人で頷きあって廊下に出た。

 廊下には誰もいない。

 相馬の説明では、北集会所を表玄関から北側の廊下から西側までが「甲賀の国」、反対に南の表階段から東側の廊下までが「伊賀の国」、大広間が決闘の峠、巻物は広間の須弥壇の裏にある鍵つきの行李の中に隠してあるという。北側の客間が甲賀者の潜む森。恐らく、姫はそこに囚われているという事だった。

「南側の廊下には龍神池があります」
「池の中には毒蛇が」
「浮草の術を使えばよい」

 斎藤が応えると、相馬は驚いたような顔をしたが笑顔に変わり、「そうです」と嬉しそうに「伊賀忍者の自慢の術です」と言って鼻の下を指で擦った。

 その時、殺気を感じた。廊下の欄干の影から、矢が飛んで来た。玩具の短い竹ひごの矢だ。黒い髪が欄干の影に素早く動くのが見えた。野村か、相馬が覗いた時には、既に縁の下に身体を隠しているのか、野村の姿は見えなかった。

 竹ひごの矢には文が結び付けてあった。広げると、真ん中に千鶴が手足を広げて大の字になっている姿が描かれている。手足を縄で引っ張られて四方に磔にされている絵だった。千鶴は泣き顔で、両の眼からは涙が流れているが、それは天井に向かって落ちている。

 さかさはりつけ

 字が読めるように文を逆に向けると、千鶴が逆さ磔にされていることが分かった。斎藤は文をぐしゃぐしゃに握りしめた。総司、許さん。斎藤は黙ったままじっと廊下の先を睨んでいる。

「北の客間に討ち入る」
「雪村を奪還する」

 斎藤はそう言うと、先頭を切って走りだした。相馬は、以前藤堂平助から聞いた池田屋討ち入りの夜の話を思い出していた。幹部の手練れだけで、長州藩の尊攘志士を討ち取った。新選組が名を上げた夜。あの夜の近藤さんの気合の入れ様は凄まじいものがあったらしい。

 今も目の前を走る斎藤は、剣一つで敵を討ち取り、雪村先輩を奪い返そうとしている。討ち入りだ。甲賀者め、神妙にしろ。相馬は強い正義感で全身が震えた。

 斎藤が南側の廊下の手前で立ち止まった。

(殿、浮草の術は、お任せあれ)

 相馬は斎藤の前に立つと、得意げに懐から手拭を取り出して、床に投げようとした。その瞬間、斎藤が背後から助走をつけて飛び上がり、一間先に軽々と着地して再び走り始めた。

 えーーーーー。凄い、斎藤さん。

 相馬は、呆気にとられていた。どんどん先に行く斎藤に、追いつくように相馬も龍神池を飛び越えた。

 忍法、浮草飛び。決まった。

 相馬は、術が決まったことが嬉しくて仕方がない。その時、突然斎藤が立ち止まって、身を翻すように後ろに飛び下がった。突然、客間の襖が開いて、中から手裏剣が飛んで来た。これは、紙で作った手裏剣で、斎藤は手と着物の袖で払いのけた。

「これに当たったら、十数える間動いては駄目です」

 襖の陰から顔を出した野村がそう言った。忍者見立ての決まりらしい。斎藤は野村の言い分を無視して、その首根っこを掴んだ。

「いててて、痛いです」

 廊下に引き摺りだされた野村は、斎藤に腕を後ろ手に捻られて、うつ伏せになった。

「雪村はどこだ。言え」

 斎藤は随分と手荒である。相馬は、斎藤の剣幕に驚きながら、「言えよ、野村。どこだ」と加勢した。

「甲賀者は……口が……か……たい」

 野村は、斎藤にのしつけられながらも、絶対に言わないと言って口を真一文字につむった。野村は、こういうところがある。普段はぺらぺらとよく喋るくせに、意地を張ると梃子でも動かない。相馬は、「野村を人質にとって、雪村先輩と交換してもらいましょう」と斎藤に提案した。

 その時だった、襖の影から、黒い影と共に木刀の先が伸びて斎藤の脇腹を突いた。

 斎藤は、うめき声をあげて膝をついた。その瞬間、野村の背中から手が離れた。茶色の着物の袖が翻り、二つ目の突きが空気を切るような音で放たれた。その瞬間、斎藤は抜刀して、振り返りざまに木刀を撥ね退けた。

「引くよ」

 総司の声は軽やかに廊下に響き、勢いよく野村の襷がけを掴んで引き摺って行った。直後にぴしゃりと襖が閉じて、斎藤が開けようとしてもつっかえ棒を置いてあるのか、襖はびくとも動かない。斎藤は刀を仕舞うと、廊下の角まで素早く走った。相馬は茫然としていた。斎藤の抜刀と剣の閃き。私闘は厳禁なのに。木刀で打って来た相手に真剣で斬りつけた。

 本気だ。
 殺す気でいる。

 相馬は、小便をちびりそうになった。先刻の斎藤の部屋でのやり取り。小柄の使い方を教えてくれた斎藤は、真剣そのもので瞳は碧く光っていた。あれも本気だったんだ。

 金玉が縮み上がった。足がすくんで前に進まない。真剣での斬り合いは自分も経験がある。だがあれは真の戦だった。敵は長州。目の前の敵を一人でも多く討ち取らなければならなかった。

 だが、何故今はこんなにも恐ろしい。
 私闘だからか。忍者見立てが本気の斬り合いになったからか。
 忍者見立て。そうだ。俺等がやっていたのは忍者遊びだ。
 雪村先輩と野村と三人で忍者の宝探し。

 それが、沖田さんが加わって、斎藤さんが加わって、本気の闘いになってしまった。真剣勝負だ。斎藤さんは、先輩を奪い返すためなら、野村も沖田さんの事も斬るのだろう。

 相馬は、左手で腰の刀に手を掛け深呼吸をした。気持ちを落ち着けよう。

 姫を必ずお救いする。
 宝の巻物も守る。
 この刀にかけて。

 鯉口を切るように鍔に親指をかけた後、そのまま滑らせるように親指で小柄を撫でた。爪先であけた隙間を指でなぞると、気持ちが落ち着いて来た。

 忍法、暗器の術、隠し剣。

 廊下の向こうで、斎藤が警戒をして角を覗き込む背中が見えた。相馬は、斎藤の隣に並び、壁に背を付けた。北側の廊下にある敵の罠を見極めるために、そっと角を覗いた。地雷陣がある。あれを超えなければならない。相馬は斎藤と眼を合わせた。二人で目を細めて頷きあった。

 いざ。

 二人は、甲賀の国に突入して行った。

 

つづく

 

 

(2020.07.29)

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