ブログ【小説更新情報】相部屋

ブログ【小説更新情報】相部屋

こんにちは。戊辰一八六八 その21相部屋をアップしました。

福良に帰陣した斎藤一率いる新選組。土方歳三が戦線に復帰します。慶応四年七月は、今の季節で8月中旬頃。新選組は旧幕府軍と福良本陣、御用場に分宿して八月十九日(9月中旬)ぐらいまで駐屯します。(上の写真は、郡山本陣跡です)

進軍命令が下りる前のほんの短い間、比較的平和な福良での待機期間を描きました。

白河戦線から退却して、二本松の闘い(七月二十九日)へ新選組は援軍として向かいましたが間に合わず。二本松城を守る為、仙台藩兵と二本松軍は徹底抗戦しましたが、一日で落城してしまいます。

二本松藩は少年兵が多数従軍しました。12歳から15歳の年少の武士が沢山命を落としたと伝わっています。会津藩白虎隊の悲劇は全国的にも、よく知られています。白虎隊二番中隊は殆どが16、17歳の元服したての武家の子息が所属。二本松幼年隊は元服前の少年たちが多く参加していました。腰に差した打刀を独りで抜く事ができないぐらい身体が小さくて、背中に打刀を背負って従軍し、二人一組で相抜きして(お辞儀をしてペアとなった相手に背中の刀を抜いてもらう方法で)刀を扱ったそうです。勿論一度抜刀すると、簡単に鞘に納めることができません。多くの少年兵が城を守って命を散らしました。

二本松が落城したことで、猪苗代以東の地域が新政府軍に占拠されてしまう形となりました。季節は晩夏、破竹の勢いで攻めてくる新政府軍を同盟軍は二本松から西に会津方面に攻め入るのを防ぐ必要が出てきました。

この頃の幕府軍の状況は記録によると、土方歳三は福良本陣で総指揮官として、旧幕府軍と新選組を指揮します。伝習隊を率いる大鳥圭介は、会津軍、仙台軍、二本松軍との合兵部隊で新政府軍の侵攻を防ぐよう果敢に進軍しますが、それぞれの藩が、自藩の守備にまわってしまい、なかなか思うような布陣をすることができなかったようです*1。同盟軍は各藩のリーダーシップが欠けていたのが致命的です。十分な兵数を前衛に置く事ができないまま、小さな藩はどんどん降伏、恭順してしまいます。大鳥さんは、こういった状況を大層憂いでいたようです。

二本松→会津→米沢→仙台

大鳥さんはこの時点で、上記の順番で同盟軍を守備する必要を感じていたようです。旧幕府軍が援軍参加すれば、どの藩からも資金面や人夫の供出援助が得られると思っていて、土方さんも、同様に要請すれば会津藩から援軍が来ると信じていました。大鳥さんも土方さんも、指揮官としての守備優先が変化していき。転戦につぐ転戦を重ねて、最終的に仙台へ向かう決定をしていきます。

これから斎藤さんは新選組を率いて、福良から猪苗代湖の北西(二本松方面)を守備するように進軍します。

なかなか話が進まなくて、すみません。新選組の福良駐屯期間は結構長く、ひと月半。その間、完全な休陣というわけではなかったようです。斎藤さんが実際どう過ごしていたのか、伝習隊の記録などから想像を最大限に膨らませて書いています。母成峠の戦いに至るまでの湖南、郡山方面での移陣が、斎藤さんの心の動きと重なるような気がしています。斎千は物理的に離れては、再び会って無事を確かめ合う。この繰り返しです。これから舞台は会津領内に移っていきます。

いつも読んで下さってありがとうございます。

次こそは二人が気持ちを確かめ合う場面を描きたい。頑張るーーーー。

ちよろず

出典*1「谷口四郎兵衛日記」

コメントは受け付けていません。
テキストのコピーはできません。