ブログ【意思や迷い】黎明録沖田総司のイメージ
こんにちは。少し前に再攻略を終えた沖田総司ルートで気になったことをブログに書きます。
ゲームのネタバレを多大に含むので、内容を先に知りたくない方はこの記事を読むのをお控えください。
黎明録の沖田総司はとてもシニカルで不安定という印象です。剣術においては天賦の才能があり自他ともに認められています。ひとつ、私が総司くんのことをとても頭がいいと感じるエピソードがあります。物語の前半に変若水研究の是非について、原田さんと永倉さんと意見を交わす場面です。左之さんも新八さんも変若水自体に懐疑的で研究のために羅刹を生み出すことに強く疑問を感じています。お酒を吞みながら憂さ晴らしのつもりで思っていることを話そうという雰囲気の中、総司くんは話をするどころか変若水について考えることも自分はしないとキッパリと断ります。理由は「あれこれ考えて悩んでも仕方がないから」。
善悪や正義の判断、打算やすり寄り、妥協や欺瞞、謀などに意識が行く以前に完全に事柄を脳内で遮断してしまう。これを無意識にやっているのか意識的にやっているのか、よくわからない。わたしが総司くんのことを頭が良い人と思うのはこういう部分です。普通、人はなにか重要な事柄(人命や正義)に関わることなら、たとえ表に出さなくても己の中で判断します。少なくとも頭の中で考えるでしょう。判断がつかないと人は悩みます。そんな時に友達や家族、信頼のおける人に、その想いや悩みを相談して答えを求めます。
くよくよ悩むのはよくない。
これはよく言われるアドバイスだけれど、「考えない」「悩まない」でいられれば、人間は苦労しません。総司くんのように最初から考える事を遮断するのは、とても思考効率が高い。凄いなと感心するのは、「考えたくない」という拒否ではなく、「考えない」という強い意志です。ゲームの中の酒を酌み交わしながら気持ちを吐き出そうという場面で、一種突き放すような総司くんの態度は独特です。原田さんも永倉さんもそれ以上その話題を続けられなくなります。結構強烈なのですよ、この場面。
考えないと突き放す理由として「近藤さんの存在」を考えてみました。近藤さんが変若水研究を受け入れているから反対しないという態度なのか。 前後の経緯を見てみましたが、物語の前編で近藤さんも変若水研究を幕閣(会津藩経由)から請け負った「厄介事」として受け止めています。変若水研究は前川邸に屯宿している新見錦(浪士組副長)の手に委ねられていて、八木邸にいる近藤さんたちはあまり詳細を知らされていません。
なので、近藤さんの意見に追随しているとすれば、総司くんは変若水に関して何かしらの意見を言う筈。本能的に意識思考を遮断してしまっているような総司くんはなにか常人とは違う感覚で生きています。「頭が良い」と感じるのはそういう部分です。
総司君が「近藤さんの云う事しかきかない」という事は、試衛館派の認識です。龍之介の目線でも、近藤さんの前では異常に素直な総司くんの姿が語られて、それが微笑ましかったりします。でも薄桜鬼黎明録の本編の最初から、総司くんは近藤勇に仇するものは全て排除しようと強く思っている。全てに近藤さんが先立つといった部分があります。
以前、「浪士の覚悟」についてブログに書きました。京に残留し将軍家茂が攘夷をするなら一緒に戦う。将軍護衛が当初の目的だったものが、京都守護職のお預かりとなり「市中警備」を依頼され、これが残留浪士の主な隊務となっていきます。この辺りの流動的な経緯に近藤さんや土方さんは少なからず混乱していて、それを障子越しに総司君は聞き耳をたてて状況を把握しています。
本気で戦えないと意味がない。
これが総司君の覚悟です。つまり人を斬り殺す経験が必要。近藤さんに仇する者を斬ることができるなら、機会は逃さない。まるで浪士としての存在意義がそこにあるかのように、少し考えが短絡的です。その思考の危うさは態度にも出ていて、近藤さんや土方さんが酷く心配します。ゲームで総司君は「人を斬り殺す経験」を(芹沢の策略に乗じて)自分から進んで得ます。それは一般的な「正義」でも「大義」でもない、己の慕う「近藤さんの為」であって、本気で戦う覚悟の決意表明的行動。
総司君はこの通過儀礼的な出来後を終えて満足しますが、近藤さんはかなり動揺します。子供のように思っていた総司くんが一晩で大人になってしまったような。穢い仕事(暗殺)をさせてしまった事に対する後悔を近藤さんは土方さんの前で吐露しています。
浪士組にとっても、総司君や近藤さんにとっても、殿内殺害が一つの転機になります。隊内粛清(仲間を斬る事)に躊躇しなくなっていく。
この近藤さんの動揺を総司くんは自分への失望と捉えます。近藤さんもゲームの前半はまだまだ覚悟が足りていなくて、幕閣に近い殿内や横柄だけれども実行力のある芹沢鴨に押されて優柔不断な態度を見せている。そういった部分を総司君は無意識に感じとっていて、「近藤さんが喜ばないことはしないようにしよう」という思考になっています。
殿内殺害の後、浪士組は市中見廻りや大坂への出張で様々な事柄に巻き込まれます。斬りあいが日常的になっていく。そして変若水を飲んで羅刹化した隊士たちが暴走し始め、それを止める為に斬り殺すしかなくなっていきます。
屯所の庭で暴走した羅刹隊士が襲って来た時、総司君は抜刀しても一瞬迷ってしまう。初太刀の遅れは、助っ人として現れた斎藤さんに見抜かれてしまいます。
「総司、遅れをとるなどあんたにしては珍しい」
と、斎藤さんに訝られます。(ちなみに全編において、斎藤さんは迷いなく一気に斬っちゃいます。遺体処理もさっさとやってしまい、常に冷静です)
この一歩遅れをとった理由は、「ここで斬ったら、また近藤さんが悲しむかも」と思ってしまったから。あれだけ、思考遮断が出来るのに近藤さんを失望させてしまった経験は、総司君の迷いに繋がっていて、人を斬る事に躊躇するようになっています。
覚悟が揺らぐ。
これが黎明録の総司君。それを表には決して見せません。近藤さんは肯定も否定もせずただ一連の流れを受け止め、総司君が無事なことに安堵します。肉親のような無償の愛を近藤さんは総司に向けているのがわかります。近藤さんはどこまでも沖田総司の味方であり寄り添い続けます。
総司君は迷い続けますが、一人だけ明確に「人を斬ること」を認め奨励していく人物がいます。山南さんです。浪士集まりの中でも腕の立つ総司君が人を斬ることで、世間から恐れられ犯罪や狼藉の抑止力となると宣言します。己の剣に絶大な信頼を寄せてくれている存在。目的の為なら手段を択ばない山南さんの態度に総司君は一種仲間のような態度で接していくようになります。山南さんは総司君を子供扱いはしないところもあって、そこが近藤さんや土方さんとは違います。
黎明録の総司君と龍之介の関係性も独特で、シニカルな総司君にことごとく龍之介は反発して言い返す。二人のやり取りは互いに辛辣で交わす言葉が本当に笑えます。龍之介は総司君のことを「歪んだ性格だ」と呆れかえっていますが、どこか放っておけなくてずっと付きまとうように追いかけていく。総司君は龍之介のことを憐れんでいるような部分もあります。自分が育ての姉と別れて試衛場に預けられた経緯は経済的な理由で、龍之介の境遇にも似た所を感じているのかもしれません。
自分は近藤さんと出会って剣を認めてもらえた。全てを受け止めてくれる存在。
新選組の暗部を全て知ってしまった龍之介を斬らずに逃した総司君は、自分の過去に重ね合わせて龍之介にも希望をみているのかもしれません。
総司君は迷いを抱えたキャラクター像です。でも「戸惑い」や「迷い」を表には絶対にみせない。ゲームの始まりと終わりでここまでドラマチックに成長して変化するのは総司君ぐらいかな。幼少期が細かく描かれるのも。総司君ルートに見える薄桜鬼の近藤さんの優しさは素敵ですね。
総司君の思考効率の良さと「迷い」のアンバランスなところが最大の魅力かもしれません。なんというか切ないのです。とっても。