お題『紫陽花』『ひぐらし』

お題『紫陽花』『ひぐらし』

薄桜鬼小品集 その1

五月の終わり

 前川邸から八木の屯所に戻ると、中庭に白い何かが見えた。
 月明かりのない暗闇に、斎藤は訝しく思いながら、廊下から中庭に降りて行った。
「誰かいるのか?」
 井戸の側の御影石の向こうに、千鶴が寝巻きのまま立っていた。
「斎藤さん」
 千鶴は驚いた顔をして振り返った。
「今、お戻りですか?」
「ああ。雪村、このような時間に、こんなところで何をしている?」
 斎藤が千鶴に近づくと、千鶴は裸足のまま手を膝について、しゃがんだまま何かを探しているようだった。
「さっき、一瞬光ったんです。紫陽花の葉っぱの影に、蜉蝣か何かが飛んで行くのが見えて」
 斎藤は千鶴が紫陽花の植込みを覗き込んでいるのを見て呟いた。
「さっきまで雨が降っていた」
「はい。昼間はこんなに花も開いて居なかったのに。雨に濡れてこんもりと」
 千鶴は嬉しそうに紫陽花を眺めて笑う。斎藤は、千鶴が夜中にこの様な場所でこうして居るのは、きっと眠れないままで居たからだろうと思った。数日前に、四条の枡屋で大捕物があった。千鶴は総司と一緒に巡察に出ていたところで不逞浪士との斬り合いに巻き込まれた。以来、巡察は危険だからと、日中は屯所に留め置かれるようになった。

「江戸の家にも、紫陽花が植えてありました」
 千鶴が、ポツポツと話し続ける。
「亡くなった母さまが、好きだったそうです。離れを『紫陽花庵』と呼んで、周りにお花を植えて」

 斎藤は、千鶴の隣に並んで一緒に紫陽花を眺めた。しっとりと濡れた花弁は、静かに豊かに覆い茂った葉の上に影を落としていた。その時、ふと葉っぱが仄かに明るく光った様に見えた。千鶴と斎藤は、ほぼ同時に紫陽花に近づくと、二人で手を伸ばして紫陽花の枝を掻き分けた。
 奥の株の丁度真ん中辺りの葉っぱの下が、薄い緑色の光を放つと、また消え。暫くすると、また光った。斎藤が更に手を伸ばしてそっと光った葉を剥ぐっってみると、其処には蛍が一匹。

 千鶴は嬉しそうに、斎藤のそばにしゃがんで笑って居る。蛍は、また明るく光り出した。何度かうずくまる様に動いた後、羽を広げて飛び立った。

 ゆっくりと、光りながら浮かび上がった蛍を、斎藤と千鶴は立ち上がりながら眺めた。蛍は、暗がりの中を時々光っては消え、光っては消え。空中に溶け込む様に、生垣の向こうに飛んで消えて行った。斎藤と千鶴は、暫く二人で静かに佇んでいた。

「今夜は、もう雨も上がった故、水辺まで無事に飛んで行けるだろう」
 斎藤は、千鶴が蛍を心配して居るのを見透かしたように呟く。
「はい、きっと水辺のお仲間の処へ」
 千鶴が微笑んだ。

「少し冷えてきた。そろそろ寝間に戻った方が良い」
 斎藤は千鶴を濡れ縁に上げると、懐から手拭いを渡した。千鶴は礼を言って、足を拭いて部屋に入ろうとした。

 すると斎藤は、また中庭に降りて行き、脇差を抜いて紫陽花の花を二本茎から切り取ると、井戸の側にあった竹筒と一緒に持ってきた。
「表玄関に、庭の紫陽花が活けられていた。お雅さんが飾ったものだ。これも部屋に置くと良い」
「はい、有り難うございます」
 と言って、千鶴は斎藤から紫陽花を受け取ると、嬉しそうに笑った。斎藤は優しい表情で微笑み、そのまま自室に戻って行った。

 千鶴は部屋に戻って、枕元に紫陽花を置いた。こんもりとした薄青紫の四角い花弁から、雨の香りがする。

 千鶴は、穏やかな心持ちのままゆっくりと目を閉じてそのまま朝まで眠った。


おわり

******

お題『ひぐらし』

 朝から隊士達について、久し振りに屯所の外に出た千鶴は途中暑さで参ってしまった。京の夏はもう何度も経験していたのに、日頃の疲れが出たのか、それまで聞こえていた蝉の声がだんだんと遠去かり、目の前が暗くなった。屯所の廊下で倒れてしまい、気がついたら自分の部屋の布団の中だった。もう陽も傾いている。起き上がると、まだ頭が重く辛い。千鶴は、自分の着物が緩められている事に気が付いた。ゆっくりと起き上がり、 枕元にあった寝間着に着替えて横になった。
「ちづる、大丈夫か?」
 廊下から、左之助の声が聞こえた。巡察から戻って来たところだという。手には、竹水筒と湯飲み。千鶴が起き上がろうとしたら、左之助は「横になったままでいい」と言って枕元に座ると、手に持った竹水筒を見せた。
「甘酒だ。さっき飴売りが通ったから、買って来た」
と言って、湯飲みに甘酒を注ぐと、千鶴を助け起こして飲ませた。甘くて、冷たくて美味しい。
「暑さで伸びちまった時は、これが一番だ」
 千鶴は、礼を言って、また横になった。何か欲しいものはないかと、左之助が訊くが、千鶴は首を横にふったまま力なく微笑んでいる。
「ここんとこ、ずっと働き詰めだった。疲れが溜まっているんだ。ゆっくり休めば良くなる」
と言って心配そうな表情で、千鶴の額を撫でると部屋を出て行った。

「ちづる、起きてるか?」バタバタと廊下を走る音がして、平助が部屋に入って来た。手には、風鈴を持っている。

「可哀想にな。ずっと働き詰めで、疲れがでたんだ。これ、買ってきてやった」
と言って、風鈴を軒先に吊るした。リリーんと、涼しげな音がなった。千鶴は、嬉しいとお礼を言って笑うと、平助は、ゆっくり休めばすぐに良くなると言って、千鶴の頭を撫でると部屋を出て行った。

 次にやってきたのは、新八で、手には水菓子。こう暑いと参る。ずっと働き詰めだったから無理もない。ゆっくり休んで、元気になったら、鴨川に夕涼みに行こうと笑って帰って行った。

 斎藤が、桶に冷たい水を汲んで持ってきて、千鶴の額を濡れ手拭いで冷やした。気持ち良くて、頭痛が和らぐ。
「無理が祟ったのであろう。ゆっくり休め」
と言って、静かに部屋から出て行った。

 次に総司がやって来た。千鶴が床に伏せるのは、「鬼の霍乱」だと言って笑う。良いものをあげる。そう言って、金平糖を口に放り込まれた。甘くて美味しかった。

 次に土方がやって来て、「どうだ、調子は」と顔を覗き込んで来た。大丈夫だと、答えると。
「全然、大丈夫じゃねーよ、まったく」と言って苦笑いした。
 千鶴が気を失った時に丁度居合わせたのが、土方だった。日頃、人が斬られたり倒れるのは見慣れているが、千鶴が真っ青な顔で動かないのには動揺した。山崎が不在でオロオロとする土方に、斎藤は落ち着いた様子で、「巡察中に様子がおかしかったが、自分で歩けると言い張るので無理をさせてしまった」と言って、千鶴を抱えると部屋に連れて行って介抱した。

 土方が、何か欲しいものはないかと尋ねる。千鶴は笑って首を横に振った。明け放れた障子の向こうは、もう夕暮れで、ひぐらしの声が聞こえる。千鶴は、土方が見守る中、瞼を閉じてその声を聞いているうちに、眠りについていった。

 いつの間にか、幹部の皆が廊下や部屋に勢ぞろいしていた。
「なんかさ、千鶴ちゃんが元気ないと。こたえんな」新八が呟く。
「だな、屯所から火が消えちまったみたいだな」
と左之助が廊下から、鴨居に手を掛けて、千鶴を覗き込みながら言った。
「そうだよ。さっきの夕餉も通夜みてえだった」
と平助が呟いた。
「こう弱ってると、苛め甲斐がないしね」
と言いながら、総司は千鶴の枕元に胡座をかいて、団扇で風を送ってやっている。
「今晩は、俺が付いています」
斎藤がその横に正座して土方に言うと、手拭いを濡らして、そっと千鶴の額においた。

「お前ら、こいつの好物が何か知ってるか。もし知ってたら、今すぐ買って来い」
と土方が言った。

 皆は、首を捻って考えこんでいる。

「千鶴は、俺らが『欲しいものは無いか』って聞いても、自分の欲しいものは決して言わねえよ。その代わりに、俺らが要りようなものや喜ぶものが欲しいって答える」
左之助が溜息をつきながら呟いた。

「俺らに遠慮してるのかと、最初は思ったが。どうも違うみてえだ。生来欲がない性分なのか、ずっとそんな感じだ」

「そうそう、俺がいくらきいてもそうだよ」
と平助も頷いている。

 土方は腕組みして千鶴を見下ろした。これだけ長く一緒に暮らして、好物の一つも知らないのは、困ったもんだ。女の扱いに長けてる原田でも聞き出せて無いなら、無理も無いのか。

「雪村は、屯所の門を俺らがくぐって無事に戻る姿を見るのが好きだ。いつもそう言っています。夕方に巡察から帰ってくるのが嬉しいそうです」

と斎藤が静かに話す。
「皆と大広間で一緒に食事をするのも大好きだといつも言っています」

 皆が黙ってしまった。千鶴がそこまで自分達を想っていてくれる事を初めて知った。土方は微笑しながら立ち上がると。

「お前ら、千鶴の望みがわかったんだ。無事に毎日屯所に戻る。飯をこいつと食う。千鶴の為にしっかり守れよ」
と言って部屋を出て廊下に出た。

 皆が笑顔で頷いた。廊下の向こうは、日が暮れかけで涼しい風が吹き始めた。ひぐらしの声が庭に響いている。ずっとその声を聞きながら、暗くなるまで、皆が千鶴の寝顔を見守り、其々の部屋に帰って行った。


おわり

******

お題『日暮(ひぐらし)

 ぼんさんあたまは丸太町
 つるっとすべって竹屋町

 みずのながれは夷川
 二条でこうたきぐすりを
 ただでやるのは押小路

「朝からご機嫌だね」

 布団で横になった総司が話しかけてきた。障子の燦を拭いていた千鶴は手を止めると、総司が起き上がるのを支えて、水を飲ませた。

「原田さんが巡察中に歌ってくださるので、覚えてしまいました」
「さっきの?」
「はい、通り名の歌です。原田さんが【馴染み】に教わったって」
「左之さんらしいね」
「本願寺に居た頃は、ぼんさんをお坊様の事と思われるから、大っぴらに唄えなかったが、今なら大丈夫だって」

 千鶴はクスクス笑いながら話す。

 六月に西本願寺の北集会所から不動村の屯所に移って二ヶ月。総司の居る部屋は朝の陽射しが入らない様に廊下に簾が降ろされている。千鶴は、毎朝廊下を水拭きして、簾に出来た影に打ち水をする。風通しの良い総司の部屋は、涼しく心地よく過ごせるようになっていた。

「汗を拭きましょう」

 そう言って、千鶴は別の水桶を持って来ると、総司の背中の汗を拭き取った。微熱が続く総司は、背中も首筋も驚く程に熱い。冷たい手拭いを当てると、気持ちいいと言って、総司は機嫌良く寝間着を着替えた。千鶴は、総司にねだられて、通り名の続きを唄った。

 御池おいけでおうた姉さんに
 六ろくせんもろうて蛸こうて
 錦でおとしてしかられて
 あやまったけど仏ぶつと
 高がしれてるまどしたろ

「ほんと、お坊さん達、怒っちゃうね」
 総司は愉快そうに笑って聴いている。
「原田さんが、南北の通りも教えて下さって。今覚えているところです」

 寺ごこ麩屋とみ
 柳さかい
 高あいひがし車屋町
 からす両替 むろころもー
 新町かまんざ 西おがわ

 油さめないで 堀川のみーず
 よしやいの黒門おおみやへ

 松ひぐらしに 智恵光院
 じょうふく千本はては西陣

「へえ、僕も聞いた事のない通りがある」
 千鶴は、自分の部屋から畳んだ紙を持って来た。総司の布団の横に拡げると、畳一畳分程の大きな地図だった。
「これは、道を覚える為に作ったんです」
 そう言って、通り名を唄いながら指を指している。総司も起き上がって、地図を覗き込んで一緒に指を指していた。
「ねえ、千鶴ちゃん。これ、土方さんでしょ、描いたの」
 総司は、地図の西本願寺を指している。
「はい、元々土方さんが、本願寺の周りの地図を書いて下さったのに、半紙を貼って拡げていったんです」
「そうなの?  通りで。だって、この木みたいな絵。どう見ても、木には見えないよね」
「これは、門の側の欅です。ここを通れって」
 千鶴は、土方の描いた木を見ながら、クスクス笑っている。
「それに、ここの柳町の角のこれは?」
「これは、お地蔵さんです。ここに小さなお地蔵さんの祠があるって印で」
 千鶴は肩を震わせて笑っている。土方独特の、走り書きの様な、滑稽な絵は、本当に見れば見る程可笑しくて、総司も一緒になって笑った。

「土方さんって、絵心ないよね。歌心も全くないけど」
「私は、土方さんの手跡も絵も大好きです」
「そう?僕は、絵に関しては好きだよ。このお地蔵さんは掛け軸にでもして広間に飾りたいね」

 二人で土方の絵で大いに盛り上がった。こんなに笑うなんて、いつ振りだろう。春に新選組から斎藤や平助が居なくなってから、ずっと気分が沈みがちだった千鶴は。久しぶりに声をたてて笑っている自分に気が付いた。

「ねえ、この赤い印は? お店?」
「はい、お店や、お寺です」
「今迄、斎藤さんが連れて行って下さった場所です」
「へえー」

 総司はにんまりと笑いながら、赤い印の場所を指で指しては、ここ、僕も知ってる。ここも。これは、僕がはじめくんに教えてあげたお店。そう言いながら、次々に店の名前を挙げていく。

「こうやってみると、三番組は広範囲を巡察してんだね」
「そうですね。でも、ここ、ここ辺りは、非番の日に連れて行って貰って、ええっと、松原の隣の筋で」
「まつ、ひぐらしに智恵光院」
「そうです、日暮通り。ここの通りをずっと上って行くと、【ところてん】の美味しいお店があって」
「丹後やでしょ?」
「そうです。ご主人が、丹後天草で作っているって」
「僕は、壬生に住んでた時、非番の度に、はじめくんと行ってたよ。はじめくん、ところてん好きだよね」
「はい、練りからしの多めが好みだって仰って。胡麻も沢山って注文するんですよ」
 千鶴は口元に両手をもっていって、嬉しそうに笑っている。
「そうそう、僕は葛切りが好きで、ところてんは一杯で十分。でもはじめくんは、三杯は食べるからね」
「三杯も? 斎藤さん、大層お好きなんですね。そう言えば、あそこでずっと座って、日暮れ近くまで居ました」
「ここには美しい門があって、日がな一日人びとが門を眺めた。だから日暮という名までついたって」
「ところてんに日暮らし楽しむ」
 総司が、そう呟いて、地図を隈なく眺めている。

 斎藤さんは、いまも「丹後や」さんに行ってらっしゃるんだろうか。御陵衛士の詰所は東山と聞いているが、非番なら、日暮通りまで出掛ける事もあるだろう。きっと、平助くんや衛士のお仲間と。
 千鶴は、新選組に居ない斎藤を想った。

 総司は、赤い印の場所を眺めながら、洛中の中心でありながら、どこも危険度の少ない場所に印がある事に気付いた。千鶴が喜びそうな店に、印が無い。その周辺は不逞浪士が多い界隈だったりする。地図を見ているだけで、千鶴の危険を回避して護っている事が伺い知れた。

「ねえ、僕が起き上がれるようになったら、丹後や行こうよ。ばったり、はじめくんに会うかもよ」
 千鶴は、一瞬驚いた表情をした後に、にっこり笑うと。
「そうですね。きっと斎藤さん、ところてん沢山召し上がっていらっしゃるかも」

 千鶴は嬉しそうに笑いながら、地図を畳んだ。日暮通の赤い丸が、何かの大切な印のような気がして、千鶴は微笑みながら地図を抱えると部屋に帰って行った。


 了



(2017.06.05)

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