瞳の中の空
戊辰一八六八 その24 最終話
明治元年十月霜降
大内峠からおよそ半日をかけて移動した降伏兵は、城下より南西に位置する本郷の集落で休息した。会津新選組は新選組記名を外され、「山口隊」として野田隊とともに「降伏軍中隊」に属すとされた。中隊は「先隊」として塩川に向かった会津藩飯田隊に続いて、翌朝出立することが決まった。
本郷宿泊中、薩摩藩より「会津降伏軍印紙」の配布があった。一枚ずつ記名がされたもので、集落の外に出る時は必ず印紙を薩兵に提示して外出許可を受けなければならない。斎藤は畳敷きの部屋を千鶴と隊士たちの為に確保した。布団は五組だけ配られ、皆で布団を分け合うように肩を寄せ合って休んだ。明かり取りの窓からぼんやりとした月明かりが射す部屋の隅で、斎藤は一晩中起きたまま腕の中の千鶴を温め続けた。
翌朝、朝日が昇る前に中隊は本郷を出立した。煙が燻る地面。大川の傍の塹壕には、夥しい数の兵士の遺体が積み重なるように打ち捨てられていた。降伏兵中隊全員が大川を渡って城下を通り塩川に向かうことを希望した。出来る限り城に近づき、その姿を目に焼き付けておきたいという申し入れは、米沢藩兵より薩兵に伝えられた。城下の通行許可を受けた中隊は、一旦道を引き返し大きく迂回してから城下に入った。
城は最後まで、決して落ちることはなかった。
朝靄が徐々に晴れる中、お堀の向こうに砲弾で崩れた天守の屋根瓦が見えた。落涙する者、唇をぐっと噛んで深く天守に向かって頭を下げる者、ただじっと天守を仰ぎ見る者、其々が会津の象徴である城の姿を深く胸に刻んだ。城下から大川沿いに北へ進むと、突然野田隊の隊士達が足早に草むらを抜けて行った。
「道場は無事だ」
そう叫ぶ隊士が振り返り笑みを見せた。会津藩士たちが、幼少より剣術を学んだ練武館。建屋と門前の松の木が残っている。燻煙の城下の中に、一部焼け残った建屋が見つかった。それだけでも藩士たちには慰めとなった。中隊を監視随行する役目の米沢藩兵は大いに降伏兵に同情を寄せている様子だった。米沢藩兵は暫く、城下と名残を惜しむ時間を中隊に与え、道端に腰を下ろして待っていた。こうした米沢藩士のはからいで、藩士たちは、存分に城下へ別れを告げることが出来た。
街道を二列になって進む中隊の先頭を行く斎藤は、背後の千鶴に塩川代官所の前で、身元印紙を占領軍に提示し、会津藩家老倉沢右兵衛様に面会を求めるようにと何度も念を押した。千鶴は黙って頷いている。一歩一歩前に進むが、それは二人の別れに近づく。前日より二人は殆ど言葉を交わすことがなかった。この先に待ち受ける新選組への処分は、決して寛大なものにはならないだろう。
それならばせめて最後の瞬間まで一緒に。
斎藤さんのお傍に居たい。
この願いは、ずっと強く千鶴の心中にあった。重い塊が喉につかえるように、声を上げることもできない。斎藤さん。斎藤さん。このままずっと道が続けばいい。だが千鶴の願いは空しく、あっという間に一行は塩川宿に辿り着いた。薩摩や長州の藩旗がたなびく門前で、多くの捕虜兵が一列に並び検問を受けている。証書を掲示し腰の大小を薩兵に渡し、丸腰で大木戸を抜ける。斎藤は、必死に会津藩役人を探した。千鶴を、千鶴の身請け人を一刻も早く。斎藤は、米沢兵の役人に直接交渉し、千鶴を検問場所から遠ざけるように手を引いて街道側の通りに出た。
「山口殿」
斎藤の名を呼ぶ呼陣羽織姿の男が、付き人を引き連れて現れた。斎藤は自分から急ぎ名乗り、深く頭を下げて挨拶した。家老の使いで参ったと挨拶を返した藩士は、「井出十郎衛門」と名乗り、「新選組の雪村千鶴の身元はご家老倉沢右兵衛様が預かり、滝沢の妙国寺にお連れ致す」と告げた。
「寺には大殿、守の殿、御姫君があらせられる。照姫様の供廻りの者として、雪村殿は待機することに」
斎藤は千鶴が照姫の供廻りとして処遇される事に安堵した。それならば、身の保障はされている。滝沢村の妙国寺。斎藤はもう一度寺の名前を確かめた。直ぐに千鶴を連れて行くという井出の申し出に、斎藤は千鶴に預ける為に腰から打刀と脇差を抜き取った。千鶴は、おもむろにしゃがんで、背中の荷物を解くと、中から何かを取り出した。ぱっと目の前が明るくなった。
真っ白な絹の布地。
それは光沢のある上絹で、まだ京に暮らした頃、伏見の問屋で斎藤が買い与えたものだった。千鶴は丁寧な仕草で両手に広げて斎藤の愛刀を大切にゆっくりと包んだ。斎藤はただ驚くばかりだった。このような戦地に。あの布地をどうやって持って……。千鶴は、抱きかかえるように刀の包みを持ってじっと斎藤の顔を見詰めていた。大きな瞳はきらきらと輝いている。涙を湛えているが、絶対に泣いてはならない。そんな決心が千鶴から伝わって来た。
「次にお会いする時まで、大切にお守りします」
「頼む」
斎藤は千鶴に頷いた後、千鶴の抱きかかえる愛刀に「傍で千鶴を守るように」と頼んだ。検問所から「中隊山口隊、山口二郎はおるか」という役人の声が聞こえた。千鶴は胸が詰まった。その瞬間、斎藤に腕を引かれ強く抱きしめられた。
必ず。
必ずだ。
耳元に聞こえる声。愛おしい人の力強い言葉。必ず。千鶴は声にならない声で答えた。強い抱擁が解かれ、斎藤は深々と井出十郎兵衛に頭を下げて、踵を返すように検問所に走って行った。千鶴は街道から、大木戸の向こうに消えていく斎藤の背中を見た。胸が張り裂けるような。さっきの温もりがまだ残っているのに。あの大木戸の向こうには行けない。ついて行けない。とめどなく涙が溢れる。初冬の風にゆれる木々と道端の枯れ草が涙で滲んで見える。冷たい風が吹きすさぶ中、井出と御付きの者は千鶴を守るように前後について歩いている。井出は、時折振り返り優しく千鶴に励ましの言葉をかけた。
「薩摩といえど、武門の義は通される」
「これから向かう妙国寺は塩川宿まで街道続き」
「決して地の果てではござらん」
どこか江戸風な話し方をする井出の声を千鶴は、懐かしく思いながら話を聞いていた。そして、滝沢の妙国寺は塩川から街道を真っ直ぐに進んだ途中の村落の奥にあった。井出の言う通り、塩川から一刻もかからずに辿り着いた場所。山門の前には薩兵の門番が立っていて、千鶴は印紙を提示して中に通された。先に本堂の手前の建屋に案内され、そこで倉沢右衛門と対面した。小柄で気さくな人柄が顔の表情に伺える。御家老様だと紹介を受けたが、「若年寄筆頭家老」と聞いて、千鶴はもう一度深々と頭を下げて挨拶をした。
「よう参られだ。ささ、こちらへ」
倉沢は、傍に呼んだ千鶴を座敷にあげて、すぐに女中に着替えと食事を用意するように指示した。そして、御姫君は「照桂院さま」にお成りになった、これよりお目通りをすると告げると、自分は用があるからと部屋を出て行った。千鶴は、女中に連れられて奥の部屋で着物に着替え食事を済ませると、再び倉沢に呼ばれて御堂に案内された。
御堂の客間で、千鶴は松平照姫に拝謁した。御付きの者が「照桂院さま」と呼びかけ、千鶴を紹介した。照姫は「顔をあげよ」と言って千鶴を真っ直ぐと見詰めた。千鶴が恐る恐る見上げると、照姫は打掛姿で尼削ぎに髪を下ろしていた。挨拶をした千鶴のことをよく覚えていると傍に居る者に応えた。
「そなたに会うたのは、大殿の快気祝いに上洛した時であったな」
「黒谷での組香を催した。そなたは一番であったのう」
「会津の為に戦地へ赴き、八面六腑の働きだったと聞いておる」
「心より礼を申す」
照姫のよく通る声は威厳に満ちていると同時に、ひれ伏す千鶴に慈愛に富んだ表情で優しく笑いかけた。
「御沙汰が下るまで、わらわの供廻りとして。ここで滞留するとよい」
千鶴は「はい、有難きお言葉。謹んでお受けいたします」と返事をした。こうして照桂院とのお目通りが無事に終わった。千鶴には小さな部屋が与えられ、持って来た荷物の他に、袷、打掛、綿入の羽織、そのほかの細々とした身の回りの品が用意された。夕方早くに、湯が沸いたからと女中に呼ばれて、ほぼひと月ぶりに風呂に入った。生き返るような気がした。湯から上がると髪を簡易に結ってまとめた。このような恰好をしたのは、いつの事だろう。京の屯所に暮らした夏。もう、一年以上も前になるのか……。
その日は、夕餉の後に若年寄格表使の大野瀬山、御側格表使の根津安尾に呼ばれて、翌日から照姫のお世話を手伝うようにとお達しがあった。千鶴は、心からこの処遇に感謝した。塩川に近いこの場所で、照桂院様のお世話をしながら斎藤さんを待つ。新選組預かりの身の上に、ここまで良くしてもらえる。出来る限り精一杯お世話をしよう。千鶴はそう決心した。
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会津山口隊宿所
斎藤たち山口隊の面々は、塩川代官所から五軒離れた本多和泉という菓子家が宿所となった。店舗の裏にある蔵の隣の六畳二間の部屋に隊士九名と一緒に寝泊まりする。毎朝、薩兵より箱飯が配られた。一汁一菜。鉄鍋が盆板の上に置かれ、そこに味噌汁が入っていた。隊士たちは、木の椀を持って自分で味噌汁をよそって席につき、全員で揃って食べた。
本多和泉は餅菓子を売る店で、早朝土蔵の向こうの母屋からもち米を蒸かす匂いが漂う。腰の大小を薩兵に渡した時も惨めな心持だったが、部屋でじっと座っていると空腹で身体から体温がどんどんと奪われていくのがやるせない。その上、なんとも言えぬいい匂いが部屋の中に充満し、口の中に唾が溜まりひもじさは頂点に達する。だが、決して餅が喰いたいとは口には出せない。これは拷問だった。
投降する前、会津新選組は会津藩より金子を支給されていた。行軍中は会津新選組証書を見せるだけで、会津藩領内であれば集落から食糧の供出を要請できた。だが証書は没収され、宿所としている本多家に食糧供出を頼むことができない。薩兵役人からは、近隣の農家や商店で食糧の買い出しをする許可は貰えた。部下たち九名の所帯。手元にある僅かな金子で細かくやり繰りする必要があった。斎藤は、帳簿を清水卯吉につけるように頼み、吉田俊太郎と池田七三郎に食糧調達を指示した。そして城下に待機中の家老の倉沢に宛てて、塩川宿所に物資を送ってもらうように文を書いた。
斎藤たちは食糧調達の為の外出を申し出て、午前中のみ宿の外に出ることが許された。部屋を暖めるための炭と玄米はなんとか入手出来た。早速母屋から臼を借り、米を挽いて自炊した。箱飯の支給は予想していた通り直ぐに途絶えたからだ。手持ちの金子も無くなり、炭も米も底をつきかけた頃、漸く家老の倉沢より謹慎所へ物資が届いた。
ひえ、麦、粟、蕎麦、炭、布団は人数分全て揃った。四日後に金子を使いの者が届けに行くという文を受け取り、斎藤は安堵した。これで飢えずに済む。隊士たちは、千鶴が行軍中に作っていた蕎麦の御焼きを作ろうと云って、さっそく蕎麦の実を臼で挽いて粉にした。取り掛かったのが朝で、口に入ったのはその日の夕方だった。だが、部屋で待機しているだけの隊士たちにとって、食事作りが唯一の仕事であり楽しみでもあった。寒さとひもじい状態は苦痛だが、長く野営をしていた斎藤達にとって、畳の上で布団に入って眠る生活は十分な骨休めとなった。
ある朝、起き出した隊士の一人が裏庭で斎藤が立っている姿を目にした。長着に襟巻を付けた姿は京の屯所に居た時を思わせる。背中を向けて立つ斎藤は、両手で手拭の端を持って、剣を降り降ろすように素振りを始めた。ひゅん、ひゅんと空気を切る音がしている。何度も何度も繰り返す。その構えと気迫。吐く息は白く、霜がおりた庭の土に草履で踏みしめた跡が幾重にも出来ていた。起き出した隊士たちが顔を洗って同じように素振りを始めた。裏庭に朝日が射してくるまで素振りの稽古は続き、隊士たちは上気した表情で笑い合った。
素振り稽古後の一菜一汁の朝餉。午前中は食糧と物資の調達の為に歩き、午後は室内で待機する。紙が手に入ると、斎藤は文を書いた。十日おきに城下から会津藩の使いが来る、その時に千鶴に宛てた文を託けた。千鶴からも文が届き、互いの無事を確認出来た。会津藩役人の持ち寄る文は全て検問を通ってから届く。己から差し出す書状も全てそうだと察した斎藤は、出来る限り簡潔に返信を書くように心掛けた。
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明治元年十一月
妙国寺門番
妙国寺の朝は早い。大殿、守の殿、姫君は、暗い内に御堂で朝のお勤めを済ませてから朝餉をとる。陽が昇ると新政府軍の役人がやってきて、御堂の客間で軍政局のお達しを告げる。そこでは会津藩役人を交え、連日折衝交渉が行われた。会津藩の領地は全て新政府軍政局の占領下となり、毎日必要な書状への記名押印など大量の事務方処理が必要だった。
千鶴は、照桂院の傍で書類の整理に追われていた。御堂の奥座敷には怪我を負った奥女中が伏せていて、千鶴は朝昼夕と怪我人の手当てをしている。その奥女中は照姫の傍に仕える者で、籠城中に敵の砲弾で火のついた座敷から照姫周りの調度と巻物を抱えて持ち運ぼうと火中に飛び込んで行った。無事に荷物を運び出せたが、右頬から首、右手に酷い火傷を負い、一時は命も危うかったという。照姫は自ら怪我人を看病し続け、開城後も傍付の女中を青木村へ送る事を拒み妙国寺に連れて来た。千鶴は怪我人の世話を全面的に任され、手当てに必要な薬や物資を書状にするように指示を受けた。
「薬売りが明日、こちらへ参ります」
城下に詰める会津藩役人からの言伝が、寺内で女中から女中に伝えられていく。千鶴は、薬草が手に入ると聞いて安堵した。十日前に降った雪は、そのまま根雪になったように寺の境内を覆っている。千鶴は冷たい井戸の水で晒しを洗った後、真っ赤になった掌に息をかけて温めた。塩川の斎藤さんは、この寒さの中無事にお過ごしだろうか。身の回りの世話をする人が居るのだろうか。隊士さんもお元気だと文には書かれてあったけれど、ここの様に毎日軍政局の役人が見張りに立つのだろうか。
千鶴は、寺での生活の事を紙と時間の許す限り書いて差し出した。「まだ目通りは叶っていませんが、大殿様も守の殿様もご壮健にいらっしゃいます」と藩主の様子を報せ、城から持ち運ばれた荷物や書状、書物の整理に忙しいと書いた。軍政局の役人のお達しでは、年内は妙国寺にて待機と知らされている。千鶴は新政府軍の御沙汰がどのようなものになるのか、耳をそばだてるように様子を伺っていた。判った事は真っ先に塩川に待機する斎藤に知らせたい。そう思っていたが、自分の差し出す書状は、薩兵の門番が先に目を通すことは明らかだった。
いつも北の空を見ています。
文の最後にそう綴った。妙国寺から北に位置する塩川に繋がる空。互いに同じ空を眺めれば一緒に居る事と同じ。そんな願いを文にしたため、これを読んだ斎藤が空を見上げてくれるだろうと思った。
冷たい北風に身をすくめながら、また今日も外に出て空を見上げる。どんよりと曇った空に太陽の光の輪郭が見えた。その時、背後から物音がした。
激しい呻き声、荒い息遣い。千鶴は渡り廊下の下で誰かが蹲っている姿を見ると、雪の上を駆けていった。薩摩藩の紋の入った長羽織を着た男が四つん這いになって全身を震わせている。雪の上には吐しゃ物が一面に広がっていた。
「大丈夫ですか」
「な……んとも……あいも……はん」
男は地面の雪を掴み、口周りを拭うようにして顔を背けた。だが、直ぐに我慢できずに再び嘔吐した。千鶴は傍にしゃがみ男の背中をさすり続けた。酷く顔色が悪く、悪寒がしているのか、荒い息をしながら全身が酷く震えている。振り返ると、厠から雪の上に足跡が続いていた。千鶴は、男の嘔吐が一旦収まったところで、抱きかかえるように立ち上がらせ、渡り廊下の端に腰かけさせた。手拭で顔や手、濡れた着物を拭った千鶴は、「横になれる場所を用意します」と言って、門番の肩を抱えるようにして廊下の手前にある部屋で休ませた。布団を自分の部屋から運び、病人を寝かせると、晒し、手拭、お湯の張られた桶、嘔吐用の小さな桶、吸い飲みを用意して白湯を病人に飲ませた。
「もし、吐きたくなったら、ここに桶があります」
そう言って、手拭で覆った桶を枕元に置いた。「門衛さんに、具合が悪くなって横になっていることを知らせて来ます」と云って千鶴が部屋から出て行くのを、病人は意識が朦朧としながら耳にしていた。
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「病人は青木村に搬送いたす」
その日の夕方、門衛交代の際、渡り廊下の間で休んでいる病人を城下の病院に連れて行くと云って、薩兵が二人現れた。病人は依然嘔吐が続き発熱もしていた。北風と粉雪が舞う中を、急病人を移動させることは病状を悪化させるだけだと思った千鶴は、奥女中筆頭に面会し、病人をこのまま妙国寺に留めることが出来ないかと尋ねた。
「廊下の間の門番さんは、酷い嘔吐が続いています。熱もあるので感冒かもしれません」
「コロリの可能性もあります」
コロリと聞いて、奥女中たちは息を呑んで互いに顔を見合わせた。
「とにかく水を飲ませて、身体の毒を外に出す必要があります」
「廊下の間には、どなたも入らないようにしてください」
「重湯と白湯を。すみませんが、炭をいただけますでしょうか」
千鶴がお勝手で重湯を準備している間、薩兵たちが病人を運び出そうとしていた。それを見た女中が千鶴を呼びに走り、千鶴が駆け付けると、部屋の襖は開け放たれ、うめき声をあげる病人の肩と足を抱えた薩兵が中から出てきた。
「お待ちください」
「動かすには、容態が」
「どうか。このまま、せめて一晩ここでお世話をさせてください」
千鶴は、自分の羽織を脱いで病人の身体を覆い部屋に戻そうとした。薩兵の二人は千鶴の強い物言いに驚いた様子だった。その間も、病人は苦しそうにうめき声をあげている。仕方なく薩兵は男を抱え直して、廊下の間の中へ戻り布団に横にならせた。千鶴は、病人が発熱していると告げて、うつり病の可能性があるから皆に部屋の外に出るようにと促した。
廊下で再び薩兵が、青木村まで今日中に病人を運ぶことになっていると騒ぎ始めた。奥女中が取次に奥座敷へ走り公用人を呼んできた。騒然とする廊下で事の経緯を聞いた容保公側近家老の梶原兵馬は、「ご病人は移り病の可能性があるというのは、その方か」と千鶴に問うた。千鶴は「はい」と返事をして、発熱と嘔吐を繰り返す病人を青木村へ連れていけば、城下で病が広がる可能性があると答えた。
「相分かった」
「真に申し訳ござらぬが、ご病人はこちらで留め置く事をご承知願いたい。よろしいか」
梶原兵馬は若々しい風貌であるが、会津藩政務総監を務め軍政局との交渉役も担っている。
「我々謹慎蟄居の身なれども、ここ妙国寺にて発病した御政府役人を悪状のまま追い出すことは出来かねる」
「快方に向かうよう寺でお世話を致す」
深々と律儀に頭を下げる梶原に、強い態度をとっていた薩兵の二人は梶原の願い出を承諾し、そのまま城下に戻って行った。千鶴は、家老より改めて病人の看病を命じられた。
吐き戻し続ける病人に、千鶴は水飴と塩を混ぜたものを熱湯に溶かし、さらに白湯で薄めたものをこまめに飲ませ続けた。病人は腹を下している様子はなく、胃の痛みを訴え高熱も出ていることから、食あたりか、おそらく腹にくる感冒だろうと千鶴は判断した。部屋を火鉢で温めて、炭を入れた鉄鍋を布に包んだものを病人の足元に置いて温めた。
嘔吐が収まると、枇杷葉と生姜を煮出した薬湯、蓮根節と本葛を湯で溶いたものを交互に与えた。病人は、夜更けには荒かった息も落ち着き眠れているようだった。熱は徐々に下がり始め、三日目の朝には微熱になり、自分で身体を起こして厠にも行ける状態になった。
「あいがともしゃげもした」
千鶴が熱い湯で搾った手拭で背中を拭いて、着替えを手伝うと男は深く頭を下げて礼を言った。
「怪我ん手当てまでしてもれて」
男は自分の左腕を着物の上から擦りながら再び頭を下げた。左の腕の手首から肘にかけての刀傷。深い傷ではないが、包帯も巻かずに動かし続けていた様子で、傷口が開いたままになっていた。千鶴は患部に膏薬を塗って丁寧に包帯をして様子を見た。男の容態が良くなるにつれて、傷口も癒えてきた。
「腕の怪我は、もう暫くすれば包帯もとれるでしょう」
千鶴は男が布団に横になるのを手伝うと、「熱も下がって来ているので、あと一息です」と励ますように上布団を整えた。男は静かに頷くと申し訳なさそうに瞼を伏せる。妙国寺付きの門衛は全て薩兵だと千鶴は聞いていた。妙国寺に待機中の者は全て謹慎中の身柄、境内の中を自由に行き来することは許されてはいるが、門の外には一歩も出てはならない。山門には薩摩兵が常駐し常に見張られている。敵兵の監視下の生活は、薬草ひとつ入手するにも手間がかかり、藩主の松平容保公でさえも所望するものを口にすることは出来ない。厳しく見張る側と監視される側。ほんの少し前まで、銃や刀で戦った相手。憎くはないとは決して言えない。それでも、力ない病人が怪我まで負っているのであれば、介抱して当然だと千鶴は思っていた。そして、もし塩川で斎藤が病に倒れることがあれば、敵味方関係なく傍で世話をしてもらえる人間がいてくれる事を切に願った。
「廊下の間の病人は快方に向かっておると聞いた」
「雪村殿の御父上は幕府の番医師であられたと」
「奥に控える者に具合が悪い者がでるやもしれぬ。守の殿も大層心強く思っておいでだ」
家老の梶原兵馬と倉沢右兵衛は、門衛の看病をしている千鶴に労いの言葉を掛けた。千鶴が「病人は翌日には床上げも叶う」と報告し、梶原は軍政局に書状をしたためて、門衛役人が平癒に至ったと知らせた。その後、軍政局の役人が寺に訪れ、床上げをした門衛を引き取って帰って行った。
十一月も末の頃、千鶴は斎藤の文を受け取った。胸の懐に大切にしまい、大急ぎで用事を済ませて自室に戻った。
雪村千鶴殿
書状拝啓仕候其後ハ
面会を得ず千秋の思いに存候
折から貴女起居如何暮し候哉
伺度己事隊士一同も幸に至て
壮健に在候間安意下
候時下節角大切に自愛専一に祈候
山口二郎
右肩上がりの独特の文字、「千秋の思い」と書かれているのを見て胸が締め付けられた。逢いたい、斎藤さん。逢いたい。千鶴は何度も何度も文を読み返した。良かった。皆さんも無事に元気でいらして。千鶴は、紙と矢立を持って返事を書いた。
山口二郎様
文を有難く拝見しました。
此方も元気にしております。
塩川への外出の許可はまだ下りません。
一日千秋の思いは同じ。一刻も早くお逢いしたいです。
大殿様は先日お風邪を召されて伏せておられましたが、今は全快されています。
ご城下と塩川、猪苗代の宿所に定期的に薬売りが足を運んでいると、倉沢様から聞きました。妙国寺に来る薬売りに塩川の宿所へ文を届けて貰えるように頼んでみます。
何か必要なものはありませんか。雪が深くて、行商も寺までは来られないようです。
でも手元には、木綿白地と藍が一反ずつあります。下着を縫ったので送ります。
北風が強くて底冷えがします。どうかくれぐれもおいといください。
いつも北の空をみています。
雪村千鶴
この文を差し出した日、空はどんよりと鼠色の雲に覆われ再び雪が降り始めた。
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明治元年十二月
塩川代官所
早朝から建屋周りの雪掻きをした斎藤たちは遅めの食事をとっていた。
「山口殿はおられるか」
声のした建屋の外には軍政局の役人が立っていた。
「今より軍政局の告示が行われる。代表者のみ代官所までご足労願いたい」
礼儀正しく頭を下げる役人に、斎藤も「承知いたしました」と丁寧に応えた。いよいよか。斎藤は内心で思った。処分決定の沙汰が下る。ゆっくりと息を吐いて気持ちを落ち着けた。身仕舞を正し、革靴を履いて外に出た。代官所までは五軒の距離、街道周りには降伏兵の宿所が点在していて、通りには雪道を器用に急ぎ歩く野田進の姿が見えた。
「野田殿」
斎藤は野田を呼び止めた。ほぼ二か月振りに顔を合す。普段は宿所の部下と会津藩役人としか言葉を交わすことのない斎藤は、旧友に偶然出会ったような気分になった。野田は振り返って斎藤の顔を見ると笑顔で会釈した。
「無沙汰をしていました。部下から本多和泉におられると聞いています」
斎藤は頷いて、自分も時折外出は許されているが、野田殿と顔を合す機会がなかったと応えた。
「大殿と守の殿は江戸へ、『東京』へ移し変えになるそうです」
「領地は全てお取り上げ」
「我々は米沢か高田に行ぐことになるそうです」
野田は既に会津役人から軍政局の処分の内容を聞いたと早口で斎藤に教えた。米沢か高田に。領地没収。予想はしていたが、斎藤は処分の重さに愕然とした。何も返す言葉もなく、斎藤は静かに首を縦に振るしかなかった。
代官所では、元会津藩藩主松平容保公、藩主松平喜徳公が共に「東京」に連行され最終的処分まで謹慎することが決定したと伝えられた。会津領内から降伏兵は謹慎先に連行される。塩川宿所の者は全て高田藩へ年明けに移送。次の御沙汰が下るまで謹慎処分とする。
そこに集まった者は皆粛々と処分を受け入れた。誰も異議を唱えず、真っ直ぐと背筋を伸ばしたまま告示を発表した役人が下がる時に深々と頭を下げた。そして、其々が宿所に戻り処分を他の者たちに伝えた。本田和泉に待機する斎藤の部下たちは、斎藤が真剣な表情で伝えたのとは反対に、直ぐに足を崩して胡坐をかき「そうですか」とあっさりと答えただけだった。
「年明けに越後までって、雪の中を歩くんですかね」
「なんなら、雪草鞋でも用意しましょうか」
「用意すっべ」
「越後って翁羹がうまいよな」
「なんだ『おきなかん』って」「知らねえの? 江戸の神田で売っていた『越後高田の翁羹』って飴」
「俺の家の爺様の好物だ」
斎藤は、部下たちの話をきいて懐かしく昔食べた餅飴の事を思い出していた。
「もちもちした飴で。小さい頃、正月に食っていた」
「へええ、俺は江戸生まれだが知らん」
「美味そうだな」
「甘くて。腹もちがいい」
「越後高田か、ここより食い物が手に入るのかな」
「無理だろ。雪深いし」
「そうか……」
「寒いのは、堪えるな」
「ああ」
「……」
隊士達の中にも段々と雪深い越後への移動が現実味を帯びてきた。本格的に雪が積もる前に、宿所を脱出して仙台へ向かう事を考えていた部下たちは、御沙汰が下って完全にその機を逃したと思った。一方、斎藤は代官所を出た時に野田進と交した言葉を何度も思い返していた。
「会士として、最後まで己の義を通す」
「その覚悟で越後に向かいます」
「俺もそうです」
野田と代官所の前で別れる時に互いに眼を合せて決心しあった。
翌日には、家老の倉沢より正式なお達しの詳細が届いた。妙国寺に待機中の容保公、喜徳公が供廻りの者と十二月二十日に会津を出立し東京に向かう。妙国寺には、照姫と供付きの者だけが居残り残務処理に当たる。塩川で謹慎中の藩士は全員、年明けに越後高田の榊原家へのお預かりが決定したとあった。移動の費用は全て、榊原家の負担となる。雪道移動の準備に衣類や装備を用意する為、急ぎ必要な人数の申請をするように書状には書かれてあった。
それから斎藤と部下たちは、外出できる時間帯に食糧の確保に勤しんだ。其の年は戦火で耕作も広くは行われておらず、塩川一帯は不作の為に食糧は乏しかった。隊士たちと手分けをして、山麓の集落まで足を延ばす。他の宿所の降伏兵も食糧と物資の確保に奔走している様子で、外で出逢うと互いに入手した物資を分け合った。特に野田隊の隊士と斎藤の部下は懇意になっており、逢う場所を示し合わせて物々交換した。
師走の半ば、曇り空の朝に斎藤も物資確保の為に外出しようとしたところを玄関で薩兵に止められた。降伏兵が塩川謹慎所より脱走し城下で捉えられたという。直ぐに隊士たちは宿所に集められて点呼を取られ、その日は外出を禁じられた。数日後、部下の高田文二郎が野田隊の隊士から聞いた話を斎藤に報告した。
「朱雀隊士中三番隊の坂田利左衛門だそうです」
「城下での西軍兵士の分捕り横行は酷く、屋敷を荒らされ坂田殿の妻女が辱めを受けたと」
「坂田さんはそれを聞いて、西軍兵を討ちに独り城下に向かい、兵屋を襲撃したそうです」
城下はあらゆる建屋に「薩州分捕り」「長州分捕り」の立札が立てられ、駐屯兵は掠奪、婦女子への暴行などあらん限りの悪事を働いているという。城下の惨状は聞くに忍びない。斎藤は憤怒のあまり身体が震え、直ぐにでも城下へ坂田利左衛門の助太刀に向かいたいと思った。
「その日の内に打ち首に」
高田の言葉は更に追い打ちをかけた。なんという事だ。詮議もなしに、このような事が。部屋の中にいた者は皆怒りに狂った。領地を取り上げられるばかりか、領民が屈辱を受けるなど許される筈もなかろう。だが、西軍兵に刀を向けたのは坂田利左衛門だけではなく、他に何人も居て、既に捉えられ戮されているという。斎藤は千鶴の身を案じた。滝沢村の妙国寺は城下からは離れた場所にある。だが、藩主の守の殿が移送になったとあれば、残る照姫の供廻りは婦女子だけになり護衛は手薄になるのではなかろうか。隙に乗じて薩兵や長州兵が妙国寺を襲うならば、どんな事をしてでも千鶴を助けに向かいたい。
斎藤は焦燥の念に囚われ、その日から一段と無口になった。隊士達はそんな様子の斎藤を見て、ただ黙々と物資確保に励んだ。そして、如何なる時でも、仮に隊長の斎藤が立ち上がり宿所破りをするというのなら、絶対に己も付いて行こうと決心していた。
*****
路傍の石
斎藤が千鶴の身を案じていた頃、千鶴には寺の誰にも知られていない秘密があった。
妙国寺に行商人が定期的にやって来る。小さな老婆で、城南本郷から乾物や身の回りに必要なものを行李に詰めたものを背負い雪の中を歩いてきた。行商人は通行証を持っているらしく、街道を自由に行き来し妙国寺の山門も難なく通って境内に入ってくる。千鶴はこの老婆から、病人や怪我人の手当てに必要な野草や根菜、晒しや布を入手していた。ある日、いつも決まった時間に現れていた老婆がなかなか姿を見せなかった。千鶴は山門まで様子を見に行った。
その日の門番は、いつかの嘔吐で倒れた男だった。千鶴の姿を見ると、自分から深く頭を下げて挨拶した。千鶴は、元気そうな様子の男に「良くなられたのですね。良かったです」と話しかけた。男は、千鶴の用向きを理解すると、山門から通りを見通せる場所まで雪の中を歩いて行き「誰も来る様子はありもはん」と千鶴に知らせた。千鶴は礼を言って、引き返そうとしたが、男に呼び止められた。
「街道までお連れいたす」
千鶴は驚いた。山門の外へは決して出てはいけない。謹慎の身。それでも常に気持ちは塩川に飛んでいきたい想いでいっぱいだった。「こちらへ」と手招きされるままに、千鶴は山門をくぐって通りに出た。雪掻きされた道は、曇り空から漏れる太陽の光できらきらと光っている。前を歩く男の後をついて千鶴は少しずつゆっくりと前に進んで行った。妙国寺の周りは、低い木塀が続きその中は墓所のようだった。雪に覆われた大小の墓石が見える。傍には用水路の中を通る水流の音が聞こえていた。自分の踏みしめる雪の音と、少し先を歩く門衛の背中をぼんやりと見ながら、千鶴はこのまま本当に街道まで歩いて出ることが叶うのかと不思議な心持がしていた。まるで夢の中にいるような。
道が途絶えて、その先に沢山の雪が両側に積み上げられた場所に出た。門衛は立ち止まって振り返った。
「ここが塩川への街道」
「荷車が辛うじて通れる」
そういう風なことを言っていると千鶴は理解出来た。辺りを見回しても、行商人どころか人っ子ひとり見えない。真っ白な雪に覆われた道は、その遠く向こうに見える集落につながり、その集落のうんと先に塩川がある。千鶴は今すぐにでも駆けて行きたかった。そして、そのまま寺には戻らずに、ずっと斎藤の傍に居られたらどんなにいいだろう。肩に掛けた綿入れを手繰り寄せて胸で合わせると、千鶴は心の中で叫んだ。
逢いたい。斎藤さん。
逢いたい。
「おいはここまでしかつれてくっこっができもはん。すみもはん」
千鶴が門衛の声に振り返ると、男は申し訳なさそうに頭を下げた。千鶴は全てを解した。門衛の病気が癒えて、役人が引き取りに来た日。最後に初めて門衛は己から名乗り、千鶴の名前を尋ねた。名乗る程の者ではないと千鶴は答えたが、男は真剣な表情で何度も頭を下げて何かを言っていた。千鶴は、男が「命の恩人の名前を知らないのは道理が通らない」というような事を言っているような気がした。「雪村千鶴です」と答えると、「雪村千鶴殿、ほんのこてあいがともしゃげもした」と深く頭を下げて礼を言った。薩摩言葉は、会津言葉と同じぐらい聞きなれない言葉だ。でも心は通じる。千鶴はそんな風に思った。
頭を下げる男に千鶴は街道まで連れて来てもらえて嬉しく思っていることを素直に伝えて礼を言った。そして、門番の任に背くような事をさせてしまって申し訳ないと謝った。男は申し訳なさそうにもう一度頭を下げると、元来た道を引き返した。千鶴は最後に振り返った時、偶然雪道に小石が埋まっているのが見えた。千鶴はしゃがんでその石を拾った。冷たい雪にまみれた小さな石。きっと荷車が通った時に、踏みしめらた雪の中から出てきたのだろう。千鶴はその冷たい石は、もしかすると斎藤が踏みしめたものかもしれないと思った。手の中の石は塩川に繋がる街道の石。
大切な路傍の石。
そんな風に思って、掌で温めるように握りしめて山門をくぐった。門番は、誰にも見つからない内に千鶴を境内に向かわせてくれた。それから半刻程して、行商の老婆が現れて必要なものを手に入れることが出来た。
千鶴は街道で拾った石を小さな巾着袋に入れて懐の中に大切にしまった。斎藤に逢いたい時には、胸に手を当てて石に祈った。斎藤に話しかけたい時は、石を掌に持って話し掛けた。どんなに離れていても、こうしていれば大丈夫。
その日以来、行商が来る日に必ず門衛は千鶴を山門の外に連れ出すようになった。
七日に一度。境内から歩いて街道に出る。たったそれだけの事だが、千鶴にとって斎藤に繋がる道に立つ時、全ての憂いや苦しいぐらいの恋しさを思い切り解き放つことが出来た。
必ず。
きっと逢える。
そう想っていられる。
どんなに離れていようとも。
****
千鶴の決心
十二月二十日、晴天。藩主松平喜徳公と松平容保公の出立の日。
長持三棹、両掛二荷に供廻り、切棒、駕籠に乗った藩主は、前後に薩摩兵の小隊と土佐藩の小隊に挟まれるように、行列を作って妙国寺を出立していった。一行は、これから十日余りをかけて今は「東京」と呼ばれる江戸へ向かう。
早朝からいそいそとお見送りの準備をしていた奥女中たちは、昼前に漸く腰を落ち着けることが出来た。御堂の奥座敷はがらんとした様子で、照姫は皆に夕餉まで自由に過ごすようにと言って自室で休んだ。千鶴は部屋に戻ると直ぐに文箱を出して、斎藤から届いた書状を読んだ。
越後高田藩榊原家にて謹慎蟄居の処分が下った。
年明けに高田へ向かう。
妙国寺で待っていて欲しい。
短い伝文。越後高田は雪深い郷だと聞いている。塩川にいる藩士の護送先。高田藩は早くに恭順した。会津藩とは友好的な関係で高田港に着く海産物などの行き来が盛んだったと奥女中の一人が教えてくれた。近隣の藩ならば、此処から決して遠くはない。
それなら私も高田に行きたい。
斎藤さんのお傍に。
千鶴は居ても立ってもいられない心持になった。部屋にある自分の荷物を見回した。少しの着替えと斎藤さんの刀二振り。これぐらいであれば、背負えば大丈夫。夏の頃の行軍をおもえば、充分に独りでも移動が叶うだろう。心を決めてしまえば早かった、物入から合切袋を取り出して、荷造りを始めた千鶴は浮足立つような気持ちで斎藤の愛刀を押し入れから取り出して抱きしめた。筒袖を出して衣文掛に吊るし、下着と陣羽織に綿を入れ直した。そして、下足室にそっと下りて行って自分の革靴を運び出した。部屋に持ち帰った革靴をぼろきれで何度も磨いておいた。さあ、これで準備は出来た。あとは出発すればいいだけ。
これよりずっと、千鶴はこの日の夢見心地で過ごした午後を何度も思い返すことになる。会津を出て越後高田まで行こうと決心した日。この決心は揺らぐことなく謹慎中の千鶴の心を支え励ますことになった。
藩主が東京に移り、妙国寺は照桂院の宿所とされた。軍政局との交渉の中で、松平照は抗戦の罪を問われることはないと大方決まっていた。だが、会津藩への最終的な処分が決定するまでは松平容保公同様、照姫にも東京での謹慎蟄居の命が下るだろうと千鶴は家老の倉沢より説明を受けた。
「照桂院様は冬越しをされたのち、東京への移し替えとなる」
「お預けの先は、おそらく御三家ゆかりの藩邸になるやも」
冬を越されたら東京へ……。千鶴は心の中で呟いた。そうなると私は妙国寺には居られなくなるのだろうか。
「我々共付きの者は照桂院様と一緒に東京へ行き、東京で御沙汰を待つ事になる」
「雪村殿は江戸に家があると聞いでおる。冬越しの後に我々と一緒に東京へ戻ることが叶う」
「あの、私は此処にいては行けないでしょうか」
「ここで……御沙汰を待つことは出来ないのでしょうか」
「此処、妙国寺に居たいと申されるか?」
「はい、越後高田での謹慎蟄居を命じられた方々は」
「藩士たちは榊原家でのお預かりとなる」
「榊原様は松平家への処遇を憂いでおられると聞く。決して悪い様に取り計られることはないだろう」
「ご安心くだされ」
「塩川から越後高田へ護送される藩士は百二名。皆家人を城下に残して行ぐ」
「次の春。夏、秋になる頃には、処遇が決まる。それまで此処で待機したいと申されるなら、そのように取り計ろう」
千鶴は妙国寺で待機する事が出来ると聞いて安堵した。江戸の家の事は、随分と前に戻らずにいようと覚悟を決めていた。倉沢の話では、越後高田へ護送になる藩士の家族が城下に沢山待機しているということだった。きっと自分と同じように謹慎先へ向かう家人を想い待っているのだろう。
「倉沢様、塩川へ面会に出向くことは可能でしょうか」
「山口隊は年明けに越後高田へ向かうと……」
「その前にせめて」
倉沢は何も言わずに瞳を伏せるように何度も頷いた。塩川宿所の脱走兵が城下で捉えられ打ち首になった事件から、降伏兵への処遇は厳しいものになった。城下で行き来が比較的自由な町民、農民たちとは違い、藩士の家族は監視下にある。倉沢は、翌日に軍政局役人との交渉で、妙国寺待機中の者が塩川宿所に出向く事を軍政局に掛け合ったが、その場では返事はなく、結局回答が得られないまま新年を迎えることになった。
千鶴は、綿入れの背当てを斎藤の為に縫ったものを風呂敷に包んで、いつでも持っていけるように準備していた。正月の二日目の午後、寺の山門をくぐる軍政局役人の姿が見えた。間もなく、御堂の広間に来るようにと言われ向かうと、照桂院と奥女中が全員座っていた。軍政局の役人が読み上げる書状は、
来る一月九日。塩川宿待機中の降伏先隊、中隊、第一、第二隊会津藩士は越後高田藩に赴く。高田藩榊原家のお預かりとなり謹慎蟄居の処分とする、とあった。
出立まであと数日しかない。この雪の中を移動される。千鶴は峠超えをする一行の道行を思った。夏の行軍とは違う。積雪の中は凍えるように寒いだろう。せめて、新しく縫った下着と靴足袋を渡すことが出来れば。
役人からは、妙国寺における謹慎生活はこのまま春まで続くと告げられた。照桂院は役人に対し告示に足を運んだ事への礼を述べて頭を下げた。供廻りの者、部屋に座する者は全てそれに倣って頭を下げた。軍政局の役人が退出し、千鶴たちも広間から出て部屋に戻るようにと告げられた。千鶴は部屋で斎藤に文をしたためた。
山口二郎様
御変りはありませんか。
私は元気にしています。
越後高田への出立までに一目お逢いしたいです。
下着と靴足袋をお届けします。
雪村千鶴
家老の倉沢に会えたのは、その日の夕方だった。塩川の斎藤に面会が叶うかと問い合わせたが、倉沢は暗い表情で「城下に待機する藩士の家族も面会を申し出ているが、軍政局からは許可が下りていない」という。千鶴は「せめて、下着の替えを届けることだけでも」と頼んだが、「藩士の身の回り品は取りまとめてお送りしよう」と倉沢は答え、いそいそと廊下を奥の間に向かって歩いて行った。
それから正月三が日が明け、四日の朝に行商の老婆が妙国寺にやって来た。千鶴は、いつものように怪我人に必要なものを買い、老婆が山門の外へ出る時に一緒に後に続いた。門衛の男が道の先を歩いて行く。千鶴は決心をしていた。今日は街道をこのまま歩いて塩川に向かおう。胸に斎藤の下着と手紙を入れた風呂敷包みを抱きしめるように持って、千鶴は凍った道を踏みしめた。
いつもの街道との曲がり角に出た時、老婆は城下に向かって歩いて行った。千鶴は、老婆が向かった方向とは反対の塩川方面へ一歩踏み出した。門衛の男は、どんどんと道を進む千鶴の背中を見ていたが、急ぎ足で追いかけて来た。千鶴は無言で歩き続けた。下りの勾配は、気を付けなければ足を滑らせる。しゃがむような態勢で、道に出来た轍に足を嵌め込むようにしてみた。旅草鞋を履いた足先は凍えるように冷たい。それでも千鶴は前に進み続けた。門衛の男が千鶴に追いつき、千鶴の腕を引いた。振り返った千鶴は、抵抗するように腕を振り払おうとしたが、男は「足を滑らせっ」と言って。千鶴を引き上げるように立たせた。
「塩川の宿所に行きます。どうか。どうかお見逃しを」
懇願するように頼む千鶴に男は頷くと前を向いて歩き始めた。千鶴は風呂敷包を抱えたままゆっくりゆっくりと前へ進んだ。男は確かな足取りで坂を下っていく。一歩一歩、雪を踏みしめる音と男の吐く息の音だけが聞こえる。千鶴は坂の向こうに見える集落に続く道を見ていた。街道は雪掻きがされている。このまま道なりに進んで行こう。
一刻程歩いたところで門衛は集落の中に入って行き、一番近い民家の玄関の戸を叩いた。中から町人が出て来て、門衛は何か交渉をした様子だった。千鶴は門衛の手招きで民家の玄関の中に入り、上り口に腰かける事が出来た。白湯が入った湯飲みが差し出され、千鶴は有難く喉を潤した。門衛は身振り手振りで土間に居た別の男に雪草鞋を用意するように頼むと、千鶴に一揃いの小さな履物が土間に並べられた。藁で編まれた雪草鞋は、千鶴の足を踝の上まですっぽりと覆い温かい。男は「底が二重敷で藁が詰めて編んであるから歩きやすい」と説明した。千鶴は重々に礼を言って、荷物を持つと再び街道に出て塩川へ下って行った。
「これより先は塩川宿所。検問を通ってお連れいたす」
大橋の詰め所を過ぎたところで、門衛は千鶴に振り返り付いてくるようにと大木戸に向かって歩いて行った。既に陽は頭上にあり、妙国寺を出てから数刻が経っていることがわかった。門衛は妙国寺より表遣いの用で本多和泉に出向いたと検問所で伝えると、会津藩奥女中の使いだと身分証を掲示した。検問の役人が千鶴を見詰めた時、千鶴は心の臓が緊張で止まるのではないかと思った。役人は「通ってよか」と門衛と千鶴に言うと、証書を丁寧に畳んで千鶴に渡した。門衛は雪掻きがされた道をどんどんと前に進んで行く。通りに立つ別の役人に、「本多和泉ちゅう家はどけあっかご存知か」と尋ねると、代官所から数軒先にある店だと教えられた。
斎藤さん、斎藤さん。
千鶴は宙を駆ける勢いで向かった。立派な店構えの中に駆け込むと、「ごめん下さい」と大きな声で店番に声を掛けた。
「こちらが会津山口隊宿所だと聞いて参りました。私、雪村千鶴と申す者。どうかこちらにお世話になっている山口二郎にお通し願えますでしょうか」
千鶴の淀みない声が店先に響いた。店番は、「はあ」と溜息をつくような声で返事をすると、急ぎ店の奥に走って行った。暫くすると、別の女主人が出て来て、千鶴を店の勝手口へ案内し、暗い土間を通って一旦母屋の裏に出て行った。雪掻きがされている通路を通ると、蔵の傍にある小屋の玄関の軒先に連れて行かれた。
「お客様だ」
ガタガタと小屋の木戸を叩くようにして、女主人は中に声を掛けた。暫くすると、木戸が開いて中から誰かが顔を出した。
「山口二郎さんにお客様だ」
女主人は千鶴を通すと踵を返すように来た道を母屋に向かって帰って行った。木戸がガラガラと音をたてて開けられ、中から吉田俊太郎が出てきた。
「雪村君、雪村くんか」
千鶴が笑って頭を下げるのを、吉田は木戸の中に招き入れて大声で叫んだ。
「おい、雪村くんだ」
「雪村くんが来たぞ」
吉田は部屋の中に呼びかけた。バタバタっという音がして、中から次々に隊士達が顔を出した。隊士たちは、ざんばらな髪で無精ひげを伸ばし、頬が少しこけて目が大きくなったように見える。それでも満面の笑顔で千鶴に「よく来た。城下から歩いてきたのか」と千鶴の足元を見て驚いていた。斎藤を探したが部屋の奥に居るのか、取り囲まれた隊士達を眺めながら千鶴は「斎藤さんは」と訊ねた。
「生憎、隊長は今出かけていて。たぶん野田隊の宿所に」
「出立の為の物資の届け出を出しに行くって言ってなかったか」
「お戻りは?」
「すぐに戻ってくんだろ」
「それより中へ入った。狭いところだが、此処が俺等の屯所だ」
隊士達の声は明るい。千鶴は、直ぐに妙国寺に戻らなければならないからと部屋に上がることを断った。持ってきた風呂敷包みを吉田に預けると。
「どうか、斎藤さんにこれを。雪解けに私も越後高田へ行きますと伝えてください」
「皆さん、どうかくれぐれもお元気で」
千鶴は隊士達に別れを告げて、玄関の外に出た。そして軒先から落ちる雪水を除けるように、一歩前へ出た。その時だった。
「千鶴か」
目の前に立っていたのは、長着に黒羽織姿の斎藤だった。足元に草履下駄を履き、千鶴が送った藍の足袋、襟元にはいつものように白い襟巻を巻いて、髪は長く伸びたまま。驚いたように目を見開いている。千鶴は斎藤の腕に飛び込んで行った。斎藤に強く抱きしめられて、今までの不安も憂いも全てが消えていく。斎藤さん、斎藤さん。何度呼んでも呼び足りない。
「部屋へ」
優しく千鶴の髪を撫でながら、斎藤はすすり泣く千鶴をなだめるようにそっと囁いた。千鶴は首を横に振った。もう戻らなければならない。でもこうして一目逢えた。
「もう行かなくてはなりません。斎藤さん、どうか。雪解けが……春が来たら……私も高田に行きたい」
「お傍に行きたい」
顔を上げた千鶴は両の眼から涙を零した。
「妙国寺で、安全な場所で待っていてくれ」
「身の振り方が決まったら、必ず会いに行く」
「それまで」
斎藤は千鶴を強く抱きしめることしか出来ない。斎藤さん、このままずっと。こうしていたい。温かくて大きな胸に縋り付くように千鶴はじっとしていた。
「着替えの下着と足袋を持って来ました。吉田さんに預けてあります」
「ありがとう」
涙に濡れた顔を上げた千鶴は笑顔を作ろうとしていた。千鶴の髪にはいつの間にか空から舞い降りた雪が付いている。斎藤は、そっと髪を撫でて雪をはらった。この雪空の中を、滝沢村まで帰る千鶴の足元が心配だ。斎藤がそう言うと、千鶴は「大丈夫です」と言って笑顔を見せた。名残惜しい気持ちを互いに押し殺し、斎藤は千鶴の手を引いて廂の中に庇うように母屋に向かって歩いて行った。
母屋の廂の下で再び二人で向かいあった。斎藤は自分の襟巻を取ると、千鶴の髪を囲うようにそっと掛けた。ふんわりと香る斎藤さんの匂い。優しい大好きなかをり。千鶴は微笑んだ。
「気を付けて帰れ」
「はい」
——必ず、生きて会おう。
二人は心の中で誓い合うように頷いた。そんな二人を母屋から道を隔てた向かいの建屋の前で門衛が見守っていた。大木戸の傍に荷車が移動する音がした。門衛が通りに出ると、千鶴はもう一度斎藤の方を見て頷き、通りを大木戸に向かって歩いた。道に出来た轍の間を千鶴が慎重に歩き、その先を門衛が歩いて行く。大木戸の傍で、千鶴が再び振り返った。斎藤は、千鶴に付きそうように歩く門衛に向かい、深々と頭を下げた。門衛も一旦立ち止まって姿勢を正すと、深く頭を下げた。千鶴は、大木戸を通って街道に向かって歩いて行った。粉雪が段々と強く降り始め、千鶴たちの後を追うように馬が荷車を引いて街道を会津に向かって歩いて行くのを斎藤はじっと立ったまま見詰め続けた。
*****
後日、千鶴の無断での塩川行きは奥女中表掛より家老に報告され、倉沢より厳重な注意を受けた。薩兵門衛にも軍政局から厳しい処分が下ったことから、照姫の耳にも千鶴が塩川宿所に向かった事が届き、千鶴は奥座敷に呼び出された。
「そなたは、越後へ移送になった者と添うておると。それは真か」
添う。千鶴はその言葉に驚いた。千鶴は否定も肯定も出来ずにいた。
「命の尽きる最後まで、お傍に居たいと思っています」
「その方達が会津入りした折、そなたの身柄身辺の保障をするよう願い出た者が居ったと聞いておる」
「新選組隊長の山口殿、幕府軍総督土方歳三殿。大殿に両名より書状が出されておる」
「書状なくとも、そなたはわらわの供廻りとして身辺は守られる」
「されど、ここを離れて越後へ向かったとて、御沙汰によっては路頭に迷う事になろう」
「今しばらく、此処で辛抱願えまいか。領内であれば、そなたの身は安全」
「それを忘れずにおくよう」
千鶴は改めて照桂院の手厚い保護に感謝の意を伝えると、軍政局の御沙汰が下りるまで領内にとどまり謹慎中の者を待っていたいと己の決心を明確にした。
「苦しうない。城下にはそなたと同じ思いで家人を持つ者がおる。わらわが東京へ預け替えになる時には、その者たちと平穏に此処で待機できるよう取り計らう」
「心配せずともよい」
ずっと畳に頭を付けたまま、千鶴は照桂院の有難い言葉を聞いていた。部屋を下がるように言われて、千鶴は自室に戻った。
この日の面談以来、照姫は千鶴を奥座敷へ呼び、城内より持ち込んだ様々な書物、巻物の目録作成、藩政に関わる業務日誌の書写を命じた。そして、じっと座ったままの千鶴に、身体を動かせと言って、薙刀の稽古をつけるようになった。早朝に行われる稽古は、御堂の大広間で奥女中全員で鍛錬する。雪が踏み固められた庭先で素振りをすることもあった。千鶴は稽古の間、全てを忘れひたすら薙刀を振るうことに没頭した。終わった後の清々しさは、何にも代えがたく、図書方の膨大な作業も厭わなくなった。
照桂院は時に奥女中や下々の者を座敷に集め、「かるたとり」や「歌詠み」を催して気晴らしをさせることもあった。遊びで点数を勝ち得た者には、城から持ち出せた珍しい舶来の布地の焦げ付いた部分を綺麗に切り離して畳んだ物を褒美として取らせ、千鶴は天竺織の美しい緞子の端切れを賜った。千鶴がずっと後になって、会津での謹慎生活を振り返る時、照桂院との濃密な時間を懐かしく楽しく思い出すことになる。どのような状況においても、誇り高く、物事の明るい方に目を向ける照姫を千鶴は生涯尊敬するようになった。
膨大な書写の作業は重労働であったが、会津に所縁のなかった千鶴にとって、会士の心に触れ、その藩史を知る事は新鮮な悦びで、日々夢中になって取り掛かった。濃密な時間。雪に覆われた境内での厳しい監視付の生活は、さもすれば鬱屈としたものとなったであろう。
*****
終章
明治二年九月
妙国寺に東京から倉沢右衛門がひと月ぶりに現れた。
寺内に待機する藩士の家人全てが集められ、太政官へ申請中の松平家存続願いが聞き届けられるだろうと知らされた。部屋に居た皆が喜びの声を上げた。更に越後高田藩でお預かりとなっている藩士の身は守られ、近く謹慎蟄居の命も解かれると報せがあった。千鶴は涙を流して喜んだ。
越後高田へ、今すぐにでも飛んで会いに行きたい。
千鶴は、妙国寺に待機中の藩士の家族と共に高田への移動の許可が下りるのを待った。十月が過ぎ、寒さが厳しくなった頃、勅旨によって陸奥国に新たに立藩することが決まったと報せがあった。そして、越後高田で謹慎中の藩士は全員新藩に引き渡される事が決定した。
「となみ藩、斗南……。新しい藩名……」
十一月に妙国寺に書状が届き、新しい藩名を知らされた。同時に妙国寺に待機中の者は、高田藩領へ向かい、謹慎蟄居が解かれた藩士たちとの合流許可が下りた。千鶴は、越後高田への旅路の準備をし物資の確保に必死になった。遠い斗南の地へ移る為の準備。長持、行李、木箱に書物や当面の食糧を詰め込んで行く。そして、越後での冬越しの為に斎藤達に綿入れや裏打ちの足袋を沢山縫って作った。
塩川宿での別れからほぼ一年。やっとお逢い出来る。
千鶴は懐から小さな巾着を取り出し、中の石を掌に包むようにして胸にあてた。街道の石。これから向かいます、斎藤さん。千鶴は両目を閉じて越後に居る斎藤を想った。斎藤が塩川を出立してから数日後に藩役人から届けられた文。今までで一番長く細かく書かれたものを文箱から取り出した。細かい字でびっしりと紙に書かれた文字。愛おしい人の筆跡。
今は全てを諳んじていられる。その文の言葉のひとつひとつを千鶴は一生の宝として心に刻みつけた。
雪村千鶴殿
無事に妙国寺に辿りつくことを願っている。
吉田より文と肌着を受け取った。有難う。
今日は紙が手に入った。
この文を出立前に御役人に預けようと思っている。
其方への感謝は千言万語を費やしても伝えることができない。
心より感謝している。
いつも北の空を見ていると其方が書いていたように。
いつも空を、同じ空を眺めている。
振り返れば、ずっと暗闇の中を生きて来た気がする。
其方が己の選択を決して見苦しいと思わないと云った時。
たとえ暗闇の中にいても見失わないものがあると思えた。
千鶴、そなたは己の生きる道を照らす光だ。
いつか見た、お前の瞳の中の空を。
二人で見上げた空を。明るい光を決して忘れてはおらぬ。
人として己にまだ心があるのなら
最後までお前の光を己の希望として持っていたい。
迷う事はない。だから安心してほしい。
いつも空を見ている。お前の光を。
必ず、生きて逢おう。
それまでどうか息災に壮健でいることを祈っている。
山口二郎