ブログ【斎藤さんウォーク】斎藤さん@出稽古ウォーキング

ブログ【斎藤さんウォーク】斎藤さん@出稽古ウォーキング

【斎藤さん@出稽古ウォーキング】

こんにちは。もう9月ですね。皆さん、如何お過ごしでしょうか?

斎藤さんの育った本郷真砂町(現在本郷4丁目)から試衛館跡への道行き。

やっとログの整理がつきました。

スタート地点:山口家(推定)本郷4丁目十一番地

前回見つけた山口家所在地前のT字路を左へ、幕末期ここは寺社奉行上野高崎藩松平右京明輝というお殿様の上屋敷。現在は区営住宅が建ち、裏に清和公園があります。山口一の家からは、この公園の下を春日通りに並行して歩いて春日の交差点へ。

この交差点の先を上れば、左手に「こんにゃくゑんま」の源覚寺があります。

門前から参道はこじんまりとして新しいです。本堂も戦後に立て直されたものですが、閻魔像は鎌倉時代まで遡る古いもの。塩地蔵様、毘沙門天さまも祀られている由緒ある寺社。たくさんの蒟蒻がお堂の前に供えられています。

近辺は商店街があって飲食店などがならぶ賑やかな界隈。裏通りを一歩入ると、民家が建ち並ぶ静かな場所。裏通りを上がっていきます。(ここは小石川二丁目、設定上の雪村診療所の近くです)

途中で左の大きな通り(春日通り)にでて、道を反対側へ。中央大のキャンパスがあって、学生さんが多く行き交います。春日という地名は、春日局が三代将軍家光より拝領した土地だからだそうです。富坂上の交差点で、左の道へ牛天神へ向かいます。ここも一歩入ると、静かな民家と寺社が並ぶ道。すみません、写真が良いものがなくて、地図のみです。

牛天神は幕末には大きな神社だったようですが、現在は山の一角に小さな社と北側への急な参道があるだけ。縁起は古く、平安末期まで遡ります。牛石がご神体。この石に源頼朝が腰掛けて休息した時に菅原道真が夢に現れて「二つの喜び」があると告げ、その後、頼朝は嫡男頼家を授かり、平家を西に追い滅亡させて政権をとったそうです。

今でも撫でて願をかけられるようになっています。

御朱印を授かりました。江戸時代、この神社は一帯の高台の山にあって、富士山や江戸の街を見下ろせる景勝地だったそうです。北斎が描いた富嶽三十六景のひとつ「磔川 雪の旦(こいしかわゆきのあした)」に描かれています。2016年からパスポートの査証のページがこの絵の梳かし図柄になっています。

北側の参道を下りて、左の大きな通りに向かいます。(牛天神交差点)

この通りが大久保通りにつながります。この辺りは、開発が進んで高層ビルがならぶ都会の風景。通りを右に北方面に向かいます。神田川が通っています。幕末当時、この川は「江戸川」と呼ばれていました。今は真っ黒な溝川ですが、当時は自然も多くて美しかったようです。江戸川は橋が多いのが特徴。

現在、橋の真上を首都高速が通っています。

斎藤さんが試衛館に通った道のりは、小石川から飯田橋、神楽坂方面を通って市ヶ谷方面に向かったと思われます。

江戸川を渡った隆慶橋。なんでもない古びた鉄橋ですが、幕末の頃、試衛館に向かう時に渡っていたと思うと感慨深いです。

この橋は古い文献で江戸初期には架かっていた事が判っています。古地図では、現在のように新道はなく、かなり迂回して大久保通りを歩かなければなりません。大江戸今昔めぐりの地図のスクショをアップします。緑色のマーカーが新道、赤色マーカーが旧道です。斎藤さんが通った道は、何通りかありますが、おおまかに最短距離で歩けるルートを選んで印をつけています。今は、殆どが新しいビルばかりで、たまに昭和期に建てられた建物がみられます。

古い隆慶橋を渡って、筑土町を通ります。おそらく、筑土八幡神社前を通って、この通を神楽坂に向かうルートが最短。道も平坦で歩きやすい。

筑土八幡神社も古い神社です。御朱印を授かりました。

神社の前を新宿方面に伸びる大久保通りは、このまま新宿区大久保まで繋がる道。時折、材木屋さんも見えて古い街道らしい。ここから神楽坂まで15、20分ぐらいかな。速足で。

神楽坂上辺りは人通りが多いです。ここも寺社仏閣が多い地域です。「安養寺」古い縁起のある寺社ですが、新しい建屋です。歓喜天さまの御朱印を授かりました。

ここを越えると、あとはなだらかな下り坂。地名も「箪笥町」「牛込神楽坂」「市ヶ谷甲良町」と古いものが残っています。市ヶ谷小学校が良い目印。このまま下れば「甲良町」。となりの「市ヶ谷柳町」が試衛館のあった場所です。幕末当時は「甲良屋敷」でした。

坂下の手前の道の左側に「柳町病院」がみえたら、手前の角を左に。ここが住所の区画境い。病院側が柳町、左側が、「甲良町」です。病院の裏のマンションを越えたら、右手に砂利道の広めの路地がみつかります。

道の突き当たりに小さな祠が見えます(此が目印)、私道のような道ですが思い切って進みます。

この祠の右隣、マンションの植木の間に試衛館の碑が建っています。数年前まで、新選組の旗が立ててあったのですが、今は何もありません。ここが試衛場の建っていた場所です。近藤勇は、この近くにお屋敷も持っていました。門弟が道場で暮らしていたようです。

ゴール:市ヶ谷牛込柳町 試衛館跡

斎藤さんの家から、新道を急ぎ足で歩けば、所要時間40分弱でしょうか。旧道を歩くと、一時間弱。草鞋や草履で、土の道を想定すると、一時間はかかると思います。山口一は道場に通うのに往復で一刻かかっていました。昔の人は健脚なので、大した距離ではなかったのかも。

当時、小石川から市ヶ谷まで、牛込という地名通り牛が放牧される長閑な場所だったようです。江戸の市中と云われていたのが本郷までなので、江戸の郊外。天然理心流は田舎剣法と、他流派から蔑まれていたとよく書かれていますが、道場の立地条件もあるのかなと思いました。

隆慶橋までの小石川、筑土八幡神社周辺の都会の風景、神楽坂から市ヶ谷柳町。

この三つの町並み。大久保通りは、カフェもちらほらとあって休憩しやすいです。時間があれば、神楽坂上を曲がって下りてみるのも楽しい。裏通りにイタリアンやビストロ、雑貨屋が沢山。

試衛館の最寄りの駅は、「牛込柳町」都営大江戸線が通っています。
次回は、試衛館からスタート。涼しくなってきたので、ウォーキング再開が楽しみです。

ログを読んでくださって、有り難うございます。

小説も書き進めているので、また近くアップしますね。

ちよろず

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