ブログ【どこまで本気かはわからない】斎藤さんの署名

ブログ【どこまで本気かはわからない】斎藤さんの署名

こんにちは。サイトにお越しいただき有難うございます。
トップ画像は、戊辰戦争時に斎藤さんが率いた新選組名簿です(誰の手跡なのかは不明)
先日「濁りなき心に」をリライトしながら、ぼんやりと考えていた事をブログに書きます。

ゲーム「天雲ノ抄」と「月影ノ抄」の内容に触れるので、ネタバレが嫌な方は読まないでください。

天雲ノ抄で描かれた永倉新八と近藤勇の確執。近藤さんに不満を感じた新八さんは会津藩主松平容保公宛に建白書をしたためて直接黒谷に出向き提出しました。これは史料によると、禁門の変後の出来事です。新選組隊士(の一部)が近藤さんの増長ぶりに腹を立て上位組織に訴えました。騒動を知った容保公が藩邸の別室に近藤さんと土方さんを呼んで待機させておき、永倉さんたちから直接話を聞いたあと、お酒の席を設けて和解させ矛を収めたそうです。藩主にそこまでさせる新選組は、とても頼りになる隊だったのでしょう。

この建白書に斎藤さんと左之助さんが名を列ねました。署名は隊士六名。ゲーム内でも斎藤さんが署名しています。この件について、後年永倉新八の「顛末記」に回想が綴られています。歎願を通す為に切腹してもいいと意気込んでいたようです。(なので、これは本気で署名した件としてカウントします)

ゲームでは触れられていませんが、署名隊士たちは、それぞれ減給などの処分があったようです。建白書に署名した隊士の内、丹波篠山出身の葛山武八郎が翌月の9月6日に切腹しました。葛山は池田屋事件でも活躍した隊士です。理由は明らかにされていない処分で、近藤さん批判の責任を負わされての切腹と考えられています。(こういったところ、新選組は格下隊士の扱いが酷い)葛山武八郎のお墓は壬生寺にあります。

この件以外では、新選組がまだ浪士集まりだった頃にも、近藤さんが天狗になっていると不満を訴えた訴状を京都守護職に提出する騒動がありました。これには土方さんや沖田さんも連名で出していて、斎藤一の名前もあります。近藤さんへの不満は日常的に隊士の中にあったのでしょう(これも斎藤さんの署名は本気と考えられます)。

近藤さんへの不満というのは、薄桜鬼の話の中では、沖田総司と斎藤一からはあまり出てこないイメージです。総司くんは近藤さんのことが大好きという設定なので、不満を上位組織に訴えるということは考えにくい。斎藤さんもしかりです。でも実際、近藤勇の思想転換や態度の変化は頻繁に起きて、それによって組織としての新選組も変化しています。近藤さんを含め、幹部メンバーそれぞれの考え方や生き方の方向性が微妙に噛み合わないことが日常的にあったのでしょう。あと、薄桜鬼の試衛館派隊士グループの強い繋がり以外の、弁の立つ知性派伊東甲子太郎や武田観柳斎、谷三十郎を重用するような部分が近藤さんにあったのは確かです。

話を斎藤さんに戻します。

斎藤さんは、間者として御陵衛士に参じますが、幕閣に提出した尊王思想の強い訴え状に幹部として、伊東さんの隣に署名しています。三木三郎を差し置いて、高台寺派のナンバーツーぐらいの立ち位置。思想的に信奉していると装っての署名だとしたら、大層恐ろしい。署名は、かなり重い意味合いがあるのに、斎藤さんはちゃっちゃと名前を書いて出しています(これは嘘の署名、本気を装っての件)

天雲で、署名したことで責任を問われれば、切腹も致し方ないだろうと斎藤さんは言っています。ゲームでは斎藤さんの生真面目で武士らしい一面として描かれていて、そういった覚悟をしている斎藤さんの事を永倉さんが感心していました。「腹を切ってでも訴える」、「切腹して責任をとる」というのは、武士独特の風習です。武士の身の処し方として、一種の儀礼でもあり美徳とされていて、自刃というのは武士の精神性を表す部分。

薄桜鬼では、こういった武士の死生観みたいなものが、比較的よく描かれています(あくまでも現代人価値観や視点で)。変若水を飲む事もそうですが、日常的に斬りあいがあり、立場や行動の責任をとる方法として切腹があって、斎藤さんは幹部隊士の中でも覚悟は出来ている様子、そういった生真面目な部分が斎藤さんらしさ武士らしさを醸しています。

高台寺派と行動を共にしている時の署名は、間者として立場を装ったもの。それでも、もし何かがあれば、切腹も致し方ない状況であったと考えられます。嘆願書や建白書のような書状へ名を列ねることは、現在の感覚以上に重い意味合いがあります。斎藤一は決死の覚悟で間者働きをしていたのだろうなと思います。これが映画なら、極めて優秀な潜入捜査官といったところでしょうか。

さっき書いた自刃して責任を全うする、武士独特の風習。武士が恥とする事柄も、現代人の私たちから見ると、なかなか理解するのは難しいかもしれません。それがよく表れているのが、月影ノ抄で取り上げられた「明保野亭事件」です。土方さんルートの途中斎藤さんもよく出て来る場面が多くて、なかなか緊迫感と暗さの漂うエピソードです。

次のブログでは土佐藩と会津藩のトラブルに発展してしまったこの事件について書きます。

コメントは受け付けていません。
テキストのコピーはできません。