相部屋

相部屋

戊辰一八六八 その20

慶応四年七月

 長沼の基地で休陣していた新選組は、福良の伝習隊第一大隊から帰陣命令を受けた。兵糧掛の内田は長沼から東へ半刻の距離にある松山城跡に布陣する会津軍原田隊より食糧の支給を受けて戻り、斎藤は隊を整えると日没とともに長沼を出立した。

 勢至堂峠までは間道を通り、三代宿に辿り着いたのは亥の刻。街道周辺の家屋はすでに空き家で住民は山間部へ避難しているようだった。斎藤は、崖下の基地まで隊を移動させ野営することにした。負傷者の三名は峠越えで疲労が限界に達していた。険しい崖口を移動した怪我人を千鶴が暗がりで懸命に手当てしている。

 兵糧掛が米を炊くと、千鶴が加わって手際よく握り飯を作り始めた。あっという間に竹の平笊に山のようにおむすびが積まれ、内田と千鶴が急ぎ配って歩いた。丸一日、何も食べていなかった隊士たちは、貪るように飯を頬張った。陣営が落ち着いたのは丑三つ。辺りには虫の声だけが聞こえる。火を消した途端、空気がひんやりと冷たく感じる。皆が暖をとるように折り重なるように眠り始めた。千鶴は負傷者に筵を掛けて、その傍に膝を抱えて座った。林の向こうの暗がりに斎藤の背中が消えるのを見た千鶴は、後を追いかけようと立ち上がった。眠っている隊士たちを跨ぐように超えて、林に向かおうとしたところを、「雪村くん」と誰かから呼び止められた。

「陣から出てはいけない」
「この辺りは罠が沢山仕掛けられている」
「隊長なら大丈夫だ。我々より夜目が効いておられる」

 千鶴が振り返ると、声の主は千田兵衛と器械方の高田だった。千鶴は「はい」と返事をして負傷兵の傍まで戻ると、そこでじっと斎藤の帰りを待った。林の向こうは漆黒の闇。斎藤さんは見廻りに行かれているのだろうか。さっきも、殆ど何も食べていらっしゃらなかった。日中もずっと起きたまま。斥候隊と一緒に偵察に出られて……。

 千鶴は陣内に眠る隊士達を見回した。三十二名の隊。敗走中、誰一人欠ける事無く無事にここまで辿り着いた。福良本陣に伝令が戻る時、人馬の手配を頼んだ。明日には負傷者を福良の千手院に入院させることが出来るだろう。必ず、本陣まで皆と戻ろう。千鶴はそう決心した。

 斎藤が陣に戻ったのは、明け四つ。千鶴は膝を抱えたまま眠っていた。斎藤は千鶴の隣に腰かけた。眠る千鶴の頬には、煤がついたままだった。斎藤は右手の手袋をとって、指の背で千鶴の頬の汚れを拭ってやった。静かな寝息をたてたまま、千鶴はぐっすりと眠っている。

 斎藤は千鶴の肩をそっと抱き寄せると膝に抱えるように横にならせた。温かい。なんとか本陣まで戻ることが叶いそうだ。斎藤は膝の上の千鶴のぬくもりを感じて、ようやく休息する気持ちになってきた。

 山間から本道まで、敵が潜んでいる様子は見当たらない。明け六つまで伝令を待とう。

 朝靄が立ち始めた中で、斎藤は静かに目を瞑った。

 

 

******

福良本陣

 斎藤が率いる新選組三十二名が福良本陣に辿り着いたのは昼近く。陣屋の門から相馬主計と野村利三郎が飛び出すように出て来て、斎藤達を出迎えた。

「お疲れ様です」
「小隊が無事に、お戻りになられました」

 野村が陣屋の玄関の中に駆け込みながら大きな声で報告すると、陣屋の中から人夫が出て来て、斎藤達を案内し始めた。斎藤は、直ぐに奥の間に案内された。そこでは幕府軍総督の大鳥圭介と土方が待っていた。

「皆、よく戻った。ご苦労だった」

 土方は、奥の椅子に座ったまま微笑んでいた。少し日焼けした顔は、若松城下で面会した時に比べてずっと精悍で、新しい軍服の上着をきっちりと着て背筋をピンと伸ばし、腕を組んでいる。その隣に座る大鳥圭介は、対照的にくたびれた様子で軍服の襟締めを半分緩めたまま、袖を腕まくりしている。部屋の真ん中には大きな西洋机が置かれ、その上に猪苗代から郡山、会津までの広範囲の地図が広げられていた。斎藤と軍目の島田魁、久米部、副隊長の安富が席についた。皆が、土方が怪我から全快し、こうして陣に加わることを心から喜んだ。

「大鳥さんは、一刻程前に町守屋から戻ってきた」

「会軍は、須賀川の横手陣屋から郡山に向かう」

 大鳥が手に持った碁石と文鎮を地図の上に印をつけるように並べている。皆が陣営の位置を確かめるように地図に見入った。おもむろに土方の声が響いた。

「戻ったばかりで、すまねえが。新選組と幕府軍は、白河から撤退することに決まった」

 斎藤は、顔をあげて土方を見た。さっきまでの笑顔は立ち消えて、土方は厳しい表情をしている。須賀川での夜討ちを実行した伝習隊は、横田本陣の会津軍原田隊から「会津軍は郡山に移陣し、二本松の守備援軍に加わる」と伝令があったと報告した。

「白河は米沢軍、仙台軍にまかせた」
「新選組は伝習隊と一緒に郡山に向かう。隊が整い次第、出立する」

 斎藤は、福良から町守屋周辺の村落の場所を確認しながら、街道を郡山に向かう経路を確認した。その間に、羽太の山中で敗走中に分かれた新選組分隊が福良に到着したと報せを受けた。部下四十名、その内負傷者が二名。怪我人はすぐに千手院に送られて、千鶴が手当てにあたっているということだった。新選組隊士が全員無事に帰還できた。斎藤は安堵した。歩兵は敗走中に隊から逃走したのだろう。それはいたしかたない。

 軍議が一度中断されて、本陣広間に隊士が集まり、土方が前に立った。隊士達は土方の姿を見ただけで士気が上がり、復帰を大いに喜んだ。

「長い間、すまなかったな」
「ここで隊を整えて、西軍が浜側を攻めるのを止めなくてはならない」
「これから、城下より短銃五百丁が運ばれてくる」
「お前たちにそれを郡山まで運んで貰う、最新型の銃だ大いに奮戦して欲しい」

 皆が声を揃えて「はい」と返事をした。隊士たちは早速立ち上がり御用場へ移動し、それぞれの部屋に分散していった。戻った隊士達は決死の敗走で、ろくに眠ってもいない。それでも、ボロボロに汚れた隊服を勢いよく脱ぐと、下着姿で胡坐を掻いて、それぞれが自分の武器の手入れを始めた。御用場では風呂が炊かれ、隊士達は順に垢を落とし早めの夕餉の後に身体を休めた。斎藤は、軍議が一旦中断した時に、その足で本陣から千手院に向かった。

 薄暗い本堂の広間は、横たわる負傷者でぎっしりとなっている。千鶴は、回天隊の隊士に食事を与えていた。斎藤は、後続隊として帰還した新選組隊士を探して容態を確認した。怪我は敵兵からの攻撃を受けたものではなく、敗走中の怪我ということだった。後続隊は馬入峠を三日三晩走り続けたという。

「皆、よく戻った。土方さんが本陣におられる」
「我らは二本松へ向かうことになった」

 斎藤は養生してよく休めといって、怪我人の世話から手が離れた千鶴と本堂の外に出た。

「ご苦労だった」
「土方さんが本陣に待機しておられる」
「これから指揮をとられる。怪我も全快しているそうだ」

 境内を歩きながら話す斎藤の横顔は安らかで、千鶴は皆が無事に本陣に集まった事を実感した。良かった。本当に……。

「さっき住職に許可をもらって、弔い札を立てて貰った」

 斎藤は小さなお堂の裏にある小さな墓札の前に立った。線香が据えられていた。斎藤が手に持っていた竹水筒で水を手向けると、千鶴は、お堂の裏の草むらから花を摘んで、束にして墓の前にそっと置いた。二人でしゃがんで手を合わせた。

(羽太村の大助さま、どうか安らかに)

 斎藤は羽太の地頭が敗走中に更目木で敵兵に撃たれて絶命し、そのまま焼き討ちにあった事を会津軍に報告した。千鶴が黒沢村に大助の親戚が居る事を伝えると、会津藩から大助の親類縁者は手厚く処遇される、羽太村は必ず民が戻って暮らせるようになると言って千鶴を安心させた。

 そのまま二人で本陣に徒歩で戻った。夕風は涼しく夏が過ぎていくのを感じる。斎藤が軍議の最中に後続隊が無事に戻った事を千鶴に知らせた。千鶴は、皆の無事の帰還を喜んだ。そして、もう何日も斎藤と二人でこうして話をすることがなかったと思いながら、その穏やかな声の響きを聞いていた。

「鈴木たちは、鴉組の助けで、鶴生村に潜伏して難を逃れたそうだ」
「俺達が太平口を出た頃、ずっと西側を大回りして馬入にまわった。敵の進軍をかいくぐってのことだ」
「岸田と林は馬入の崖を滑落したときに足をやられた」
「皆諦めずによく戻ったものだ」

「会津軍から伝令で横田本陣から町守屋に移陣すると報せがあった。会義隊が原田隊の小隊に軍篇されておった」
「では、野田さん達は、ご無事なのですね」「ああ、会義隊は上小屋から横田本陣へ抜けたようだ」

 嬉しそうに話す斎藤の隣で、千鶴は移動経路図が手元になく、横田本陣がどこなのかもわからないままだった。

「会津軍と伝習隊は白河からこのまま引き揚げる」

 斎藤が前を見たままそう云うと、千鶴は一瞬足を止めた。引き揚げる。新選組は会津ご城下へ戻るのだろうか。

「土方さんは本陣をここに布くと云っておられる。怪我人を養生させながら、隊を整えていく」
「土方さんが武器の手配をしておいでだ」
「物資の補給で暫く忙しくなる」

「千手院の怪我人の世話を頼む。土方さんの身の回りの世話も必要だ」

 千鶴は、「わかりました」と応えた。本陣に着くと、相馬と野村が斎藤を探していた。二人は、軍議が始まるからと言って斎藤を奥の間に連れて行ってしまった。千鶴は、割り当てられた部屋に入った。そこは、六畳の大きな部屋で、隊士たちが雑魚寝をしていた。なんとか、行李から自分の着替えを見つけて、風呂に入ることが出来た。風呂場では、伝習隊の歩兵が脱衣所に乱入してきて、もう少しで肌を見られそうになった。慌てて、浴衣の前を合わせて廊下に出て部屋に戻った。濡れ髪で着替えもままならぬ千鶴の様子に、吉田俊太郎が気を利かせて、隊士たちを叩き起こして部屋の外に出て行った。千鶴は、急いで身仕舞を整えて部屋と自分の荷物を片付けた。

 

*****

 それから千鶴は、夕餉を独りで食べた。部屋に戻ると、他の隊士達は武器の手入れや身体を休めることを一番に考えているようで、横になる者もいれば、薬莢入れの掃除をしている者もいる。千鶴は、斎藤の為に薄暮の食事作りをした。そして、少しの間お勝手で横になった。夜になって、ようやく軍議を終えた土方に会った。

「無事でなによりだ」

 部屋に千鶴を招き入れた土方は、勢いよく上着を脱いで片胡坐をかいた。右足を前に伸ばしたまま庇うようにしている。元気な様子と、久しぶりに聞いた土方の声に安堵感からか目頭が熱くなった。

「なんだ、病人でも見るみてえに」

 目尻を指で拭いながら笑う千鶴に、「泣くな、泣くな」と苦笑いしている。千鶴は、大きく首を縦に振りながら頷くしかなかった。良かった。土方さん。

「戦いはこれからだ。西軍の奴らをこれ以上会津には近づけさせねえ」
「新政府軍は二本松に向かおうとしている」
「俺等は伝習隊、回天隊と一緒に郡山から二本松に入る」
「お前には、千手院で怪我人の世話を頼みたい」

 千鶴は「はい」と返事をした。それから、千鶴は土方に足の具合を質問責めにした。歩行はゆっくりなら杖がなくても叶う。馬引きが居れば馬上移動もできる。長時間の正座は厳しいということだった。本陣には、西洋椅子と机が用意されている。指揮をとるのは問題がないと千鶴を安心させるかのように説明した。

「食事の仕度が整いました」

 相馬が廊下から土方を呼びに来た。千鶴は、広間に移って遅い夕餉を軍目たちに出す傍ら、給仕をして回った。食事が終わると、相馬と野村が土方を風呂に入れに行ってしまった。千鶴は、自分の部屋に戻ろうと廊下に出ると、斎藤に呼び止められた。

「雪村、部屋は移動した。こっちだ」

 千鶴は、奥の間からさらに渡り廊下を廻った先の一室に案内された。床の間のある小さな部屋は、北側に窓があって美しい障子が貼られていた。畳も新しく、とてもいい香りがする。行灯を探そうと振り返ると、部屋の入口で立ったままの斎藤がぼそっとひと言。

「すまぬが、俺とこの部屋で分宿だ」

 廊下からの月明かりで、斎藤の髪が蒼く輪郭だけが見えた。いつもは碧く光るように見える眼が暗くて見えない。全く動かない直立のままの斎藤を、千鶴は返事も出来ずにずっと見つめ返すしかなかった。長い沈黙。段々と眼が暗がりに慣れてきた。斎藤の頬は赤くて、目を合わせないように畳をじっと見詰めている。

「荷物は移してある」
「ゆっくり休め」

 斎藤は、早口でそう言うと、踵を返すように部屋を出て行った。千鶴はようやく腰を下ろして、部屋を見回すことが出来た。自分の荷物が部屋の隅に置かれてあった。

 いつの間に……。

 行灯を灯して、荷物を解いた。きっと吉田さんだろう。私が、着替えにもたついていたから。そう思いながら、もう片側の隅に置かれている斎藤の荷物に目をやった。そう言えば、斎藤さんは、戻られてから着替えをされていない。千鶴は、斎藤の荷物から長着を出して、着物入れに畳んでおいた。それから、物入れから布団を出して敷いた。自分の布団は邪魔にならないように、下座の壁側に。もう一組は床の間の傍に敷いて、着物入れを枕元に置いておいた。床の間には、盆に水差しが置いてある。千鶴はそれを持ってお勝手に行き、冷たい水を汲んで部屋に戻った。湯飲みと一緒に、斎藤の布団の枕元に置いておいた。

 北側の窓から、ひんやりとした空気が入る。もう夜間は冷える。

 千鶴は、布団の中に入って横になった。何日かぶりだろう。こうして布団の上に横になるのは。有難いこと。とても……。

 千鶴は瞼を閉じると、一瞬で眠りに落ちた。

 

****

郡山へ

 福良本陣の幕府軍の統率掛となった土方は、新選組を長沼に駐屯させるよう斎藤に指示した。帰還から三日後のことである。怪我から全快した島田魁が軍目として、小隊五十名を率い先行隊として長沼に出立した。大鳥率いる伝習隊第二大隊は、須賀川方面から北上する新政府軍を攻める為に郡山に向けて出陣。町守屋を経由して二日後に郡山に入った。この時、伝習隊には十分な小銃が行き渡っておらず、新政府軍の猛攻に一旦兵を引いて町守屋に敗走した。伝習隊が命からがら町守屋に辿り着いた時、既に会津藩上田隊は守屋を発っていた。伝令が届き、上田隊は郡山より完全撤退し会津城下へ戻ったと知ったのは夜更け。二本松軍も自藩の守備を優先させて、そのまま郡山を発って二本松城下に撤退したことが判った。大鳥は会津軍と二本松軍があっさりと郡山での防衛線を見放した事に憤った。

 福良本陣に戦況報告の伝令が来たのは翌日。土方は、ただちに長沼の新選組に町守屋への移動を命じた。斎藤は、福良から後続隊三十名を連れて町守屋へ向かった。

 千鶴が斎藤の出陣を知ったのは、夕方遅くに千手院から本陣に戻った時だった。斎藤とは早朝に朝餉を準備した時に、勝手口の土間で言葉を交わしたきり。本陣の離れの部屋に、斎藤はめったに戻らない。千鶴が用意した布団は、朝になるといつも綺麗に畳まれてあった。

「心配には及ばぬ」
「ちゃんと横になっておる」

 斎藤の体調を心配する千鶴に、逆に斎藤が千鶴に「無理をするな」と注意する。千手院の怪我人や病人は後を絶たない。千鶴は、千手院と本陣を日中に何度も行き来しながら、合間に兵糧掛と一緒に物資の振り分け作業もしている。土方は、会津藩家老や軍目付との折衝に忙しく、毎日のように城下との伝令で早馬が往来し、相馬や野村がくるくると動き回っている。皆が、それぞれの役目にしゃにむになっていた。千鶴は斎藤の出陣を見送れなかった事を後悔した。

 斎藤が出陣してから、千鶴は毎夜部屋で筒袖の修繕に励んだ。福良に戻ってから、千鶴には新しい筒袖とシャツが用意された。伝習隊の少年兵用のズボンと上着。斎藤のシャツも新しく支給をうけた。古い筒袖は、擦り切れた部分に裏から当て布をして穴を繕い、靴足袋も補強した。

「郡山の戦況はよくない。突破されるか……」

 軍議が開かれている奥の間の前を通った時に、土方の声が漏れ聞こえた。千鶴は、斎藤たちが苦戦している事を知って衝撃を受けた。そのまま急いで千手院に戻り、お堂で手を合わせて皆の無事を願った。

 どうか、ご無事に戻られますように。

 土方は、ずっと軍議に忙しく、相馬や野村の姿も見えない。千鶴は、夜に布団に横になっても眠ることが出来ない。起き上がって、行灯の灯をつけて繕い物をして気を紛らせた。斎藤の筒袖や肌着を手に持って繕うと気分が落ち着く。一針、一針に願いを込める。部屋の北側の窓から聞こえる虫の声。

 りーりーりー肩刺せ裾刺せ綴れ刺せ

 蟋蟀の声を聞きながら、千鶴はひたすら斎藤の無事を願い続けた。

 

***

 

 伝習隊第二大隊より伝令が本陣に届いたのは、その翌日。

 ——須賀川宿に敵軍。三春藩墜ちる。

 千鶴は、たまたま本陣に居合わせ。伝令が土方にそう伝えるのを耳にした。千鶴は、相馬たちと手分けをして、本陣に居る軍目以上の者を呼びに走り回った。間もなく軍議が開かれ、千鶴はお茶を煎れて会議部屋に向かった。

「伝習隊、回天隊、新選組を二本松に向かわせた」
「小銃は間に合う」
「城の南側を守れば、落ちることはない」

 皆が緊迫した表情で机上に広げられた地図を見ている。千鶴は、新選組が二本松城の守備に向かったことを把握した。二本松のお城……。どうか、皆さん、ご無事なように。

 どうか、ご無事に。必ずお戻りになりますように。さむはら、さむはら、さむはら。

 千鶴はずっと心の中で唱え続けた。兵糧の準備をする間も、千手院で怪我人の世話をする間も、食事の準備をする間も、ずっとずっと祈り続けた。夕方に本陣に戻ると、兵糧掛の内田がばたばたと千鶴の元に走って来た。

「雪村さん、明日。舟津村へ移陣します。兵糧を二本松に送る準備をしてください」

 内田は土方からの伝達だと言って、「移陣は二、三日。大きな行李は本陣に置いて行く」と指示を受けた。千鶴は、そのまま食糧庫に向かって、内田と兵糧を荷車に積んで行った。それから、小さな行李に、斎藤の筒袖と下着の着替えを詰め込んだ。相馬が部屋にやって来て、土方も一緒に移動する、馬の手配をするが、馬には乗れるかと千鶴に訊ねた。千鶴は首を横に振った。

「千手院に人手が足りないので、私が先輩を舟津から連れ帰ります。馬に乗りますので、筒袖を着ていてください」

 相馬の話では、兵糧を二本松に送ったら直ちに千鶴は福良に戻ることが決まっているようだった。全てが目まぐるしい。千鶴は、地図を見て舟津村と二本松の位置を確かめた。道程は二日かかるだろう。どうか、ご無事に兵糧が斎藤さんの元へ届きますように。

 翌日に舟津村に移動した兵糧隊は、二本松へ向かった。途中、町守屋で伝習隊と合流した。大鳥たちは、郡山で人夫が揃わず足止めされ二本松へは向かえず、兵糧が途絶えたので戻って来たという。

「既に仙台軍が二本松へ向かった。我々は一旦福良に引き返す」
「郡山を超えるには物資が必要だ」

 伝習隊、回天隊、新選組がまとまると、町守屋では滞在が出来ない。大鳥は、三代宿まで移動を命じると、兵糧隊と一緒に街道を下って行った。降り出した雨はどんどん酷くなる。ぬかるみの中を三隊は立ち往生した。

 この日から降り出した雨は三日三晩続いた。

 三代宿で、斎藤は新選組の基地に歩兵掛を連れて降りて行った。川辺の温泉は、増水していて使えなかった。崖の傍の基地は無事で、このような大雨でも十分に雨風をしのげることが判った。歩兵掛と基地内を整えて、再び山を上って宿に戻った。宿は空き家になっていたが、煮炊きは出来たので、皆が空腹を満たすことが叶った。

 三代宿での待機中、二本松が落城したと報せを受けた。同盟軍の雄藩が次々に落ちる。斎藤は会津藩の守りが必要だと痛感した。

 

****

福良

 千手院にまた新しく病人が運び込まれてきた。

 千鶴は、直ぐに病人の容態を確認した。腹を壊しているらしく、発熱もしている。雨に打たれながら郡山から移動して来たという歩兵は伝習隊所属だった。千鶴は、伝習隊と一緒に新選組も帰陣したと報告を受けた。夕方近くまで怪我人の世話をして、急いで本陣に戻った。皆が広間に居たが、斎藤の姿は見えない。相馬と野村にに尋ねても、首を横に振って判らないという。千鶴は軍議が開かれている奥の間に走ったが、そこには土方と大鳥しかいなかった。もう一度お勝手に戻ってから、離れの奥の間に向かった。部屋の障子が開いたままになっている、千鶴は廊下を駆けるようにパタパタと歩いて行った。

「斎藤さん」

 千鶴が呼びかけた時、斎藤は背中を向けて上着を脱いでいた。振り返ろうとした瞬間、千鶴が背中に飛びついてきた。

「斎藤さん」

 どうした。ゆきむら。斎藤は、背中にしがみついて自分の名前を呼び続ける千鶴に驚いた。

「どうした」

 斎藤が上着の袖から腕を抜いて、後ろを振り返った。千鶴は泣き顔のような笑顔で自分を見上げている。

「昼過ぎに戻った。三代に三日足止めされておった」

 大きな黒い瞳には涙が浮かんでいるように見えた。「よかった。ご無事で」と千鶴は笑顔のまま斎藤の胴に縋り付いたままでいる。丸い顔は、どこか幼く見えた。童のようだ。そう斎藤は思った。

「変わりはなかったか」

 いつもの優しい声が頭上から聞こえる。「はい」と千鶴は張り切って答えた。千鶴は斎藤が着替えるのを、膝をついて手伝い始めた。新しい肌着を差しだし、長着の袖を通すのを手伝うと、帯を巻いている斎藤に背を向けて脱いだ上着に綻びがないかを確かめている。

 振り返った千鶴を見て、少し様子が違って見えるのが気になった。まじまじと自分の顔を見詰める斎藤に、「どうかされました」と千鶴は尋ねる。そのきょとんとした顔は、黒目がますます丸くて、山の中でみかけたイタチのようだった。くすくすと笑いだした斎藤に、「なんですか」と訊く顔が、首をもたげた小動物に見えて、斎藤の肩は震えだした。

「いや、なんでもない」

 そう答えながらも、斎藤は笑いが止まらない。千鶴は思い当たった。

「そんなに可笑しいですか。嫌だ。短すぎますよね」

 千鶴は自分の額を両手で覆うように隠した。今朝方、伸びていた前髪を自分で切った。振り分けにしていたのを、鬢を集めて髷で結わえたが、額を出すと女の様になってしまうので止めて削ぐことにした。真っ直ぐに綺麗に削ぐことに夢中になっていると、随分と短くなった。

「いや、黒目がよく目立っておる」

 斎藤の肩はまだ震えている。いやだ。やっぱり可笑しいのね。恥ずかしい。削がなければ良かった。千鶴は心底後悔した。

「似合っておる」

 斎藤の声が耳に響く。同時に手首を優しく掴まれて額から下ろされた。

「軍議に戻る」

 そっと手首から手が離れていく。千鶴は、斎藤の眼を見たまま動けなかった。碧い双眸。斎藤さん。

「夕餉はいつにされますか」

 部屋を出て行く斎藤の背中にようやく声を掛けることが出来た。

「軍議が終わってからでよい」

 千鶴は、「後でお茶を持って行きます」と斎藤の背中に向かって云うと、斎藤は振り返りながら頷いた。

 この夜、久しぶりに本陣で千鶴は斎藤が夕餉をとる傍につくことが出来た。斎藤は食欲旺盛で、棒鱈の煮つけを「美味い」と言ってご飯をお代わりした。千鶴は、張り切って食事作りに励んだ。暫く晴れ間が続いたこともあって、赤津や舟津村に出掛けて、食糧の確保が出来た。千手院の病人も数日のうちに全快した。千鶴は、兵糧掛の内田と鈴木と一緒に、再び本陣の裏庭で無患子の種子を炒って、兵糧包を大量に作っておいた。

 斎藤は、夜に千鶴と部屋で過ごす。

 刀の手入れをする斎藤の傍で、千鶴は繕いものをするのに忙しかった。互いに言葉を交わすことはない。夜更けに千鶴がこっくりこっくりと頭を前後に揺らせ始めると、斎藤は千鶴を布団に寝かせ、自分も寝間に入って横になった。秋の虫の音が聞こえている。灯り取りの窓から射す月明かりが明るく、頭の中が冴えてくる。斎藤はゆっくりと仰向けになって手足を伸ばした。

 ここ一両日中に、会津藩から出兵命令が下りる。二本松から会津に敵軍が攻めて来るだろう。此処を先途と防衛せねばならん。

 斎藤は、猪苗代湖北を思い浮かべた。眩しい湖面に全身が焼けるような思いをしながら振り仰いだ景色。猪苗代の美しい山の稜線。

 絶対に守ろう。どんなことをしても。

 再び身体を横にして、向こうの布団に横になる千鶴を見た。安らかな寝顔。

 雪村、ここからご城下までは安全だ。必ず守ってみせる。どんなことがあっても。

「どんなことがあってもだ」

 斎藤の声が千鶴に聞こえたのか、眠っている千鶴はこっくりと頷くように首を動かした。その顔は微笑みを湛え、ふたたび脱力したように静かな寝息をたて始めた。その安らかな寝顔を見ながら、斎藤もゆっくりと眼を閉じた。

つづく

→次話 戊辰一八六八 その21

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