
馬と桜
〜馬廻役になった斎藤さんの話〜
斗南にて その7
明治二年から三年にかけて
戊辰戦争後、会津藩の領土は新政府にお取り上げとなり、処分として藩主の松平容保は江戸の鳥取藩池田邸にて謹慎蟄居を命じられた。会津松平家はお取り潰しを危ぶまれたが、容保公の嫡男容大が弱冠三才で斗南藩主となり陸奥への移住が決まった。戦の終結から一年経った明治二年晩秋の事である。その後、明治三年五月、陸奥に斗南藩が立藩された。表高二十三万石の雄藩だった会津藩は、新政府から二十三万石から三万石への減封を命じられた。
減封で維持が出来なくなった江戸の会津藩邸は中屋敷のみを残し、上屋敷や下屋敷、その他抱屋敷は全て売却。その時に屋敷内で飼われて居た馬は、容保公の希望で処分せずに斗南に移送する事が決まった。馬の維持は石高の少ない斗南では厳しいものであったが、かつては【天覧の馬揃え】を披露した会津藩の誇りを忘れない為、家老以下必死に金子を工面して維持した。
斎藤が京で新選組に所属して居た頃、京都守護職では見廻り組が主に馬廻役を務めた。会津藩では馬廻役は三百石以上の大名格でしか務めず、馬上資格も中小姓役以下には認めていなかった。禁門の変が起きて以降長州征討の機運が高まった中、京都守護職では戦に向けて調練を開始。藩の軍議で「組織の長となるものは騎馬進軍をする必要」が認識された。これは幕府が仏蘭西式の軍備訓練を取り入れた影響で、会津藩は馬上資格を下々の者に認めた。
長州征討の勅命が下ると同時に、京都守護職は調練所を整え、剣撃、砲撃、騎馬訓練を行った。新選組にも調練参加の要請があり幹部が参加した。斎藤はその時初めて騎馬訓練を受けた。慣れぬ馬上訓練は最初の内は苦労を伴うものであったが、馬の扱いを覚えると、剣術とは違う馬との一体感に、斎藤は大きな「動」を意識した。戦場での戦い方も多様になると期待をしていた。
長州征討は新選組が加勢する前に幕府軍の大敗で終わり、続いて起きた鳥羽伏見の戦いでは、京都守護職や幕府の馬は使われる事もなく、戦火の中放出されてしまった。その後、新選組は江戸に移り、甲府、宇都宮、白河、会津へと北上して行った。新選組は馬を持たず、幕府軍が調達した馬を必要に応じて借り受けたが、主に移動手段としてだけだった。斎藤は騎馬戦を行う事なく、戊辰の終戦を会津で迎えた。
斗南藩に大番格で迎えられた斎藤の家禄は百石だった。此れは、一浪人からは破格の待遇だった。それ程、斎藤の戊辰戦争に於ける功労は藩内で認められていた。武功の誉はとどまる事なく、江戸で蟄居中の容保公からも直接家老に斎藤を手厚く迎える様にとお命が下った。斎藤は藩本陣が敷かれた円通寺境内に出来た斗南藩校日新館での剣術指南筆頭を引き受け、主に領地内の警備に当たった。部下の殆どは新選組三番組隊士と戊辰戦争で共に戦った会津藩士たちだった。版籍奉還後、江戸屋敷の馬が斗南に送られてくる事が決まり、斎藤は新たに馬廻役を命ぜられた。
江戸から届いた馬は全部で五頭。斎藤は馬場や厩の整備も担当し奔走した。家老から藩邸に住まいを移すよう勧められたが、千鶴と暮らす村落の直家の居心地が良く、引き続き毎日藩邸へ通勤した。
斎藤は五頭の馬で騎馬訓練を行った。藩士達は持ち回りで訓練に参加して、雪が本格的に積もり出す頃には、大番の所属部隊は全員乗馬が出来るようになった。冬の間も馬場は、雪を踏み固められ、定期的に騎馬訓練を兼ねた運動を行った。
五頭の馬は全て駿馬で、名前は以下の通り。
颯(はやて) 十二才馬 、 容保公の公用馬
青葉 (あおば) 五才馬
清風(せいふう)八才馬
武蔵(むさし) 十七才馬
飛龍(ひりゅう)十才馬
斎藤は主に颯に乗った。厩別当は江戸から移って来た者が付き、西洋式の馬術を取り入れた。斎藤は剣術と同じぐらい、騎馬訓練に没頭した。
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年が明けて、明治四年五月。
斗南に遅い春がやって来た。斎藤は非番に千鶴と遠出する事を思い立ち、藩屋敷の厩番に、「颯」と「青葉」の用意をしておくように命じて家に戻った。
千鶴に馬で出掛ける事を伝えると大喜びで、行李から筒袖を出して張り切って準備した。翌朝早く起きると、既に千鶴は腰弁当にお結びを詰めて、竹水筒も用意してあった。千鶴は髪を高く後ろで結び組紐で縛っていた。前髪を上げているが、筒袖を着て革靴を履いた姿は、斎藤に戊辰の戦の頃の千鶴を思わせた。
二人で朝餉を済ますと早速藩屋敷に向かった。
馬廻りに命ぜられて以来、斎藤は容保公が大切にされている五頭の馬をお世話し守るのが自分の役目だと千鶴に言っていた。千鶴は斎藤の非番の日に一緒に藩邸の馬を見に行く事があった。最初は恐る恐る馬に近づいていた千鶴も、五頭其々の名前を覚え、干草や野菜をあげて世話をし可愛がった。
ある日、千鶴は袴を履くように斎藤に言われて藩屋敷に連れ出され、斎藤と一緒に馬に乗った。馬上の高さに驚きながらも、背後の斎藤に守られて、藩屋敷の周りを一周する頃には十分に慣れて、千鶴は鞍に心地よく掴まり周りの景色を楽しむようになった。
春先の寒い内から、非番に斎藤は千鶴に乗馬を教え始めた。千鶴は筋が良く、二ヶ月もしない内に、駈歩まで出来る程になった。厩別当が千鶴の上達振りに舌を巻き、千鶴が使える様に調整した鎧を用意して待つ様になった。
厩に着くと、既に鞍と鎧が取り付けられた颯と青葉が二人を待っていた。斎藤は厩番に礼を言って、藩屋敷を出発した。町はずれから、二人は釜臥山に向かいゆっくりと進んだ。陽光が眩しく、緑が芽吹き始めた景色は美しかった。半刻程進んで山道に入る前に、一旦馬を休ませた。
「この山の中腹に湖がある。辺りを向かい側に回ると温泉が湧いている。今日の最初の目的地はそこだ」
「此処から、随分掛かるんですか?」
「いいや、半刻もかからん。緩やかな山道ゆえ、馬にも負担にはならん。ただ、やっと馬が一頭通り抜けられる狭い場所もある。その時は、馬を引いて行こう」
「青葉が、お腹を空かせないか心配です」
「温泉の周りに草地がある。湖で水も飲める」
「疲れておらぬか?」
「いいえ、ちっとも」
千鶴は笑顔で応えた。
山道に入ってから、二人はゆっくりと進んだ。斎藤の颯が道の右側に、千鶴の青葉が左側を歩いた。
「今日は颯は機嫌が良い」
「判るんですか?」
「ああ、颯は常歩(なみあし)でも並歩を好まぬ。負けず嫌いな性質だ。馬揃えをする時は苦労する」
「今日は、ずっとさっきから青葉に寄り添う様に歩いてくれています」
「ああ、青葉の歩に自分から併せている。珍しい、千鶴の呼吸にまで反応している」
「きっと私が、拙いので颯は心配なのでしょう。はじめさんの手が届く様に歩いてくれてるみたいです」千鶴は笑った。
「ああ」
「颯は、一番利口だ。【馬】離れしている」斎藤は微笑む。
「総司を思わせる」
「気紛れで、利口で、負けず嫌いでな」斎藤は、ふっと思い出し笑いをした。
「沖田さんに?」
「ああ、強情なところもあって。一度動かぬと決めると動かない事もある。状況に聡い。別当の話だと、江戸市中で一度中将様を乗せたまま、道で立ち往生したそうだ」
「そこから半里先で、人斬りがあったらしい。危険を察知して、一歩も動かなかった。中将様を護ろうとする名馬と言われて大層可愛がられたそうだ」
「今も、話に聞き耳を立てている。自分の話をされていると気づいている」斎藤は笑っている。
「本当だ、耳がこっちに向いてる。可笑しい」千鶴はクスクスと笑う。
「俺をからかう様な事もする。馬場の端に、栃の大木があるだろう。あそこの枝に俺の頭が引っかかる様に故意に寄って行ったりする。俺の頭が栃の実だらけになった日もあった」
「俺が部下といる時に、尻尾で肩や背中を叩く時もある。俺が無視を決め込むと嘶いて気を引く。そういう所まで総司にそっくりだ」
「はじめさん、颯と【馬が合う】んですね。沖田さんみたいに」千鶴は溢れる様な笑顔で言った。
「青葉と颯は仲が良いんですか」
「ああ、普段はあまり寄り付かないが、青葉が颯の面倒を見る様なところはある」
「青葉はまだ若い馬だ。だが責任感が強い」
「我慢強いところがある。他の馬がへたばっても、青葉はじっと堪える。目端の利く利口な馬だ」
「副長に似ている」斎藤は微笑した。
「土方さんに」
千鶴は意外そうな顔をした。
「ああ、五頭で一番統率力がある。武蔵はのんびりした性質で訓練にでる時も歩がゆっくりで厩から馬場まで出すのに一番時間が掛かる。だが、青葉と一緒に出すと、青葉が誘導して上手くいく。青葉が背後から追い立てる様にすることもある。他の馬に対してもだ。目端が良い上に、皆を纏めようとする。馬揃えには青葉が必要だ」
「若い故、他の馬に関心が有るのだろうと思ったが、生まれつきの性質のようだ。青葉は中屋敷で飛龍と武蔵と一緒に飼われていた。飛龍は気性が激しいが、青葉が居ると大人しくなる」
「副長も皆を纏めるのが上手な方だった」
千鶴は、屯所に暮らしていた頃の土方を思い出した。
「江戸にいた頃の土方さんは、喧嘩に明け暮れておられた。俺や総司は喧嘩の加勢によく駆り出された」
斎藤は、馬に揺られながらゆっくりと語り出した。
「大小の代わりに木刀を腰に差して、暴れ回っていた。試衛館でも稽古が厳しく、出稽古も土方さんが出ると他の道場の者は皆怖がっていた」
「剣で身を立てるには、強くなるしかないと、陰で人一倍努力をされていた」
「試衛館の皆は土方さんを慕っていた。上洛されてからは、厳しい副長と言われていたが、隊を纏める為だった。新選組を強くしたかったのだろう」
千鶴は斎藤が遠くを見る様な表情なのに気がついた。斎藤が土方や総司の事を話すのは珍しい。
会津戦線の最中、総司が江戸で息を引き取ったと聞いた時、千鶴の心配を余所に斎藤は独りになりたがった。斎藤の悲しみは深く、千鶴はかける言葉も無くただ寄り添うだけだった。斎藤は総司の分も自分が戦うと決心し、以降は鬼神の様な戦い振りだった。土方が箱館で戦死したと報せがあったのは、斎藤が越後高田にて謹慎中の時だった。常に冷静沈着な斎藤が、三番組隊士を前に自分は間に合わなかったと取り乱したそうだ。隊士達は斎藤が自刃するのを恐れて、ずっと長い間交代で寝ずの番をしていたと随分後になって知った。
斗南で再び斎藤と生活を共にする様になってから、斎藤は滅多に昔の話をする事がなかった。戊辰の敗戦から謹慎生活を経て新しい知行に関わり、目紛しく生活は変わった。互いに生きる縁となった斎藤と千鶴は、極寒の地で毎日を生き抜く事に精一杯であった。数年を経た今、斎藤が土方や総司の事を語るのが、千鶴は嬉しかった。
道が狭くなり、斎藤達は馬から降りて、一頭ずつそっと引いて歩いた。颯も青葉も従順で、問題なく広い山道に出た、目の前に大きな湖が見えた。ほとりを早駆けして、一気に目的地の矢立の温泉に着いた。馬を草地の木陰に繋いで、水を飲ませた。其れから二人でゆっくりと湯に浸かった。湯上りに、二人で弁当を食べた。
斎藤が、湖の先に桜が咲いている場所があるから行こうと言った。もう一つの山道に馬で入って暫く登って行くと、見晴らしのいい草地に出た。桜の大木が一本、満開になっていた。誰もひと気がないその場所で、木陰に馬を繋ぐと、二人で桜を見上げた。
「見事ですね。こんなに綺麗な桜を見られるなんて」
千鶴は桜をうっとりと眺めた。
「雪解けが完全に終わったか確認しようと、颯でここまで遠出した時に見つけた。ここは釜臥山への道から外れているから、人も寄り付かぬ。桜が満開になる頃に千鶴を連れて来たいと思っていた」
「ここでお弁当を広げれば良かったですね」
「そうだな。また来よう。此れから暖かくなれば、もっと緑も芽吹くだろう」
斎藤はそう言って、草の上に横になった。千鶴も隣に寄り添った。
「変わらないもの……」
千鶴は、桜の枝の先とその向こうに広がる青空を見上げて呟いた。目を瞑っていた斎藤は、ゆっくりと目を開けると千鶴を見た。
「変わらないですね、きっと」
千鶴は斎藤に微笑みながら呟く。
「ああ」
斎藤は、そう応えると千鶴の手に自分の手を重ねた。
千鶴は新選組を想った。京で暮らした数年間。斎藤を始め、土方や近藤、総司、平助、左之助、新八、幹部の皆、相馬や野村との日々。皆が誠の旗の元、信念を持って生きて戦っていた。今、こうして生きている自分達も、きっと此れからも変わらないであろう。
斎藤も同じ事を考えていた。世の中は新しい日の本となり目紛しく変わろうとしているが、新選組で生きた自分の身の内にあるものは決して変わらない。それを信じる。
「千鶴、この桜を副長達の碑にしよう」
「戊辰で命を散らせた魂を弔おう」
そっと起き上がった斎藤は千鶴の目を見詰めて、静かに言った。
「はい」千鶴はそう言って頷いた。
斎藤は立ち上がると、千鶴の手を引いて桜の幹に近づいた。二人で桜を見上げてから、そっと手を合わせて皆の冥福を祈った。
薫風が桜の枝を揺らし、花弁が頭上からゆっくりと降りて来た。
少し離れた所から、草を食んでいた颯と青葉が首をあげた。二頭の瞳は微笑んでいるかのように優しく斎藤と千鶴を見詰めていた。
つづく
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